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2015年09月25日

IQが低い子どもは、大人になって人種差別やヘイトスピーチへ向かう!?

IQが低い子どもは、大人になって人種差別やヘイトスピーチへ向かう!?
http://healthpress.jp/2015/09/iq.html


認知バイアスに関して考え続けていたら
こんな記事が落ちていたので拾ってみた。
私の考えていたことが書かれており
自身の見立てに自信を持ったところだ。

この記事にあるIQが低いというのは
認知バイアスの強い人、とか
柔軟性のある思考ができない人と言い換えることができそうだ。

つまり、IQの低い人というのは
歪んだ価値観を正すことができないし、
凝り固まった既成概念を溶かすことができず、
変化を拒否して生き続けるわけだ。

だからIQが低いからといって
すべて人種差別主義者になるわけではないし、
IQが高くても人種差別主義者になる可能性があるように思う。

柔軟性のある思考ができない人が
なぜ変化を拒否するかといえば、
変化に対応する能力がないことを自身が知っているから。

たとえば転校生がやって来た。
そうするとそれまで平穏だったクラスに
何かが起きるかもしれないという変化が生まれる。
その変化を楽しめる子供もいるし
恐れを抱いて拒絶する子供もいる。
その拒絶がイジメに繋がるケースもあるだろう。

その変化に対応しない姿勢のまま大人になれば
保守的・右翼的思考ということになるのだろう。

他の考え方を拒絶し続けるのだから
属する集団も同じ考えの人の集まりに限られる。
その概念はますます純化・硬化していき
過激なものになっていく。

いい例がちょっと昔がナチスで
最近ではISやタリバンだ。
集団心理を利用して思想を統一していく。
学校におけるイジメも国家的集団も
スケールの違いはあるが構造は同じ。

IQとはなにかといえば
記憶・推理・判断の客観的指数である。
同じ思考の集団の中にいれば
記憶するジャンルは限定的になるし、
柔軟な推理力は生まれないし、
同じ思考の人が喜ぶであろうジャッジしか下せなくなる。
そうなると必然的にIQは低くなる。

根源的なことを考えれば、
生物というものは変化に直面し、
変化を受け入れて、
変化に対応することによって生き延びてきた。
つまり変化することは自然なことなのだ。
変化を拒絶するものに未来はあるだろうか。




posted by 黒豚猫 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理

2015年09月11日

サイコパス

<長崎遺体>被害女性に生前面会もDV見抜けず 田川市職員
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150907-00000010-mai-soci


記事中に「別の交際相手にも」という記述がある。
ということは前妻、今回の被害者、もう一人の交際相手と
この犯人は少なくとも3人に対してDVしていたことになる。

なぜこのような男に女が吸い寄せられるのか
不思議かもしれないが、
おそらくこの男はサイコパスなのであろう。

サイコパスと聞けば
「精神異常の殺人鬼」を連想するかもしれないが、
それは極端な例で、
心理学的分類における精神病質者を指し、
大部分は犯罪者ではない。
また、現在においては、
その大部分が普通に社会生活を営んでいるために
病気という概念を外して、
「パーソナル障害」の一形態という位置づけになっている。

サイコパスの特徴の一つに
「人の感情を表情から読み解くことに長けている」
というものがある。
そのためサイコパスが多いと言われている職業は
弁護士や警察官、会社経営者、外科医、聖職者、など
言われてみればその特徴を活かせるものばかりだ。
空港の検査官などはまさに適任だそうで、
嘘の申告や違法な持ち込みを見ぬく力があるそうだ。

今回の犯人はその特徴を悪用し、
獲物を捉えていったのだろう。
相手の表情を見極め、DVをおこなっても
簡単には逃げ出さないであろう人物を
言葉巧みに手に入れていく。

