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2016年12月30日
「喜怒哀楽の人間学」 最終章に
今年も早いもので明日の大晦日を残すだけとなりかした、早いと言えば「喜怒哀楽の人間学」も最終章となりました。
今回から幕賓(ばくひん)の人間学という章で伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

二・二六事件の時の総理、岡田啓介が「総理になると、三つのものがみえなくなる」といっている。

一つは「金」。職権で思う存分に金が使えるから、金の価値がわからなくなる。
二つは「人」。しらずしらずのうちにとりまきがふえ、耳に逆う情報は入ってこなくなる。
その結果は「真実の人」が陰に身をかくしてしまう。
三つは「国民の顔」。これがどちらを向いているのかわからなくなる。
そして「そうなった時には総理は野垂れ死する」と断言している。

池田勇人は「そうならぬために『三人の心友』をもて」と口ぐせのようにいっていた。
「三人の心友」とは「一人はすぐれたジャーナリスト。一人は立派な宗教家。一人は名医」である。


今回は以上です。

今回は年内の挨拶だけのつもりが、書いているうちに最終章ということもあって、少しですが紹介することにしました。


幕賓とは、については後のところで紹介するところがありますので、そこで取り上げます。
岡田啓介という人は、時の総理として二・二六事件で襲撃され奇跡的に難を逃れていますが清貧で通した人物で総理退任後は戦争終結に貢献しています。

また池田勇人については所得倍増論でご存じの方も多いと思いますが、「三人の心友」の続きは元旦のご挨拶のあとで、この続きを紹介することにいたします。


今年も、ありがとうございました。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

どうぞ、皆様よいお年をお迎えください。


2016年12月24日
三度は諌めよ
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介しています、前回に続いて側近の人間学から今回は「三度は諌めよ」を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

ついでにもう一つの実例を紹介しよう。
三菱商事船舶部長の諸橋晋六が、まだ若きころロンドンに勤務し、ことごとに上役と意見がくい違って、苦労をしたことがある。結局、自分では、どうにも解決がつかなくて、その懊悩(おうのう)を手紙に書きつらねて親父の諸橋轍次<漢学者、『大漢和辞典』を編纂した>に送った。
自分とは全く畑違いの道へ進んだ伜が苦労していると思ったのだろう。すぐ返事がきた。

先輩と意見を異にするのはよくあることだ。
そのこと自体、思いわずらうことはなく、会社のためにいうべきことはどんどんいうがよい。
ただし、お前が意見を述べるにあたって、三つのことを気をつけなければならない。

一、毛筋一本ほどでも私利私欲を考えてはならぬ。
二、相手の立場を尊重し、あくまでも礼儀を守ること。
三、不幸にして言が入れられぬことがあっても、平心を失わず、その場は退いて自分も再考する。そして、何日か考え、やはり自分が正しいと思ったら、また、その話をもち出してみろ。

これだけの用意があれば、相手もきっと私心のないことがわかってくれて、後日、お前のいうことに耳を傾けてくれるだろう。

上に対する直言、諫言は口でいうほど簡単なことではない。

孟子も「君主の親戚である大臣は、君主に重大な過失があれば、身を挺して諌める。だが、親戚でない大臣は黙って去る」といっている。

もし、君主の失敗が重なって革命でも勃発しようものなら、君主はもちろん、それにつながる一族郎党まで誅殺されてしまうのが中国史の常道だから、親戚の大臣としては、いかなることがあっても、君主に失敗はさせられない。
面(おもて)を犯しても諫言せざるを得ないのである。

一方、親戚でない大臣は、船が沈没する前に逃げる鼠みたいに、火の粉をかぶる前に一刻を争って安全地帯へと亡命しなければ虻蜂(あぶはち)とらずになる。
何も、君主に殉ずる義理はないのだ。

