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2014年06月25日

2014年06月24日のつぶやき




posted by 黒豚猫 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 物理

2014年06月22日

中庸・中道

物理は全くわからないから
ザックリしたことしか言えないんだけど

宇宙の大きさをあらわす時
また、物質の小ささをあらわす時に
10の累乗(またはべき乗)を使うらしい。

我々が観測できる宇宙の最大が10の26乗メートルだったかな?
それ以上は光が届かないから観測できないんだそうな。

一方ものすご〜く小さいものであるクオークとかの素粒子は
10のマイナス20乗とかマイナス28乗とかになるんだそうで

なんと偶然にも
我々はそのちょうど真ん中辺りで生活しているのですよ。

まあそれにも驚いたのだが、
この真ん中辺りで生活しているという事実から

釈迦が精進しても悟りが開けないと焦っていた修行僧に
「弦は、締め過ぎても、緩め過ぎても、いい音は出ない、
程よく締められてこそいい音が出る」と
琴を喩えに中道の考えを諭した
という逸話を思い出した。

その釈迦と同時代の孔子も
「中庸の徳たる、それ至れるかな。民鮮なき(すくなき)こと久し。」
と言っていたと論語に書かれている。

更に言えば
釈迦や孔子より少し時代は下がるが
ギリシャでアリストテレスが
「メソテース」という言葉で中庸を
倫理学上の一つの徳目として尊重している
というではないか。

これは偶然なのだろうか?

むかし知人に
「仮に宇宙人がいるとして
その宇宙人がバカでかかったり
ミジンコみたいに小さかったりすることはない。
なぜなら宇宙人の体を構成するものは
我々と同じ原子からできているから」
という話を聞いて「なるほどなぁ」と感心した。

脳医学に関してもあまり知識がないので恐縮だが

我々が頭で考えている時には
脳の中のシナプスが神経伝達物質をやりとりしている。
神経伝達物質っていうんだから物質なわけで、
宇宙を構成している物と同じ。
材料が一緒だと行き着く先も一緒になっちゃうのかもしれない。

物事の根源や広がりの最終地点
言い換えて
物質の構造と宇宙の果て

我々が知ることのできる限界を見た上で
人というものは中道・中庸たるべし
という結論に至るのではないか。

釈迦も孔子もアリストテレスも
科学的な検証を行ったわけではないが
(いや、記録に残っていないだけで
本当は実験していたのかもね)
考えぬいた挙句
宇宙の真理に辿り着いていたのだ。

つまり
これは偶然ではなく必然なのだ。

というように結びつけてしまった。






タグ:物理と仏教
posted by 黒豚猫 at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 物理
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