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2016年05月25日
『不言』
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より、生まれてはじめての挫折に傷ついた牛尾治朗は<自分の挫折感を見つめる時間がほしい>として心の傷をいだいたままヨーロッパへ飛んだいう前回の続きで今回は『不言』ということです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

その年も押し迫ったころ、飄然と帰国した牛尾は三菱銀行副頭取の露木清<現・伊勢丹会長>を訪ねた。
露木は「やあ、帰ってきましたか」とにこやかに迎えてくれ、雑談の中でさりげなく、こういった。

「男が一番仕事がやれるのは四十五歳から六十五歳までの二十年間です。四十五歳まではネ、どんな失敗をやらかしても、すべて、経験として吸収され、プラスとなって機能します」

ちょうど、牛尾は四十五歳だった。

牛尾がうなずくと、ふと思いついたようにもう一言つけ加えた。

「これから社外重役を頼まれた時にはネ、もしも、その会社が危くなった時には、自分からのり込んでいって、全面的に支援態勢のとれる自信があれば、ひき受けてもいいが、その自信がない場合には、ひき受けてはいけません」

表現はやさしかったが、内容は極めて厳しかった。
牛尾は寒竹(かんちく)のムチでひっぱたかれたように骨身にこたえた。

そんなことがあって数年、最近、牛尾にあったら、応待辞令にコクがでてきたのに驚かされた。

「かって、安岡正篤先生にお話をうかがい、『よくわかりました』といったら、『そんなに簡単にわかる事柄ではないし、また、そんなに簡単にわかってもらっては困る』とお叱りをうけた。
その時、ボクは先生にそういわれても、内心では、本当に理解していたつもりだったのが、今にして思うと、何ひとつわかっていなかったということです」

そして、その時、教えられた李二曲(り じきょく)<明末の陽明学者>の一文を暗誦した。

「習学はまず『不言』を習うべし。始めは勉強力制して、数日、一語を発せず、漸(ようや)くにして数カ月、一語も発せざるに至る。かくの如くなれば、即ち蓄うる所のもの厚く、養うところのもの多し。而(しこ)うして、言わずんば則ち已(や)む。言わば則ち経(きょう)を残さむ」

学問や教養は深く身につけなければならない。しかし、その上で、それらを何時でも捨て去る覚悟をもたぬとホンモノにはなれないのである。


今回は以上です。

※この本は昭和53年(1978年)に出版されていますので肩書きは当時のものです

今回は如何でしたでしょうか?
今回は「男が一番仕事がやれるのは四十五歳から六十五歳までの二十年間‥‥」というところは、それとなく分かりますが『不言』ということが難しいですね。

学問や教養は身につけなければいけないが、その上で学問や教養に頼ることなく覚悟としての心胆を練ることが大事だということではないでしょうか。


2016年05月18日
聰明才弁
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より「魅力とは何か」ということで明末の碩学、呂新吾によれば深沈厚重ナルハ是レ第一等ノ資質。磊落豪雄(らいらくごうゆう)ナルハ是レ第二等ノ資質。聰明才弁ナルハ是レ第三等の資質としていますが、今回はこの聰明才弁を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

「第三等の資質」とされた「聰明才弁」は、頭もきれて弁もたつ、いわゆる口八丁手八丁だが、そういう人物は、えてして、軽薄才子の謗(そしり)をまぬがれ得ない。

呂新吾も
「其の他、浮薄にして、好みて任じ、能を翹(つまだ)てて自ら喜ぶは、皆、行、逮(およ)ばざる者なり。
もし、諸(これ)を行事に見(あら)わせば、施為(せい)、術なく、反(かえ)って事を憤(やぶ)る。
此等(これら)はただ談論(だんろん)の科に居るべきのみ」と特にコメントをつけている。

「聰明才弁」はサロンの話相手としては楽しいだろうが、事を実践する段階になると、いっこうに役立たぬというのである。「談論の科に居るべきのみ」とは痛烈である。

ウシオ電機社長の牛尾治朗は弁もたてば筆もたつ。おまけに毛並までいい。
推されて青年会議所の会頭となり、軽井沢セミナーでぶちあげた演説が朝日新聞に大きくとりあげられ、一躍、「時の人」となった。

