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2016年04月27日
長い浪人生活
電力の鬼といわれた松永安左エ門が野村証券の奥村綱雄に実業人が実業人として完成するためには、三つ(長い浪人生活・長い投獄生活・長い闘病生活)を経験しないとダメだと言いましたが、今回は長い浪人生活について伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

浪人になると、自分の非力を否応なしに自覚させられるから、自然と人間も謙虚になり、かつて、肩をいからせて都大路をのし歩いたことが何となくうらはずかしくなる。
そして、それが昂じてくると、酒ののみ方までもしょぼくれるが、その中にあって、やせ我慢でもいいからプライドを維持できるようだったら、浪人としてもかなりのものである。

心構えとしては、勝海舟とM・フォン・クリンゲル<ゲーテの畏友>の言葉が参考になる。

「俺など、本来、人が悪いから、ちゃんと世間の相場を踏んでいるよ。あがった相場もいつかはさがる時があるし、さがった相場も、いつかはあがる時があるものさ。そのあがりさがりの時間も、長くて十年とはかからないよ。
だから、自分の相場が下落したとみたら、じっとかがんでおれば、またあがってくるものだ。

大奸物、大逆人の勝麟太郎も今では伯爵、勝安房様だからのう。しかし、今はこの通りいばっていても、またしばらくすると、老いぼれてしまって、唾のひとつも吐きかけてくれる人もいなくなるだろう。
世間の相場は、ま、こんなものさ。
そのあがりさがりの辛抱のできる人が、すなわち、大豪傑だ」<勝海舟>

「まことの人は、彼の義務が要請する時と場合においてのみ、世間の舞台に現れねばならぬが、その他では、一個の隠者として、彼の家族の中に、僅かな友人とともに、また彼の書斎の間に、精神の風土に生活しなければならない」<M・フォン・クリンゲル>

今回は以上です。

今回の話は如何でしたでしょうか?
勝海舟には皆さん、どんなイメージをもっておられるのでしょう。

勝海舟の言葉には何かしらナルホドと感じさせるものがありますが、その語録の中から二つほど紹介いたします。

・自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。

・我が国と違い、アメリカで高い地位にある者はみなその地位相応に賢うございます。(訪米使節から帰還し、将軍家茂に拝謁した際、幕閣の老中からアメリカと日本の違いは何か、と問われての答弁)


そのべらんめぇー口調に似合わない見識の高さについ惹き込まれてしまうのは西郷隆盛や坂本龍馬だけではなかったようですね。


2016年04月21日
電力の鬼
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介していますが前回の続きで今回は「ワハハのオジさん」とよばれていた野村証券の奥村綱雄を手もなくひねってしまった男についてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

それは「電力の鬼」といわれた松永安左エ門である。

奥村が四十五歳で社長になり、まだ海のものとも山のものともわからぬ野村証券のイメージ・アップのために精いっぱいの爪先立ちをして歩いていたある日、松永安左エ門を相手に「天下国家」をぶちまくった。

「法螺(ほら)と喇叭(らっぱ)は大きくふけ」というのが奥村の信条だったから、とてつもない大風呂敷をひろげたに違いない。

松永は鼻毛をぬきながら、フンフンときいていたが、一しきりふかせておいて、こういった。

「せっかくの滔々懸河(とうとうけんが)の弁だけど、とても歯がういてしまって、聞いちゃおれない。
いいか、後学のためにいってきかせるが、実業人が実業人として完成するためには、三つを体験しないとダメだ。
その一つは長い浪人生活だ。その二つは長い投獄生活だ。その三つは長い闘病生活だ。
奥村君、君はまだ、このうちの一つもやっていないだろう」

野太刀を大上段にふりかぶった途端に褌(ふんどし)がはずれたようなもので、この一件以来、奥村はすっかり松永に傾倒した。

今回は以上です。

松永安左エ門さんについては、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
と言うのは現在の民間電力体制を築いた人で政・官による電力の国家管理体制(日本発送電会社)の分割民営化を実現し戦後の電力体制をつくったことでよく知られています。

松永安左エ門という人は磊落豪雄を地でいくような人だったようで小島直記著の「まかり通る―電力の鬼 松永安左エ門」という本は、その痛快人生を描いています。

しかし、本を読むよりももっと簡単にどんな人か知りたいなら、ヤフーでもグーグルでも「松永安左エ門 写真」で検索すれば晩年の写真が表示されます、またwikipediaを見ていただければと思います。


2016年04月14日
百万弗の哄笑
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から短所の数うべきあらば第一等の人、ということから磊落豪雄の魅力について前回に続いて今回は百万弗の哄笑という話を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

既に亡いが、野村証券前会長の奥村綱雄は「ワハハのオジさん」とよばれていた。
小さな体を豪快にゆさぶり、喉ちんこまでみせて呵々大笑するくせがあったからだ。
事実、この笑いは、少々憂鬱なことがあっても吹きとばしてしまう「百万弗の哄笑」だった。

