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2021年06月30日

ハイゼンベルク
_【2021/06/30_原稿改定】

「ハイゼンベルグ」の原稿を投稿します。時代について再考しました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】






ハイゼンベルクは行列形式の導入や、不確定性関係等の適用で、量子論を形作った一人です。バイエルン王国に生まれミュンヘン大学でゾンマーフェルトに学びマックス・ボルンの下で助手を務め、コペンハーゲンのニールス・ボーアの下で修業します。そうした中で理論の形式を整えます。


そして加えて、ハイゼンベルクはシュレディンガーポール・ディラックと同じ時代に生き、積極的に行動すればアインシュタインボースとも議論が出来ました。。そうした天才達がミクロの原理を一つ一つ解きほぐしたのです。まだ見えない原子レベルの大きさの事象を推察する手法が色々と試みられて、その結果を説明する理論が発展したのです。不確定性関係の発表が1927年なのですが、同時期には数多くの革新的な発表が為され理論が飛躍的に発展した時代でした。


同時に大変な時代背景、第二次世界大戦があり
ハイゼンベルクはアインシュタインが作った
相対論を駆使したりユダヤ人物理学者を養護
していたので、ナチス党員の物理学者から
「白いユダヤ人」と呼ばれ苦労しています。
プランクからの指摘もあり
戦後の体制を見据えてハイゼンベルクはドイツ
に残りました。しかし戦時下ですので物理の知識を
ナチスの為に使う事になり、色々考えたようです。
実際にハイゼンベルクのシンクロトロンが火災を起こし
世界でニュースとなるとアインシュタインは大変驚きます。
実際にその事件が彼に原爆開発を決意させたと言われています。そして、大戦が深まる中でナチス側も原子力爆弾の実用化を模索していた中で当時のドイツ内でのハイゼンベルグの立場は極めて苦しくなります。実際にハイゼンベルグが積極的な態度をとったとしたら恐ろしい事です。歴史には「たら・れば」はよく語られていて仮にナチスが原爆を持っていたら、
連合国との原爆の応酬で
とても恐ろしい状況になっていた筈です。


個人的にオブザーバブルに対する状態の時間発展を表すやり方は大好きです。洗練されてます。ハイゼンベルク等の提唱した行列形式はそこにつながっていきます。又、いくつかの思考実験で裏打ちされた不確定性関係は量子力学の現象理解の中では本質的です。


またハイゼンベルクはピアノの名手
だったと言われていています。
聞いてみたかったですね。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/08/19_初回投稿
2020/06/11_改訂投稿


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量子力学関係へ】

ポール・ディラック
_【2021/06/30_原稿改定】

「ディラック」の原稿を投稿します。まぎれもない変革期のキーマンです。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



イギリスのディラックは
とても謙虚で無口な人でした。
ノーベル賞が決まった際には、
有名になる事を恐れて受賞辞退を
考えていた様です。そんな人なのですが、
20世紀初頭の天才達がひしめく中で
ファインマンハイゼンベルク 、
シュレディンガー等と量子力学を確立します。
特にシュレディンガーとは
同じタイミングでノーベル賞を受賞します。


ディラックを語るにあたり少し、その家族について言及します。ディラックが10代後半の時期にスイスから家族は国籍を移しています。そしてディラックの性格形成を語る上で家庭環境は大きな要素だったようです。まず1924年にディラックの兄が自ら命を断っています。色々考えた末だったのでしょうか。ディラック自身も、その父と会話し辛い場面が多々あったようです。そして無口な人になっていったようです。しかしディラックは、闇に沈まずに数学を駆使して輝かしい成果を残しています。特にデルタ関数やブラケット記法は素晴らしいのです。そんな足跡を沢山残しました。
ブラケット記法とは日本語で「括弧」
の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分
だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分
だけを「ケットベクトル」と呼びます。
非常に分り易い表現でブラの部分がベクトル量
に相当してケットの部分が、それと作用するベクトル量に相当する定式化です。作用する前のケットが固有値を持つ場合に固有状態を持つと表現されます。ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)であることが学部時代の私にとって感動的でした。一瞬にして物理量に対応する状態が記述された気がしました。他方でデルタ関数は観測が一瞬にして波束の収縮を引き起こす様子を表現していると思います。こうした定式化をディラックは進め、理論から提唱される物質を考え出しています。具体的に反物質と呼ぶ存在がいくつも提唱され、見つかっています。反物質は寿命が通常の物質より若干短かったりしますので日常的ではありませんが、粒子の生成消滅を論じたりする際に大事な要素です。陽子には反陽子があり中性子には反中性子があります。


そんなディラックは真面目な性格、人を騙さない性格もあって周囲から大事にされていた様子が伺われます。このブログのTOP画面で使っている集合写真でも真ん中の列の中央に居ます。若き天才ディラックをアインシュタインやキューリ夫人が尊重して「君の研究は素晴らしい。これからも頑張って下さいよ!」といった気持で尊重しているような気がするのです。そして、
ディラックはイギリスの伝統を受け継いでいった人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。この名誉は初代・アイザック・バローから始まり二代目・アイザック・ニュートンと続き、最近では宇宙論で名を成したS・W・ホーキング博士が受け継いでいます。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/08/17_初稿投稿
2021/06/11_改定投稿


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F・W・マイスナー
【2021/06/30_原稿改定】

以下にSEO対策で「マイスナー」の原稿を投稿します。使った画像はドイツの建物の画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



その名は正確には
フリッツ・ヴァルター・マイスナー_
Fritz Walther Meißner (Meissner)。
ドイツ・ベルリン生まれの物理学者です。


ミュンヘン工科大学でプランクの師事を
受けた後に物理工学院で研究を進めます。
マイスナーが関心を持っていたのは
超伝導でした。1920年頃に色々な物資で
転移が起きる事を確認しています。
タンタル(化学記号はTa、転移温度4.47K)
ニオブ(化学記号はNb、転移温度は9.25K)
チタン(化学記号はTi、転移温度は0.4K)
トリウム(化学記号はTh、転移温度は1.38K)
に対して相転移を確認した後に化合物に
着目してNbCにおいて10ケルビンを超える
転移温度を確認しています。


その後、マイスナーはいわゆるマイスナー効果
を発見していてます。この現象は協同研究者の
オクセンフェルトの名前と合わせて
マイスナー―オクセンフェルト効果と呼ばれる
こともあります。また性質の側面から完全反磁性
とも呼ばれます。磁性を使って超電導現象を特徴
づけているとも言えます。大きな成果でした。





以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。


nowkouji226@gmail.com


2020/12/19_初回投稿
2021/06/06_改定投稿


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アーサー・コンプトン
_【2021/06/30_原稿改定】

「コンプトン」の原稿を投稿します。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


アメリカのコンプトンは波動の粒子性を示した実績とマンハッタン計画で指導的役割を果たしたことで知られています。コンプトンは1919年に英国のキャンデビッシュ研究所に留学し、そこでガンマ線の散乱・吸収を研究します。そこで「波動のコンプトン効果」を発見するのです。この考えは今では量子力学の基幹をなしていますが、大まかには以下の理解をしていれば良いと思います。つまり、「微視的に物事を考え始めた時に粒子性と波動性が同時に具現化する」ということです。


具体的に量子力学では不確定関係という枠組みで物事を考えますので2つの値が同時に確定しなかったりします。例えば位置と運動量を同時に確定しません。また、時間とエネルギーを同時に確定しません。但し、時間×エネルギーや位置×運動量といった値を物理量として確定出来るのです。これは作用と呼ばれる次元の物理量です。時間という物理量やエネルギーという物理量と関連していますが異なります。


以上は量子力学を理解した人々には納得出来ても一般の人々には中々説明がし辛い部分です。誤解無く伝わっているかいつも不安になります。そんな意識改革をコンプトンが進めていたのですね。波動として考えていたガンマ線に粒子性を見出したのです。


また、コンプトンはマンハッタン計画を進めた主要メンバーでもあります。そもそも原子爆弾は原子炉の製造から計画しなければいけません。そこでウランをプルトニウムに変換して、プルトニウムとウランの混合物からプルトニウムを分離するプロセスが必要です。コンプトンはこのプロセスをSEとして設計してプロジェクトが進んでいく現場で働きました。また、原子爆弾を兵器として使用するには敵国で使用時、出来るだけ早くに最大限の攻撃力を発揮しなといけませんが、損傷兵器を設計する方法についてもコンプトンは設計をしていきました。なお同計画はオッペンハイマーの設計もあり、フェルミやローレンスとの議論も経ています。全米の知能を集め計画を進めていたのです。


そしてコンプトンの業績はノーベル賞を初めとする蒼々たる栄誉で称えられています。それと同時に、マンハッタン計画の主導者として計画自体の是非を論じる際に何度もその名があがります。もともとは、コンプトンはもともと星の好きな少年でした。そんな所からガンマ線の究明に話が進みましたが、彼の名はガンマ線検出の為のNASAの衛星に残されています。





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2020/11/07_初稿投稿
2021/06/11_改定投稿


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ルイ・ド・ブロイ
_【2021/06/30_原稿改定】

「ルイ・ド・ブロイ」の原稿を投稿します。物質波という大切な概念を確立した人です。素性について再考しました。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


 


ルイ・ド・ブロイはフランス貴族、公爵の血を引いてます。その血筋は由緒正しいのです。そもそも、フランス国王ルイ14世により授爵頂いていた名門貴族・ブロイ家の血筋であって、ルイ・ド・ブロイは直系子孫です。兄の没後は兄に子供が居なかった事情もあって、正式に侯爵家の当主を務めています。ルイ・ド・ブロイはフランスの首相を二期務めた第4代の当主アルベール・ド・ブロイの孫です。それだから、生誕時にルイの父は当時公子でした。こんな逸話が沢山あるのですね。そんなルイ・ド・ブロイは独自に優れた仮説を進め、ド・ブロイ波(物質波)の考えにたどり着くのです。


そのルイ・ド・ブロイの考えは初め、中々理解されませんでした。関連して超有名なエピソードがあります。ルイ・ドブロイの博士論文の審査過程で教授達がド・ブロイの考えを理解出来ず、有名なアインシュタインに意見を求めたたのです。すると、「ド・ブロイの考えは博士論文よりもノーベル賞に値する」とアインシュタインから評価され、絶賛され、更に物質波の考えを進めていく事が出来たのです。その考えはパラダイムシフトでした。粒子の二面性の考えは現在の量子力学の根幹をなしていてとても大事な考えです。ドブロイを含めた学者達が議論を重ね、当時の物理学の常識を変えていったのです。


