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2016年07月27日
心配せずに工夫せよ
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」という本は昭和53年(1978年)に出版されているもので今から38年も前になりますが、その内容は現代においてこそ多くの示唆を与えるものと思います。
前回、「生涯の師」ということに触れていますが今回は、この「生涯の師」ということから「心配せずに工夫せよ」を紹介していきます。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

中央の舞台で華々しく活躍できる実力をもちながら、敢えて、郷土発展のために一生をささげた宮崎交通相談役の岩切章太郎の師は宗教家の木津無庵だった。

「その出会いは、先生が全国の師範学校の生徒に正しい仏教を身につけさせたいと行脚(あんぎゃ)しておられる最中だった。最初、宮崎へお出でになった時には、お目にかかれなかったが、その時、師範学校で配布された『仏教の精髄』という小冊子をみて、私は深い感銘を受けた。以来、二回目以降はずうっと先生がおいでになるとついてまわった」
という。

たまたま、そんな最中に日向中央銀行がつぶれかけて出馬を懇請された。
ところが、年が若い上に銀行経営の経験などは一度もない。
おまけに宮崎農工銀行の監査役をやっていた関係で同業の日向中央銀行の内容は知悉していた。

それは、最悪の事態に陥る可能性のほうが強い状態だった。
しかし「一応、考えさせてもらいたい」と一日の猶予(ゆうよ)をもらって、一晩、まんじりともせずに考えた。

<行き詰まったものをひき受けるのが、自分の生き方の基本だから、たとえ、日向中央銀行がどんなに苦しい事態であろうと、逃げるという手はない。仕方ない、ひき受けよう>と決意した。
だが、同時に自分自身にいいきかせた。

<何といっても、再建というのは難しい問題だから、きっと、いやなことや苦しいことがつぎつぎと起こってくるに違いない。もし、自分が頼まれてひき受けたのだと考えていると、必ず、心中に不平不満が起こったら、自分自身も不愉快だし、仕事もうまくいかぬことになる。そうなってしまっては、再建もうまくいかぬだろう。
ならば、今、ここで自分の考えを転換しなければならない。俺は、日向中央銀行へ頼まれて入るのではない。
自ら進んで、自ら求めて入るのだ、と>

そこで、まっさきに師の木津無庵を訪ね、一部始終を報告すると、師は静かな口調でさとした。

「仏教は覚悟の宗教だから、しっかり腹がきまったら、何が起ころうと心配はないはずだ。しかし、工夫はしなければならぬ。一番いい例は医者だ。いかなる名医といえども、自分の子供が重態に陥った時には脈をとる手が乱れる。それは血のつながりからくる不安が経ちきれぬからだ。
しかし赤の他人の医者だったら、そういう不安はなくて、工夫だけするから、立派に脈もとれ、病気も治せるのだ。
だから、事を処する場合には『心配はするな、工夫だけせよ』という境地が大事になってくる」

この一言は、難関にぶつかる度に岩切の救いとなった。

岩切は、ありていにいえば、背任罪で監獄につながれるところまで腹を据えていた。
それが師の言葉によって、一層、励まされ、何が起ころうと、心配ということは一切しなかった。そのかわり、懸命に工夫に工夫を重ねて、見事に日向中央銀行を再建した。

仕事を単に金儲けの手段ぐらいにしか考えていない人間には、こんな火中の栗を拾う冒険はやれるわけがない。
また、そんな人間がのり込んだところで再建できるわけのものではない。
岩切にとっては「仕事をするということは『生きる』ことと同義語なんだ。悔いなく生きた、という満足感をもって人生を終えるためには、悔いのない仕事をしてゆくしか道はない」ということである。

そういう「人生の原則」が基盤にあればこそ「経営の工夫」が生まれてくるのだが、その辺のところをドラッカーはずばりといいきっている。

「事業とは何か、と問われると、たいていの事業家は『営利を目的とする組織』と答えるし、経営学者たちも、ほぼ、これと同じような意見をもっているようである。
しかし、この答は大きな間違いであるばかりでなく、まったく見当外れな答である。
利潤というものは事業の妥当性を検証する一つの基準を提供するだけのものである」

今回は以上です。

いつもより引用が長くなりましたが「心配せずに工夫せよ」ということはどういうことなのか、岩切章太郎という経営者の覚悟と生き方が、この引用文に表れていると思います。

「邂逅によって与えられた一筋の光明が人間形成に決定的な影響を与える。
まして「生涯の師」を得た場合においておやだ。」


と言うのは前回の結びの言葉ですが、今回の「心配せずに工夫せよ」は改めて、この結びの言葉の意味を考えさせられるとともに言葉というものが持つ力を感じさせられました。


2016年07月20日
人生の「邂逅」と「別離」
人生とは出会いと別れと言えるのかも知れませんが伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」、今回は当に人生の「邂逅」(おもいがけなくめぐり会うこと)と「別離」についてです。
「邂逅」(かいこう)と出会いはどう違うのか、ということに思い至っていただければ、と思います。

