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2017年03月26日
三つの教訓
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から幕賓の人間学ということで、今回は魏の文候の幕賓だった李克が文候から魏の宰を魏成(ぎせい)と翟璜(てっこう)のどちらにするかということで「宰相たるの五つの条件」を挙げた基準からすると魏成が任命されるだろう、ということを李克は親友の翟璜に話した続きです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

翟璜が興奮して、何かいおうとするのを制した李克は、さらに言葉をつづけた。

「この際、冷静に考えてみろ、魏成は俸給の九割をさいて人を養い、自分は一割で暮らしている。その結果、孔子の高弟である子夏をはじめ、その弟子の段干木、田子方など、天下に名だたる学者を魏に迎えることができた。また、文候はこの三人を師の礼をもって遇しておられる。ところで、お前も、さきにいったように、たしかに五人の人物を推せんしたし、それぞれに役立っていることは事実だ。だが、大事な点を一つ見落としている。それは五人が全部、文候の家来になっていることだ。魏成の推した三人の学者が師礼をもって遇され、お前の推した五人の人物は家来となっている。
魏成とお前との人間の違いは一目瞭然ではないか」

翟璜は一言もなく、深々と頭をさげた。

蛇足をつけ加えれば、文候と李克、李克と翟璜とのやりとりには三つの教訓がある。

一つは、人事に私的な情実をもち込まなかったことである。李克と翟璜との関係は文候も知悉している。
ここで李克が翟璜を推したら、李克はそれなりの人間に評価されてしまう。
二つは、宰相は誰がいい、とはっきり名ざしをしなかったことである。もし、名ざしをしたら、あとにしこりがのこる。それとなく悟らせ、あとは文候自身の決断に俟たねばならない。
三つは、その足で翟璜を訪ねて事情を報告し、納得させたことである。もし、それをやらずに、後日、噂として翟璜の耳に入ったら翟璜と李克の友情は破局となったかもしれない。この種の話というものはストレートにきけば何でもないことが、第三者の口を通じて入ってくると、事実がゆがめられ、悪意の尾ひれがついて、きわめて不愉快なものになってくる。
そういう事態になる前に、いいにくいことを早目に相手に伝えて、事前に了承させたのである。

今回は以上です

魏成が宰相に任命された理由は上記を読んでもらえば分かりますが、「宰相たるの五つの条件」からもうかがえるのではないでしょうか。
また、三つの教訓、人事に限らず言い難いことを早目に相手に伝えると言うのは、いつの時代においても大事なことですね。

これで「伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」の紹介を終わりますが、私の読後感を記して完といたします。


2017年03月19日
親友同士のやりとり
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を幕賓の人間学ということで魏の文候の幕賓だった李克が、文候から宰相を決めるに際して魏成(ぎせい)と翟璜(てっこう)の二人の候補者のどちらにするか迷ったあげく幕賓の李克に下問しますが、李克は文候みずからが決断すべき、として宰相たるの五つの条件を挙げます。
今回は、この続きです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

幕賓、李克は「この五つのメルクマールから判断すれば、どちらを宰相とすべきかは明々白々でござろう」といい「なお、文候が師礼をもって接しておられる子夏、田子方、段干木の三人の学者は魏成が推せんした人物でございましたネ」とつけ加えた。

文候は「なるほど、決心がつき申した」といって、魏成を宰相に挙げた。
一方、文候の前を退出した李克は、その足で翟璜の邸へたちよった。
李克と翟璜とは親友である。

だから、翟璜がざっくばらんにきいた。
「宰相人事の件について、君に下問があったとかきいたが、一体、誰にきまりそうかね」
「まず、魏成子というところだろう」

親友、李克は当然、自分を推してくれたと思いこんでいたのに、意外な答が冷然と返ってきたので気色ばんだ
翟璜が「王者を補佐する重要任務の一つは、よき人材を推挙することにある。その点からすれば、兵法家の呉子を西部国境地帯の司令官に推したのは、この私だ。また、主君が東部国境の守りを案じておられるとき、能吏の西門豹(せいもんびょう)を同地の県知事に推したのもこの私だ。それに中山の攻略に楽羊(がくよう)を推して、これを成功せしめ、しかも、その占領統治に学兄を推したのも、この私だ。まだある。公子の侍従長に屈候鮒を推したのも私だった。それが何故、私が魏成どのに劣るというのか」

とつめよると、李克は静かな口調でたしなめた。

「翟璜よ、まさか、お前は、仲間を集め、派閥をつくって、その圧力で宰相の地位を狙うのではないだろうな。たしかに文候は『魏成と翟璜とどちらが宰相として適任か』と下問された。わしは『御自身で決定されるよう』進言し、ただ、宰相たるの資格をきめる五つの基準を申しあげたまでのことだ。だが、その基準を適用すれば、当然、魏成が任命されることになろう」

今回は以上です

李克が挙げた宰相たるの五つの条件とは何だったのか、よければ前々回、前回をもう一度読み返しながら李克になったつもりで宰相を魏成と翟璜のどちらにするか考えてみるのもいいのではないでしょうか。


2017年03月12日
貧にしてはその取らざるところをみる
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から幕賓の人間学ということで第一から第四までの前回に続き、今回は宰相たるの条件の五つ目についてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

