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2017年12月11日

高校講座日本史における壬申の乱

日中は客待ちなので比較的時間がある。
そこで高校講座などを見ているのだが、
日本史の、飛鳥時代についてのパートを見ていて
少し驚かされた。

なんと壬申の乱が全く出てこないのだ。

たしかに壬申の乱は天皇という存在に関して
南北朝時代と同じくらいデリケートな事件ではある。
私の学生時代においてもサクッと触れた程度であった。
だが、それでも大友皇子や大海人皇子くらいの名前は
耳にしていたし、記憶に残っている。

日本史が好きになるかどうかの
最初の「つかみ」は「魏志倭人伝」であろう。

日本には記述は残っていない太古の昔から
日本人が海外と交流を持っていた。
しかも王は女で卑弥呼といい、
その敵役が男でヒミココという、
などというのはドラマチックだし想像を呼ぶ。

いまだ決着のつかない邪馬台国の場所に関しても
興味を惹きつけるポイントとなることだろう。

次に劇的に歴史が動くのが
聖徳太子から乙巳の変、壬申の乱に続く一連の流れである。

ここは日本だけを切り取ると理解し難いのだが、
対中国・対朝鮮半島と関連付けると実に解りやすくなる。

この間に日本は大化の改新と呼ばれる
律令制による中央集権国家になっていくのだが、
その背景には朝鮮半島を侵略し続けていた随・唐の存在があった。

中国(随)と対等に渡り合おうとした聖徳太子、
渡来系氏族のボス的存在であり、
百済重視の政策に反対していた蘇我氏を葬った中大兄皇子(天智天皇)
百済と親交があり、百済対唐の戦いに援軍を送って(白村江の戦い)惨敗し、
唐の脅威に死ぬまで怯え続けた天智天皇、
天智天皇の反新羅政策を転換し、遣新羅使を頻繁に送った大海人皇子(天武天皇)

それまでのような豪族に任せたバラバラな国家組織では
強大な隋唐から日本を守れないという考えから、
隋唐に倣った中央集権を確立し、
近代国家として一目置かれる存在にならんとする
日本国トップたちのせめぎあいが一連の流れであったわけだ。

その重要な過程の一つである「壬申の乱」が抜け落ちるということは
ストーリーに破綻を生じさせることになる。









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