「七十年代半ばには、今の大学紛争が企業にも飛び火する」と前置きして「ゲバの発火は、まず、労組幹部が企業に懐柔されて、一見、労使関係が順調にいっていると思われる組合内部に起るだろう」と警告した。

ドラッカーの『断絶の時代』がベスト・セラーを続けていた時代だけに、この告白的体制革新の狼火(のろし)は爆発的な反響を呼び、牛尾の虚像と実像とが入り乱れて喧伝された。
当然、若い牛尾は得意の絶頂となり、請われるままに各地を講演してまわり、一流紙からいかがわしい総会屋雑誌にいたるまで精力的に顔を出した。

だが、マスコミがタレントを捨てるときは鮸(にべ)もない非情さである。

胴あげしておいた手を無責任にパッと放す。ドシンと下へ落とされた時、はじめて、そのタレントは<有名なんてものは自分の名前が茶の間であめ玉がわりに一分間ばかりしゃぶられるだけのものだ>ということを骨を噛むような悔恨とともに味わわされる。
もちろん、牛尾といえども例外ではなかった。

得意満面、肩で風をきっていた牛尾治朗がJCのメンバー立った秋保盛一から「ぜひに」と頼み込まれて、社外重役に就任した東邦産業が倒産した。
おそらく、牛尾以外の名もなき経営者だったら、ベタの追い込み記事にすらならなかったであろう。
しかも、社外重役に名をつらねただけのことだから、責任がないといえばいえないこともない。

だが、牛尾治朗なるが故にマスコミは、それを許さなかった。
ジャーナリズムは両刃(もろば)の剣である。
つい先ほどまで、絶賛しつづけた舌の根もかわかぬうちに憶面もなく、猛烈な牛尾批判に転じたのである。

思いもかけなかったことだけに牛尾は傷つき、うめいた。生まれてはじめての挫折だった。
七転八倒したあげく、辿りついた結論は<自分の挫折感を見つめる時間がほしい>ということであった。
打ちのめされた自分をつき放し、冷酷に凝視することによって、自分をふるいたたせたかった。

心の傷をいだいたまま、牛尾はヨーロッパへ飛んだ。
「喪家(そうか)の狗(いぬ)」の如き孤独の寂寥のなかで開いた本の一節が心の襞(ひだ)にやきついた。

「ストア哲学者のヘカートンが『私がいかなる進歩をとげたというのか、それは私が自分自身に対して、友となりはじめたということである』といったのを聞いたセネカが『それはたいした進歩だ。彼は絶対に孤独ではない。こういう人は万人のためにも友であると知らねばならぬ』と答えた」

ショウーペンハウエル<独・哲学者>は「孤独はすべてのすぐれた人物に課せられた運命である」と喝破しているが、その孤独の中にあって、悠々と自己との対話が楽しめるようになれたら、それは大変な人物であろう。

今回は以上です。

1970年当時と言えば今から45年前になりますが世の移ろいを感じるとともに、上記の内容から「聰明才弁」という資質が人間的魅力の形勢過程にあると捉えると「深沈厚重」「磊落豪雄」の魅力とつながるものを感じます。

また、人は挫折を味わうことで客観的に自己と向き合う(孤独の中にあって、悠々と自己との対話を楽しむ)ことが出来るのではないでしょうか。


2016年05月11日
長い闘病生活
松永安左エ門翁の松永語録から長い浪人生活、長い投獄生活に続いて今回は長い闘病生活について、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

十年ほど前、肺癌の疑いで二年間の闘病生活を余儀なくされた壱岐晃才<国民経済研究協会理事長、東京経済大学教授>が述懐したことがある。

「現実に長い病気をやった者でないと、病人の気持は絶対にわからぬだろう。だから、私にいわせれば、病気など一度もやったことのない人を健康な人とは決して思わない。本当の健康な人というのは、病気にかかってそれを克服した人じゃないですか。『病める貝にのみ真珠は宿る』というアンドレーフの箴言は、一度、病んでみないとわかりませんネ」

たしかにその通りで、吉田兼好などは『徒然草』(つれづれぐさ)の中で、友人に不適当な人間を七種類あげ、その中に「身強き人」を入れている。あまりにも丈夫な人は友人として不適格だ、という意味である。
理由は簡単、思いやりがないからだ。