それでは、いつものように伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

師は求めなければ絶対に得られない。だが、求めたからといって、必ずしも得られるものとは限らない。
そこには「邂逅」による「奇しき縁」としか説明できない何かがある。
しかも、この「邂逅」には条件がある。
必ず、人生についての「問い」をもっていることである。

「この人生をいかに生くべきか」という決して簡単には解決できない「問い」を胸中深く秘めての「邂逅」だからこそ一筋の貫くものがあるだろうし、それが相手の心に響くのである。
もっとシビアにいえば、「問い」をもたぬ「邂逅」は単なる「社交」にすぎない。

親鸞(しんらん)<浄土真宗の開山>は師の法然(ほうねん)<浄土宗の開祖>との出会いの喜びを「遭ひ難くして、今、遭うことを得たり。今、聞くことを得たり」と表現したが、生涯の、どの時期でもいい、自分がさまざまに思い迷っていたとき、「この人に逢えてよかった」とか「この人に逢うことによって開眼(かいげん)せしめられた」という喜びを抱いている人は大勢いることだろう。

人生は、いってみれば、「邂逅と別離」とに要約される。
そして、「邂逅」によって与えられた一筋の光明が人間形成に決定的な影響を与える。
まして「生涯の師」を得た場合においておやだ。

今回は以上です。

人生の「邂逅」と「別離」如何でしたでしょうか。

「この人生をいかに生くべきか」という決して簡単には解決できない「問い」を胸中深く秘めての「邂逅」だからこそ一筋の貫くものがあるだろうし、それが相手の心に響くのである。

というところは、行間にも気魄がこもっているような凄みすら感じさせられました、「邂逅」と「出会い」の違いは当にこのところにあるのではないでしょうか。

「邂逅」は本を通じて古今東西の人とも「めぐり会う」ことが出来ると思います。
本を読むとは、この問いを探しての「邂逅」と言えるのかも知れませんね。

2016年07月13日
溺れる者を救うコツ
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介しています。
いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということを、この本を読むたびに感じさせられます。
喜怒哀楽というのは、時代がどんなに移り変わろうと人にとって変わらない感情ですが、「不易流行」という書き出しの「溺れる者を救うコツ」を今回は紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

鳥窩(ちょうか)はいかにも禅者らしく、白楽天をつき放して教えているが、これを、も少し親切に説明しているのが芭蕉である。
俳句の真髄を問われた時、「不易流行(ふえきりゅうこう)」の四文字で答えている。

「不易」とは「易(かわ)らず」の意味で、俳句の芸術性と美意識をなす基本は永久に不変だ、ということである。
そして、末節のほうは「時の流れに応じてゆけばよい」つまり「流行」である。

ジャノメミシン相談役の嶋田卓弥は、これを企業にあてはめて説明する。
「たとえば、うちの会社の場合でいえば、『ミシンをより多くの人々に、いかに買いやすく、親切にするか』という『不易』の原理原則さえ通しておけば、後は時の流れに応じて、いっこうに構わないのだ」

伊勢湾台風の時、嶋田がまっ先にやったのは「即刻、被災した全部のミシンを修理するよう」という指令だった。
もちろん、自社のものも他社のものもなく、水に浸かったミシンを油の中で解体し、泥と砂とをとって、組み直すのである。
名古屋市の熱田支社では三七〇台ほど直したが、うち一八〇台は他社のミシンだった。

台風にやられなかった者がやられた人たちに援助の手をさしのべるのは当然のことだが、ひどい業者は、この台風を「奇貨(きか)おくべし」とばかりに金儲けに狂奔した。台風をくいものにしたのだ。
ところが、そういう手合は、その後、間違いなく没落してしまっているのである。

また嶋田がかわいがっていた、ある広告会社の若い社長が「取引先の倒産のあおりをもろにかぶって、このままでは会社が潰れてしまいますので、何とか、お金を融通して下さい」とかけ込んできた時、嶋田はきっぱりと断ってしまった。

「溺れている人を助けるには、いったん沈んで気を失った時、静かに立ち泳ぎでひいて救うのがコツで、もがいている最中に近づくのは、いかなる水泳の達人といえども危険である」からだ。
そのかわり、「倒産整理ともなれば、誰しもあわてて財産を隠そうとするが、君は絶対にそれをやるな。一切合財を投げだして、裸一貫からやり直し給え」と忠告した。

たしかに倒産するか、しないかで気も動転している最中に金を貸してやっても、しょせんは「焼け石に水」であろう。
そんなことより、倒産の仕方や、その後の対策を教えてやるほうが結果としては一人の事業家を救うことになる。

