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2023年02月09日

募金と寄付

トルコで大地震が起こった。

東日本大震災時にトルコから災害救助隊が来てくれた自治体で
その時の恩返しということで募金が始まったそうだ。

さっそく寄付に訪れた中学生か高校生にインタビューしている模様が
テレビのニュースで流れた。

その女性は
「あのときお世話になったのでできることはないかと
募金しに来ました。」
と話していた。

こういうときに常々思うのだが、
何故かこの様なときに「募金」という。

本来「募金」とはお金を集める行為で、
正しく言うのであれば彼女は「寄付しに来ました。」と言うべきだろう。

この手のインタビューで「寄付」を使う人は殆どおらず、
異口同音に「募金する」と言う。
なぜだろうと思っていたのだが今日わかった。

「寄付」というと何十万円、何百万円のまとまった金額を出すイメージで、
「募金」は街頭で小学生が持つ募金箱に小銭を入れる
もしくはコンビニのレジの脇にある小箱に釣り銭を入れるイメージ。

だから「寄付」と言うのはおこがましい金額なので
つい小銭と結びついた「募金」と言う言葉を使うのだ。




posted by 黒豚猫 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2022年08月18日

「〇〇な一年にしてください」という誕生日メッセージ

ツイッターとかでよく見かけるのだが、
誰かの誕生日にお祝いメッセージで

などの文言。

これここ十数年でよーく見かけるようになったのだが、
読むたびに何か違和感があって気持ち悪かった。

なぜ1年で区切る必要があるのだろうか?

誕生日を祝うということは、
その歳まで生命を繋いできたことを祝うことであって、
また、その人が存在していることこそがお目出度いのだ、
それを象徴している日が誕生した日である、
と祝うのではないか。

先の違和感がある
「素敵な一年にしてください」
とか
「飛躍の年になることを願っています」
というメッセージは、
新年を祝う年賀状のメッセージと混同しているのだろう。

だってね、人生というのは良いこともあれば悪いこともある。
一見良いことのように思えたことが
後々になると最悪な状況を生み出すこともあるし、
今はしんどいと憂鬱な事柄が
いつか花が開いて安寧を生み出すことになることもある。

社会人になれば1年なんてあっという間ですよ。
そんな1年ぐらいで結果が出るようなことなんて
さほど重みのあるものではない。
だから誕生日からの1年を区切ることになんの意味があるのか。

まあある意味流行りでメッセージを送っているのだろうけど、
単に流されているだけのなんの思慮もないメッセージを送られて
受け取る側は嬉しいのだろうか。

誕生日に何も反応がないよりは何でもいいからメッセージが送られたほうが良いのだろう。
そういう上っ面だけの世の中だから。









posted by 黒豚猫 at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2021年10月20日

構造、見直すべきじゃ?

コロナ禍でも日本人の働き方は変わっていないそうで、
ドイツの2.5倍の労働時間だそうだ。


これ、もっとよく考えたほうがいい案件。
昔から日本人は働くのが大好きな国民、
などと言われてきたけど
それって本当だろうか?

高度経済成長期は確かに働けば働くだけ結果が伴ってきたかもしれない。
しかし今はどうだろう。
長時間働いたからと言って必ずしも給料が多くなるわけではないし、
サービス残業などというタダ働きが横行しているし、
だからといって会社の業績が目に見える形で伸びているわけでもない。

つまり構造的に間違っていることを続けている
ということではないだろうか。

ということは、そんな非効率な労働をさせている経営者は無能、
ということになるし、
そんな産業構造を見直しもせずに
「成長の果実」などというありもしないものを喧伝する政治家は
表面だけ繕って中身のない大馬鹿者と言える。

ドイツが日本に比べて貧しい
などと考える人はいないだろう。
短い時間で結果を出しているのだから
何か日本とは違う構造があるはずだ。

よく海外は物価が高い、という話を聞く。
それも例えばアメリカが、とかの
特定の1カ国だけではない。
先進国と言われる国の物価はおしなべて高い。
それって言い変えれば「先進国に中で日本だけが物価が安い」
ということだろう。

