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2024年04月07日

ジャン・ル・ロン・ダランベール:Jean Le Rond d'Alembert:1717年11月16日 - 1783年10月29日

ジャン・ル・ロン・ダランベール:Jean Le Rond d'Alembert
は18世紀のフランスの数学者・物理学者で、彼の名前は数学や
物理学の様々な分野で知られています。

彼はニュートンの力学を発展させ、
その中で神の概念と自然の概念を分離することを試みました。

ダランベールの業績の中でも特に有名なのは、
彼が力学の法則を数学的に厳密な形で記述しようとしたことです。
彼はニュートン力学を受け継ぎつつも、
数学的な厳密性を追求しました。

その過程で、彼は物理学的な法則や現象を説明する際に、
神の介入や超自然的な要素を排除する方針をとりました。

ダランベールは、自然の法則は神の介入なしに成り立つと信じ、
その立場から力学や天体力学の理論を発展させました。
彼は数学的手法を駆使して物理的現象を説明し、神の介入や
超自然的な要素を仮定せずに自然の法則のみで解釈しようとしました。

このように、ダランベールはニュートン力学の枠組みを受け継ぎつつも、
物理学の理論をより数学的に厳密化し、神の介入や超自然的な要素を
排除することで、近代的な物理学の基礎を築きました。その影響は、
後の時代の物理学や数学の発展にも大きな影響を与えました。





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2024年04月06日

アマーリエ・エミー・ネーター Amalie Emmy Noether‗1882年3月23日 - 1935年4月14日

ユダヤ系ドイツ人エミー・ネータ


エミー・ネータの名前は‗太田氏浩一の本
「ほかほかパン 物理学者のいた街」で知りました。

出来立てのパンのように温かいイメージです。


そして早口で話すユダヤ系のドイツ人。それが
「代数学の母」エミー・ネーターだと言えましょう。


アマーリエ・エミー・ネーターは、数学における
重要な概念である環、体、多元環の理論を発展させる
ことで、その名声を確立しました。以下に、彼女の
主な貢献として挙げられるものを具体的に説明します:



環の理論の発展:


ネーターは環の理論を深く探究し、その構造や性質に関する重要な結果を示しました。環は数学的構造の一般化であり、整数環、多項式環などの重要な例が含まれます。彼女の業績は、環論の基礎を確立し、この分野の発展に大きく貢献しました。



体の理論の貢献:


ネーターは体の理論にも重要な貢献をしました。体は、加法と乗法の演算が定義され、特定の性質を持つ集合です。彼女の研究は、体の拡大、体の構造、そして体の理論における重要な定理の証明に焦点を当てました。



多元環の理論の発展:


多元環は、環の一般化であり、スカラーの積によって要素を乗算する代数的構造です。ネーターは多元環の理論を探求し、その基礎を築きました。特に非可換多元環に関する彼女の業績は、数学の理論の発展において重要な役割を果たしました。


これらの業績は、ネーターが抽象代数学の分野において
先駆的な研究を行い、その成果が数学の基礎理論や
応用分野に大きな影響を与えたことを示しています。


また、物理学においては現象理解を対称形から考える
「ネーターの定理」が重要です。



最後に、ネーターの人柄が伝わるエピソードをご紹介します。:


大学の建物が州の祝日で閉まっていた時の話です。
ネーターは外にあるの階段に
そのクラスの生徒たち
を集めました。連絡の行き違いでしょうか。生徒さんと

ネーターが教室に入れない日があったのです。
そんな日にはネーターは森を通って

地元の喫茶店で講義をしていたそうです。


また、第三帝国がユダヤ人迫害を始めた
時期には、大学に入れないのでネーターは
自宅に生徒を集めて講義をしていました。
そんな風にしてエミー・ネーターは
数学を発展させ続けていました。




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2024年04月05日

ルドルフ・ディーゼル‗: Rudolf Christian Karl Diesel、1858年3月18日 - 1913年9月29日

パリ生まれのディーゼル


ディーゼルはフランスの製本業を営んでいた父のもとに
パリで生まれます。1870年の普仏戦争勃発に伴い、
多くのドイツ人はフランスから退去させられました。
ディーゼル一家もロンドンに移住します。
12歳の時にルドルフは、ドイツ語の教育を
受ける為にアウクスブルクの母方の叔父と叔母の下へ
送られました。1873年にトップの成績で学校を卒業し、
工業学校を経てミュンヘン工科大学へ進みます。

