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2016年06月29日
偉大なる常識人 孔子
いつも水曜日に更新していますが水曜日の夜遅くなるとアクセスが増えるようで、更新を待っていただいている読者の皆様には感謝しています。
それでは今回も伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」をどうぞ、ご堪能下さい。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

宮城県沖地震の第一報が届くと同時に現地へ飛んだ「着物のやまと」社長の矢島栄二は社員たちの顔をみるなり、「誰もケガはなかったか」ときき、一人のケガ人もなかったことがわかると、「よかった、よかった」と手放しで喜んだ。

ところが、あとになって、ちょっとガクのある友人から「論語の実践ですか」といわれて「キョトンとした」という。

その論語というのは次のような一節だった。

「厩(うまや)焚(や)けたり。子、朝(ちょう)より退(の)きていわく『人を傷(そこな)へるや』と。馬を問わず」
<孔子の厩舎が焼けた。朝廷から退いてその報告を受けた孔子は『誰もケガはなかったか』ときいただけで馬のことは問わなかった>

それをきかされた矢島は「豁然(かつぜん)として悟らされた」という。

いわく「あわてて、『論語』を読み直してみて、ハッと気がついたことがあるのです。

孔子は、盲目の楽師が会いに来た時には、階段までくると、『階段だよ』といい、畳へくると『畳の間だ』と教え、いよいよ席につくと『そこにいるのは誰それ、ここにいるのは何某』といちいち紹介したし、また親しい家老の季康子(きこうし)から『よく効くから』と薬を贈られると、その好意に感謝の意は表したけれども、のまなかった。
理由は『この新薬についての知識がないから』だった。
『厩の火事』もこの中に入りますが、要する孔子は偉大なる常識人であり、その常識を当たり前のこととしてやってのけた点に孔子の魅力があったのですネ」

たしかにその通りで、生活の原理原則を確立して、それを忠実に実践したのが孔子である。

今回は以上です。

当り前のことを当たり前として行なうということは読んだり聞いたりしている分には、当たり前過ぎて何か物足らなさを感じるものかも知れません。
しかし、その当たり前のことを当たり前にやることは、読んだり聞いたりしている以上に難しいもので次回に、この辺りのことを記事で紹介いたします。

因みに今回の記事に物足りなさを感じられたとしたら、それは記事の内容ではなく、私の力量不足によるものです。
また宮城県沖地震は1978(昭和53)年6月12日に起こった地震です。

※この本は昭和53年(1978年)に出版されていますので肩書きは、その当時のものです


2016年06月22日
王安石の失敗
このブログは伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」という本を紹介していますが、ここまで見ていただき、
この本の魅力と言うか、読めば読むほど惹き込まれるものを感じられた方もおられるのではないでしょうか。

この本は第八章で終わりで今は第六章の紹介ですが、どうぞ終わりまでお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
それでは今回も伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

住友金属から住友軽金属の社長にのり込んだ小川義男は、まず、最初に人事ととり組んだが、ありていにいって、今まで沈滞しきっていた人事にどうメスを入れるかについて深刻に悩んだ。

そんな最中、昔、読んだ帝王学の書『宋名臣言行録』を必死の思いで開いたところ、「これだ!」という一項目にぶっかった。

歴史上でも成語になっている「王安石の新法」の王安石<北宋の革新官僚>が新法を施行するにあたって、妙に才気走った小器用な奴ばかり抜擢して要職につけるので、司馬光<北宋の政治家にして学者。名著『資治通鑑(しじつがん)』を遺した>が心配になって理由を問うと、王安石は誇らしげに答えた。

「最初は才力(さいりょく)ある人物を使って新法を推進させ、適当な時点で老成の者に交替させて、これを守らしめる。
いわゆる、智者はこれを行い、仁者はこれを守るなり」

これをきいた司馬光は「ああ、安石、誤れり」と嘆き、

「君子は重要なポストにつけようと思っても、遠慮して、なかなか受けないものだ。だが、『辞めてもらいたい』といわれた時には、何のわだかまりもなく、さっと身をひく。小人はその反対で、そのポストに何時までもしがみつく。それを無理にやめさせたりすると、恨(うら)みを含み、仇(あだ)をなす。
そんな人事をすすめていると、他日、君は必ず後悔することになるぞ」

と忠告するが、功にはやった王安石は、それを黙殺してしまう。

しかし、案の定、「後に安石を売る者あり。これを悔ゆといえども、また及ぶことなし」<宋名臣言行録>という破目となり、せっかくの新法まで潰されてしまう。

その後、小川義男の人事をみていると、この司馬光の原理原則が明確に打ち出されており、何時の間にか、深刻なアルミ不況の中で住友軽金属だけが立ち直るという奇蹟を演じた。