日本は企業が従業員に払う給料を出し惜しみ
内部留保を膨らませることに躍起になっているから
消費者が安いもの安いものを求め、
売上が伸びない企業は危機感からますます内部留保に精を出す。

この単純なデフレのスパイラルから
何十年も抜け出せずにいる間抜けな国なのだ。















posted by 黒豚猫 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2021年09月08日

みずほ銀行ATMまた障害

みずほ銀行のATMがまた障害を起こしている。
今年になって7回目だそうだ。
経営統合して以来ではない、
今年になって7回目、である。

しょっちゅう問題を起こしているといえば三菱もそうだが、
こういうニュースを聞くと
つくづく大企業っていいなぁ、と思う。
だって中小企業がこうしょっちゅう問題を起こしていたら
間違いなく倒産している。
これだけ顧客に迷惑をかけていても潰れないんだから
企業というのはできる限り大きくしたほうがいい。

昔のダイエーやJALもけっこうメチャクチャなことをしていたにもかかわらず
いざ経営が行き詰まってもう現行の経営陣ではどうすることもできない
という事態に陥っても政府がなんとかしてくれる。
国が潰させない、面倒を見てくれるのだから
なんとも羨ましい限りである。

大企業が倒産するとなると失業者が大量に出るし、
関連企業が連鎖倒産するし、
と国としては放っておけない事態になるのは分かる。
だが経営者はそれまで好き勝手している場合もあり、
その尻拭いを税金で行うというのは不公平感満載だ。

以前の障害が発覚した際に
みずほ銀行は金融庁に対して
原因は分からないという内容の説明を提出したらしい。
これだけ時間があって、大の大人が、それも大企業が
原因を突き止められないというのが不思議でならないのだが
まあそうだとして、
原因が分からないということは
今後も同じような障害が発生するということでしょう。
企業内にテロリストでもいるのだろうか。












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posted by 黒豚猫 at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2021年04月18日

新流行語「・・・と思っていて」

もうすでに流行語の域を脱して
若者の間では当たり前の言い回しになった
「・・・と思っていて」

最初この言葉を耳にした時、
それは多分若者が集って討論する番組だったと思う。
討論する番組に集まるくらいだから
集まっている若者たちは「意識高い系」のはずだ。
そういう人たちが一様に「僕は・・・・と思っていて」「私は・・・・と思っていて」
と話すので非常に違和感を感じた。
この「いて」に引っかかりを感じたのだ。

それまでならば「・・・と思うんです」や「・・・と思います」
となって一旦話を区切っていたのが常であった。
なぜそんな言い回しがこれほど流行ったのか考えてみた。

若者が集まる討論番組を見ていると、
最近の若者は早口だなーと感じる。
で、相手の反論は聞きたくないというのが顕著に分かってしまう。

だいたい若い人というのは生きている年数が少ないのだから
考えに経験が伴っていない場合が多い。
それゆえ自分の発言には自信がない。
そのくせプライドは高いから反論されて言い返せなかった場合
受けるダメージは相当なものになる。
また、「言い争うことは悪である」的な教育を受けているので
反論に反論で返す気概も持ち合わせていない。
またその教育のせいで傷つく訓練を受けていないから
大勢の面前で恥をかいて傷つきたくない。

そのような理由から、
早口でまくしたてることによって相手が自分の発言を理解して反論する時間を与えず、
しかも反論させないように話に区切りはつけず、
「あくまでこれは私の意見です。私の意見なんだから尊重されるはずですよね」
という意味を込めて「・・・思っていて」と話すのではないだろうか。
じつに用意周到によくできた言い回しである。
さすが意識高い系だと感心する。

これ数年前から気になっていたのだけれど、
最近では30代40代の中年層までこの話し方が増えてきた。
もうこうなると若者の流行り言葉ではなく、
立派に市民権を得た常套句と昇華してしまった。
恐るべし意識高い系。










posted by 黒豚猫 at 13:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2021年02月14日