第五の「貧にしてはその取らざるところをみる」というのは、貧乏に対する処しかたである。
万事好調で懐具合もいい時には、人間はあまりオタオタしないし、ボロも出さない。
だが、その同じ人間が、いったん貧乏して尾羽うち枯らすと、一変してダメになる。

背に腹はかえられぬとばかりに、みすみす、邪(よこしま)な金とわかっていても、ついポケットへ入れたくなる。
それを歯をくいしばっても我慢するか、どうかが、人物評価のわかれ道となる。


富豪の河村瑞賢(ずいけん)<江戸前期の海運治水の功労者>から三千両ほどの地所を引出ものにして、姪の婿養子にと望まれた新井白石<学者にして政治家。『折たく柴の記』は有名>は、二十二、三の若さだったが、支那霊山の故事をひき、「無名のころに受けた傷は小さくても、大名を得た場合は傷も大きくなる。富豪の家へ婿入りしたため、あのように偉くなったと、将来、世間からいわれたくない」といってことわった。

貧乏であろうと、あわてることはない。目的をもって生きる。信ずるところに生きる。修養につとめる。
そこにおのずから積極的な人生の楽しみが生まれてくるのである。

十六世紀のはじめ、日本を訪れたザビエルが驚きと感激の文字を綴っている。

「日本人には、キリスト教国民のもっていない一つの特質がある。これは武士がいかに貧しくとも、その貧しい武士が富裕な人々から富豪と同様に尊敬されていることだ。彼らは武士、平民を問わず、貧しさを恥と思う者は一人もいない」

今回は以上です


第五の「貧にしてはその取らざるところをみる」は第四の「窮してはその為さざるところをみる」と近いものがありますが、このところのポイントは貧に対する人間としての矜持であり、お金には代えられないものって誰しもが持っているのではないでしょうか。

その、お金に代えられないものが人を成長させるのでしょうね。

今回の「貧にしてはその取らざるところをみる」は如何でしたでしょうか?


2017年03月06日
宰相たるの条件
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から幕賓の人間学ということで前回に続き魏の文候の幕賓である李克が五つの宰相たるの条件を挙げていますが今回はその四つについてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

第一の「居てはその親しむところをみる」というのは、官をひいて家にいる時、つまり浪人している時に、いかなる連中とつき合っていたかを観察する。

浪人というのは、地位、肩書、名誉といった虚飾を全部はずした裸の人間である。
だから浪人中の交友は「裸のつきあい」であり、アリストテレスの「友だちは第二の自己である」という箴言(しんげん)が最も的確に適用できるのである。

つまり、浪人中に低俗でくだらない連中とつきあっていたら、その人間自体がお粗末だと判断して間違いないし、すばらしい人物、一流の人物ばかりがそのまわりをとりまいていたら、まさしくそれはほんものである。

第二の「富みてはその与うるところをみる」というのは、財を成した時に、その金を何に使ったかをみるのである。金の使いかたくらい難しいものはない。
それは人格がそっくりそのまま反映するからだ。
金ができたら、まっさきに女を囲ってみたり、書画骨董にうきみをやつすようでは、とても宰相たるの資格はない。

天皇の師傅(しふ)で、『倫理御進講草案』を遺した杉浦重剛は「一年の計は田を耕すにあり。十年の計は樹を植うるにあり。百年の計は人を養うにあり」<管子>を引用して「人材養成のために巧みに時と金とを使うことが、経済の極意である」と喝破している。
「経済」とはもちろん「経世済民」<世を治め、人を救う>の意味であるが、最高の金のつかい方は人を養うことである。

第三の「達してはその挙ぐるところをみる」というのは、高位高官にのぼった時、いかなる人物を登用し、いかなる本を推せんしたかを観察する。
前に述べた「奔競の者」などを抜擢していたら、それだけで、もう落第である。

第四の「窮してはその為さざるところをみる」というのは、困窮した時にいかなる態度をとったかを観察するのである。

いかなる人も、単調だがやすらかで牧場の牝牛のようにのんびりした人生を命の終りまで続けられるなどということはあり得ない。
どんな人生も、晴れる日もあれば、曇る日もある。雨もあれば風もある。
しかし、大きくわけてみると「焔の時」と「灰の時」との二つである。

「焔の時」というのは、燃えさかる焔の如く、勢いがさかんで、この時は少々無理をしても、大体のことが上手く運ぶ。ところが、いったん「灰の時」に入ると、何をやってもうまくいかない。やることなすこと、裏目、裏目とでる。
そんな時は、静かに「灰の時」に没入し、自己に沈潜して、実力を養成する時期なのである。

事実、何をやってもうまくいかぬ時には何もやらぬのが一番いい。
ところが小心者に限って、そういう時にやたらに何事かをやらかして失敗する。
何事かをやっていないと不安でしょうがないからだ。

全盛時代、かなりの風格をもった人物が落魄した途端にダボハゼみたいに何にでもとびつき、<あの人が‥‥>と思うような醜態を演ずる。
「灰の時」の心構えができていないからである。


今回は以上です

宰相たるの条件、如何でしたでしょうか。

第一から第四まで、それぞれに「なるほど」と納得するところがあった、と思いますが宰相云々は別としても、人生晴れる日もあれば曇る日、雨もあれば風もある、からこそ喜怒哀楽の人間学なんでしょうね。

それにしても、「金の使いかたくらい難しいものはない」というのはナルホド言われてみればそうかも知れませんが、金がないので使い方まで気がつきませんでした。