波が粒子性を持つのと同時に、粒子であると考えられていた電子も、実際には波動性を持つだろうという考えがドブロイ波の本質です。現代の量子力学の理解ではこの二面性は当たり前ですが、波動性を持つ故に特定元素の周りを周期的に運動する電子は特定波長の整数倍のみ許された軌道を描きます。逆に考えれば特定波長の整数倍の運動しか、その電子には許されないのです。特定原子核の周りを回る電子は特徴的な波長の整数倍を定常状態として周期運動を続け、定常状態間の遷移が起きる際に放射線が生じる事実は、ドブロイを初めとする考えがあってこそ成立する概念なのです。それこそが電子の存在なのです。


実際に数年後にルイ・ド・ブロイはノーベル賞
を受賞します。いつの時代も中々、
新しい考えは理解出来されないものですね。






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2020/08/19_初回投稿
2021/06/12_改定投稿


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マリ・キュリー
_【2021/06/30_原稿改定】

「マリ・キューリ」の原稿を投稿します。夫人がゴシップに巻き込まれた話、若きアインシュタインを推薦した話、2度目のノーベル賞を受けた話、を追記しました。変革期に大きな仕事をした人です。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


 


その名はマリア・スクウォドフスカ=キュリー:Maria Salomea Skłodowska-Curieですがフランス語でマリ・キューリと呼ばれる事が多いです。彼女は物理学と化学で2度ノーベル賞を受けています。マリ・キューリの父は研究者でしたが貴族階級の出身だった為に、帝政ロシアの支配下の元で教壇に立つことを禁じられていました。マリ・キューリは10歳をなる前に大変苦労します。父の非合法の講義が発覚して職・住を失い、母の結核による他界があり、更には投機での失敗もあり、マリーは親戚等の世話になります。





そんな時期にマリ・キューリにも恋をした時代があったようです。当時、マリ・キューリは家庭教師を生業としていましたが、カジュミェシュ・ゾラフスキという青年と恋仲に落ちます。共に避暑旅行に出かけたりして幸せな時間を過ごしましたが、最終的には破局を迎えました。この事がマリ・キューリのパリ行きに繋がった様です。


パリでもマリ・キューリは苦労します。
屋根裏部屋に住んで寒い時には
持っている全ての服を着ながら
勉学に励みます。そんなパリ生活は
大学の学部を卒業する迄、続きました。


そんなマリ・キューリに
光明がさします。
知り合いを通じてピエール・キューリ
と出会ったのです。


そのピエール・キューリは国外で
評価を受けていて1893年には英国の
ケルヴィン卿が訪ねてくる程でした。
ところが、ピエール・キューリは
勲章を辞退してしまうような性格で
ひたすら研究に励んでいました。


そんな二人が惹かれ合い、認め合い、
マリの帰国後もピエールは恋文を
贈り続け、遂にはマリの心が動き、
2人は簡素な結婚式をあげます。
幸せな結婚だったと思います。
祝いの宴もなく、結婚指輪も無い、
つつましい形式でしたが
祝い金で買った自転車に乗り、
フランスの片田舎へと新婚旅行に旅立ちます。
ピエールが自転車をこぎ、
その後ろにマリが乗り、長閑な道を
語りながら進んでいった事でしょう。


料理を頑張り、長女に恵まれながらも学問を続け、ベクレルの見出した放射線に対して二人は研究していきました。そこで。光や温度といったパラメターではなくウラン含有量の「量」が放射現象には本質的であるとの結論を得ます。その後、マリとピエールの夫妻は元素の精製に心血を注ぎます。
純度をあげる事で同位体の存在に
近づいていったのです。


関心のある精製にキューリー夫妻は全てを注ぎ込みます。結果として、夫ピエールは度重なる発作に苦しみ、妻マリは神経衰弱から睡眠時遊行症に陥ります。その中で第二子を流産してしましました。そうした犠牲を払い、新しい概念の提唱に至ります。即ち、
「特定元素は別の元素へ変化する」
という事実です。


そして、その過程で放射線を放出して一見エネルギー保存の法則に相反する変化を起こしますが、それを追ってラザフォードらが研究成果を次々に発表します。そして夫ピエールが放射線に医学的効果を期待出来ると発見をしていくのです。ラジウムの効果でした。


当初は、妻マリーの博士学位習得が放射線研究の目的であったのですが最終的にはマリー・ピエール・ベクレルの3人に対してノーベル賞が贈られます。苦労してきた二人にとって、まさに栄誉の極みでした。


所が、その後突然の不幸が訪れました。夫ピエールが46歳の若さにして交通事故で命を落とすのです。妻マリーは悲痛にくれます。当然でした。その後、傷が癒えるまでに多くの言葉と時間が必要でしたが、最終的に妻マダムは夫ピエールの大学での職位と実験室の後任を引き継ぎます。研究者として活動を始めたのです。


マリー・キューリ―はケルヴィン卿と対峙します。夫を認めてくれていた恩人でもあるのですがケルビン卿はラジウムを元素ではなく化合物であると考えていたのです。マリーは実験事実で論破してケルビン卿の誤りを正しました。そしてカメリーオネスと低温状態のラジウム放射線を研究していこうと話を進めます。第一回ソルベー会議で論文を発表していた若き日のアインシュタインを評価して、チューリッヒ大学教職への推薦状を書いています。そうした当時の綺羅星の物理学者が彼女と交流を持ちました。反面、ゴシップ騒動に追われていた部分も有、マリーはマスコミを嫌います。二度目のノーベル賞を受ける際にはスウェーデン側からも授与を見合せる打診がありましたがマリーは毅然と対応して、ゴシップネタとされた関係を
「成果をあげた関係」であると語りました。
旦那様の教え子、ランジュバンとの成果でした。


そして、、、語らなければなりません。何より悲しかったのは放射線のもたらした弊害です。研究の過程で放射線被曝が重なりマリーは頭痛・耳鳴り・怪我がなかなか治らないといった障害に悩まされ続けます。そして終には死に至りますが、当時はまだその関連性が明確ではなかったようです。


波乱に満ちたマリー・キューリの人生は幕を閉じましたがその後人々は彼女の残した物を高く評価しています。1995年、夫妻の墓はパリのパンテオンに移されました。フランス史の偉人の一人として今でも祭られています。そして、物理の世界の偉人として世界中で語り継がれています。







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2021年06月28日

ピーター・デバイ
_【2021/06/28_原稿改定】

以下にSEO対策で「デバイ」の原稿を投稿します。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期にはもっと、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



デバイはオランダの物理学者にして化学者です。ドイツで教授を務めていたりもしました。戦時には渡米してコーネル大学で教授を務めていました。そんなデバイは、比熱の定式化で名を残しています。


また、電子の双極子モーメントを使って誘電率の説明をしました。自由電子が内部に存在しない誘電体を考えた時に、その物質内部で電場付加時に電子と原子核は反対方向に移動して双極子を作ります。この考えで「双極子モーメント」が定義され、その単位体積当たりの値を吟味することで電場と誘電率の関係が示せたのです。
誘電率は真空中を基準とした時にアルミナ、雲母、NaCl、水晶、ダイヤモンドで5から9の値をとり、水(純水)で80の値をとり、メチルアルコールで33の値をとります。【理科年表より】_こうした業績からデバイは分子モーメントの単位として名を残しています。


また比熱のモデルですが、今日では一般的に
アインシュタイン・モデルとデバイ・モデル
が使われます。アインシュタインの比熱モデルは拘束された原子核のがバネでつながれたイメージ
です。二次元で例えてみると碁盤の線の交点に原子があって、交点間の線にバネがあって隣の交点に熱を伝えます。交点に足る特定の原子が激しく動くとその隣に隣接する上下左右4点の原子がバネを介してエネルギーを受けるイメージのモデルです。対してデバイ・モデルは音子(フォノン)が
箱の中を動き回るモデルであって理想気体が運動する様子に近いです。デバイモデルでは長波長の弾性波をモデルに取り入れる事が出来るうえに、外界とのリンクも勘定しやすいです。具体的にデバイモデルでは外界とのリンクは
箱の出口となるドアで表されています。


こういった概念を纏めているサイトを見つけました。
以下にURLを記します。
ご参考にして下さい。



(ときわ台学さん)
(別リンク)






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時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。


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2020/09/25_初稿投稿
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2021年06月27日

マックス・プランク
_【2021/06/27_原稿改定】

「プランク」の原稿を投稿します。プランク定数という大切な概念を確立した人です。画像は第5回ソルベー会議の集合写真を使いました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



その名は正確には、マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck)


【現在の国で言えば】ドイツ生まれのプランクは前期量子論の主要メンバーの一人です。学問的方法論の観点から語れば、エルンスト・マッハの実証主義に対しプランクは実在論を展開しています。プランクは微視的な物理公式を特徴づける本質的な定数であるプランク定数を提唱しています。即ち微視的な知見において、不連続な物理定数を上手に理論に取り入れて体系化しているのです。


プランクの提唱した一連の考え方はとても大事な概念で、量子力学の根幹をなしています。現代の我々が後付けで考えてみると、取り得る状態が不連続だから行列力学で使えます。そして状態の時間発展が量子力学体系の中で記述出来て、微視的な状態の遷移が「定量的に」表せるのです。


パラダイムシフトという言葉が使えます。
思想体系において大きな変換が起きました。
まず、考え方のハードルをクリア出来た事は
物理学にとって大きな一歩であったと言えます。


そしてプランクは戦争の時代を生きたので幾多の悲劇を味わいました。人道的見地から、アインシュタイン等へのユダヤ人迫害に対して当時の独裁者ヒットラーに直接意見を述べています。
そして、プランクの長男は第一次世界大戦で戦死しています。
プランクの二男はヒットラーを暗殺に加担したので
処刑されてしまいました。加えてプランク自身も
国賊の親として批難を受けていました。
更には、、、他にプランクには二人の娘さんが居ましたが、
共に孫娘を産んだ後に亡くなっています。



こうして色々とあったプランクの人生ですが、プランクの残した業績は決して消えていません。プランクの名前を残しているプランク定数は今でも世界中で議論の中で使われていて、彼の名を冠した研究所は21世紀になっても最先端の研究を続けています。






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2021年06月26日

A・アインシュタイン
_【2021/06/26_原稿改定】

「アインシュタイン」の原稿を投稿します。光量子という大切な概念を確立した人です。考え方について再考しました。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】




現時点で最も有名な物理学者ではないでしょうか。アインシュタイン(Albert Einstein)はパラダイムシフトを起こし20世紀初頭、物理学に大きな変化をもたらしました。特に、1905年に26歳のアインシュタインは3つの歴史的な論文を発します。「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」です。光量子化説は光の性質を突き詰め量子化している論文、ブラウン運動は花粉の動きから分子の乱雑な動きを解析した論文、特殊相対性理論は速度を増し光速度に近づく物体の考察。こういった考察から空間・時間の概念を変えていき、ミクロの物質の考察を進めています。色々な学者と討議を重ねて、現実に対しての理解を深めていきます。


