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2016年09月10日

流れを

幼いころに、何度か見たことがある夢というものがいくつかあります。

その中の一つに、地中に埋まっているご先祖様たち…
実際には繋がっている線などないと思うのですが、アリの巣のようにすべてが繋がっているご先祖様たちから繋がって…私がいる

そんな映像を見る機会が何度か…。

たくさんの人たちが繋がっていると思わされたモノでした。



小さいころから、実はいろんな多種多様な話…公平なモノの見方、考え方、理解の仕方…を身につけるために、本当にいろんな本を読んでました。
好きな本は?昔はありましたが、それでも、正反対も読む。
そして、様々な…ジャンルについても知る努力をしてきました。

キリスト教の話、ギリシャ神話の話、仏教の話…なんて、宗教のことも。
ユダヤの教え、インドの哲学…
日本の神についても知る機会を持つようになったなぁ…

宗教的な、心のことについては、
物理の世界にいき、宇宙の世界へ…
科学的に物理の世界を探究していったときには、そんな宗教の世界に繋がったりするという話も伺ったりしましたね。

日本の神様のことは、本当に60年に一度、20年に一度の出雲大社、伊勢神宮の式年遷宮が重なりました…という年を境にまた改めて…知る機会が増えました。それまでも、神社には月に数度伺い、いろいろと…たぶん、そんな体験もまた、学ぶことを深めたりするのでしょう。

仏教は、自分の名前の由来もあったりするので、知る機会を持ったり…
小さいころから、お坊さんが祖母の家に遊びに来ていたりして、近所のおじさん的にお坊さんを感じるくらいの感覚もありましたね。
祖父の葬儀で、曹洞宗の葬儀形式で執り行なわれたのですが、銅鑼などジャンジャン鳴り響く…いろんな楽器?を数人で鳴らしながら葬儀があり、小学生ながらに驚き、仏教のルーツってものを意識させられましたね。


風の神様…など、発想するのは日本だけではない。
そんな思いは、幼いころからありましたが、改めて日本の神様のことを知るとき、知らないことの多さと、奥深さ…そして、今あることのすごさを思います。


「相手の世界に理解と敬意」という言葉の奥深さも思います。

実は、本人が意識している世界だけが相手の世界ではない。
本人は無意識に持つ世界も、相手の世界なのですよね。

この根本的な当然だけど、見えていない部分を理解して対応することができるかどうか?
これは大きいと思います。
読みたい方のみで…
posted by nova at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ルール

2016年08月14日

ナポレオン3世

本名はシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)というそうで、皇帝に即位して「ナポレオン3世」を名乗る以前については一般にルイ・ナポレオンと呼ばれていた。

この人は、ナポレオン・ボナパルトの甥にあたるんだそうです。

1815年のナポレオン失脚後、国外亡命生活と武装蜂起失敗による獄中生活を送っていたんだそうです。
1848年革命で王政が消えるとフランスへの帰国が叶い、同年の大統領選挙でフランス第二共和政の大統領に当選。

第二共和政の大統領の権力は弱く、はじめ共和派、のち王党派が牛耳るようになった国民議会から様々な掣肘を受けた。1851年に国民議会に対するクーデタを起こし、独裁権力を掌握。1852年に皇帝に即位して「ナポレオン3世」となり、第二帝政を開始した。

1850年代は「権威帝政」と呼ばれる強圧支配を敷き、1860年代頃から「自由帝政」と呼ばれる議会を尊重した統治へと徐々に移行した。内政面ではパリ改造計画、近代金融の確立、鉄道網敷設などに尽くした。外交ではクリミア戦争によってウィーン体制を終焉させ、ヨーロッパ各地の自由主義ナショナリズム運動を支援することでフランスの影響力を拡大を図った。