そもそも、私は
太田氏の小説「ほかほかのパン」で
ディーゼルの名前を思い出しました。


ルドルフ・ディーゼルに対するイメージは
ヤンマー社の彦根研究所で初期型のエンジン
を見た時の思い出しかありませんでした。


調べてみると、実の所は色々な足跡を残しています。
ルドルフ・ディーゼルは、ディーゼルエンジン
の発明者として知られていますが、彼の足跡は
その発明にとどまりません。以下に、
彼の主な業績や足跡を紹介します。



ディーゼルエンジンの発明:


ルドルフ・ディーゼルは、1892年に初めてディーゼルエンジンの特許を取得しました。これは内燃機関の一種であり、蒸気機関と比較して効率が高く、燃料の消費量が少ない特徴を持っています。ディーゼルエンジンは、自動車、船舶、発電所など広範囲にわたる産業で使用されています。


技術革新の推進: ディーゼルは、燃料の消費を最小限に抑えつつエネルギーを効率的に変換する方法を探求しました。彼の発明は、産業革命以降の技術革新に大きな影響を与えました。



産業界への貢献:


ルドルフ・ディーゼルは、彼の発明を実用化するために努力し、産業界にその技術を普及させました。これにより、機械化された生産プロセスが可能となり、産業の発展に寄与しました。



教育活動:


ディーゼルは後進の育成にも力を注ぎました。彼はエンジニアリングの教育に熱心であり、多くの学生や技術者を指導しました。



社会的影響:


ルドルフ・ディーゼルの発明は、エネルギーの効率的な利用によって社会に大きな影響を与えました。それにより、交通手段や産業活動の発展が促進され、経済の成長に寄与しました。



遺産と認識:


ディーゼルエンジンの普及と彼の業績に対する認識は、
世界中で広く認識されています。彼の名前は、
エンジンや自動車産業、エネルギー分野など、
多くの分野で永遠に記憶されるでしょう。
私が彦根で見た遺産は一端に過ぎません。


これらは、ルドルフ・ディーゼルが残した
主な足跡の一部です。
彼の業績は、
現代の産業社会においても
重要な役割を果たしています。





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2024年04月04日

ピエール・ガッサンディ:Pierre Gassendi、1592年1月22日−1655年10月24日

数学、物理学を考えるうえでの思想史を紐解きます。ガッサンディーです。
ニュートン。デカルトなどの物理学者たちに影響を与えたフランス人です。


ガッサンディーはプロヴァンス地方でディーニュ=レ=バン近郊
シャンテルシェ(Champtercier)の農村に生まれました。


若き日ののガッサンディは懐疑論者シャロンなどの影響を強く受けています。
アリストテレスの権威を嫌い、対立する考えのスコラ派解釈版アリストテレスを
激しく攻撃するパンフレットをまとめて出版しました。やり過ぎで怖くなった
知人の忠告で5巻分は焼却処分したそうです。


大きくなったガッサンディーはディーニュ大学で聴講し、
言語学と数学で才能を発揮します。他大で哲学を学んだ後に
16歳で修辞学を教え、神学と哲学の教授となりました。


1612年には大学で神学を講義しています。1617年に僧職に就きました。
段々にに神学研究から遠のきます。1633年には聖堂参事会員となり
ディーニュ聖堂学院の学長となっています。


具体的なガッサンディからの批判は、彼が大事にする
「唯物論を教会の教理に順応」したデカルトの手法
に向けられています。「感覚から与えられる印象」
を疑った「デカルト的懐疑」を「観念的な遊び」だと見たのです。


「存在は思惟によってのみ認められる」とするデカルトに対し
「存在は、まさしく思惟からと同様に、他のいかなる
作用からも推測することができる」と反論しました。
(以上、「」部はWikipedelia の写し)


