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2016年03月30日
深沈厚重の魅力
伊藤肇が陽明学者の安岡正篤と会い話題は人物論となったことは前回に紹介しましたが今回は人物の見方を通して伊藤肇が感じた深沈厚重の魅力を、いつものように伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

また、人物の見方として、こんな話もされた。

ある地方長官が赴任してきた。
まずやったことは、仕事のほうは、ゆったりした大人型の人物と忠実に働いて仕事のよくできる人物との二人に任せきりで、本人はいっこうに何もしなかった。

このため、「今度の長官はかわり者だ」とよるとさわると噂し合ったが、一年経ち、二年経つうちに、その地方は実によく治まって来た。

それに気づいた民衆が、「偉い長官だ。あのひとのすることは『之(これ)ヲ日計(にっけい)スレバ足ラズ。歳計(さいけい)スレバ余リアリ』だといって感心した。
つまり、一日一日の勘定では赤字だが、一年中の総決算をすれば、ちゃんと黒字になっているという意味である。

そこで民衆が集まって、この長官を表彰しようということになり、よりより相談をはじめた。
ところが、それを伝えきいた長官は喜ぶと思いきや、面白くない顔をしていった。
「俺もも少しできた人間かと思っていたら、こんな田舎の民衆から表彰されるという。民衆の目につくようじゃ、まだまだ俺もダメだ」

民衆からほめられたり、立てられたりするうちは未(いま)だしで、本当の「至れる人」というのは、その人がそこに居れば、それだけで皆が落ちつく、問題が起こらない。そういう存在でなければならない、という考え方である。

われわれの人生をふりかえって、老いて「黒字の生涯」となれば、これは道に合った成功の人生ということになるし、反対に一日一日、きびきびやってきたつもりだったのが、さて死にがけになって、<いったい、俺は何をしてきたのだろうか>というような大赤字になったのでは、これは失敗の人生ということになる。

「邂逅こそは人生の重大事である」という。
思えば、筆者にとって、この日の邂逅は決定的な瞬間だった。

安岡正篤のもつ「深沈厚重の魅力」にぐいぐいとひきずり込まれ、満州以来の空白が一挙に埋められた感じだった。
そして<この師以外にわが師なし>と心に深くうなずいたのである。

今回は以上です。

今回紹介した内容は、人物評価のひとつの尺度を示唆しているように感じましたが「修己治人」「己を修め、人を治める」には魅力がなければならないとして「深沈厚重の魅力」とは、伊藤肇が安岡正篤との邂逅を通じて感じたこと、そのものに尽きるのではないでしょうか。

誰しも覚えがあると思いますが人物との邂逅・出会いこそが、まさに人生といえるのかもしれませんね。

2016年03月23日
人物論
伊藤肇が陽明学者の安岡正篤に私淑しながらも安岡正篤批判の一文を雑誌に書いたところ、その文章が本人の眼にとまり安岡正篤本人から会いたいとのことで今回はその様子を伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より紹介いたします。


以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

料亭の一室で対坐した時、まず、人間の位どりがてんで違うことをいやというほど思い知らされた。
本来なら、インタビューもしないで、いきなり悪口を書いた許せぬ奴だ。
思いきり、油をしぼってやろうと思うのが人情である。

ところが、おくびにもそんな気配はみせぬ。いや、全く無関心だ。
それどころか、「酒、和己ニ逢ヘバ千鍾(せんしょう)モ少シ。話、機ニ投ゼザレバ半分モ多シ。と明末の戯曲『琵琶記』に出てきます。会心の友にあって、盃を傾ける時には、何ぼでも入っていくが、次元の低いのと同席すると半句しゃべるのももったいない、という意味です。
酒をのむ時の実感ですネ」とぞくっとくるような言葉をさらりと吐く。

だんだん、酒がまわってくると、話題は自然に「人物論」へと移っていった。

「乏しい自分の学問的経験からいっても、いわゆる指導理論とか、精神科学の講義などは全く実にならなかったが、それよりも、ひそかに熱する思いにかられて人物の研究に耽ったことが一番、わが身を修め、交友の世界を造ってゆく上に役立った」ということから話がはじまり、「結論からいえば、『人物論』というのは対象になる人物を評論しながら、結局は自分を書くことになる。

評論する側が、いかに対象人物に対する自分の好悪の情を殺し、客観的な事実を収集し、これを比較計量しながら、その人物の実像を伝えようとしても、所詮は、その評論家の人生経験の深さ、世界観、あるいは流した涙の量などによって、『人物像』が決定されてしまうのです。
したがって、厳しい表現をつかえば『人物論』が完成したその瞬間から、それを書いた人物の人間としての尺度が露呈するのです」とむすんだ。

この一言は、心臓に矢を射込まれたようなショックだった。
そして<うっかり、人物論など書くものではないな>と思った。

今回は、ここまでとしてこの話の続きは次回をお待ちください。

今回は如何でしたでしょうか?