アインシュタインは少年時代から物理学者として「考える」土壌を育んでいました。そういった話をする際によく語られるのは、居眠りから目覚めた後に考え続けたと言われている思考実験です。それはすなわち、「光の速さで光を追いかけたらどうなるか」という思考実験です。子供が大人から「光は速い」という事実と「光を使って物が見える」という2つの事実を学んだとしたら、その後に子供ならではの素朴な考えで、「それならば・・・・」と考え続けていったのです。考えること自体は誰でも出来る事ではありますが、そこから先、解決出来ない疑問を覚えていて、大事だと思い、解決した結果が人類共通の知の財産となったのです。そこには必ず苦労と乗り越えた時の喜びがあります。
時代的な話としてもアインシュタインはユダヤ系であるので彼は大変苦労しています。当時のドイツはナチスの時代ですからホロコーストが実際にあったのです。また、アインシュタインはドイツの為に原爆の製造をすることに貢献出来た筈です。実際には崩壊していくドイツ帝国を去り、アメリカでマンハッタン計画に参加します。個人の物理学者として多少の無力感を感じていたのではないでしょうか。またいつかアルバート・アインシュタインの子供、ハンス・アインシュタイン について記述することが出来ればと思っています。


苦労人のアインシュタインは数々の名言を残していますが、
私が好きな言葉を最後に残します。アインシュタインの意志の強さを感じます。


「think and think for months and years. Ninety-nine times, the conclusion is false.
The hundredth time I am right.」
私は、数ヶ月も何年も考え続けます。
99回まで、その結論は正しくないですが、
100回目に正しい答えを出すことができるのです。






以上、間違い・ご意見は
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2021年06月25日

量子力学の纏め
_【2021/06/25_原稿改定】

以下にSEO対策で「量子力学」の原稿を投稿します。使った画像は原子力発電所の建物の画像を使いました。19世紀の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で国別に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/7(月)朝の時点でフォロワーは合計【11191】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に他垢が無関心なら最終的にツイッターには意義を感じません。もう少し、もがいてみます。【以下原稿です】


【↑Credit:Pixabay↑】


現代の日本における理工学部の物理関係の学科で学生が学ぶ場合は大きく分けて力学・電磁気学・統計力学・量子力学につながる分類をしている場合が多いです。量子力学に関してまとめます。20世紀初頭に急速に発展した分野で現在も話がどんどん膨らんでいます。時系列でご覧下さい。
統計力学の発展と重複する点が多分にありますので、個別に内容を追いかけてみて下さい。その考察は有益な筈です。関連リンクは随時改定致します。


<年代順のご紹介>


シャルル・ド・クーロン
_1736年6月14日 ~ 1806年8月23日
A・H・ルイ・フィゾー_1819年9月23日 〜 1896年9月18日
ウィリアム・トムソン_1824年6月26日 ~ 1907年12月17日
ヴィルヘルム・C・レントゲン_1845年3月27日 ~ 1923年2月10日
アルバート・A・マイケルソン_1852年12月19日 ~ 1931年5月9日
H・A・ローレンツ_1853年7月18日 ~ 1928年2月4日

カメリー・オネス_1853年9月21日 ~ 1926年2月21日
マックス・プランク_1858年4月23日 ~ 1947年10月4日
ピエール・キューリ_1859年5月15日 ~ 1906年4月19日
W・C・ヴィーン_1864年1月13日 ~ 1928年8月30日

ピーター・ゼーマン_1865年5月25日 ~ 1943年10月9日
長岡半太郎_1865年8月19日 ~ 1950年12月11日

マリ・キュリー_1867年11月7日 ~ 1934年7月4日
ロバート・ミリカン_1868年3月22日 ~ 1953年12月19日
ゾンマーフェルト1868年12月5日 ~ 1951年4月26日
アーネスト・ラザフォード_1871年8月30日~1937年10月19日
ポール・ランジュバン_1872年1月23日 ~ 1946年12月19日
寺田寅彦_1878年11月28日 ~ 1935年12月31日
A・アインシュタイン_1879年3月14日 ~ 1955年4月18日
ポール・エーレンフェスト_1880年1月18日 ~ 1933年9月25日
石原敦_1881年1月15日 ~ 1947年1月19日
マックス・ボルン_1882年12月11日 ~1970年1月5日
F・W・マイスナー_1882年12月16日 ~ 1974年11月16日
西川 正治_1884年12月5日 ~ 1952年1月5日
ニールス・ボーア_1885年10月7日~1962年11月18日
シュレディンガー_1887年8月12日 ~ 1961年1月4日
オットー・シュテルン_1888年2月17日 ~ 1969年8月17日
ヴァルター・ゲルラッハ_1889年8月1日 ~ 1979年8月10日
仁科 芳雄_1890年12月6日 ~ 1951年1月10日
J・チャドウィック_1891年10月20日 ~ 1974年7月24日
ルイ・ド・ブロイ_1892年8月15日~1987年3月19日
アーサー・コンプトン_1892年9月10日~1962年3月15日
サティエンドラ・ナート・ボース_1894年1月1日 ~ 1974年2月4日


ヴォルフガング・E・パウリ_1900年4月25日 ~ 1958年12月15日
アーネスト・O・ローレンス_1901年8月8日 ~ 1958年8月27日
エンリコ・フェルミ_1901年9月29日 ~ 1954年11月28日
ハイゼンベルク 1901年12月5日 ~ 1976年2月1日
ポール・ディラック_1902年8月8日 ~ 1984年10月20日
セシル・パウエル_1903年12月5日 ~ 1969年8月9日
J・R・オッペンハイマー__1904年4月22日 ~ 1967年2月18日
朝永振一郎_1906年3月31日 ~ 1979年7月8日
ハンス・アルプレヒト・ベーテ__1906年7月2日 ~ 2005年3月6日

湯川秀樹_1907年1月23日 ~ 1981年9月8日
エドワード・テラー__1908年1月15日 ~ 2003年9月9
レフ・ランダウ_1908年1月22日 ~ 1968年4月1日
ジョン・バーディーン_1908年5月23日 ~ 1991年1月30日
ニコライ・N・ボゴリューボフ_1909年8月21日 ~ 1992年2月13日
坂田 昌一__1911年1月18日 ~ 1970年10月16日
D・J・ボーム_1917年12月20日 ~ 1992年10月27日
R・P・ファインマン__ 1918年5月11日 〜1988年2月15日
南部 陽一郎_1921年1月18日 ~ 2015年7月5日
フィリップ・W・アンダーソン_1923年12月13日 ~ 2020年3月29日
中嶋 貞雄_1923年6月4日 ~ 2008年12月14日
江崎玲於奈_1925年3月12日 ~ 【ご存命中】
小柴昌俊 _1926年9月19日 ~ 2020年11月12日
西島 和彦_1926年10月4日 ~ 2009年2月15日
広重 徹 1928年8月28日 ~ 1975年1月7日
マレー・ゲルマン_1929年9月15日 ~ 2019年5月24日
レオン・クーパー__1930年2月28日 ~(ご存命中)
ロバート・シュリーファー _1931年5月31日 ~ 2019年7月27日
_J・J・サクライ __1933年1月31日 ~ 1982年11月1日
B・D・ジョゼフソン_1940年1月4日〜 (ご存命中)
S・W・ホーキング_1942年1月8日~2018年3月14日


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2021年06月24日

ニールス・ボーア
_【2021/06/24_原稿改定】

「N・ボーア」の原稿を投稿します。確率解釈という大切な概念を確立した人です。素性について再考しました。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



TOP画で使っている写真では中列右端に立っています。北海に面したユトランド半島および、その近辺の多くの島々からなる立憲君主制国家であるデンマーク王国にボーアは生まれました。若い時代にはアマチュアサッカー選手リーグのABコペンハーゲンでゴールキーパーを務めていたという一面もあります。ボーアはそんな人でもあるんです。そしてボーアは前期量子論において先駆的な理論を提供し続けました。ボーアは当時、不完全であった原子像を洗練させて独自の原子模型を提唱します。先ず1911年にイギリスへ留学し、J・J・トムソンラザフォード_の元で原子核に対する基礎知識を吸収して先進的な考察を進めていきます。そもそも光学顕微鏡で見えない大きさレベルでの世界に対して、考察を止めることなく幾多の議論を重ね、量子力学を確立していきます。例えば今でも原子の大きさを議論する時に「ボーア半径」という言葉を使います。この言葉はこの時代に確立された概念です。


その後、ボーアはイギリスから帰国後に幾多の仲間をコペンハーゲンに集め、コペンハーゲン学派と呼ばれた仲間を形成します。そこでまとまった解釈はコペンハーゲン解釈と呼ばれるようになり、それまでの物理学でのパラダイムを変えていきます。一言でまとめると、コペンハーゲン解釈は微視的世界での「観測に対する考え方」です。光学顕微鏡で微細な世界を覗いても分解能の問題でどうしても画像がぼやけてしまう「限界」にいきつきます。アルファー線やベータ―線といった粒子線を純度の高い物質に当てて光路から内部構造を予想しようとする試みも色々な形で繰り広げられました。日本では寺田寅彦の時代にそうした解析が行われています。そうした蓄積を辻褄の合う理論で結びつける体系が必要とされていたのです。とても奥深い話ですから、次の改稿時には更に踏み込む積りです。位置と運動量の微視的分解能の限界をアインシュタインと論じた話などが残っています。


その中でボーアは本質的な「ボーアの量子化条件」を用いて様々な現象を説明してみせます。長さスケールで10の‐23乗メートルのスケールでの議論では「位置等の観測値」が「とびとびの値」を示すのですが、その事象を現実世界での本質的な性質であると提唱したのです。原子半径、磁気的性質も現代では、その形式で考えるが方がわかりやすい訳です。


そして晩年、ボーアはデンマーク最高の勲章であるエレファント勲章を受けています。その際には東洋密教で使う陰陽のマークを模して紋章をデザインした、と言われています。また、英国の王立協会では外国人会員の栄誉を受けていました。


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2021年06月23日

ポール・ランジュヴァン
_【2021/06/23_原稿改定】

「ランジュバン」の原稿を投稿します。双子のパラドックスという大切な概念を確立した人です。磁性と放射能の当時の研究に関して再考しました。マリーとの関係について再考しました。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。今迄イメージしか考えていませんでしたが実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の人と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


 


20世紀初頭の議論の中でランジュバンは中心に居ました。本ブログのTOPで使っているソルベイ会議の写真でもアインシュタインの隣に座っています。そんなランジュバンは双子のパラドックスという考え方が有名です。その特殊相対性理論における矛盾の指摘は、初めはアインシュタインによる相対性理論での議論で使っている「2つの慣性系での時間差」から始まる話だったのですが、ランジュバンが双子の例えに置き換えて状況を分かりやすくしました。ランジュバンはそんな時代の人です。