しかし、この心理は必ずしも漢民族特有のものではないようである。
司馬遼太郎も『播磨灘物語』のなかで、ハッキリと指摘している。

武士の悲しみとは、合戦のつど、妻子と死別を覚悟しなければならぬことではなくて、常に旗幟(きし)をあきらかにせねばならぬというところにある。
旗幟をあきらかにするというのに、得体のしれぬ未来に向かって、自己と主家の運命を賭博に投ずることなのである。

もともと「良禽は木を択ぶ」といい、「賢臣は主を選びて之を扶(たす)く」とあるように賢臣は主君をよく見きわめた上で宮仕えするものである。
そして、そういう賢臣は、主君に間違った点があれば、一身の利害を顧(かえり)みず、直言してはばからぬものである。
だが、その直言がきき入れられればよし。万が一、主君の逆鱗に触れた時には、どう処置すべきか。

『礼記(らいき)』には「三度、諌めて聴かざれば、即ち、これを逃る」とあるし、『史記』でも「人臣、三度諌めて聴かざれば、即ち、身を以て去るべし」とある。

これは、主従の縁を切る場合には、たとい、無駄とはわかっていても、とにかく、臣下のほうから主君に対して三回は諫言すべきである。
一度も諌めずに見限るのはもちろん、一度や二度、諌めて、きかれないというので投げ出してはいけない、という戒めである。
ただし、三度目の直諫は辞表を懐に入れてやらねばならない。

中国では三度目がきかれぬ場合には、消されてしまう可能性があるから「即ち、これを逃る」である。


今回は以上です

直言、諫言というと、それなりの立場にある人だけに限ったことなのかもしれませんが「三度は諌めよ」「三度、諌めて聴かざれば、即ち、これを逃る」とは、ある意味で直言、諫言の本質というものを言い表していると言えるのではないでしょうか。

現代の会社などでは「これを逃る」ようなことにはならないでしょうが、やはり主君をよく見きわめるということになるのでしょうね、それにしても『播磨灘物語』は黒田官兵衛の生涯を描いたものですが、先日最終回の放送があった真田丸を見ているだけに旗幟をあきらかにせねばならぬ武士の悲しみというところは感じるものがありました。


2016年12月16日
太祖と趙普(ちょうふ)のやりとり
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介していますが前回の反復連打の効用で今道直言の下敷きとなったやりとりを今回は紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

この今道の直言にしかたには、ちゃんとした下敷きがあった。
朱子が編纂した『宋名臣言行録』にでてくる宋の太祖と「社稷の臣」といわれた趙普(ちょうふ)とのやりとりである。

宋ノ趙普、沈毅果断ニシテ、天下ヲ以テ己ガ任トス。
嘗(かつ)テ、某人ヲ除シテ某官トナサント欲ス。上(しょう)用イズ。
明日(めいじつ)、マタ之ヲ奏ス。マタ用イラレズ。明日、マタ之ヲ奏ス。
上(しょう)、怒リテ、其ノ奏ヲ壊裂シテ地ニ投ズ。
普、顔色自若(がんしょくじじゃく)トシテ、オモムロニ奏ヲ拾イテ帰リ、補綴(ほてつ)シテ明日、マタ之ヲ進ム。
上、スナワチ寤(さと)リテ之ヲ用ウ。ソノ後、果シテ職ニ称(かな)イ、ソノ力ヲ得タリ。

趙普は沈着で意志が強く、決断力も抜群で常に天下のことをもって自分の責任としていた。
もちろん、皇帝太祖とは有無相通ずる仲だったが、時として意見がくい違うこともあった。
例えば、こんなこともあった。

趙普がある人物を抜擢して重要なポストにつけようとしたが、どういうわけか太祖が首を縦にふらなかった。
皇帝が人事を否決した以上、宰相としてはそれに逆らわぬのが常識である。
ところが、趙普は何くわぬ顔で、同じ人物を奏上した。もちろん、一言の下に却下(きゃっか)である。
だが、趙普はその翌日もまた同じことを奏上したため、とうとう太祖が怒りだし、「仏の顔も三度までじゃ」と喚いて、上奏書を破って、床へ投げつけた。