2021.2.13東北地方で地震発生

また東北地方の太平洋沿岸が震源の大きな地震が発生した。

今回は津波はなかったが、
東日本大震災からまもなく10年ということもあって
あの大被害を思い起こした人も多かったことだろう。

あのとき、
前月にニュージーランドで大地震があり、
日本人も多数被害に遭ったこともあり
街の被害がニュースで流れた。

2日前の3月9日に大きめの地震が東日本の太平洋沿岸に発生。
そして3月11日、あの未曾有の大災害が起こってしまった。
その後の余震も激しく、
4月7日にもM7震度6の地震が起き、
今度こそ本当に死んでしまうのではないかという恐怖に襲われた。

今回も数日前にニューカレドニアでM7.7の地震が起きていた。
今回の地震が10年前の3月9日に相当するとすれば
数日以内に再び大きな地震が起きてしまうのではないかと
嫌な予想をしてしまう。
この予想が外れることを祈るばかりだ。

なにせ現在はコロナ禍である。
せっかく沈静化してきたコロナが
避難所で過ごさなければならないような事態になれば
恐ろしい事になりかねない。










posted by 黒豚猫 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2020年11月09日

「絆」について

「鬼滅の刃」が大人気で、
ツイッターの書き込みでもいまだに
やれロードショウは年明けまでやるのだろうか、とか
やれ単行本を探したけれど売っていない、だとかあって
まだまだ多くの人が熱くなっているようだ。

私も人気が出始めたころ
YOUTUBEだか何だかで動画を見てみた。

最初のほうは画が少女漫画と少年漫画のミックスみたいな
独特の美しさがあって興味がそそられた。
時代設定の大正時代というのもなかなかニッチで
「いいとこつくなぁ」と感心した。

ところがねぇ、途中から
「絆」って言いだしたんですよねぇ。
これで一気に冷めてしまった。
ああ、やっぱりこの作品もジャンプの「絆」路線なのかと。

「絆」路線の作品は何故か世間では人気が高い。
私はその路線が苦手なのである。

昔々、キン肉マンの当初までは私はジャンプ読者で
毎週楽しみにジャンプが出る月曜日
(本当の発売日は火曜日なのだが、近所の店は月曜に届いて
言えば月曜に売ってくれた)を楽しみにしていた。

ところがキン肉マンがヒーロー超人たちと
「友情」を言い合いだしてから気色悪くなりだし
読むのを止めてしまった。

おそらく世間的にはその頃からキン肉マンの人気は爆発し、
キンケシブームが巻き起こったはずである。
クラスメイトがキンケシを買い集めていても
私は一切気にも留めなかった。

それからジャンプはその路線をまっすぐ走り続け、
北斗の拳やスラムダンク、ドラゴンボールにワンピースといった
大ヒット作品を生み続けるのだが、
そのどれにも私は興味を持てなかった。
そのどの作品にも「絆」という胡散臭さが付きまとっているから。

でも世間の人たちは
その胡散臭い「絆」が大好きなんだよね。
よっぽど「絆」のない世界に住んでいるんだろうなぁ。
ああいうあからさまに「絆」を叫んでもらえないと生きていけないくらい
つながりが希薄な世の中になってしまったのだろう。

スマホ依存、とりわけライン依存とかっていうのも
きっとそういうことなのだろう。
繋がっていないと不安だから
無理やりにでも何かと繋がっていようという
恐怖心の表れのように思えてならない。










posted by 黒豚猫 at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2020年05月03日

新型コロナウイルスによる飲食店のテイクアウトで思うこと

新型コロナウイルスということで
自粛を余儀なくされる業種もあれば
その苦境から1円でも稼ぐべくテイクアウトを始める飲食店もある。

これまで店内飲食のみで営業していたところが
急にテイクアウトを始めるとなると
かなり大変なことが多いと思う。

仕出し屋さんとか弁当屋さんとか
これまでテイクアウトを専門にやってきた店舗というのは
テイクアウトならではの問題をクリアしてきているわけで、
昨日今日思いつきでテイクアウトを始めたからといって
うまくいくわけがない。

素人の考えでは店で出している料理を
そのまま持ち帰り用の容器に詰めればいいだけのこと、
と思っちゃっているかもしれない。

まず思い通りの容器を探し出すのは大変なこと。
これでいいかと思って購入してみても
実際に料理を詰めてみると量が足りなくてスカスカだったり
これまで皿のおかげで豪華そうに見えていたものが
持ち帰り容器だとやけに貧弱なものに見えたりする。