なによりガッサンディはその時代に唯物論を復権しました。


ガッサンディは先ず物理学者であり、経験論者でした。


それだからエピクロスの原子論を好み、エピクロスの「快楽主義」
にまつわる偏見を取り除くことでエピクロスの道徳的な純潔さを擁護しました。


大きな業績だと思えるのは、唯物論と「無神論」が同一ではない
という証明です。ガッサンディはエピクロスの考えに、に立脚して論証しました。


宇宙論においてはガッサンディーはプトレマイオス、コペルニクス、ティコ・ブラーエ
と連なる思想の流れを大事にしました。


時間と場所という概念に対して神の概念を考えないで考察しています。そして
物質(原子)は神によって最初の運動を与えられたのである
という思想を持っていました。思想的にニュートンの原子論は
ガッサンディの方法で組み立てられていると言われています。


晩年、
1645年にパリのコレージュ・ロアイヤルの数学教授となり、
1648年に体調を崩すまで講義を行った。パリで没します。〆


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2024年04月03日

ピエール=シモン・ラプラス(Pierre-Simon Laplace,)1749年3月23日 - 1827年3月5日

天文学者ラプラス


ラプラスはフランスの数学者にして物理学者、天文学者です。


ニュートンの後に時代に天文学の理解を進めました。名著である
「天体力学概論」(traité intitulé Mécanique Céleste)「確率論の解析理論」
をまとめています。 1789年には、その功績を評価され
ロンドン王立協会フェローに選ばれています。



ラプラスの業績


ラプラシアン(ラプラス作用素):Δの二乗:ベクトルの勾配と表現できます。


ラプラス方程式:ラプラシアンを=0としたは2階の微分方程式で,
一般的に3つの座標変数をちます。


カント-ラプラスの星雲説:1755年にカントが唱え、96年にラプラスが補説。
太陽系の起源として星雲状ガス塊であるとの考えました。



決定論者ラプラス


ラプラスは決定論者です。ある時点の後に起きるすべての現象は、
それ以前の条件に起因し、完全に決定されていると考えていました。


Wikipediaによると決定論とは「ある特定の時間の宇宙のすべての粒子の運動状態が
分かれば、これから起きるすべての現象はあらかじめ計算できるという考え方」です。


「全ての事象の原因と結果は因果律に支配されているが故に、未来は一意的に決定される」
とする「因果的決定論」に属しています。
決定論のなかでも「強い」部類のものであるとされているのです。


但しラプラスは真面目に考えています。いわゆるラプラスのいう
「ラプラスの悪魔」に対して考察しているのです。
考えたら無茶苦茶な悪魔です。


「ある瞬間における全ての物質の力学的状態を知ることが出来る。
同時に、全てののデータを解析できるだけの能力の知性」という悪魔です。


まさに「決定論的での神ってる存在」です。
因果律に重みを置きすぎているともいえますね。


定まっている未来を完全に見通すことができる者」という
概念的なとしての「仮定(命題)」だといえます。



政治家ラプラス


ラプラスはナポレオン・ボナパルトの統領政府で1ヵ月余の間、
内務大臣に登用され元老院議員を努めていました。。
その後に王政復古の大号令が出されて後は、ルイ18世の下で
貴族院議員として活躍しています。意外な一面ですね!!


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2024年04月01日

バールーフ・デ・スピノザ‗【1632年11月24日 - 1677年2月21日】

オランダの哲学者をご紹介します。バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza [baːˈrux spɪˈnoːzaː])です。そもそも、本ブログでは物理学者や数学者のご紹介が中心ですが、そうした学問での「世界観」を構築した人物をご紹介しておきたいのです。

全く定量的な議論を行わなかった事例としてジョルダーノ・ブルーノ等が思い浮かびますが定量的な表現を含んでいると言えば言える議論をしていたのです。また、スピノザはその著作が耕世に大きな影響を与え、ラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)でも知られています。

そもそも、私がスピノザの名を思い出したのは太田氏の本、「ガチョウ娘に花束を」のなかで‗アインシュタインの関連で出てきた記述がきっかけです。


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2022年08月21日

舞台別のご案内改訂
(国ごとに考えた時のご紹介・大学ごとのご紹介)

