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2016年10月28日
諫言の友
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から暫く離れていましたが、今回から前回9月19日の続きということで「喜怒哀楽の人間学」に戻ります。
権力の頂点に立った時、人は心に隙ができるものなのかもしれませんが今回はそういうお話です。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

権力主義の権化みたいにいわれるマキャヴェリでさえも「へつらい者を避けるには賢い側近を選び、その者たちにだけ直言させよ」と説き、「君主は民衆の支持を得ていると錯覚してはならない。彼らが『わが君のためには死をも辞さぬ』というのは、死を必要としない時だけである」と戒めている。

現代風にいえば、部下から「社長、あなたがおらなければ、会社は闇です」などといわれて、頭からそれを信ずるトップがいたとしたら、大馬鹿者だということである。
ところが、世の中には意外とこの大馬鹿者が多い。

『十八史略』でも、側近、趙高(ちょうこう)に誤まれたあげく、その趙高に殺害され、ついに秦を滅亡せしめた二世皇帝、胡亥(こがい)の実例を挙げている。

反乱を起こした趙高の軍が二世皇帝の座所の帳(とばり)に矢を射かけたので、ようやく異変に気づいた二世皇帝が「出あえ、出あえ!」と絶叫したが、誰もすすんで出る者はいなかった。
それどころか、あわてて姿をかくしてしまう始末であった。

「おのれ、不甲斐なや!」
二世皇帝が地団駄踏んだが、ふと、傍に一人の宦官(かんがん)がいるのに目をとめた。
「お前、そこにいたのか?どうして、こんな謀叛人がいることを朕に告げなかったのか?!早く教えてくれれば、こんなことにはならなかったのに」

すると、宦官は面を伏せていった。
「はい。私めは陛下に何も申しませんでした。ですから、今日までこうして生きながらえることができたのです。真実をお伝えしたら、その場で陛下のお怒りにふれ、殺されてしまったでしょう」
痛烈な返答である。

権力の座に近づけば近づくほど、また長くおればおるほど、まともな人間でもおかしくなってくる。
人はこの二世皇帝、胡亥の例を笑ってすまされぬものがあろう。

「電力の鬼」といわれた松永安左エ門も書き遺している。

「友情にも、一期、二期、三期と季節みたいなものがある。第一期の青年時代には、互に前途の希望を語り、おのおの成功を期して助け合い、励ましあうようにする。つまり、その頃は、相手の弱点をつつかず、長所を長所として自覚するようにつとめることだ。
第二期、四十から五十の壮年時代に入ると、仕掛けた仕事にも目鼻がつき、成功の域に近づいた時だから、今度は欠点や短所を遠慮なく戒めあい、仕事のやり方も厳正に批判する。
ところが、第三期の老境に入ると、不思議と皆からほめられたくなる。このため、近づく連中は悉く甘言を呈するようになるし、そうでない者は遠ざけてしまう驕(おご)りたかぶった気持になる。
そこで最も必要になってくるのが、真実の苦言を呈してくれる友人知己である。これがないと全く危い。
シーザーもナポレオンも豊太閤も、晩年において失敗しているのは、諫言の友がいなかったからである」

今回は以上です。

世の中、ゴマスリ人間って結構いるものですが、耳障りのよいことを言われ続けていると、どんなに賢い人間でもバカになると言ったのは勝海舟ですが、今回の『十八史略』胡亥の話は痛烈ですね。

しかし、諫言と甘言は、どちらも「かんげん」と読みますが、甘言を取るか諫言を取るかの違いは日々の精進次第と言えるのではないでしょうか。


2016年10月20日
手を差し延べた川田小一郎
前回の続きで伊藤肇の親友で作家、小島直記の講話録(本)から苦境の高橋是清と日銀総裁、川田小一郎の出会いを紹介いたします。

以下、小島直記の講話録(本)より

これが高橋是清に目をつけて、高橋是清を呼んだわけです。
ペルーの銀山の実情を高橋の口からいろいろ聞くと、高橋はずっと経過を物語りますが、人の責任にしないで、先ほど申し上げたように、前田正名次官に言われたからではあるが、軽率に引き受けた自分も責任があるということをはっきりと言いました。

それが川田小一郎も気にいったわけです。
「よろしい。君がどういう立場にあるかよくわかった。ことに自分の財産を投げ出したその行為はまことに立派である。おれは今から君を就職させるがいいか」「はい、どうぞ」「山陽鉄道の社長はどうか」。

今山陽鉄道はJR山陽線になりましたが、今日で言えば、日本たばこ会社とか、三井物産のような当時のビッグビジネスです。
あの時代の日本の最高の会社の社長にすると言ったんです。
日銀総裁は大した権限を持っていたので、「今の社長を切り換えて、君に決めた」と言うわけです。