同じ量でもお店で一皿一皿料理が盛られて出てきていたものが
弁当箱にギュッと詰められると
な〜んだ、これっぽっちだったのか、と残念な気分になったりする。

しかも食べるのは主に自宅である。

外食する理由の一つに
非日常を味わうため、というのがある。
「非日常」代として出していた料金をその料理で取れるのか。

やはり仕出し屋さんとか弁当屋さんというのは
長らくその部分を研究してきているから
この内容ならこの料金というツボを抑えている。

また容器って意外と値段が高い。

仕出し屋さんとか弁当屋さんは大ロットで発注しているから
容器の値段はぐっと抑えられるが、
100個200個単位で買うとなると容器代が馬鹿にならない。

今は消費者の側もお店を助けたい、
という意識が働いてくれているからジャッジも甘くなっているが
これが今後何ヶ月も続くとそうも言っていられなくなる。
経済がどんどん落ち込み、人は外食にお金を使わなくなる。
潰れる店がどんどん出てくるだろう。

だが、外食したいという欲求は人々の中に強くある。
消費する快感を得たいというのはすでに現代人の本能だ。
この混沌から抜け出して生き残った店の中には
時代を切り開く新しい流れを作り出すものが現れるはずだ。
それを楽しみにしたい。









posted by 黒豚猫 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2020年03月01日

新型コロナウイルス騒動で思うこと

ホモサピエンスという生き物は
その祖先の時代から
他の大型生物に比べて身体能力的に
ひ弱な存在であったのだが、
集団で行動してコミュニケーションを発達させたおかげで
人間として生き残って繁栄するに至った。

そういった前提を踏まえて
今回のコロナウイルス騒動を眺めると
なるほど起こるべくして起こっていると納得する。

特に笑えるのが
「トイレットペーパーがなくなる」というデマに踊らされて
買いだめに走る人々の姿である。

わざわざ政府もマスコミも
「ウイルスに感染しない最良の方策は人混みを避けること」
と広報しているにも関わらず、
トイレットペーパーを買わなきゃいけないと
理由をつけて人混みの中に飛び込んでいくのだから。

その行動自体はとても滑稽なのだが
その裏にある心理にはなにかあると考えざるを得ない。

かつてのオイルショック時や
東日本大震災の時もそうだったが
日本人はパニック的なことが起きると
ヒステリックにトイレットペーパーを買い求める。
いい加減学習してもよさそうなのに
何故か毎回同じような行動をとってしまうというのは
DNAに刷り込みがあるとしか思えない。

報道が積み重なるに従って
今回の新型コロナウイルスは
さほど恐ろしいものではないことが分かっってきた。
要はインフルエンザ並なのだ。

インフルエンザでも人は死ぬし、
保菌者が行動範囲を広げれば
罹患者も拡大する構図は同じである。
インフルエンザは毎年流行するが
今回のようなパニックにはならない。
つまりパニックは危険な度合いではなく
マスコミの報道の量で引き起こされる面が明確になった。

マスコミがなぜ報道の量を増やすかといえば
それを読者・視聴者が求めているからである。

戦前の日本においてメディアが軍国主義一辺倒になっていったのは
そのほうが新聞が売れるからだった。

それで生計を立てている人がいる以上
「良い・悪い」とか「正しい・正しくない」ということよりも
「売れる」ということが大事なわけで、
たとえ「良くて正しい」ことを書いたり言ったりしても
売れなければ消えてなくなり
「悪くて正しくない」けど売れたものが生き残るだけなのだ。

愚かしいなぁ、と思っても
集団という激しい流れを止めることは誰にもできない。

感染症予防として
沢山の人が集まるイベントが中止となったり
集客力のある施設がお休みしたりしているが、
やがてそれに耐えられなくなるはずだ。
人は口では色々言うのだが、
基本的に人混みが大好きなのだ。
集団で行動していると安心するのだ
他人と同じ行動をしていないと不安になるのだ。