しかし、ある時、天邪鬼(あまのじゃく)ぶりを発揮して、からかった。

「顔や体は陽気で派手に笑いまくっているけど、眼がいっこうに笑っていないのは、どうしたわけですか」

多少はあわてるかと思ったら、「気ぃつけんあかんあ」といって、また呵々大笑した。
そして、「君、こんな詩をしっているか」と便箋にさらさらっと書きなぐった。

蝸牛角上(かぎゅうかくじょう) 何事ヲ争ウ 石火光中 此ノ身ヲ寄ス 
富ニ随イ貧ニ随イ且(しばら)ク歓楽セン 口ヲ開イテ笑ハザルハコレ癡人(ちじん)

「どうでもいい、ちっぽけなことをゴシャゴシャ争うのを蝸牛角上の争いというが、現実の人間世界はそれが実相だ。
しかし、人生は石と石とがぶつかり合って火花を発する、その瞬間のように儚(はかな)いものなのだから、あまりこせつかないで、貧富の分に応じて歓び楽しんだほうがよい、大口をあけて、腹の底から笑えないような奴は、かわいそうな馬鹿者さ。白楽天の『対酒』という詩だよ。特に『結』がいいだろう」

とやられてギャフンと参った。

ところが上には上がいる。
この奥村を手もなくひねってしまった男がいる。

それは‥‥‥オッと、この続きは次回にいたします。

奥村綱雄氏は野村証券中興の祖と言われる人物ですが、まさに磊落豪雄の魅力ある人だったようで野村証券に補欠入社というスタートでサラリーマンとしては決して順調ではありませんでした。
それだけに百万弗の哄笑と、この詩の『結』の意味するところが察せられるのではないでしょうか。

蝸牛角上 何事ヲ争ウ 石火光中 此ノ身ヲ寄ス 
富ニ随イ貧ニ随イ且ク歓楽セン 口ヲ開イテ笑ハザルハコレ癡人


2016年04月06日
短所の数うべきあらば第一等の魅力
前回は伊藤肇が安岡正篤との邂逅を通して安岡正篤のもつ「深沈厚重の魅力」の魅力に惹き込まれたことを紹介しましたが今回は「磊落(らいらく)豪雄の魅力」について伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

「磊落(らいらく)豪雄の魅力」とは、いったい、どんな魅力か。

「磊落(らいらく)とは、大きな石がごろりところがっている状態で、型を脱した線の太い面白さがあり、些事(さじ)に拘泥(こうでい)せず、バリバリと仕事を進めていく陽性の人物である。

江戸中期の卓抜した科学者であり、先覚者でもあった平賀源内が事業に失敗して「ヤマ師」とよばれた時、傲然としていい放った。

「利巧者(りこうもの)が馬鹿の悪口をいう言葉は無数にある。だが、馬鹿が利巧者の悪口をいう言葉はたった一つしかない。それは『ヤマ師』という言葉だ」

実に痛快な言葉ではないか。

幕末の儒者、春日潜庵(かすがせんあん)は「今世、短所の数うべきあらば、便(すなわ)ち、是れ第一等の人。東萊(とうらい)の此の語、晦翁(かいおう)<朱子のこと>象山(しょうざん)<陸象山のこと>の輩を指すが似(ごと)し。大海、時あってか、狂瀾(きょうらん)を起し、大川、時あってか、横流を生ず。区々守常の士は以て語るに足らず」と喝破している。

春日潜庵は京都の陽明学者で、明治維新に活躍した人物でこの門をたたかぬものはなかった。
西郷隆盛も傾倒して、弟の小平や村田新八を入門させている程である。

「今世、短所の数うべきあらば、すなわち、これ第一等の人」とは言い得て妙である。

今の世に時めく人々は、皆、難のうちどころがない。頭もいいし、才もある。交際も上手で当りさわりもない。たいして酒も呑まぬし、女も漁らぬ。すべてがまことに整っている。

しかし、さっぱり旨味がない。感激がない。何やら、始終忙しそうに働いてはいるが、要するに何をしているのか、どうでもよいような、誰にでもできることをやっているにすぎない。
可も無し、不可もなしという類である。
そんなのは幾千幾万集まっても、その時代を動かす力とはなり得ない。

それよりも欲しい人物は、もっと手ごたえのある男である。
そういう男には凡人の持ち得ない短所があろう。
だが、これがまた魅力である。
ああ、何という退屈な人間どもだ。

今回は以上です。

私も若い時にこのところを読んで、短所は両手の指でも足らないぐらいにありましたので早とちりと言うよりも勘違いしていたことを、このところを紹介しながら思い出しました。

それにしても「‥‥‥区々守常の士は以て語るに足らず」というところは齢を重ねた今読んでも響くものを感じます。

「豪放磊落」という言葉は聞くことがありますが、豪放という言葉からイメージを持ってしまうことが多いように思います。
大きな石、型を脱した線の太い面白さ、平賀源内、手ごたえのある、凡人に持ち得ない短所という言葉に自ずと興味が湧いてくるのではないでしょうか。

そこで、こんな話は如何ですか、と言いたいところですが続きは次回ということにいたします。