すると、趙普は、顔色一つかえずにそれを拾って帰り、もと通りにつづりあわせたのを平然とさし出した。
さすがにここで太祖も反省し、その人事を裁可するにいたったが、果たして趙普の推した人物は仕事の処理もテキパキとしていて、大いに実績をあげた。

このエピソードには、「直言」に関する三つの教訓が含まれている。
第一は、皇帝太祖と宰相の趙普とが相許した仲で、いかなることをいっても誤解がないこと。
第二は、趙普に全く私心がなかったこと。
第三は、信念にもとづいて反復連打したこと。もっとも、信念がなくては、反復連打などやれるものではないが‥‥。


今回は以上です

太祖と趙普が有無相通ずる仲とは言え、三度ならず四度も同じ奏上するというのは信念はもちろん、命がけの直言であったのでしょうね、命がけにして私心のないことに太祖がハッとして気付いたと言うことではないでしょうか。
前回の足立正に対する今道潤三の反復連打の直言は、『宋名臣言行録』の太祖と趙普のやりとりが下敷きになっていたということがよく分かりますね。

こういうことが現代において出来るものかどうかは分かりませんが、「肝胆相照らす」という言葉をふと思い出しました。


2016年12月09日
反復連打の効用
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介しています。
前回の更新から、何かと多用で間が空いてしまいましたが遅ればせながら、反復連打の効用についてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

「功成り名を遂げて身を退くは天の道なり」と老子にあるが、なかなか、そうはいかぬのが凡人の哀しさである。

<何もかも、すべて自分を中心に動いている。俺は決して独裁者ではない。だが、自分のつくった世界のまん中にはやはり坐っていたい。それくらいのわがままは許してくれてもいいではないか。でなければ、何のためにここまで事業をのばし、財界活動をしたのかわからなくなる>

そんな自問自答をくり返すのが、権力の座にある者の晩年のパターンである。

もう既に亡いが、王子製紙から出ていた日本商工会議所会頭の足立正が、その会頭の椅子に固執して、顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがある。
しかし、相手があまりのも大長老で、「辞任勧告」という鈴を猫の首につけにいく人間がいなかった。
といって、放っておけば、弊害がでてくることは明らかだった。いや現実に出つつあった。

ところが、この因果な首きり役を、すすんでひき受けたのがTBS相談役の今道潤三だった。
どういう方法でやったかというと、小手先の細工は一切ぬいて、ストレートに足立をたずねて、ズバリときりだした。

「君のためにも、財界のためにも、今が一番のひき時だと思うが、引退の決意をしたらどうかネ」
いかに親友とはいえ、決して愉快な言葉ではない。足立はぷいと横をむいたまま、とりつくしまとてなかった。

今道はそのままひきさがった。ところが翌日、また押しかけていって同じ言葉をくり返した。
全く脈はない。次の日、また訪れた。
こんなことを十日間もくり返しているうちに、「わかった、やめるよ」と足立がいった。

足立の辞任が新聞発表された直後、今道にあったら、しみじみした調子でこんなことをいった。

「もし、あの場合、足立がうまくやめてくれればボクの男が売れるとか、永野重雄を会頭に昇格させることによって、永野に恩が売れるとかの打算や私心が、ほんのちょっぴりでも自分にあったら、この交渉はとてもうまくいかなかっただろう。ボクは心底から、辞任するのが足立のためであり、日本財界のためである、と信じきって動いたからこそ足立も感じてくれたのだと思う」

今回は以上です

足立正という人は、藤原銀次郎氏をたすけ王子製紙発展の推進役となった人で、当時は財界世話役の巨頭という立場だっただけに冒頭の「功成り名を遂げて身を退くは天の道なり」とは、いかないのが権力者晩年のパターンと言えるのかもしれませんが、気持ちが通ずる間柄でもあり小細工なしの直言に反復連打の効用がというものがあったのでしょうね。

次回は、この直言の下敷きについてのお話です。