「完全な健康体だ」という自惚れはしらずしらずのうちに人間を傲慢にする。だから、文芸評論家の亀井勝一郎などは「あまりにも丈夫な人間は真昼だけあって、夕暮も夜もないようなものだ。彼と話をしていて疲れるのはそのためである。
陰翳(いんえい)の不在は一種の暴力である」とまでいっている。

また、壱岐晃才は入院と同時に「これまで、一度も考えたことのなかった『死』をいきなり鼻さきへつきつけられてとまどった」という。

たしかに肺癌も疑いで病床に呻吟する身は毎日が死との対決である。その日、その日を命のぎりぎりのところで抱きしめて生きているのだ。
いかなる見舞いを受けても、いかなる人に慰められても、どうにもなるものではない。死との闘いは所詮、自分ひとりでやるしかないのだ。

人は、そこに気づいた時、<自分というものは、要するに自分だけなんだ>という厳しい孤独感に襲われる。
そして、今まで、自分でもよく口にし、人から聞かされもした「俺は孤独だ」という台詞が何とも薄っぺらで鼻もちならなくなる。「孤独、孤独と安っぽくいうな」と開き直りたいような衝動にかられる。
そして、この境地をトコトンまでつきつめていくと、「人間は本来孤独であり、死ぬべき運命にある」という自覚に到達する。

しかし、その自覚は、そのことで悲観的になったり、厭世的になるためではない。
逆に「死」は「生」を確認させる。
つまり、死を念頭に置くことによって、自分の「生」が本当の「生」の名に値するか、どうかを問うのである。そこに人間の陰翳と、えもいわれぬ魅力がでてくるのだ。


今回は以上です。

この「喜怒哀楽の人間学」という本は私自身今までに何度も読んでいますが読む度に味わいのある文章に思わずハッとさせられます。

『病める貝にのみ真珠は宿る』という言葉の意味するところは味わい深いですね

真珠はアコヤ貝からできる。アコヤ貝に異物を入れると、貝は嫌がる。除去できないから、膜で巻いてしまう。これが真珠になる。つまり、美しい真珠は病める貝から生まれます。

また吉田兼好や亀井勝一郎の言葉もいいですし、とりわけ「死を念頭に置くことによって、自分の「生」が本当の「生」の名に値するか、どうかを問うのである。そこに人間の陰翳と、えもいわれぬ魅力がでてくるのだ」という件は伊藤肇、渾身の一語のように感じ、自分の「生」が本当の「生」に値するか、と自問してみてウーンと唸ってしまいました。


2016年05月04日
長い投獄生活
実業人が実業人として完成するためには三つを経験しないとダメだ、とする松永安左エ門翁の松永語録から長い浪人生活に続いて今回は長い投獄生活を伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

銭湯に入ると、人は他人の前に裸をさらさねばならない。
同様に監獄へ入ると、人は遅かれ、早かれ、心の衣裳を脱がされる。
だから、監獄へ入った時こそ人間の真実の心を知るための最上の機会である。

A級戦犯で刑死した土肥原機関の土肥原賢二が同じ戦犯の後輩にしみじみといい遺したことがある。

「君は若いから、も一度、娑婆(しゃば)へ出られるだろうが、俺はダメだ。巣鴨プリズンへ入れられてから、よくよく考えてみると、俺は陸軍幼年学校から士官学校、陸大と出世街道をひたむきにつっ走ってきた。
そして、気がついた時は巣鴨だった。
この獄庭には木も草もない。ところがたった一本、隅っこから生えてきたあの水仙の何と美しいことか。
自然は美しいなあ。君がここを出たら、田舎で静かに自然の美しい姿を心の眼でみろよ。
俺も長く支那大陸にいたが、心の眼で支那をみたことはなかったなあ。君、この言葉が俺の遺言だよ」

その後輩は、これをきいて、人生観が一変した。
以来、「心の眼で美しい日本の姿をみて、何時、死んでもいいという覚悟で毎日を送ろうと考えるようになった」
と告白している。

今回は以上です。

素のままの姿になった時、人は真実の心というものを思い知るものなのかも知れませんね。
今回は、いつもよりも文字数は短いですが熟読玩味していただければ自ずと感じてもらえるものがあるのでは、と思っています。