ところが、このときの高橋是清の答えが立派です。

「それはたいへんありがたい。しかし、自分はこうやって役人を辞めて、一から出直したいと思っている。それがいきなり山陽鉄道の社長になるということをやっては申し訳ない。イロハから出発したい。自分がイロハからやりたいという気持ちにいちばんふさわしい仕事に就かせていただきたい」
と言ったんです。

「そうか」と考えまして、三越の裏のところに日本銀行の旧館がありますが、ちょうど旧館の建築にかかっていたので、「その建築の現場で働くか」と言うと「はい」と言って、現場主任にしてもらいました。

山陽鉄道社長のポストを捨てて、日本銀行の建築現場の主任になりますが、係長よりもっと下です。
そこで、さらに川田は偉いと思ったんです。
その場はそういうことでいちばん下っ端に入れましたが、じっと見ていて、数年働いて、馬関(のちの下関)の支店長にする、それから副総裁にするというふうにボンボン、ボンボン上げていったのが、高橋是清が日本の財政担当者となる原因です。

その原因は、川田小一郎の引き立てにありますが、その引き立ての根本は、今申し上げた山陽鉄道の社長のポストを蹴って、建築の現場主任になったその身の処し方、出世を急がない男であったところです。
逆境を越えるという生き方の中には、貧乏くじをあえて引くという生き方もありますが、これはなかなか現代人にはできないことだろうと思います。

もちろん、高橋是清は、ここで現場主任になっていれば、やがて川田さんが引き立ててくれるであろう、という算盤を弾いたわけではありません。
本当に現場主任から実業界のイロハをやり直そうとしたんです。

彼は奴隷になったこともあるし、検番の車曳になったこともありますから、身を落とすことをなんとも思っていない。
そこが偉いですね。
役所の局長ぐらいまでいったら、身を落とすことを嫌がります。天降りでしか行きません。
一主任で行ったということも、日本官僚の異例ですが、そういう男です。

私が強調したかったのはそこです。
いかに生きるかということ、逆境を越えるということについて、見逃すことのできない一つの人生態度ではなかろうかと思います。

今回は以上です。

日銀総裁でいちばん威張った川田小一郎ですが、人を見る目は確かだったことがわかります。

現在の日銀の本館は川田総裁の時に建設されたもので「…今日では広壮華美だと見られても、十年後には普通堅牢の建物になる」と、川田は巨額の建築費を惜しまなかった。
設計はジョサイア・コンドルの弟子で後に東京駅も設計した辰野金吾。

本館建設の日銀の担当者は後に日銀総裁・蔵相・首相にまでなった高橋是清で、ペ ルーの銀山開発に失敗して浪人同然の生活をしていたところを川田に目を着けられ入行しています。
これだけでも川田の功績は大きいと言われています。

それにしても、人生いかに生きるか、逆境を越えるというところは琴線に触れるものがありますね。

次回からは伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」に戻ります。


2016年10月13日
高橋是清
前回は伊藤肇の親友で作家、小島直記の講話録(本)から川田小一郎の人となりを紹介しましたが、今回は高橋是清という人物についてです。
高橋是清は絵師の子として生まれますが、生後間もなく仙台藩足軽高橋覚治の養子となます。

以下、以下、小島直記の講話録より

足軽の倅ですが、出来るので、横浜に勉強に行きました。
そして、アメリカ留学のチャンスがありますが、間に立ったアメリカ人が悪いヤツで、奴隷の契約をしていたので、向こうでは奴隷として扱われました。

彼はその身分をなんとかして逃れて日本に帰ってきて、英語ができたので、まだ十五、六で東大の助手になりました。
ところが、芸者を連れて芝居を見ているところを東大の外人教師に見られます。
これはいけないと思って、自分から辞表を出して芸者の家の居候になって、芸者の俥を引きました。
そういうところから総理大臣までいくんですから、太閤秀吉のような人生だと言わざるをえないわけです。

ですから、いわば登り竜的な人生ですが、ポイントになるものは逆境という言葉にふさわしいものです。

(中略)

高橋是清は農商務省の特許局長になりました。
官尊民卑の明治の時代の局長ですから、羽振りがよかった時代です。
そこに非常に暗い影が生じます。

南米にペルーという国がありますが、「そこに有望な銀山がある。九十何%かの優良な銀だという分析の結果も出ている。それを日本でやらないか」という話が持ち込まれました。
農商務次官の前田正名という人は鹿児島出身の人で、非常に優秀な人ですが、「日本は非常に銀を必要とするから、やるべきである」と言って、いろいろな人から五十万円の出資を募りました。