研究者としてはイギリスのキャヴェンディッシュ研究所でジョゼフ・ジョン・トムソンのもとで学んだ後にソルボンヌ大のピエール・キュリーの下て、学位を得ました。上述した相対論の議論とは別に磁性に関わる物性の研究も進めていたのです。こんな経歴は当時のイギリスとフランスの物理学会におけるつながりの強さも感じます。其々の研究者を互いに評価しつつ、イギリスで理解が進んだ電磁現象をフランスで深めていって原子遷移に伴う電磁波の放出を突き詰めていきます。特にフランスのキューリー夫妻が扉を開いた放射性物質の研究は目覚ましく、その後の原子核物理学へと発展していくのです。一方で固体中の電子運動に起因するスピンの挙動は帯磁減少に繋がっていきます。そうした時代にランジュバンは、当時理解が始まった導体の帯磁特性を研究していったのです。量子力学以前の物性理解でも原子、電子という言葉を使いこなして個別物質の帯磁特性を明らかにしていったのです。それまで未分類だった特性を整理していったのです。また、磁性の研究をする一方で水晶振動子を開発して超音波を発生させるメカを実用化しました。


また、マリ・キューリとの恋仲も知られていたようです。ゴシップネタで恐縮ですが、ランジュバンには家庭が上手くいっていなかった時期があり、そんな時の良き相談相手がマリ・キューリでした。無論。秘め事は当事者同士の大事な時間であって、ゴシップ記者達が騒ぎ立てるのは無粋です。私はこれ以上記載しません。ただ、何十年か後に御二人の孫同士が結婚してます。


また超音波の研究からの発展で、ランジュヴァンはソナーの発明でも知られています。潜水艦の関係者なら多大な恩恵を受けている訳ですね。







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2021年06月22日

第3代レイリー男爵_J・W・ストラット
__【2021/06/22_原稿改定】

以下に「レイリー卿」の原稿を投稿します。画像はケンブリッジの画像を使いました。年代別の纏め直しをしている作業です。19世紀の改定を進める中で文言・表現を改定しました。作業としては4月からの四半期での作業となりますが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/7(月)朝の時点でフォロワーは合計【11191】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に他垢が無関心なら最終的にツイッターには意義を感じません。もう少し、もがいてみます。【以下原稿です】



この原稿でもURLに爵位である
”Baron Rayleigh”を使っています。
その名を改めて書下すと、レイリー男爵_3代目
ジョン・ウィリアム・ストラット_
John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh


分かり易い業績を紹介すると、レイリー卿は晴れた日の空の青さを説明しました。子供が、「空はなぜ青いの?」って聞いた時に、どうこたえるか考えてみて下さい。。専門的に言えば散乱光の研究からレイリー卿は入射波と反射側の散乱波を考え、それらの波長と空気中の分子の性質を考えたのです。結果、昼間の空は青く、夕方は赤い。レイリー散乱と呼ばれる考え方です。別途、取り上げているもう一人の博士であるクィーンのブライアンの研究も関連しています。またその他のレイリー卿の業績は、地震の表面波の解析(レイリー波)、ラムゼーと研究したアルゴン発見、初期段階の熱放射理論であるレイリー・ジーンズの法則等があります。


そんなレイリー卿は量子論や相対論に厳しい立場をとっていたと言われています。レイリー卿は長い事、エーテルを考え続けていた様です。当時の考えでは否定する事は出来ない物だったとも言えるでしょう。実際にその何年後も実験的にエーテルを実証しようとしています。


また、レイリー卿の素晴らしい栄誉を連ねていくとコプリメダル受賞、ノーベル賞受賞、第2代キャンデビッシュ研究所所長、標準局(イギリス国立物理学研究所)の運営理事会議長と続きます。何より人材を育てた業績は大きくてジョゼフ・ジョン・トムソンやジャガディッシュ・チャンドラ・ボースを育てました。レイリーの爵位は彼の長男で物理学者だったロバート・ジョン・ストラが受け継いでいます。物理学者が受け継いでいる事実が好印象でした。きっと息子さんと御弟子さんが議論したりもしたんでしょうね。そう考えたいです。






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2020/10/28_初回投稿
2021/06/15_改定投稿


 

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2021年06月21日

H・A・ローレンツ
_【2021/06/21_原稿改定】

「ローレンツ」の原稿を投稿します。座標変換・ローレンツ収縮という大切な概念を確立した人です。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


↑ Credit ; Wikipedea ↑



その名は正確にはHendrik Antoon Lorentz。
です。オランダに物理学で有名なライデン大学
がありますが、ローレンツは其処の出身者です。
後にエーレンフェストがコロキウムを開いていきますが、
そんな大学を理論の面で育んでいった一人が
今回ご紹介するローレンツです。


この大学では他に、
エンリコ・フェルミ
西周(日本の哲学者)、
ヘイケ・カメリー・オネス_
アルベルト・アインシュタイン
クリスティアーン・ホイヘンス
フィリップ・シーボルト(博物学者)、
ポール・エーレンフェスト
が学んだり、教えたり、議論をしたりしていました。
他、オランダで個人的に関心があるのは
デルフト工科大学です。そこは現在、
低温物理学で有名な拠点ですので別途、
機会があれば取りあげたいと思います。





さて話戻ってローレンツですが、
電気・磁気・光の関係を解きほぐしました。
手法としては座標系の変換を効果的に使います。
特にアインシュタインが特殊相対性理論
を論じる際に起点の一つとして使った、
「光速度不変の定理」はローレンツが導いた
変換に関する考察があって成立しています。
無論、アインシュタインは、
その業績を高く評価していて、
ローレンツを「人生で出会った最重要な人物」
であったと語っています。ローレンツとアインシュタインはエーレンフェストの家でよく語り合っていたと言われています。時間が出来たら寄合って、その時々の関心のある議題について語り合っていたのでしょう。有益な夜の時間が過ごせたはずです。このブログで今ご紹介している写真はそんな中での風景です。


ローレンツの業績は、電磁気学、電子論、
光学、相対性理論と多岐にわたりますが、
特に印象深いのは変換に関する物でしょう。
ローレンツは座標系の変換の中で局所時間
と移動体の長さの収縮を議論していきます。そこから、
「ローレンツ収縮」といった言葉も生まれてます。
理論的な要請として、
マイケルソン・モーレの実験を理論から
説明するには光速度普遍の枠組みで
事実を組み立てなければなりません。
これが可能な理論的土台として
ローレンツ変換は秀逸だったのです。


最後に、そのご臨終の話を語りたいと思います。
ローレンツの葬儀当日は追悼の意を込め、
オランダ中の電話が3分間電話が止められました。
英国王立協会会長だったアーネスト・ラザフォード
お別れの言葉を述べる中で多くの人が
ローレンツを惜しみました。


お花の定期便【Bloomee LIFE】


観葉植物ならHanaPrime


 



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2020/10/24_初版投稿
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2021年06月20日

ポール・エーレンフェスト
【2021/06/20_原稿改定】

「エーレンフェスト」の原稿を投稿します。ソルベー会議の画像を使いました。ソルベー会議メンバーの纏め直しをしている作業です。シュレディンガーへのリンクも付けました。文章も再度補足しました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


【←ローレンツとアインシュタイン_
エーレンフェストの自宅前で
Crediit;:_ pinterest.com_】



エーレンフェストは統計学と量子力学を洗練された形で結びつけたと言えるでしょう。2つの指標である期待値と波動関数を結びつけたのです。また、本稿の中で使っている写真も意義深いです。アインシュタインローレンツという2人の偉人をより強く結びつけているのがエーレンフェストだからです。エーレンフェストの家で沢山の考えが進んでいった筈なのです 。

オーストリアに生まれウィーンで育った
エーレンフェストは研究生活において
非常に恵まれていたと思います。
まず、ボルツマンの講義を受ける環境をもち、熱力学の考えや気体分子の運動論に大変、感銘を受けます。ミクロの世界と可視下で想像できる質点モデルの世界を繋げる事が出来たのです。更に小旅行でローレンツに出合い、互いに刺激を受け、その後、アインシュタインと交友関係を結びます。アインシュタインとエーレンフェストは共に
ユダヤ系でしたので多くの
「思想」・「話題」を共有したことでしょう。


冒頭に、エーレンフェストは2つの指標・期待値と波動関数を関連付けたと記載しましたが期待値とは簡単に言えば平均値の事です。例えば、距離で考えてみると精度を上げるほど実測値には幅が出てきます。4.155oだったり4.154oだったりします。そこで数回の測定の平均値をとって確からしいと思われる数値を決めます。期待値です。期待値という言葉を使う時には分散値とか誤差とか併記され統計的な処理がなされていると思って下さい。【より細かい話としては離散値だけでなく連続値に対して
期待値・分散値を考えていきます。】


また、エーレンフェストが考えていたもう一つの概念である波動関数は、細かい世界を表現するにあたり、当時は観測にかからない、とも考えられたミクロな対象に対する物理量を表現する数学的手段です。ヒルベルト空間で議論される関数で、無限次元の規定をとります。ミクロの物質には粒子性と波動性が混在する事情もあり、双方を具現化する波動関数が登場します。


エーレンフェストの定式化した定理によると
波動性が顕著に表れていると思える現象でも
その運動量や速度が求まり粒子と比較して
議論する事が可能です。2つの手法が繋がるのです。



フランスのド・ブロイが提唱した物質波という概念は論文審査の時点で独逸のアインシュタインが高く評価して、オランダのエーレンフェストが定量的な議論を深めたのです。その概念形成の達成は国を超えて人々が求め続けた疑問解決でした。そして今では大学生であっても共有できている人類の知識なのです。


また、
エーレンフェストは優れた教育者でした。
ライデン大学の教授を務めた彼のもとには
多彩な人材が集まり育っていきました。
彼は弟子達をヨーロッパの研究機関で修行
する事を勧め、海外の違った環境で研究を
する事を奨励しました。
ヘンリク・クラマース、
ジェラルド・カイパー
などが学生として所属、
グンナー・ノルドシュトルム、
エンリコ・フェルミ
イーゴリ・タム、オスカル・クライン、
ロバート・オッペンハイマー
ハイゼンベルク
ポール・ディラック
_が外国人研究者として
長期間研究をしました。
ボルツマンを思い返すとエーレンフェストという人が点であって、オーストリアという糸で結ばれていったような気がします。そして、ボルツマンの考えを受け継いだエーレンフェストが他国の糸と絡み合っていく気がします。また、ボルツマンの考えを受け継いだシュレディンガーがエーレンフェストの研究室で育ったディラックと同時に1933年のノーベル物理学賞を受賞します。人を育てるという大変さと重要さを感じます。大きな仕事です。