人物論というものを書く、ということは普通あまりないと思いますが日常的に人と接していると人物論は書かないまでも、この人はどんなひとだろうか、と感じることは結構あるのではないでしょうか。
そういう時には確かに自分の人生経験を通して対象人物を見ているものなのでしょうね。

それにしても『人物論』が完成したその瞬間から、それを書いた人物の人間としての尺度が露呈するのです」という言葉には有無を言わせない迫力を感じるとともに「人間としての尺度」という言葉には思わずドキッとさせられました。

2016年03月16日
「行為せざる者」の思いあがり
一冊の本には毒や悲しみがあるとして、強い反発を覚えながら反発するものが魅力となる人間と書物の関係ということで伊藤肇が陽明学者の安岡正篤の『世界の旅』に対する「対立と反発と愛着と畏敬」をそのまま胸中にもち越して帰国した、その後の伊藤肇について伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

帰国後は経済記者がそのスタートとなった。
「行為する者にとって、行為せざる者は最も苛酷な批判者である」という。

具体的にいえば、世のいわゆる経営者たちは「行為する者」であり、記者は「行為せざる者」である。
この「行為せざる」ジャーナリストが「行為する経営者」をとらまえて、批判のための批判としか思われぬような原稿を書いて得々としている。

ところが、こういう「行為せざる者」が批判をくり返しているうちに、自分も「行為する者」になれると錯覚して、マスコミから足を洗い、一般の企業へ入って、「行為する者」の立場になると、忽ち、馬脚をあらわしてしまう。
実際の話が、ジャーナリストから大経営者になったためしは一つもない。
せいぜい、団体役員くらいでお茶を濁しているのが精いっぱいのところである。

当然、筆者も、このジャーナリスト気質に簡単に染まった。
そして「辛辣な批判だ」などと煽(おだ)てられると、内心、得意になって、さらに今度は無理にでも辛辣ぶろうと、前よりも一層どぎつい表現をつかった。

つまり、大向うの拍手喝采を狙ったスタンドプレーだった。
だが、そういう文章は、一時(いっとき)、話題になっても、しばらく時間がたつと、いつの間にやら、色あせて、消え去ってしまうことに随分と長い間、気がつかなかった。

そういう生意気を絵に描いたような時代だったから、安岡正篤に私淑しながらも、だんだん安岡批判が昂(こう)じてきて、こともあろうに、ある雑誌に思いあがった一文を書きなぐった。
思い出しても冷汗が出るが、要は、知行合一を説く陽明学者の安岡正篤は偉そうなことばかりいっても行動が何もないじゃないか、ということだった。

安岡正篤は、一部の政治家のように自分で行動を説明したり、宣伝したり、ということは一切しないから、いくら一線のジャーナリストでございと威張っていても、その行動の軌跡は全くつかめないのだ。

にもかかわらず、「盲(めくら)、蛇に怖(お)じず」のたとえで、自分の無能は棚上げにして、「バートランド・ラッセル<英・哲学者にして数学者>は、その時代の政治的問題に嘴(くちばし)を入れるのはもちろん、体の動きを必要とする『運動』にも積極的に参加した。

それも国内的ばかりでなく、国際的な活動を続けてきたので、九十歳の高齢でトラファルガー・スクエアの核実験反対デモに夫婦で加わって拘留されたりした。
イギリスの学者は哲学者でも、社会学者でも、経済学者でも、頭の中だけの仕事に文字通り没頭するようなことはしないで、ラッセルのように、老人になっても、デモに加わったりするほどの行動力をもっているのだ」
ときめつけたのである。