しかし、嶋田が自信をもって、それがいえたのは、伊藤忠商事の創業者、伊藤忠兵衛のエピソードを知っていたからだ。

「先物買をしていた原糸や製品が五分の一に暴落して、丸紅も伊藤忠も大戸を閉めてしまったのをこの目で見た。
この時、立派だったのは、伊藤忠兵衛さんの態度だった。すでに株式会社だったから、法律上の責任はないものの、個人資産である芦屋の別荘から自宅までも全部提供して裸となり、『よろしくお願いします』と頭をさげられた。
倒産の後始末が実に立派だった。それで当時の五大紡の首脳が、えらく感心し、『丸紅、伊藤忠を助けよう』ということになって、またたく間に立ち直ってしまった」

アメリカの神学者、ニーバーが、この芭蕉の「不易流行」と同じ台詞を吐いているのは興味深い。

「神よ!われらに与え給え、変えることのできないものを受け容れる冷静さと変えるべきものについて、それを変える勇気と、この両者を識別することのできる智慧とを」

今回は以上です。

今回のお話は如何でしたでしょうか、「不易流行」という言葉は難しいものですが今回のお話は溺れる者を救うコツとして分かり易く感じましたが、原理原則をしっかり持って時の流れに対応していく、ということは、ある意味で「処世」と言えるのではないでしょうか。

それにしても全財産を投げだし裸となって、という、お話は身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ということですね。


2016年07月06日
八十の老翁なお行じ難し
前回は「偉大なる常識人 孔子」ということで、常識を当たり前にやる、ということを取り上げましたが今回は、その当たり前ということの難しさを伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

全日空相談役の岡崎嘉平太は「知機心自閑」<機を知れば心自(おのずか)ら閑(しずか)なり>という文句で原理原則を説明する。
「機」とは原理原則のことで、それさえ抑えておれば、人生のことは、いかなる複雑な事件に出くわしても、それにふりまわされることがなく、心は常に閑である、という意味である。

岡崎嘉平太は大正五年にはじめて上京、旧制一高の試験を受けた。
無事、試験も終わって、さて帰ろうとしたが、西も東もわからない。
どうしようもないので先輩に頼んで東京駅まで送ってもらうことになった。

ところが、その先輩、小石川から市電にのった途端に眠り込んでしまった。
先輩が起きなければ何処で降りてよいかわからない。
といって先輩を起こすのも失礼だし、とつおいつ迷いつつ、岡崎は電車がとまるたび目を皿のようにして駅名をさがし、全く、心が落ち着かなかった。

そんな後輩の気持をしるやしらずや、先輩は嚊(いびき)までかき出す始末だったが、電車が水道橋、神保町を通りすぎ、やがて大手町にさしかかった頃、パッと目をさまして、涼しい顔でいった。
「おう、この次だぜ」

岡崎は、この時、つくづく考え込んだという。

「やはり、何もしらぬと苦労するということです。知っている先輩は何もかも心得ているから、いい気になって三十分ぐらい寝てしまう。『知機心自閑』で、居眠りもできるわけです。人生もまた同じですネ」

「原理原則とは偉大なる常識」であり、「知機自閑」であることは間違いのない事実だが、その「偉大な常識」を完全に消化し、実践する、ということは口でいうほど簡単なことではない。

こんな話はどうか。
詩聖といわれた白楽天が鳥窩(ちょうか)和尚をとらまえて「善の真髄いかん!?」と問うと「諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」と答えた。

「悪いことはしなさんな。いいことはやりなされ」
からかわれたと思った白楽天は、いささかむっとして「そんなことは百も承知だ。当たり前のことじゃないか」と口をとんがらせた途端に和尚に一喝された。

「三歳の童子もこれを識るといえども、八十の老翁なお行じ難し」

大詩人はいたく赤面したとある。

今回は以上です。

「知機心自閑」の市電のお話、誰しもこういう経験はお持ちではないでしょうか、私も遠方の大学に行った友達を訪ね、知らぬ土地で電車に乗った時は降りる駅名だけは知っていたものの電車が駅に停まる度に駅名を必死で確認した覚えがあります。

「知機心自閑」<機を知れば心自(おのずか)ら閑(しずか)なり>言われてみれば、なるほど納得ですが、納得といえば「三歳の童子もこれを識るといえども、八十の老翁なお行じ難し」まさに当たり前ということの難しさ、について有無を言わせぬ迫力がありますね。

また、このお話は第三章「応待辞令の人間学」のところ(去年6月11日)でもに引用していますので、よければ探してみてください。
今回はあまりにも鮮やかに一本決められた感じがしています。

※この本は昭和53年(1978年)に出版されていますので肩書きは、その当時のものです