そして晩年なのですが、エーレンフェストは
重度のうつ病に苦しんでいたようです。
アインシュタインが仕事量を減らすように
職場に働きかけたたようです。
最後はダウン症だった末っ子Wassikを
打ち殺し自らも命を絶ちます。
ご冥福をお祈りするしか出来ません。
彼が考え抜いた末の結論だったのです。


そして、エーレンフェストが始めた
ライデン大学での夜間・物理学コロキウムは、
今でも「Colloquium Ehrenfestii」と呼ばれ、
続いているそうです。
今晩も議論しているかも知れません。


以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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2021年06月19日

力学関連のまとめ
_【2021/06/19_原稿改定】

「力学関係」の原稿を改定します。本校から江崎さん小柴さんのリンクを20世紀生まれのご紹介へ移しました。使う画像は渋滞している町並みの画像を使いました。20世紀の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


credit:pictaso↑


分野別に関連人物を纏める必要性の観点から本稿を改定します。。ニュートンとパスカルは近い世代の人だったと気付いたりします。ごゆるりと、ご覧下さい。

●力学体系の創始者達:


ガリレオ・ガリレイ_1564年2月15日 ~ 1642年1月8日
クリスティアーン・ホイヘンス_1629年4月14日 ~ 1695年7月8日
ロバート・フック_1635年7月28日 ~ 1703年3月3日
アイザック・ニュートン_1642年12月25日 〜 1727年3月20日


●数学・解析力学・科学史で整理した人々:


ブレーズ・パスカル_1623年6月19日 ~ 1662年8月19日
コリン・マクローリン_1698年2月 ~ 1746年6月14日
ダニエル・ベルヌーイ_1700年2月8日 ~ 1782年3月17日
L・オイラー_1707年4月15日 ~ 1783年9月18日
ルイ・コーシー_1789年8月21日 ~ 1857年5月23日
エルンスト・マッハ_ 1838年2月18日 ~ 1916年2月19日

ウィラード・ギブズ_1839年2月11日 ~ 1903年4月28日
アンリ・ポアンカレ_1854年4月29日 ~ 1912年7月17日


●天文学として考えた人々:


ティコ・ブラーエ_1546年12月14日 ~ 1601年10月24日
ガリレオ・ガリレイ_1564年2月15日 ~ 1642年1月8日
ヨハネス・ケプラー_1571年12月27日 ~ 1630年11月15日
クリスティアーン・ホイヘンス_1629年4月14日 ~ 1695年7月8日
エドウィン・パウエル・ハッブル_1889年11月20日 ~ 1953年9月28日
スティーヴン・W・ホーキング_1942年1月8日 ~ 2018年3月14日


●日本において力学から伝えていった人達:


山川 健次郎_1854年9月9日 ~ 1931年6月26日
田中舘愛橘_1856年10月16日 ~ 1952年5月21日
長岡半太郎_1865年8月19日 ~ 1950年12月11日
寺田寅彦_1878年11月28日 ~ 1935年12月31日
石原敦_1881年1月15日 ~ 1947年1月19日
朝永振一郎_1906年3月31日 ~ 1979年7月8日
湯川秀樹_1907年1月23日 ~ 1981年9月8日
南部 陽一郎_1921年1月18日 ~ 2015年7月5日
江崎玲於奈 _1925年3月12日 ~ 【ご存命中】
小柴昌俊 _1926年9月19日 ~ 2020年11月12日


また、登場人物を活躍場所で別途纏めていますので
ご参考にして下さい。加えて、別途時代別にも纏める予定です。





以上、間違い・ご意見は
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この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
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マックス・ボルン
_【2021/06/19_原稿改定】

「M・ボルン」の原稿を投稿します。確率解釈という大切な概念を確立した人です。素性について再考しました。画像はソルベー会議の集合写真を使いました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


 


M・ボルンはユダヤ系ドイツ人なので、
第二次世界大戦時は大変苦労しています。
そんな中で前期量子論において本質的な
現象理解である「確率解釈」を提唱しています。
簡単に確率解釈を表現してみると、
観測にかかる現象は一意的に求まるものだけではなく
一定の確立で観測される事象も含まれるのです。
別言すると観測値が一定の確立の掛け合わせ
である場合が許されるのです。


ボルンは本国で教授職を解雇されたり
していて、反戦の姿勢、非核の姿勢を貫き
ラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。
この点ではドイツに残り、原爆開発に参加していた
ハイゼンベルクとは全く別の人生を歩んでいます。
ちなみに、
ハイゼンベルク
はボルンの門下生です。
オッペンハイマーもまた弟子にあたります。


彼の解釈で有名なやり取りがあります。ボルンの考え方である確率解釈に対して反論したアインシュタインがサイコロ遊びに量子力学の解釈を例えたのです。

【Wikipedeaより引用:アインシュタインの有名な言葉
「彼(神)はサイコロを遊びをしない」は1926年
にボルンに当てた手紙の中で述べられたものである。】


確率解釈は人類の思想にとって大きなパラダイムシフトです。ボルンの考え方は、それまでの発想を大きく変えました。


最後に、
孫の一人に歌手であるオリヴィア・ニュートン・ジョンが居ました。私も初稿を書く際に分かったのですが意外ですね。勝手に想像するとボルンは如何にもドイツ人らしい人だったのでしょうね。アインシュタインとのやり取りは、そんな彼を偲ばせます。イギリスに亡命後にドイツへ帰国しており、プランクと同じゲッティンゲン市立墓地に眠っているそうです。きっと、お孫さんのオリビア・ニュートンジョンも墓参りに来るのでしょう。


関連URL(YouTubeへ:)
https://www.youtube.com/watch?v=E-JGTk_WM1k




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問題点に対しては適時、
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2021年06月18日

W・E・パウリ
_【2021/06/18_原稿改定】

「パウリ」の原稿を投稿します。ソルベイ会議の集合写真の画像を使いました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。【以下原稿です】



その名はWolfgang Ernst Pauli。オーストリア生まれの
スイスの物理学者。パウリの排他率律で有名です。
排他律を排他率と書いてしまいがち
ですが排他律です。
またはパウリの原理と呼ばれています。
1945年にアインシュタインの推薦で
ノーベル物理学賞を受けています。
ミドルネールのエルンストは
パウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ人で有名な出版社を
経営していたようです。

さて、
排他律の具体的な内容に関してですが、
ナトリウムの分光実験から話が始まります。
再現性の高い事実として磁場付加時の分光は
電子の自転に由来するという仮説を立て、
後にそれをスピンと呼びます。
新しい量子的自由度です。
後に行列力学を基盤とした定式化
を行い数学的に表現します。

個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリがゾンマーフェルト_の師事を受けている点です。私が薫陶を受けた先生がゾンマーフェルト_を研究していてマッハの名前も、その先生から教えてもらいました。そして、マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。そしてもう一つ個人的な話を続けます。今使っているドメインへの投稿です。何故か半歳程、投稿漏れに気づかずにいたのですが、ある日「パウリ」について気になって上記ゾンマーフェルトとの関係を思い出したのです。そして急ぎ作業を続けていて驚いたのは、その日がパウリの誕生日だったのです。パウリが生まれてから220年が終わった瞬間でした。後述するユング達が極めた深層心理の世界では意識下と無意識下の間に「潜在意識」を想定しますが、そんなことも少し考えてしまいました。よもや潜在意識下で決めた投稿日だったのでしょうか。

私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、パウリは人間的にも面白いと思えます。独自に培った知性で各界の著名人を魅了しているのです。例えば、博士号を習得した直後、パウリはゾンマーフェルトに独逸語での百科事典の記事執筆を依頼されます。内容は相対性理論で二か月ほどをつかって完成させました。結果はアインシュタインの査読にかなう見事なもので今日においても読み応えのあるものとなっているそうです。

更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。今や、夢分析の世界で有名なユングに完璧主義者のパウリが出合ったのです。先生と生徒という関係を築き、生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。互いに有益な関係だったのでしょう。

そして、パウリは最後まで愛した物理学を愛し続けました。戦争での苦難の時代の後に帰国して、病床でも完璧主義者として見舞客と議論を続けました。その中で語り継がれている話があります。微細定数と呼ばれる無次元量があって、それはプランク定数に関わる相互作用を特徴付ける量です。パウリはその値に最後まで、こだわり抜きました。

もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036...の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式を
書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」
と唱えて、話し続けるであろう。

よもや、神様さえも「あ!」
と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。







以上、間違い・ご意見は
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時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

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2020/09/19_初稿投稿
2021/04/25_原稿改定
2021/06/11_改定投稿

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2021年06月17日

レフ・D・ランダウ
_【2021/06/17_原稿改定】

以下にSEO対策で「ランダウ」の原稿を投稿します。使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でデンマークの画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



その名を書き下しておくとレフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウです。ランダウは有名なユダヤ系ロシア人の科学者で日本でも教科書を目にしたことがあるのではないでしょうか。


さて、ランダウは石油技術者の父と教育者の母から生まれます。12歳で微分法を理解し、14歳で国立大学に入学、物理数学科と化学学科を同時に履修します。19歳で学士の称号を得るとレニングラード物理工学研究所で電磁場の中での電子性質である量子電磁気学を研究していきます。その後。コペンハーゲンにあるボーアの研究所で大きな影響を受けました。その後、ケンブリッジでディラック・カピッツァと共同研究を進め所謂「ランダウ反磁性」の研究をまとめます。その後にチューリッヒでパウリと共同研究をした後にランダウはレニングラードに戻りました。


ランダウの幸せだった時期を中心に記載しましたがモスクワの研究所で要職を務めていながらスターリン批判をしたことで、刑務所に服役したりしていますそ、交通事故にあったりもしています。水素爆弾の製造にも不本意ながら加担しています。そして60歳でこの世を去ります。


ただ、ランダウの業績は不変です。準粒子・フェルミ流体やギンツブルグ&ランダウ理論は低温凝縮系の世界を大きく進ませました。





以上、間違い・ご意見は
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問題点に関しては適時、
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2020/09/24_初稿投稿
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2021年06月16日

ハイゼンベルク
_【2021/06/16_原稿改定】

以下にSEO対策で「ハイゼンベルグ」の原稿を投稿します。使った画像はドイツの画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】






ハイゼンベルクは行列形式の導入や、不確定性関係等の適用で、量子論を形作った一人です。バイエルン王国に生まれミュンヘン大学でゾンマーフェルトに学びマックス・ボルンの下で助手を務め、コペンハーゲンのニールス・ボーアの下で修業します。そうした中で理論の形式を整えます。


そして加えて、ハイゼンベルクはシュレディンガーポール・ディラックと同じ時代に生き、アインシュタインボースとも議論が出来ました。。そうした天才達がミクロの原理を一つ一つ解きほぐしたのです。まだ見えない原子レベルの大きさの事象を推察する手法が色々と試みられて、その結果を説明する理論が発展したのです。不確定性関係の発表が1927年なのですが、同時期には数多くの革新的な発表が為され理論が飛躍的に発展した時代でした。