今回は以上です。

※この本は昭和53年(1978年)に出版されていますので肩書きは、その当時のものです

『宋名臣言行録』というのは北宋の名臣97人の言行録を編纂したもので為政者の必読書とされ明治天皇の愛読書でもあったようです。

それにしても、「君子は重要なポストにつけようと思っても、遠慮して、なかなか受けないものだ。だが、『辞めてもらいたい』といわれた時には、何のわだかまりもなく、さっと身をひく。小人はその反対で、そのポストに何時までもしがみつく」という件は辛辣ですね。

本屋さんにいくと流行のビジネス書や自己啓発本というのが並べられていますが、たまには古典に挑戦してみたいものですね。


2016年06月15日
地位を与えてはならぬ人物
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から、帝王学の三つの柱に続いて“地位を与えてはならぬ人物”という何か含みのある件について紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

松下電器産業相談役の松下幸之助は「人事の名手」といわれている。
ある時、「松下人事の原理原則は何ですか」と問うたら、『西郷南洲翁遺訓』の一節をもって答えた。

「国に功労ある人には賞を与えよ。功労あったからといって地位を与えてはならない。
地位を与えるには、おのずとその地位に相応しい見識がなければならない。そこのところを間違えて功労に酬(むく)いるために見識なき者に地位を与えると、それは国家崩壊の原因となる」

これを企業にあてはめるとどういうことになるか。

「あの人は会社を儲けさせた。だから重役にしよう」という発想は間違っているのだ。
そういう場合は、南洲翁が指摘したように「功労ある人には賞をもって酬いる」ことである。
「賞」とは金品のことだから、ボーナスとか、金一封とか、あるいは昇給でもって酬いる。
そして、重役に抜擢するのに、「これがうちの重役です」と部下が誇れるような見識ある人物をもってくる。

たしかに、いかに仕事がきれても、いかに能力があっても、だからといって、地位を与えて人を支配させてはならない人間がいる。
もし、そういうのを上のポストに据えると、必ずトラブルを起し、下手をすれば社の内外に混乱を招くことになる。

一方、第一戦にいる時は、これといった派手な存在ではないが、その地位に据えると、おのずとその部署が治まってしまう人物がいる。

いうなれば「才の人」と「徳の人」との使いわけである。
もちろん、上に立つ以上、「才」も「徳」も兼備しているのが一番いいにきまっている。
だが、「才をとるか」「徳をとるか」の二者択一を迫られた場合には、躊躇(ちゅうちょ)することなく「徳の人」をとる、というのが松下幸之助の解説だった。

その話に耳を傾けながら、ふと村上素道<禅僧>の散文詩を思い出した。

「徳の人」と「才の人」とあり。
「徳の人」は大将の器たるべし。
「才の人」は補佐役たるべし。
人にして「才」と「徳」との具はる人あり。
容易ならざる大人物なり。君子なり。


今回は以上です。

松下幸之助が「人事の名手」というのは私も何かで聞いたことがあるような気がしますが、『西郷南洲翁遺訓』から学んでいたとは知りませんでした。

ハウツー本としてのビジネス書では得られない、人としての原理原則というものを改めて感じさせられます。
「徳の人」「才の人」とは、前章の「修己治人の人間学」からすると、魅力としての深沈厚重や磊落豪雄に聰明才弁のそれぞれの違いに近いのかも知れませんね。

それにしても、なんでこの人がこの地位に?
ということはあるものですね。


2016年06月08日
帝王学の三つの柱
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介していますが、半ばを過ぎ最終コーナーに差し掛かって来ました今回からは第六章の原理原則の人間学を紹介していきます。
今回のタイトルを見て帝王学とは何か大袈裟に感じられるかも知れませんが、原理原則とは、を考える一つのキーワードとして読んでいただければ幸いです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

「上に立てば立つほど、魅力をもたねばならぬ」と書いたが、その頂点は帝王である。
したがって、帝王なる者は最高の魅力、「深沈厚重なるは第一等の資質」を身につけなければならない。
それにはどうすればよいか。
中国五千年の歴史は、さまざまな体験のなかから「帝王学」という叡智を結晶させた。

「帝王学」などというと、「保守反動の塊」みたいに思うむきもあるかもしれない。
しかし、それはとんでもない思い違いで、要するに「上に立つ者が身につけておらなければならない学問」のことである。
最初に説明した「人間学」といいかえてもいいのである。

この「帝王学」には三つの柱がある。

第一に、原理原則を教えてもらう師をもつこと。
第二に、直言してくれる側近をもつこと。
第三に、幕賓(ばくひん・パーソナル・アドバイザー)をもつこと。

第一の「原理原則を教えてもらう師」の「原理原則」とは何か?
昔は通用したが、今は通用しない、というのは原理原則ではない。
何時いかなる時代においても、いかなる場所においても通用するのが原理原則の原理原則たる所以(ゆえん)である。