こんにちはコウジです。「舞台別」の原稿を改定します。投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。
7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9と7/3の時点で‗
@SyvEgTqxNDfLBX‗3385⇒3575‗Aev2Fz71Tr4x7b1k‗2717⇒3131
‗BBLLpQ8kta98RLO9‗2543⇒5477‗CKazenoKouji‗3422⇒6564
なので合計‗6102+5965=【12067@2/9】⇒6706+12041【19747@7/3】


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】



はじめに


古今東西、様々な科学の議論がなされてきました。ここでは舞台別に話を整理しています。物理学が発展してきたのは主にヨーロッパで、同じ時代のアジア・アフリカ諸国とは格段の違いが出てきます。近代文明の道具・思想として物理を始めとした理学系の道具立ては世界情勢を大きく変えてきました。


そして、科学技術が世界共通の財産である、
と言いたいですね。いつまでも。



<国別>


アメリカイェール大UCB/UCLA、等】
イギリス
オックスフォード大・ケンブリッジ大、等】
イタリア
ボローニャ大学・
パドヴァ大学・ミラノ大学、等】
オーストリア_【ウィーン大学・グラーツ大学、等】
オランダライデン大・デルフト工科大、等】
スイス_【ジュネーヴ大学・ETHZ、等】
ドイツ【プランク研究所・ミュンヘン工科大学、等】
デンマーク【コペンハーゲン大学・ボーア研究所、等】
日本東京大学・京都大学、等】
フランスソルボンヌ大学、等】




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2022年04月07日

ウィリアム・ローレンス・ブラッグ【1890年3月31日 〜 1971年7月1日】

ブラッグの名前を英語でつづるとWilliam Lawrence Braggです。結晶によるX線回折についての法則「ブラッグの法則」でよく知られているオーストラリア生まれの物理学者です。英連邦から英国本国で学んで研究を進めた物理学者はラザフォード(ニュージーランド出身)が思い浮かびますが、ブラッグの場合はお父様と一緒にイギリスへ移住しています。ローレンスは優秀で14歳でアデレード大学に進学します。渡英後の1909年の秋には無試験で数学の奨学金を得てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学します。1911年に首席で物理学科を卒業。1914年にはトリニティ・カレッジのフェローシップに選ばれています。トリニティ・カレッジでのフェローシップでは論文の提出や試問に関わる自然科学系の受賞者として史上最年少記録として語り継がれています。

息子であるローレンス・ブラッグはエックス線を結晶格子にあてて、格子を構成する原子をX線が回折する様子を思いつきました。つまり個々の粒子にX線が当たった時に光子が入射方向と角度をもって回折されていく様子をイメージできたのです。個々の粒子が結晶構造を持っていたとしたら原子配置に応じて反射波は特定のパターンを描くはずであると分析したのです。結晶パターンに従って回折したX線ビームの「透過後のパターン」を計測して結晶内の原子の配置を算出(推定)するアイデアを父であるヘンリー・ブラッグに話しました。父ヘンリーはリーズ大学で息子ローレンスのアイディアを使いX線分光計を開発したのです。開発した装置が、色々な結晶の分析が可能としました。1915年(息子のローレンスが25歳の時に)父ヘンリー・ブラッグと共にノーベル物理学賞を受賞します。この25歳での受賞は自然科学の分野では現在でも最年少の受賞となっています。非常に悲しい出来事なのですが同年にはローレンスの兄弟がガリポリの戦いで戦死したという悲しい事件もありました。その直後の時期に、親子はノーベル物理学賞受賞の知らせを聞いているのです。


そもそも、ローレンスが5歳の時に3輪車で転び腕を骨折しました。父ヘンリーがその時に、最新情報・ヴィルヘルム・レントゲンによるX線の発見を思い出し、検査に応用したのが始まりです。父ヘンリーの検査事例はオーストラリアでのX線の初の医学的応用となりました。そこから話を親子は計測を発展させて、もっとサイズの小さい結晶構造を考察する道具としてX線を解析の道具としてつかったのです。その家族の歴史がノーベル賞につながったのです。