全く、われながら鼻もちならぬ文章だと思う。

雑誌が出て二週間ほどしたら、さる友人から「安岡先生がお前に会いたいといっておられるがどうか」といってきた。
まさか、支離滅裂のやっつけ原稿が天下の碩学の眼にとまろうなどとは夢にも思っていなかっただけに愕然とし、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)した。

だが、その反面、<安岡正篤、何するものぞ! 会ったら一刀両断だ>と、ピント外れの気負いをもったことも事実である。

今回は以上です。

前回同様、今回も引用が長くなりましたが、今回はここを読んで欲しいということで引用いたしました。

今回の伊藤肇ではありませんが若い頃の血気に任せた言動は誰しもが思い当たるものがあるのではないでしょうか。

上記の引用とは全く関係ありませんが、この一文を読んでふと思い出したのはポール・ニザンの「僕は二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。」

と言うもので伊藤肇の「行為する者」「行為せざる者」という視点とは違いますが、ン十年前のまだ若かった当時の私にとって、この言葉を今でも折に触れて思い出すのは、まだ「人生余熱あり」の所為なのでしょうか?

また行動力ということでは上記にあるように高齢でもバートランド・ラッセルは1961年9月12日の反核平和運動デモで夫人ともども拘留されています。


2016年03月09日
魅力と反発
伊藤肇が学生の時に読んだ安岡正篤の「世界の旅」という本を何度も読み返し読み返す度に新鮮な喜びを味わった、としていますが今回はこの続き伊藤肇の『喜怒哀楽の人間学』から紹介いたします。

以下、伊藤肇の『喜怒哀楽の人間学』より

ところが、反復熟読しているうちに妙な現象が起こった。
前に読んだ時には、ひどく心打たれ、のめり込むほどの魅力を感じた章句の一つ一つに、今度はむかっ腹がたってきたのである。

たとえば、こんな調子だった。

「老は『年とる』『老いる』ことに相違ないが、それよりも大切な意味は『なれる』『練れる』ことである。
老酒(らおちゅう)といえば、呑めばピリッときて、すぐに酔いが出るというような酒ではなく、舌にとろりと油のように熟れた味があって、呑むほどに陶然と快くなり、盃を置けば、ほのぼのと醒めるような酒のことである。
『老大人』というのも、興奮しやすく、しょげやすいというようなものではなく、世故に長(た)けて、容易に喜怒も色に表れず、疾言遽色(しつげんきょしょく)せぬ成人を意味する」

とあれば<何を!>と思い「興趣一タビ到ラバ乱酔スベシ。侠情一タビ往カバ狂起スベシ。圭角(けいかく)のない青年など、この世に生きている価値はない。若いくせに妙に老成ぶっている奴は鼻もちならない」

と喚いた。

また「エマーソン<アメリカの詩人>が英国に趣いて、ワーズワース<英・詩人>を訪ね、談たまたまゲーテ<独・詩人、小説家>に及んだ時、ワーズワースはゲーテを罵倒して『あらゆる種類の姦淫私通に充ち、まるで多くの蝿がその辺を飛ぶようで、どうしても第一篇以上は進んで読むに堪えぬ』といった」

という一節にぶつかると、

「何をッ!与謝野晶子の『やわ肌の 熱き血汐に 触れもせで さみしからずや 道を説く君』という短歌があるじゃないか。恋は一切の打算を排した盲目の恋にこそ命がある。
『毒の香 君に焚かせて もろともに 死なばや春のかなしき夕べ』とうたった牧水の境地は永遠に理解できぬだろう」

と反発し、あげくのはては『世界の旅』を床にたたきつけた。
これを何度もやるものだから、当然、装幀はぼろぼろとなり、とじ糸もきれてしまった。

現在、自分自身が単行本を十数冊出す立場となり、出来不出来はあっても、それなりに心血を注いだ本をこんな風に扱われたら、それこそむかっ腹がたって、横っ面の一つも張りとばしてやりたくなるが、そういう師に対する非礼を平然とやってのけたのである。

もともと、「一冊の本」には毒がある。それから悲しみがある。
もし、その毒や悲しみにまで触れるほど、身を入れて読まぬというなら、最初から、その本は読まぬほうがましである。