何か、ある原理をたてたが、それにあてはまらない矛盾が生じた時、「何ごとにも例外はつきものさ」といってすましている学者がいるが、こんなのはプロの学者とはいえない。
原理原則に例外はないのである。

アルキメデスは風呂に入っているとき、すべての物体は、この物体が排除した水の目方だけ軽くなるという、いわゆる「アルキメデスの原理」を発見したが、もし、この原理に例外があったら、それはもう無茶苦茶になってしまう。
それだけに原理原則を知り、それを実践することは非常に厳しいものがある。

今回は以上です。

今回から、修己治人の人間学から原理原則の人間学という新しい章に入りましたが、人として「いかに生きるか」ということに向き合ったとき自ずと原理原則とは何かを問うようになるわけで、それだけに人の上に立つ人にとって原理原則を弁え実践することを求められていると言えるのではないでしょうか。

原理原則と帝王学はどこで、どうして結びつくのか、について具体的なお話しは次回に続きます。
今回は帝王学の三つの柱についてイメージしていただければ、と思います。


2016年06月01日
木鶏
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より魅力ということで深沈厚重、磊落豪雄、聰明才弁について紹介してきましたが今回は「深沈厚重」と「木鶏」についてです。
「木鶏(もっけい」という言葉を聞かれたことがある方もいらっしゃると思いますが、今回は改めて木鶏の意味を考えて貰えれば幸いです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

はじめから「深沈厚重」の魅力など身につくものではない。
やはり、牛尾治朗のように挫折し、傷つき、さまざまな人生の紆余曲折を経て成長していくのである。
「荘子(そうじ)」に出てくる「木鶏」の寓話がいい。

紀省子(きせいし)、王ノ為ニ闘鶏ヲ養ウ。 十日ニシテ而ウシテ問ウ。「鶏、巳(よ)キカ」ト。
曰ク「未ダシ。方(まさ)ニ虚憍(きょきょう)ニシテ而(しこう)シテ気ヲ恃(たの)ム」ト。
十日ニシテ又問ウ。曰ク「未ダシ、猶(なお)、疾視(しっし)シテ而ウシテ気ヲ盛ンニス」ト。
十日ニシテ又問ウ。曰ク「幾(ちか)シ。鶏、鳴クモノアリトイエドモ、已(すで)ニ変ズルコトナシ。
之(これ)ヲ望ムニ木鶏(もっけい)ニ似タリ。其ノ徳全シ。異鶏応ズルモノ無ク、反(かえ)ツテ去ラム」ト。

昔、紀省子という闘鶏を飼育する名人が王のために一羽のすぐれた鶏を育てていた。
十日ばかりして王が「もう、ぼつぼつどうかね」と催促した。すると紀は「まだいけません。ちょうど、空元気の最中です」
と断った。
また、十日ばかりして王がせつくと、「まだ、相手をみると興奮するからいけません」。

さらに十日、待ちあぐねた王が、「いくら何でも、もういいだろう」というと「まだ、ダメです、相手に対して、何がこやつ!というように嵩(かさ)にかかるところがあります」。
それから十日、すっかり、しびれをきらした王に名人がやっとOKを与えた。

「ぼつぼつよろしいでしょう。もう、どんな相手が挑戦してきても、いっこうに平気でございます。多分、いかなる鶏が現れても、、応戦せずして皆、退散することでしょう」
蹴合わせてみたら、果たして、その通りだった。

この寓話から四つの教訓が汲みとれる。

第一に「競わず」。むやみと余計な競争心をかりたてないこと。
第二に「てらわず」。自分を自分以上にみせようとしないこと。
第三に「瞳を動かさず」。落ちつかぬ態度で、あたりをきょろきょろ見まわさぬこと。
第四、「静かなること木鶏の如し」。木彫の鶏の如く、静かに自己を見つめること。

「深沈厚重」とは「木鶏」の魅力に他ならないのである。


今回は以上です。

このお話からの教訓を一つひとつ見ていくと、私自身、「競わず」「てらわず」というところに今更ながらの思いを改めて感じさせられています。

ところでを大相撲の連勝記録と言えば相撲ファンならずとも双葉山の69連勝はよく知られていますが、双葉山が安藝ノ海に敗れた夜に「ワレ イマダ モッケイタリエズ」という電報を打っています。

双葉山が、まだ横綱になる前に陽明学者の安岡正篤師から、「木鶏」の話を聞いて感銘した双葉山は木鶏たらんと相撲道に励み連勝を重ね70連勝はなりませんでしたが、昭和14年以降の大相撲において69連勝というのは未だ破られていない大記録です。



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