また一方でローレンスの研究は第一次世界大戦と第二次世界大戦のときに中断されました。戦時下では有能な才能が軍事的に貢献されることが好ましかったのです。ローレンス自身の当時の意向は調べ切れていませんが、それぞれの大戦でローレンスは敵兵器の場所を特定する音響測位法の研究に従事しました。海洋探査の現場で使われる方法で大気中で兵器の位置を測定をしようとしていたようです。第一次大戦の際にはミリタリー・関連の勲章と大英帝国勲章を受けています。また、1916年、1917年、1919年に3回、柏葉敢闘章 (Mentioned in Despatches) を授与されています。



1948年頃にはX線によるタンパク質構造の研究に関心を持ち、物理学の知識を生物学の研究に応用する研究グループを作ることに貢献している。1953年、所長を務めていたキャベンディッシュ研究所でフランシス・クリックとジェームズ・ワトソンがデオキシリボ核酸 (DNA) の二重らせん構造を発見した際にも重要な役割を演じている。
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2021年06月09日

アルバート・A・マイケルソン
_【2021/06/09原稿改定】

以下にSEO対策で「マイケルソン」の原稿を投稿します使う画像で考えてしまいましたが、このご紹介でシカゴの画像を使いました。統計力学の纏め直しをしている作業です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しているのですが、次の四半期には時代別の再考も進めていきたいと考えています。併せて個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません【以下原稿です】



その名を全て書き下すと
Albert Abraham Michelson。
ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。


マイケルソンは物理学の中でも特に光学に対して関心を示し、干渉計を発明しました。。その後、有名な干渉実験を実現します。マイケルソンはその後も様々な研究者と実験をしていきますが、光の干渉を原理として使っていて光路が長い程、精度が高くなります。そこで、マイケルソン達の装置は大がかりな物になっていきますが、結果として様々な外乱に晒され、誤差との戦いが続きました。装置を据え付ける地盤、微振動、感光装置、その他に様々な配慮を払わねはならなかったのです。





こうした実験が行われた背景としてはそもそも、マイケルソンの時代にエーテルという光の伝播媒質が論じられていました。光が波であれば当然、考えていく物です。ローレンツの理論での変換は干渉のずれを収縮が打ち消す、といった結果をもたらします。エーテルを想定したマイケルソンの実験結果は様々な議論に繋がり媒質としてのエーテルは現在、否定されています。この有名な実験が広く認められ、マイケルソンはアメリカ人として初のノーベル物理学賞を受けます。


近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。






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2020/10/27_初回投稿
2021/06/03_改定投稿


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2021年03月31日

UCB関連の物理学者_【2021/03/31_原稿投稿】

ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、以下にSEO対策で「UCB関係」の原稿を投稿します。国別の整理を終わらせ所属研究機関を整理している中での作業です。この整理を進めた後に、学問分野別の整理を行い、年代別の整理を行う作業を何度も繰り返していきたいと思います。


作業すればするほどに別途紹介したい人が思い付くでしょうから、その度毎に新しい人をご紹介して、時期に応じたトピックも盛り込んでブログを進めていきたいと考えています。ブログとして改定履歴を全て沢山残していましたが、古い改定履歴は整理してトピックスを中心に残していく積りです。


また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて3/22(月)朝の時点で、2日前と比較すると【9971⇒10249】です。こんなペース。
@コウジ@kouji_Aバンドリ好き太郎_B浩司_Ckouji kazeno
焦らず作業しましょう。この作業は4アカウント合計で一万を超えている点を考えて、一区切りついたと考えて良いでしょう。


【以下が投稿原稿です】


↑Credit:https://www.gettyimages.co


特にUCBはマンハッタン計画の遂行拠点として役割を果たしました。日本人としては、細かくいえばUCBではなくUCLAですが、ロサンゼルス校にJJサクライが所属していた事が有名ですね。教科書での紹介もあったかと思います。内容は追って増補していく事になると思います。ご覧ください。

オットー・シュテルン_1888年2月17日 ~ 1969年8月17日


J・R・オッペンハイマー_1904年4月22日 ~ 1967年2月18日


ハンス・アルプレヒト・ベーテ_1906年7月2日 ~ 2005年3月6日

D・J・ボーム_1917年12月20日 ~ 1992年10月27日


J・J・サクライ_1933年1月31日 ~ 1982年11月1日



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