ここからは私の推論だが、
サイコパスのこの特徴の対極に位置するのが
アスペルガー障害ではないだろうか。

自閉症の人は、相手の仕草や行動から
相手の感情を読み取ることができない。

しかしながら自閉症の人も
興味を持ったものに対しては
才能を大きく活かせる場合もある。
サイコパス、アスペルガー、中庸と
一口にどの状態が良いとは言えない。
どの状態の人と接する場合にも、
偏見を持つことなく、フラットな精神状態を心がけたいものだ。


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posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理

2015年08月27日

マインドフルネス認知療法

マインドフルネス認知療法
という脳のトレーニングがあるそうだ。

マインドフルネス自体は
「気付き」や「覚醒」という意味。
反対語はマインドレスネスで、
直訳すると「思慮がない」となり、
「ぼんやり」「注意散漫」という意味になる。

このトレーニングを続けることによって
それまでコントロールできずに感情をすぐに爆発させていた人が
「ちょっと待てよ。これは怒るべき場面だろうか?」
などと考えるようになるそうだ。

集中力が上がるという理由で
インテルやグーグルなどでも
社員研修のメニューとして取り入れているそうだ。

実際にどういったことをするのかといえば
瞑想である。

なんということはない。
東洋で行われてきた事柄を
西洋の科学が立証しただけのことだ。

瞑想は釈迦以前のインドで行われており、
紀元前2500年ころのインダス文明の遺跡から
瞑想する人の像が発見されている。

日本においても禅宗は座禅に重きを置き、
中国禅宗の開祖である菩提達磨を模した「だるまさん」は
日本人なら子供でも知っているほど馴染みがある。

マインドフルネス認知療法はいかにも西洋的だなぁ、
と私には思える。
二元論から脱却できていないのだ。

一神教の世界観は二元論だ。
善と悪。神と悪魔。神と契約した行為と神に背く行為。
彼らにとっては物事はすべて白か黒であり、
中間のグレーは存在しない。

マインドフルネス療法にしても
瞑想は集中力を高めるために行うトレーニング
という捉え方だ。

多神教である東洋人にとっての瞑想は
集中力が高めるということはあくまで二次的で、
瞑想することによって雑念を振り払い、
頭の中を無にすることで心の平安を得る。
その結果ついてくるものが集中力である。

頭の中を無にすることが目的なので
「集中」も「ぼんやり」も否定肯定していない。

最近解明された脳についての研究で
「ぼんやりしている時に脳は活発に活動」
というものがある。
つまり意識的な活動が停止している間に
脳は無意識の記憶や情報の定着、修理を行っている。

集中する力も大事だが、
ちゃんとぼんやりすることも大事なのだ。

毎度申し上げるが、
誤解してほしくないのは私は
東洋の思考が優れていて西洋の思考が劣っている、
と言いたいわけではない。
多神教的が良くて一神教的が悪いとも言っていない。
色んな考え方が混在しているのが世の中である。

一つの考えに縛られるのではなく、
様々な考え方を認めた上で
取捨選択していく力を身につけることが
現代に求められているのだと思う。

結局そうなるとストレスも増えるから
時には瞑想して頭の中を整理することが
必要となってくるのだ。




posted by 黒豚猫 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理

2015年06月20日

無自覚型コミュニケーション障害

まったくもって無自覚型コミュニケーション障害には
困ったものである。

無自覚型コミュニケーション障害とは
正式な名称ではなく、
私が勝手に命名したものだ。
過度に相手を意識してしまって話せなくなるのが
いわゆるコミュニケーション障害なのだが、
彼らは自分が過度に意識してしまっていることを自覚している。

一方、相手がどのような心情・状況・立場だとしても
そんなことはお構いなしに、
嫌われようが避けられようがズカズカ入り込むのが
この場合のコミュニケーション障害である。
彼らには自分が障害であるという自覚がない。
自分は元気で、気さくで、朗らかで、
他人と垣根を作らないオープンな性格だと考えている。