アフリカ・アジアにフランス植民地を拡大させたり…メキシコ出兵の失敗で体制はゆらぐことに。

1870年に勃発した普仏戦争でプロイセン軍の捕虜となり、それがきっかけで第二帝政は崩壊。フランスは第三共和政へ移行した。

以降2016年現在までフランスは共和政。

彼はフランスにおける最後の君主とも言える。




ナポレオン3世は、世界一の美女ウジェニー・ド・モンティジョと結婚したのだそうです。

さて、この女性のことを書いてある本を読みながら、気になったのでした。
調べながら、本に書いてある女性のことが少しは理解できるようなことが少し理解できることも…。

本に書いてあったことは、このウジェニーは嫉妬に狂い、疑念にとりつかれて、彼の一切のプライバシーを許さなくなったんだそうです。

ナポレオンが公務をこなしていようとも、彼のオフィスに怒鳴り込み、重要な会議の最中だろうと邪魔をしたそうです。夫が他の女性と不倫するのではないかという恐怖のために、彼を決して一人にはしなかったんだそうです。

しょっちゅう姉のところに駆け込んでは、夫の愚痴を言って泣き喚き、夫の書斎に押しかけては彼のことをののしり…そんな毎日を過ごせば…そうなるんじゃない?ということが次のように書かれていました。

「そのようなわけでナポレオンは夜中になると、中折れ帽をかぶってこっそり裏口から外に忍び出るようになった。付き添いのものをつけ、本当に彼を待つ婦人の元を音連れ足り、大都市パリの路地から路地をうろつきながら今の暮らしを悔やんだりするようになったのである。」


彼女はなぜそんなにナポレオンを信じられなかったんだろう?と思ったら、ウィキペディアを読んでいて、ん…信じられないかもなぁ…。

ナポレオン3世は、皇帝即位時すでに44歳。彼はまだ結婚していなかった。第二帝政の正統性を確保するために、他のヨーロッパ君主家から皇后を迎える事が望ましいと思っていたみたいですが、どこの君主家からも皇后を出すことを拒否されたんだって。

しかし、彼は、愛人ミス・ハワードがいたんですね。彼女は元娼婦であり、そのような女性を皇后に迎えたら国内外から笑い物にされる…と、貴族から皇后を見つけるしかなくなり、ウジェニー・ド・モンティジョと1853年1月22日に婚約し、30日にノートルダム大聖堂において挙式したんだそうです。そして、彼はこれを機にミス・ハワードを追い払おうとイギリスでの任務を与え、更にその留守を狙ってシルク通り(フランス語版)にある彼女の家を家宅捜査させ、全てのラブレターを回収。ミス・ハワードはこの処遇に怒り、ナポレオン3世から預かっていた私生児二人とともに宮廷を立ち去ったんだそうです。

結婚するときに、既に愛人がいて…となると、ウジェニーの気持ちも少し理解できると思いませんか?




読みたい方のみで…
posted by nova at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ルール

2016年01月17日

かお

どんな人を愛するか?


「誰でもよければ、とっくの昔に彼女くらいいる」
と言えるくらいに、モテルことにかけて自信がある方とお話をして、誰でもよいわけではない…と選ぶ基準って何だろう?って思う。


ナルシスト?


ただ、たくさんモテルということは、たくさん異性のよく見せよう…を知っているということかもね。


モテナイ人とモテル人の違いって何だろう?って思うと、見た目?
かもね。

だけど、一番、見た目に出ているものは、性格だよね。

潔い生き方をしているんだよね。
きっと、昔は違ったのかもしれないけど…
家族を自分が支えていかなければいけない…という覚悟を幼いころから持って生きてきている強さ持つ姿って、すべての人にあるわけではないと思う。

生き方で顔はドンドン変わると思うのです。
それは、幼いころからも同じと思います。
もちろん、遺伝による顔の特徴はあると思いますが、各パーツなどは変化する…生き方によって?おそらく、生き方と言わなくても、どう考えどう判断しどう行動するか…幼いころからの積み重ねで顔は変わっていくのだろうって思います。



posted by nova at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ルール
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