これはたいへんな金です。今日の五億円以上でしょう。
とりあえず一万倍にしていただきたい。
それを実際にやる人として、やはり外国ですから語学が達者でなければいけない。常識もなければいけないし、人を使う力のある人間でなければいけないということから、自分の部下の特許局長の高橋に白羽の矢を立てました。

高橋は、それを断るわけです。「私はペルーまで銀を掘りにいくのは嫌だ」と逃げに逃げますが、前田があきらめない。
農商務大臣の井上馨は山口出身ですが、山口に帰っているときに、山口まで追い掛けていって、まず大臣の判をもらってしまいます。

しかたなく高橋は嫌々ながら現地に行きますが、それがまったくのインチキ話で、ペルー銀山というのは九十何%の銀どころか、すべて堀つ尽くした廃鉱だったんです。
だから、本当に散々な失敗です。出資者はもちろんゼロになるわけです。

ところが、世間は冷たいもので、ペルー銀山がインチキだったということになりますと、高橋是清までインチキだったというふうに見られて、帰ってくると、役所を辞めなければならなくなりました。
就職しようとするけれども、あいつはインチキだということで、なかなか就職もできない。
彼は今まで局長としていた家から同じ町内の長屋に替わります。これも普通の人はちょっとできないことです。

普通の人は夜逃げするか、あるいはどこか違うところに行きますが、「自分は人に恥じない。悪いことをしたわけではない。前田次官から言われて行っただけのことだ。何も悪いことをしていない。しかし、出資した人たちに申し訳ないから、局長時代に住んでいた家を売って、それを返済の一部に当ててもらう。おれは裸一貫だ」というので、同じ町内の見すぼらしい長屋に入ってしまいました。

それがまた立派ですね。普通はできないことです。

責任はないんですから、責任がなければ役人も辞めなかったでしょうし、いわんや自分の私財でもってそれに当てるということはやらないでしょうが、彼は「そこまでかんできたら、知らないふりはできない。全然関係がなかったとは言えない。自分ももう少し調べてから引き受けるべきであった。調べもしないで引き受けた自分の軽率さは、出資者に対して申し訳ない」と詫びて、裏長屋に逼塞して、貧乏をするわけです。

そうすると、そういう人間に対しては、インチキだと見る世間と反対に、どこからともなく手を差し延べる人が出てきますが、川田小一郎という日銀総裁が手を差し延べます。

今回は以上です。

日露戦争と言うと乃木希典や東郷平八郎を思い浮かべる方が多いかも知れませんが、ある意味、日露戦争の戦費調達が出来るか、出来ないかが日本にとって大きな課題だっただけに当時日銀副総裁として高橋是清が戦時外債の募集に成功したことが日本に勝利をもたらしたものと言えるように思います。

次回は、高橋是清が日銀に入行する経緯を紹介いたします。




2016年10月06日
川田小一郎という人
前回、川田小一郎という人が日銀総裁となり歴代総裁で絶大な権勢を誇ったことまでを書きましたが、今回は伊藤肇の親友で作家、小島直記の講話録(本)から川田小一郎という人の人となりを紹介していきます。

以下、小島直記の講話録より

私は『福沢山脈』という小説で朝吹英二を主人公にしていますが、彼は天下の醜男で、しかも非常に女にもてた男です。
(略)
この男が大隈さんに頼まれてある会社に行くと、大隈さんが政府ににらまれて、その会社までつぶされてしまいます。
そうすると、重役は連帯責任であるべきはずなのに、責任を負わないで、みんな逃げ出しました。

ところが、朝吹は自分が全部かぶって、その借金で苦労しますが苦労する中で人の世話をしています。
例えば、尾崎行雄(咢堂)という政治家を、苦労している中で高利貸から金を借りて、外国に留学させています。
また、犬養毅(木堂)というのちに総理大臣になって、五・一五事件で殺された人は、朝吹のお蔭で政治家生活ができました。

貧乏でありながら、人の手助けをして、しかも、自分が一人で負わなくてもいい借金を背負って苦しんでいました。

その男を川田小一郎は呼んで、自分の一ヵ月分の月給を月給袋のまま、「おい、小遣いだ」と渡します。
「お前はどうして勤めないのか」「こういうわけです」
「もういいだろう。もうみんなお前の誠意はわかっている。今まで相当苦労して大部分返している。あとはほかの重役がやればいいんんだ。君の責任ではないんだ。今から君の就職を世話するが、引き受けるか」

「はい」「三井に入れるがいいな」「はい」。
そして、三井の子会社の鐘紡の専務にしてやります。
川田小一郎はそういう人です。

今回は以上です。

小島直記は作家で、経済人などの伝記小説で知られ「まかり通る―電力の鬼・松永安左エ門」は読まれた方も多いのではないでしょうか。

川田小一郎は、筋を通す人でしたが次回は高橋是清の場合を紹介いたします。



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