基本的にこういった性格は
一般的なコミュニケーション障害と違って
他人にポジティブに受け止められるので
褒められこそすれ咎められることは殆どない。
咎められないから増長する。

意識的に頑張ってオープンな性格にしている人はいる。
だが、こういった人は自覚があるので
時と場合と相手をわきまえている。

無自覚者は違う。
わきまえない。しかも独善的だから往々にして迷惑だ。

迷惑な度合いからすると圧倒的に
無自覚型コミュニケーション障害の方なのだが
あまりそのような論調は聞かない。
やはりその行動一つ一つはポジティブなものだから
それを非難することはよろしくないという思いが
各人にあるのだろう。
だからこそますます無自覚者が調子に乗るのだけれど。




posted by 黒豚猫 at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理

2014年12月09日

ストーカー治療のドキュメンタリーを見て A

ストーカー自身も
「これじゃあまるでストーカーだな」とか思いながら
ストーカー行為をしているんだろう。
初めはそんなに強い思いじゃないんだろうけど、
無視され続けることによって段々ムキになり、
そのうち生活全てがストーカー行為になってしまう。
執着の度合いが自分でも分からないうちに
加速してしまう。

これって博打打ちの心理に似てないかな。
博打なんか儲からないと頭では解っていても
博打せずにはいられない。
次こそは次こそは、と賭け続けるうちに
抜け出せなくなる。

脳が成功報酬を覚えちゃったからなんだよね。

番組ではアルコール依存症や薬物依存症と
同じ治療法が効果的だと紹介していた。

アルコールも薬物も、
博打による払戻金も
ストーカー行為対象者からの返信メールも
その人の脳にとっては成功報酬、ご褒美なんだね。

だから、治療法としては逆に考えて
その行為を行ってもご褒美がもらえないと脳に叩き込めば
その行為を行おうという欲求が生まれなくなる。

薬物患者が薬物を欲した時、
ニセの注射器で薬物を注射した振りを繰り返す。
そうすることにより
注射してもご褒美にはならないと脳が判断するように仕向ける。

ストーカーに対象者にメールを送り付ける振りをさせる。
それを繰り返すことにより、
メールを送ってもご褒美が得られないことを
脳にしっかりと植えつける。

よく「失恋を忘れるには新しい恋をすることだ」
なんてことを言う。
これは結局ご褒美の対象が変わるだけで
脳のメカニズム的には変化していないってことになる。
ある意味正解だけど、
根本的な執着の度合いは変わってはいない。

こう言ちゃあ何だが、
ストーカーになる人って素直なんだろうね。
相手の言うことをまともに受け止めちゃうし、
拒絶されても
「口ではそんなことを言っているけど、
本心は違うはず。
きっと誰かにそう言えとそそのかされているんだ」
なんて自分にとって都合の良い方に解釈してしまうんだから。





posted by 黒豚猫 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理

2014年12月08日

ストーカー治療のドキュメンタリーを見て @

ストーカー治療のドキュメンタリー番組を見た。

「愛情深い」というのは
良いこととして推奨されてきた。
何事に対しても愛情を注ぐことができない、という人間は、
欠陥人間と思われてしまう。
だから愛情深いということは
褒められこそすれ、いけないことなどと露とも思わない。

「一つのことに一所懸命になる」
これも良いことと幼いころから教えられてきた。
「虚仮(こけ)の一念、岩をも通す」という言葉もあるように、
どんなことでも一心に念じて行動すれば
何事でも成し遂げられるのだから、と。

「諦めなければ夢は必ず叶う」
これも巷で飛び交っている言葉だ。
努力をすれば必ず結果はついてくるのだから
途中で投げ出したりしてはいけないと言われてきた。

「人生は一度きり。悔いのないように生きよう」
「誠意は相手に必ず届く」
・・・・・・

どれも一見まともな意見に思えるが、
それを実行しているのがストーカーなんじゃないだろうか。
どれも見事に当てはまる。







posted by 黒豚猫 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理
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