強い反発を覚えながら、反発させるものが同時に魅力となって、何時しか、生涯の伴侶となるという関係が、生き身の人間関係だけでなく、人間と書物との間にもたしかにある。
いや、むしろ、反発させ、苛立たせ、叱責(しっせき)し、睨(にら)みすえるような迫力をもたぬ本などは、一時(いっとき)、それに溺れることはあっても、年輪のふくらみとともに意外に無縁なものになってしまっている。

まして、その頃は、「人生二十年」と教え込まれ、一、二年後には確実に戦場の露と消えねばならぬ運命を担(にな)わされていただけに精神的にも鬱屈(うっくつ)していたから、一層、反発も激しかった。
ところが、幸か、不幸か、敗戦となり、建国大学は閉鎖されて、日本へ引き揚げた。
『世界の旅』に対する「対立と反発と愛着と畏敬」をそのまま胸中に持ち越してである。


今回は長くなりましたが伊藤肇の若い日のの心情というものを如実に表しているものだけに長いとは思いましたが紹介させていただきました。

与謝野晶子に若山牧水に「人生二十年」そして「一冊の本」には毒があり悲しみがあるとして、反発させるものが魅力となるという件は生身の人間関係そのものの出会いでもあるのではないでしょうか。

私もこの『喜怒哀楽の人間学』に惹かれながらも、ある部分では反発を覚えるものがありますが、そこが、この本を何度も読ませる魅力であるのかも知れません、それにしても今回は伊藤肇劇場ならぬ伊藤肇激情ですね。


2016年03月02日
何度も読み返し得る本
学生時代の伊藤肇が安岡正篤の「世界の旅」という本を読んで、禁断の木の実を齧(かじ)ったような恍惚と戦慄を覚えたという件の続き伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

□ ナポレオンは恐ろしく名誉心が強かった。権力に対して、猛獣のように貪婪(どんらん)であった。
ナポレオンが第一統領から次第に権力を拡大強化して、帝王の位を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていた時、ジョセフィンは女らしい直覚で、それを大変に気づかった。

ジョセフィンは皇后などといわれるより、むしろ、今のままで幸福に暮らしたい。
なまじ、ナポレオンが王位などに即(つ)けば、どんなことが始まるかもしれぬ。

家庭ももはや家庭ではなくなって、殊に自分とナポレオンとの間には子供がいないから、王位継承問題などで早速、どんな悲しい目に遭わぬとも限らない、と終始述懐していたが、一八〇九年十一月、とうとう、ジョセフィンの心配が実際になって、ナポレオンとオーストリア皇帝との通婚の犠牲になった時、彼女は悲嘆のうちにも、「わたしは、かねてこうなることと覚悟していた。あの人は自分の野心のためには人を犠牲にしても構わぬ人だから」といっている。

□ エマーソンはその名著『代表的人物論』の中にプラトンを哲学者、スエーデンボルグを神秘家、モンテーニュを懐疑家、シェークスピアを詩人、ゲーテを文人としているのに対して、ナポレオンを俗人の代表に挙げている。

□ ナポレオンの逸話なり、言行録なり、伝記なりをひもとく幾千百万の読者は何れも皆、その一頁一頁を楽しむ。
それは読者がその頁に自分自身の歴史を学ぶからである。
ただ、どうにもならぬことは、ナポレオンのような世俗的英雄は、いつか民衆から飽かれることである。

「その生涯において、何度も読み返し得る一冊の本を持つ人は幸せである。
さらに数冊を持ち得る人は至福の人である」

イントロでも引用したモンテルラン<仏・作家。代表作に『サンチャゴの聖騎士団長』>の名言だが、筆者は、この『世界の旅』をくり返し、くり返し読んだ。
そして読み返す度毎に新鮮な喜びを味わった。


今回は以上です。

今回、紹介したいところはナポレオンと言うよりも「その生涯において何度も読み返し得る一冊の本を持つ人は幸せである‥‥」という部分で本で私も、この「喜怒哀楽の人間学」を含めて何冊かは何度も読み返しているので内容は分かっているものの読む度に以前に読んだ時とは違ったものを感じます。

新しい本を買っても見出しだけで後はなぜか読む気にならない本がありますが、何度も読んでいるのに読みたくなる本というのは味わい深いものがあると言えるのではないでしょうか。

本屋などで、よく見かけるノウハウ本はタイトルだけを見ても手に取る気はしませんが、本を手に取りながら頁をめくっていくうちに何かピンと来る本との出会いは人生ホントの出会いになるように思います。