でなければ何年も何十年も毎日
満員電車に乗ろうなんて思わないはずだし、
混んで時間がかかるのが分かっているのに
年末やお盆やGWで一斉に旅行したりしないはずである。

コロナウイルス拡散防止のために
首相が学校を臨時で休校を求めた際
ツイッター上では
「満員電車をやめさせるほうが先では」
といったつぶやきがあったが、
いやいや、それって本心じゃないでしょ、
と思ってしまった。

本気で満員電車が嫌ならば
時差出勤できる職場を探したり
テレワークできる職場に移ったり、
それなりの行動を起こすはずである。

ハロウィン時の仮装して渋谷に赴く感覚に似た
群衆に身を置く快楽みたいなものが
DNAには刷り込まれているのだろう。













posted by 黒豚猫 at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2019年05月08日

「新」交通戦争

最近交通事故で幼い命が失われる痛ましい事故が多発している。
今日もまた大津市で2歳の保育園児2名が死亡する痛ましい事故が起こった。

多発している事故を運転者が起こした理由は
高齢者による操作ミスだったり、ぼーっとしていただったりと様々だが、
いずれにせよ共通しているのは
「車」というものが身近になりすぎたことによる「気の緩み」である。
それは加害者側だけではない、加害者被害者双方に言えることだ。

加害者側から見てみると、
最近の車は性能が発達して扱いが簡単になった。
オートマ車などはエンジンをかけてアクセルを踏めば
勝手に走っていく。
誰でも簡単に走らせることができるようになったため、
本来ならば走らせてはいけない判断能力の低下した人まで
安易に動かせる物体となってしまった。

簡単に操作できるからこそ、運転自体も簡単に考えてしまい、
緩んだ心持ちで車を走らせて事故を起こす。
今まで事故を起こしていないのだから、
これからだって事故を起こすはずはない、
などという全く根拠の薄い思い込みで運転をしてしまう。

被害者側も同様に気の緩みがある。

今回の大津市のケースは
信号待ちをしていたところに車が突っ込んでいったわっけなので
100%運転手が悪いケースであろうが、
なかには注意していれば避けられた交通事故もあったはずだ。

昔、高度経済成長期のマイカーなる言葉が生まれたばかりのころは
歩行者も車に慣れていなかったから
走行している車には細心の注意を払ったものだ。
昔は子供が出かける際にほとんどの親は
「車に気をつけなさいよ」
と声をかけたものだ。
今は親も生まれたころから車があるのが当たり前の世の中なので
わざわざ「車に気をつけろ」などと声をかけたりしなくなった。

最近犠牲になった歩行者は青信号で横断歩道を渡っていた時に
事故に遭遇している。
青信号には車は来ない、という
車に慣れてしまったが故の油断から事故に遭ってしまっているのである。

もちろんそのケースにおいて悪いのは、
圧倒的な凶器を誤って操作した運転者・加害者側であるのは確かだ。
だが、そのような凶器が目の前をうろうろしている現状に慣れきってしまって
危機感がなくなるという状態は
動物として自己を守るという本能を捨ててしまっているのと同じではないだろうか。

どんなに注意していても不意に事故に遭ってしまうこともあるだろう。
だが「ひょっとしたら事故に遭ってしまうかもしれない」という心構えでいれば
危機を回避する機会は増やせる筈である。
最近スマホを見ながら歩く人が実に多い。
これなど緊張感のなさを如実に表している。

マイカーブームが起きて街に車が爆発的に増えた時代、
車を運転する側も歩行者側も車に慣れていなかったからこそ
そこここで交通事故が数多く発生した。
初心者同士の稚拙さから引き起こされた災害である。
そしてその社会現象を「交通戦争」と表現していた。

今は車というものに慣れすぎてしまったがために
再び交通戦争が起こっている。

車というものは扱い方によっては
容易に殺傷したり破壊できる凶器となりえる。
自動停止装置や自動運転などの技術の開発も大事かもしれない。
だが車が凶器となりえる可能性を
今一度認めなおす必要があるのではないだろうか。





posted by 黒豚猫 at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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