同時に大変な時代背景、第二次世界大戦があり
ハイゼンベルクはアインシュタインが作った
相対論を駆使したりユダヤ人物理学者を養護
していたので、ナチス党員の物理学者から
「白いユダヤ人」と呼ばれ苦労しています。
プランクからの指摘もあり
戦後の体制を見据えハイゼンベルクはドイツ
に残りましたが、戦時下ですので物理の知識を
ナチスの為に使う事になり、色々考えたようです。
大戦が深まる中でナチス側も原子力爆弾の実用化を模索していた中で当時のドイツ内でのハイゼンベルグの立場は極めて苦しかったようです。実際にハイゼンベルグが積極的な態度をとったとしたら恐ろしい事です。歴史には「たら・れば」はよく語られていて仮にナチスが原爆を持っていたら、
連合国との原爆の応酬で
とても恐ろしい状況になっていた筈です。


個人的にオブザーバブルに対する状態の時間発展を表すやり方は大好きです。洗練されてます。ハイゼンベルク等の提唱した行列形式はそこにつながっていきます。又、いくつかの思考実験で裏打ちされた不確定性関係は量子力学の現象理解の中では本質的です。


またハイゼンベルクはピアノの名手
だったと言われていています。
聞いてみたかったですね。





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2020/08/19_初回投稿
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2021年06月15日

J・チャドウィック_
_【2021/06/15_原稿改定】

以下にSEO対策で「チャドウィック」の原稿を投稿します。使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でケンブリッジの画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。マンハッタン計画に大きく関わった人なので後程、深堀したいと思います。今はまだ全体像として歴史的事実に対する意見がまとまっていません。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



ジェームズ・チャドウィックは研究環境で恵まれていました。マンチェスター大学の時代からラザフォードの指導を受け、海外修業時代にはガイガーの下で放射線計測の知見を積み上げました。開発されたばかりのガイガーカウンターを使い放射線特性での実績をあげます。第一次大戦終了後はケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で再びラザフォードの下で研究を続けます。ドクター修了後も10年以上、ラザフォードの助手を努めていました。





キャンデビッシュ研究所での討論や助言は多分に有益だったであろうと思われます。チャドウィック以外にも有能な研究者達が集まっていました。その中で議論を交わした筈です。そんな中でチャドウィックは中性子を発見していきます。その発見で原子構造をまた一つ明らかにしたのです。更にチャドウィックは中性子の質量を明らかにして、それがガン治療に有益であろうと考えます。


ただ残念な事に、チャドウィックの時代は世界大戦の時代と重なります。マンハッタン計画ではイギリスチームのリーダーとして計画を進めていました。トリニティー実験も目の当たりにしたようです。自身が心血を注いで作り上げた概念が政治的に利用されていく有り様をチャドウィックは、どう感じていたのでしょうか。不満だった筈です。その他、パウリ・ハイゼンベルク等との議論の発展、サイクルトロンの導入、ノーベル賞の賞金の使い道について追って、きちんと整理して再投稿したいです。本稿はひとまず筆を納めます。


チャドウィックはキーズ・カレッジの学寮長として晩年を過ごしています。そして、リヴァプール大学には彼の名を冠した研究所が残っています。





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最近全て返事が出来ていませんが
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2021年06月14日

P・W・アンダーソン
【2021/06/14_原稿改定】

以下にSEO対策で「アンダーソン」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でケンブリッジ大学の画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



その名の綴りは”Philip Warren Anderson”。
物性研究で有名なアンダーソン博士をご紹介します。
所属研究機関としてはハーバード大で学びベル研・
ケンブリッジ大・プリンストン大学で勤務しました。
米国や英国の綺羅星が並んでいますね。
素晴らしい研究人生です。


アンダーソンの研究で思い出すのは
アンダーソン局在です。
無秩序系における電子の基本的な性格で、
物性論の一つの基礎原理になっています。
その理論では電子が実空間的に局在した状態は
非局在の状態と明らかに異なり
エネルギー的に区別されます。
当たり前ですが、超電導の話で出てくる位相空間での局在と区別する必要があります。アンダーソン局在では電子が空間的に局在するので、電気伝導に「固体中の電子が寄与しなくなる」という事実が大事です。
更にアンダーソンは、長さ・時間のスケールを
変換する理論をスケーリング理論として展開して
理論を発展させたのです。
また、磁性を紐解く解釈も行っています。
こういった業績を評価され、アンダーソンは
ノーベル物理学賞を受賞しています。


そしてアンダーソンは 東京大学から名誉博士号
を贈られています。その記念として
物性研で記念植樹されていたようですが、
赤坂・防衛省の近くでしょうか。柏でしょうか。
何時か見に行きたいと思います。


最後に、アンダーソンの
残した言葉を一つご紹介します。


”More is different”


アンダーソンは多様性の中から秩序を拾い出していました。皆さんも多様性に怯まないで下さい。寧ろ、多様性の中で逍遥する心持で複雑怪奇の中で物事の本質を探って下さい。数学的な手法に拘って、何度も検算を繰り返してみても良いと思えます。数学はあくまで現実のモデル化なのですが、本質に近いことが多いです。また、別解を探してみると面白いかもしれません。
少しでも多くの手法で考え続けて下さい。私も励みます。




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2020/11/03_初稿投稿
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2021年06月13日

W・C・ヴィーン
_【2021/06/13_原稿改定】

以下にSEO対策で「ヴィーン」の原稿を投稿します。使う画像はドイツの画像を使いました。ヴィーンはドイツ生まれのドイツの人です。量子力学の纏め直しをしている作業です。量子力学関係の人物として紹介することに躊躇がありましたが、ゼーマンが成した仕事や分光学の仕事に繋がっていく気もするので、登壇させています。ただ、時代としては物理量の量子化以前の仕事だと思っています。私の作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



その名を正確に記すとヴィルヘルム・カール・ヴェルナー・オットー・フリッツ・フランツ・ヴィーン:Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien。熱力学における黒体放射の研究で有名です。ヴィーンは東プロイセンで農夫の子として生まれ、ベルリン大学でヘルツの元で学位を取ります。そこでの学位論文は光の回析特性に関する論文でした。その後ヴィーンはレントゲンの後任としてヴュルツブルク大学で教鞭をとっています。またヴィーンはドイツ物理学会で会長を努めていて、前任はゾンマーフェルトでした。
さて、今日までヴィーンの業績・人となりを
調べていて断片的な印象を持ってしまいました。
それだから、ヴィーンの「人柄」が伝えられないのです。
実際の性格もあるのでしょうが考えてみてたら、
当時の時代背景も大きいと思えてきました。
ヴィーンはドイツで生まれドイツで亡くなっています。
その時代のヨーロッパでは大戦がありました。
特にドイツはユダヤ人を迫害し、
何人ものユダヤ人物理学者が
反ドイツの体制で活動していました。
ヴィーンが生きたのは、そんな時代なのです。


そんな時代にヴィーンはソルベーユ会議に出ていて
国を代表して物理学会に関わっていたでしょうが、
政治絡みの考えは他のメンバーと独自のものとなって
いたと考えられます。時節柄、修業を兼ねて他国へ
留学したり協同研究をしたりする環境とは
大きく異なっていたのでしょう。ドイツ帝国の人ですから。
ヴィーンは現代とは異なった環境に生きていたのです。


業績の点について考えてみると、
ヴィーンの法則はプランクの法則の極限
として考える事が出来ます。この法則は
反応を起こす物質の温度と放出される
電磁波の波長を関連付けますが、
対象物質の内部構造迄、踏み込んだ議論
を垣間見る事は出来ません。現象の
不完全な定式化であって独自の理論です。


考えを進めさせて頂くと、
マッハとボルツマンの考え方の対立も思い起こされます。
ソルベー会議に出席する中で
ヴィーンもまた従来の考え方を守る立場で、
伝統的な枠組みの中で葛藤していたのでしょうか。
はっきりと確定して言える内容に悩み、
使っている推論の妥当性に対して悩みます。
ミクロの現象に対するモデルが大きく変更される
時代に当事者達は大胆かつ慎重に
判断せねばならなかった筈です。
いつかまた考えてみたいと思っています。


それにつけても、
ヴィーンの法則は我々に新しい知見を
もたらしていて、物質内部での反応に対し
変化を定量的議論の枠組みに乗せて
次なる議論の礎を作っています。
確かな一歩でした。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。


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2021年06月12日

エドワード・テラー
_【2021/06/12_原稿改定】

以下にSEO対策で「テラー」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でシカゴの画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、晩年のオッペンハイマーと対立します。


エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで弁護士の父と4か国語を使う母から生まれました。ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、ハンガリー・ドイツ・アメリカと移住を重ねました。ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。ハイゼンベルクの下で博士論文を書き、ボーアの居たコペンハーゲンで有益な時間を過ごします。


アインシュタインと共にエドワード・テラーは原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、実際にその計画は進んでいきます。そんな中、友人のランダウがソ連政府に逮捕された時期に反共思想を持ちます。エドワード・テラーとオッペンハイマーとの確執の始まりが続きます。特に兵器としての利用に関してはエドワード・テラーとオッペンハイマーは対極の立場をとります。
テラーは推進派、オッペンハイマーは否定派でした。


実際、
エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の開発の中心に居ました。水爆を「My・Baby」と呼んでいたと言われています。その立場は変わらず、生涯その事を悔いることはなかったと言われています。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。


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2021年06月11日

マックス・プランク
_【2021/06/11_原稿改定】

以下にSEO対策で「プランク」の原稿を投稿します。使う画像ではドイツの画像を使いました。大変な時代に色々な事に立ち向かった人だと思います。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



その名は正確には、マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck)


【現在の国で言えば】ドイツ生まれのプランクは前期量子論の主要メンバーの一人です。学問的方法論の観点から語れば、エルンスト・マッハの実証主義に対しプランクは実在論を展開しています。プランクは微視的な物理公式を特徴づける本質的な定数であるプランク定数を提唱しています。即ち微視的な知見において、不連続な物理定数を上手に理論に取り入れて体系化しているのです。


プランクの提唱した一連の考え方はとても大事な概念で、量子力学の根幹をなしています。現代の我々が後付けで考えてみると、取り得る状態が不連続故に行列力学で時間発展が量子力学体系の中で記述出来て、微視的な状態の遷移が定量的に表せるのです。


パラダイムシフトという言い方が出来ます。
思想体系において大きな変換が起きました。
まず、考え方のハードルをクリア出来た事は
物理学にとって大きな一歩であったと言えます。


そしてプランクは戦争の時代を生きたので幾多の悲劇を味わいました。人道的見地から、アインシュタイン等へのユダヤ人迫害に対して当時の独裁者ヒットラーに直接意見を述べています。
そして、プランクの長男は第一次世界大戦で戦死しています。
プランクの二男はヒットラーを暗殺に加担したので
処刑されてしまいました。加えてプランク自身も
国賊の親として批難を受けていました。
更には、、、他にプランクには二人の娘さんが居ましたが、
共に孫娘を産んだ後に亡くなっています。



こうして色々とあったプランクの人生ですが、プランクの残した業績は決して消えていません。プランクの名前を残しているプランク定数は今でも世界中で議論の中で使われていて、彼の名を冠した研究所は21世紀になっても最先端の研究を続けています。





以上、間違いやご意見があれば
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては適時、
改定・訂正を致します。


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2021年06月10日

W・E・パウリ
_【2021/06/10_原稿改定】

以下にSEO対策で「パウリ」の原稿を投稿します。使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でオーストリアの画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



その名はWolfgang Ernst Pauli。オーストリア生まれの
スイスの物理学者。パウリの排他率律で有名です。
排他律を排他率と書いてしまいがち
ですが排他律です。
またはパウリの原理と呼ばれています。
1945年にアインシュタインの推薦で
ノーベル物理学賞を受けています。
ミドルネールのエルンストは
パウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ人で有名な出版社を
経営していたようです。


さて、
排他律の具体的な内容に関してですが、
ナトリウムの分光実験から話が始まります。
再現性の高い事実として磁場付加時の分光は
電子の自転に由来するという仮説を立て、
後にそれをスピンと呼びます。
新しい量子的自由度です。
後に行列力学を基盤とした定式化
を行い数学的に表現します。
個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリがゾンマーフェルト_の師事を受けている点です。私が薫陶を受けた先生がゾンマーフェルト_を研究していてマッハの名前も、その先生から教えてもらいました。そして、マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。そしてもう一つ個人的な話を続けます。今使っているドメインへの投稿です。何故か半歳程、投稿漏れに気づかずにいたのですが、ある日「パウリ」について気になって上記ゾンマーフェルトとの関係を思い出したのです。そして急ぎ作業を続けていて驚いたのは、その日がパウリの誕生日だったのです。パウリが生まれてから220年が終わった瞬間でした。後述するユング達が極めた深層心理の世界では意識下と無意識下の間に「潜在意識」を想定しますが、そんなことも少し考えてしまいました。よもや潜在意識下で決めた投稿日だったのでしょうか。


私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、パウリは人間的にも面白いところがあります。博士号を習得した直後、パウリはゾンマーフェルトに独逸語での百科事典の記事執筆を依頼されます。内容は相対性理論で二か月ほどをつかって完成させました。結果はアインシュタインの査読にかなう見事なもので今日においても読み応えのあるものとなっているそうです。


更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。今や、夢分析の世界で有名なユングに完璧主義者のパウリが出合ったのです。先生と生徒という関係を築き、生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。互いに有益な関係だったのでしょう。


そして、パウリは最後まで愛した物理学を愛し続けました。戦争での苦難の時代の後に帰国して、病床でも完璧主義者として見舞客と議論を続けました。その中で語り継がれている話があります。


もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036...の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式を
書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」
と唱えて、話し続けるであろう。


よもや、神様さえも「あ!」
と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。






以上、間違い・ご意見は
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2021年06月09日

アルバート・A・マイケルソン
_【2021/06/09原稿改定】

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その名を全て書き下すと
Albert Abraham Michelson。
ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。


マイケルソンは物理学の中でも特に光学に対して関心を示し、干渉計を発明しました。。その後、有名な干渉実験を実現します。マイケルソンはその後も様々な研究者と実験をしていきますが、光の干渉を原理として使っていて光路が長い程、精度が高くなります。そこで、マイケルソン達の装置は大がかりな物になっていきますが、結果として様々な外乱に晒され、誤差との戦いが続きました。装置を据え付ける地盤、微振動、感光装置、その他に様々な配慮を払わねはならなかったのです。





こうした実験が行われた背景としてはそもそも、マイケルソンの時代にエーテルという光の伝播媒質が論じられていました。光が波であれば当然、考えていく物です。ローレンツの理論での変換は干渉のずれを収縮が打ち消す、といった結果をもたらします。エーテルを想定したマイケルソンの実験結果は様々な議論に繋がり媒質としてのエーテルは現在、否定されています。この有名な実験が広く認められ、マイケルソンはアメリカ人として初のノーベル物理学賞を受けます。


近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。






以上、間違い・ご意見は
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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
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posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 科学史

2021年06月08日

ドイツ(deutschland)関連の物理学者【2021/06/08_原稿改定】

以下にSEO対策で「ドイツ関連」の原稿を投稿します。使う画像は当然ドイツの画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】


↑Credit:Pixbay↑



正式には「ドイツ連邦共和国_Deutschland。その人口は8300万人で歴史的にも現在の工業技術面でもヨーロッパで指導的な役割を果たしています。この国の人々が居無ければ後の量子力学の発展もなかったような気もします。単純に考えて、ゲルマンの生真面目な血筋は物理学に向いている気がするのですが、ヒットラーの台頭の中で物理学者は苦労します。白いユダヤ人と呼ばれた人も居ますし、アメリカ等の国外へ亡命をした人も多いです。大きな損失でしたね。その後の進展は科学史上の遺産【マックスプランク研究所など】に大きく依存しているのだと思えてしまいます。ご覧下さい。


N・コペルニクス_1473年2月19日 ~ 1543年5月24日_独系ポーランド人


ヨハネス・ケプラー_1571年12月27日 ~ 1630年11月15日


ヨハン・C・F・ガウス_1777年4月30日 ~ 1855年2月23日_

ハインリヒ・レンツ_1804年2月12日 ~ 1865年2月10日_独系ロシア人


J・R・マイヤー_1814年11月25日 ~ 1878年3月20日


マックス・プランク__1858年4月23日 ~ 1947年10月4日


W・C・ヴィーン_1864年1月13日 ~ 1928年8月30日


ゾンマーフェルト_1868年12月5日 ~ 1951年4月26日


高木 貞治_1875年4月21日 ~ 1960年2月28日_ヒルベルトに師事


アルベルト・アインシュタイン _1879年3月14日~1955年4月18日【後に亡命】


マックス・ボルン_1882年12月11日 ~1970年1月5日【後に亡命】


ヴォルフガング・E・パウリ_1900年4月25日 ~ 1958年12月15日


ハイゼンベルク 1901年12月5日 ~ 1976年2月1日


ハンス・アルプレヒト・ベーテ__1906年7月2日 ~ 2005年3月6日


エドワード・テラー _1908年1月15日 ~ 2003年9月9日【後に亡命】


以上、間違い・ご意見は
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問題点に関しては適時、
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2020/11/29_初稿投稿
2021/06/02_改定投稿





シュレディンガー
_【2021/06/07_原稿改定】

以下にSEO対策で「シュレディンガー」の原稿を投稿します。使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でオーストリアの画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



シュレディンガーはオーストリア=ハンガリー帝国に生まれました。彼はその父に影響を受けたと言われまずが、その父はバイエルン王国の生まれで、広い教養をもった人だったようです。その点が後のシュレディンガーの性格に影響しているかと思われます。シュレディンガーの考えは物理学の枠に囚われず議論を進めていく所があります。未知の事象を捕まえていく際に対象を色々な視野から洗い出していく際に、活用できるような「考え方のモデル」が沢山作られていったのでしょう。


シュレディンガーは猫の例えで有名です。具体的には量子力学的な現象に連動して猫を毒殺する仮想実験を議論しました。議論の帰結としてミクロな現象が確率的な実在として表現出来るという解釈です。そして空間的に広がる確率波を考えていきます。


確率波の時間発展はシュレディンガー方程式と呼ばれ量子力学の基礎方程式となるのです。私は大学院時代にそこから考え始めて超伝導現象を紐解きました。新しい現象理解に繋がっていったのです。今もその枠組みで議論がされています。世界中で議論がされています。


そうした量子力学の表現形式としては、ハイゼンベルク形式とシュレディンガー形式があり2つは完全に等価です。数学の側面から大まかに表現すると、ハイゼンベルク形式はヒルベルト空間上の行列とベクトルを使い、シュレディンガー形式では同空間での演算子と波動関数を使います。共に直感に響く側面を持ち相補して全体を補い合うのですが、私には粒子の二面性を感じる時はシュレディンガー形式が適していると思われました。そんな記述をシュレディンガーは纏めたのです。


最後に、もう一度シュレディンガーの人となりに話を戻したいと思います。シュレディンガーはウィーン大学でボルツマンの後任であるハゼノールの教えを受けていて、ボルツマンと関わりが出来たのです。彼はボルツマンの示した道筋を受け継いでいた人でした。彼はボルツマンに対して熱い想いを持っていました。曰く、


「ボルツマンの考えた
道こそ
科学に於ける
私の初恋
と言っても良い亅_


【万有百科大事典 16 物理・数学の章より引用しました。】


いわば、ボルツマンが完全に確立出来なかった原子論をシュレディンガーは彼らしい描像で表現したのです。


また、シュレディンガーはオーストリアの
紙幣にその肖像を残しています。




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2020/08/16_初稿投稿
2021/06/02_原稿改定


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2021年06月06日

ウィラード・ギブズ
_【2021/06/06_原稿改定】

以下にSEO対策で「ギブズ」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でイェール大学の画像を使いました。統計力学の纏め直しをしている作業ですが、ギブズという人が点であって、統計力学という糸で結ばれていき、学問を通じて他国の糸と絡み合っていく気がします。マクスウェルの心が動いていた様子も伺われます。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



その名は正しくは
ジョサイア・ウィラード・ギブズ_
Josiah Willard Gibbsです。
米国コネチカット州に生まれて
イェール大学で博士号をとります。
その博士号はアメリカ大学での
最初の工学博士だったそうです。ギブズは
米国における物理学の先駆者だったのですね。





その後、
ギブスは修行時代として、
パリ、ベルリン、ハイデルベルクで
一年ずつ滞在します。
今の感覚ではピンとこないのですが、
彼の人生で地元を離れたのは
この三年間だけだったそうです。





ギブスの業績として大きいものは物理学への「統計手法」の導入でしょう。個々の粒子固有の性質は別として、粒子集団が持つ性質を統計的にまとめあげていく事でその性質が熱力学的な特性につながっていくのです。その考えをまとめた論文を読んだマクスウェルは大変感動をして、その思いを伝えるために石膏模型を作ったと言われています。そして、その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、模型は今でもイェール大学で大切に保管されているそうです。


数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.
【(私の訳)
数学者は望むがままに物事を言えますが、
物理学者は何とかして、しゃっきりと
物事を伝えなくてはいけないですよ。】
数学者と物理学者は社会から求められている物が違うので視点を変えていかねばいけないと駄目です。


最後に、戸田先生の教科書
【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソードが載っていたので
ご紹介します。
(小さな物語の始まりです)
ギブスは結婚をしないで父の残した家に
妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、
道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、
食事の為に家に戻っていました。
お昼を食べた後にギブスは研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅するという静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。
そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。
うまく作業できた時には大層、ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。






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2021年06月05日

マレー・ゲルマン
_【2021/06/05_原稿改定】

以下にSEO対策で「ゲルマン」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でイェール大学の画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



ゲルマンは米ニューヨーク生まれの理論家です。素粒子論の世界でノーベル賞を受けています。ゲルマンの名を本来はゲル-マンと書きますが、【Gell-Mannと書きますが、】本稿ではゲルマンとします。


ゲルマンはイェール大で学士号を受け、MITで博士号を受けました。その後、プリンストン高等研究所、コロンビア大、シカゴ大、カリフォルニア工科大で研究を続けます。サンタフェ研究所の設立者の一人でもあります。





ゲルマンの研究実績としてはクォークの提唱が大きかったですね。加速器の開発後には様々な粒子が未整理のまま次々と発見され、それらの関係と性質は未解決のまま問題が蓄積されていきます。それらを整理・理解する手段がクォークだと言えるでしょうか。ゲルマンの理解体系では対象性が使われていて、ストレンジネスやカラーといった概念で素粒子が理解されていきます。秩序ある奥深い理論だと思います。


さて、ゲルマンの業績として素粒子の分類に関する側面を取り上げてきましたが、ゲルマンの研究での真骨頂は粒子の反応に関しての研究ではないでしょうか。関連してR・P・ファインマンという論敵がいました。あくまで伝えられている内容なのですが、ゲルマンとファイン・マンの論争はまるで子供の喧嘩みたいにも思えます。激怒したファイン・マンが、「貴様の名前綴りからハイフォン消すぞ!」【Gell-Mann改めGellmannとするぞ!の意】と怒鳴りつけたら、「ゲルマンがお前の名前をハイフォン付きで書いてやる!」【Feynman改めFeyn-Manとしてやる!の意】と言い返す有り様だったようです。アメリカ人の感覚なのでしょうか。西部劇の勢いなのでしょうか。ただ少し理解出来るかも、と思ったのは互いの家を侮辱していたのてすよね。瞬間的に家祖を汚す発想は、頭の切れる天才同士の喧嘩だったのでしょう。。。。いや、やはり激怒して子供じみた喧嘩してたのかも。;)


そんなゲルマンとファイン・マンはそれぞれに素晴らしい業績を残しました。






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2021年06月04日

エンリコ・フェルミ
【2021/06/4_原稿改定】

以下にSEO対策で「フェルミ」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でオランダの画像を使います。量子計力学の纏め直しをしている作業ですが、フェルミの理論を育んでいった時代としてオランダ時代が大きいのであろうという思い入れがあります。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



フェルミはイタリアのローマに生まれ
アメリカで死没しています。
その業績は社会的側面が大きいものもある一方で
純理論を突き詰めた
後世の誰しもが使う原理・概念もあります。
まさにパラダイムシフトを起こした立役者です。


そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さを備えています。一歩一歩、フェルミは議論を展開してノーベル賞を受け、その授賞式の際にイタリアからアメリカに亡命しました。その後。フェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、原子力発電所の創設に携わり、フェルミは社会を大きく変えていきます。アメリカを中心とする資本主義圏が自由を謳歌した点でフェルミの業績は計り知れないです。反面でスリーマイル島の事故や福島での原発事故を思い起こすと、気楽に賞賛ばかりはしていられません。


このブログの中で私が何回か主張しているように識者が
知恵を集結して問いかけなければいけません。かっての
ラッセルーアインシュタイン宣言を思い起こしたいです。一方で
我々、大衆も皆で分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねばなりません。。可能な範囲で民衆の英知を集結させるべきです。
政治家に頼れない昨今です。


さてフェルミに話を戻します。
フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。
別のご紹介でボゾン・アインシュタイン
の系を紹介しましたが、フェルミと
ディラック
は別の粒子群に着目します。
後世の理解ではスピン角運動量が
半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)
と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはク
ォークや電子、ミュー粒子、
ニュートリノ、陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。
こうした概念は電気伝導率の物性を
議論するときには欠かせません。


こうして沢山の業績を世に残し、
フェルミは天に召されました。
彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、
その流速を出していたと言われています。
フェルミこそ、生粋の物理学者でした。
謹んでご冥福をお祈り致します。






以上、間違いやご意見があれば
以下アドレスまでお願いします。
問題点に会しては適時、
改定・訂正を致します。


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2020/09/13_初回投稿
2021/05/29_改定投稿


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2021年06月03日

D・J・ボーム
_【2021/06/03_原稿改定】

以下にSEO対策で「D・J・ボーム」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でカリフォルニア大学の画像を使いました。人物へのリンクも付けました。ご覧になってみて下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



正確にはその名は、
デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム_
David Joseph Bohm、
ヘブライ語表記ではדייוויד ג'וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם。
偶然でしょうがボームはロシア革命の年に生まれてます。そんな時代背景もボームの人生に影響を残しているのではないでしょうか。ハンガリー系‎‎ユダヤ人の父とリトアニア系ユダヤ人の母の間にペンシルベニア州で生まれ、UCB(カリフォルニア州立大学バークレー校)でオッペンハイマーの教えを受けます。学生時代に当時の知人の影響で思想的に影響を受け、異なった社会モデルを持つ急進的な主義の考えをボームは抱きます。後にはその為にFBIにマークされたりします。


第2次世界対戦の時にはボームは師であるオッペンハイマーに従いマンハッタン計画に参加します。その計画は陽子と重陽子の衝突研究を進め、濃縮ウランを作り原爆を製造する計画で実行に移されました。


戦後、ボームはプリンストン大学でアインシュタインと共に働いていましたが、いわゆるマッカーシズムにあい、プリンストン大学を追われます。社会主義者としての過去の活動を当局に問題視されたのです。アインシュタインはボームに彼の助手として大学に残る事を勧めますが、その願いは叶わずに、ボームはブラジルのサンパウロ大学に移りました。


研究者としてボームは幾多の成果を残しています。先ず量子力学の解釈の面でボーム解釈。EPRパラドックスの提唱。そして電磁気学でのAB効果です。それぞれ問題の本質をとらえようと考え続けていたように思えます。そして、その分野の考えに今でも残る影響を与えています。






以上、間違い・ご意見は
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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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2020/10/31_初稿投稿
2021/05/22_改定投稿


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2021年06月02日

J・R・オッペンハイマー
_【2021/06/02_原稿改定】

以下にSEO対策で「オッペンハイマー」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でカリフォルニア大学の画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。いろいろあったオッペンハイマーの人生を再度、ご紹介します。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面もありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)では学生からオッピーという愛称で呼ばれていたような側面もありました。オッペンハイマーの人生は喜怒哀楽に満ちています。


オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、考えねばいけない所は彼もユダヤ系の血を引いているという点です。ヒットラーが民族としてのユダヤ人に焦点を当て迫害し、敵視していた現実は動かしがたい事実です。強制収容所に連行されるような世相の中でユダヤ人達は非常な危機感を感じていたはずです。その危機感の中で20世紀初頭の歴史は、天才達が育ち・団結して新しい物を生み出していたのではないでしょうか。そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話ではないのですが、当時の論客もユダヤ人迫害から話を初めて、マンハッタン計画に進む流れを紹介していき、大衆に納得し易い話を組み立てられたでしょう。それ以降100年近くがたとうとしていますが、この考えは幾多の人が繰り広げてきたのではないかと思えますが、再度、私も強調します。具体的な登場人物はアインシュタイン 、シュテルンマックス・ボルンD・J・ボーム 、E・パウリ 、ランダウファインマン、そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、思い付くたびに追記します。)
そうしたメンバーがもたらした今世紀初頭の物理学の進展は急速でした。その進展は物理学に留まらず、工学、産業、果ては政治体制に繋がっていきました。1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも同期していた、と言えるのでは無いでしょうか。今世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで不満が高まり、中米関係が緊張していく世相は、やもすれば危ない世界に近づいてるようにも思えます。各人で理性的な判断・発言をしましょう。今、方向付けが重要です。


さて実際、オッパンハイマーは最終的に6つの言葉を操ります。少年時代には鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示しハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学します。そこから理論物理学のゲッティンゲン大学に進みボルンと出会います。オッペンハイマーはボルンの指導の下で研究を進め共同でボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学やUCBで教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命されます。そこで原爆を開発したのです。この仕事は、世界のパワーバランスを変え、後の世界を大きく変えました。


晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが現代ではそれを使い各国が持つだけで攻撃対象とされたり外交で脅迫の道具として使われていたりします。そういったことにつながった発明をオッペンハイマーは「罪」として捉え水爆の開発には反対していたりもしました。オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。オッペンハイマーは冷戦時代なので学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)の監視下にあったのです。1965年、がんの為にニュージャージーの自宅で静かに生涯を終えました。合掌。



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2020/09/21_初稿投稿
2021/05/28_改定投稿


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2021年06月01日

オットー・シュテルン
_【2021/06/1_原稿改定】

以下にSEO対策で「シュテルン」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でカリフォルニア大学の画像を使いました。量子力学の纏め直しをしている作業です。過去の原稿では亡命した事実に注目していましたが、今回は歴史的実験に対して追記しました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



シュテルンはドイツ生まれの物理学者でナチスに追われアメリカへ移ります。シュテルンは先ず、ポーランドのプラハ大学でアインシュタインに会い、共にチューリッヒ工科大学に移ります。気の合う議論相手だったのでしょうか。調べを進めていくと共にユダヤ系である事情が大きい気がしてきました。何より、ホロコーストが実際に行われていた時代ですからね。同じ恐怖と憤りを感じて反体制の話もしていたことでしょう。


シュテルンはドイツ本国で当時の感心事であった原子線の研究をします。連続して特定の粒子を放出する事で粒子の性質を明らかにしていくのです。結果としてゲルラッハと共に歴史的な実験を成し遂げました。この実験で注目されるのは「個別粒子の磁気的性質」です。加熱して蒸発させた銀の粒子をビーム状に放出した時にその粒子線に対して磁界をかけるのです。すると、粒子は二つに分かれて
一点だった輝点(粒子の当たった場所)が
二点の輝点となります。この事実は
粒子にスピンがある事で説明が出来るのです。


戦争に伴い、ナチスにハンブルグ大学の地位を追われた
シュテルンはアインシュタインと共に1933年アメリカに亡命します。この時は戦後、ナチス政権下で教授を続けたゲルラッハと対照的ですね。


最終的にはUCB(カリフォルニア大学バークレー校)で
名誉教授を務めます。81歳の生涯でした。





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2020/10/31_初版投稿
2021/05/28_改定投稿


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