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2016年02月24日
『世界の旅』との出会い
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介しています、著者の伊藤肇は陽明学者である安岡正篤の高弟であると任じていますが、その出会いと言うかキッカケは『世界の旅』という一冊の本でした。

「魅力」ということで一冊の本のどこに伊藤肇は惹かれたのでしょうか、今回は一冊の本との出会いを伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

筆者の経験を書いてみたい。
わが師、安岡正篤との出会いは『世界の旅』という一冊の本であった。
旧満州国立建国大学の学生時代で、日曜の外出に本屋へ立寄り、何気なく手にとった本だったが、寮の自習室でそれを開いた時の驚愕と喜びは今でも、そのまま甦(よみがえ)ってくる。

「驚愕」というのは、あの日独伊枢軸同盟のナチス全盛時代に痛烈にヒトラーやムッソリーニを批判していることだった。
何しろ、学内にまで憲兵が入ってきた時代だけに禁断の木の実を齧(かじ)ったような恍惚と戦慄を覚えた。
たとえば、こんな箇所である。

□ ヒトラーが久しく提唱してきた「一民族、一国家、一総統」主義は彼自らの手によって破棄され、チェック民族を併合した。彼はチェック民族とゲルマン民族との不可分の関係を論じているが、それは弁解であって、彼が従来の主義を破ったことは、何としても否(いな)めない。
このため、周辺の小国は俄然、色めきたち、英仏は極度に緊張し、欧州大乱は決定的となった。
これはヒトラーのために上策ではなかった。

□ 精神分析の大家、ウィルヘルム・ステケルは「ムッソリーニの権勢欲と歴史的人物たらんとする欲望は、父に対する愛と憎しみとの双極的性癖からでている」と説いている。
そういう性癖を心配した母は宗教学校に入れたが、喧嘩ばかりしていて、「お前の魂は地獄のようにまっ黒だ。懺悔(ざんげ)せよ。でないと追放する」と終始、教師から叱責された。

後年、彼は「俺の生涯で、誰が俺にやさしくしてくれた者があったろうか。誰もいはしない。家は目もあてられぬほど貧しく、俺の生活は惨苦だった。どこで俺はやさしさを覚えたか。学校でも、世の中でも覚えはしなかった。俺がむっつり淋しく、きつくて烈しいのは当然だ」と人に述懐したそうである。

こういう厳しい時局批判や人物論の奔流の合間、合間に、それこそ微風が竪琴(たてごと)に戯れるような一節がひょいと出てくる。
それが身にしみて「読書の喜び」を覚えさせた。

□ 昔からスイスは文人や亡命客が集まる処だが、いかにも魂をいやすにはよい処である。
ジュネーブにはルソーが生まれ、カルヴィンやファーレルやヴォルテールも住んでいた。
まだローザンヌにはヴォルテールやディッケンズも滞在したし、ギボンは、その名著『ローマ帝国興亡史』の一部をここで書いた。

そういう追想は限りないが、私には、どうもアミエルが一番、スイス的に偲(しの)ばれる。
私は毎夜、就寝前に携えていた『アミエルの日記』を所かまわず散見して、清くやすらかな眠りについた。

いわく「人生の重要な問題になると、われわれは孤独である。そして、われわれの真の歴史は、ほとんど他人には解釈できるものではない。戯曲の重要な部分は独白である。というよりも、彼とわれわれの良心とわれわれ自身との親しい討議である」

いわく「何が、人の特性を最もよく表すかというと、愚かものに対して執(と)る態度が一番である」

いわく「怨(うらみ)は外にあらわれることを怖れる怒である。それは自己の無力を意識している無力の怒である」

というような肝に銘ずる言葉が、いつまでも後に残るのである。

今回は以上です。

『世界の旅』という本は安岡正篤が昭和13年に欧米への旅に出た旅日記ですが昭和13年(1938年)でヨーロッパにおいてはヒトラー全盛の時でミュンヘン会談とその後のミュンヘン協定によりチェコのズデーテン地方はドイツに割譲されています。

伊藤肇は大正15年生まれですので、ちょうど多感な青年時代に、この『世界の旅』という本に出会っているだけに上記にあるように「禁断の木の実を齧(かじ)ったような恍惚と戦慄を覚えた」というところが若さの特権というものでしょうね。

禁断の実を齧ったような恍惚と戦慄、とまではいきませんが私が若い時に興味を覚えた本は「アラビアのロレンス」でした。
それにしても、今更ながら若さっていいですね。


2016年02月18日
三日接すれば三日の愛生ず
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より、人間的「魅力」ということで第一等の資質とされる「深沈厚重」(しんちんこうじゅう)について、前回の続きです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

「深沈厚重」の魅力とは、いったい、どんな魅力か。

いうなれば深い沼のような魅力である。
その前に立つと、ぐいとひき込まれそうな魅力である。無為にして化する魅力である。

西南の役に敗れた西郷は、軍を解散し豊前中津の若い士族六十四人にも帰郷をすすめた。
もちろん、隊員一同は帰ることに異存はなかったが、隊長の増田栄太郎だけはただ一人、「踏みとどまる」ことを表明した。

当然、隊員たちは口々に「なぜ君だけは帰らぬのか。われわれは生死を共にすることで郷土を後にしてきた。
それなのに君だけが踏みとどまるというのは約束を破ることになる」とつめよると、増田ははらはらと落涙して「君たちは隊員だったから西郷という人を知らない。自分はたまたま体長役を引き受けたために、この一軍の軍議にも出た。西郷という人にも接することができた。あの人に接してしまえば、もはやどうにもならないのだ」といい、西郷の魅力について永く中津に語りつたえられた次のような言葉を吐いた。

「かの人はまことに妙である。<西郷さんという人は、まことに不思議な人じゃ>。
一日、かの人に接すれば、一日の愛生ず。三日、かの人に接すれば三日の愛生ず。しかれども予は接するの日を重ね、今や去るべくもあらず。この上は善悪を超越して、かの人と生死を共にするほかはない」

司馬遼太郎は『翔ぶが如く』の中で、この言葉を解説して「増田栄太郎という若者は、西郷の弁舌に打たれたわけでもなく、西郷の文章を多く読んだわけでもなかった。かれは西郷にじかに接しただけのことであり。それでもって骨の髄まで染まるほどに西郷の全体を感じてしまったのである」と感激のペンを走らせている。

呂新吾は「安重深沈なるは、是れ、第一等の資質にして、天下の大難を定むる者はこの人なり。天下の大事を弁ずるはこの人なり」といい、別項では、第一等の大臣として、「寛厚深沈。遠識兼照。福を無形に蔵し、禍を未然に消し、智名勇功なくして、天下、陰にその賜を受く」と規定している。

私心や作意というものが全くない、あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないのと同じように、何とはなしに人々を幸福にし、禍はいまだ来たらざるうちに消してしまう。
といって、すごく頭が切れるとか、勇気のある人だとかの評判や華々しい手柄をたてたというようなこともなく、知らず、識らずのうちに人民がそのおかげを受ける。
とにかく、いるのか、いないのか、わからぬような存在でいながら、人民に無事太平を楽しませている。

たしかにこれならば最高の魅力であろう。

今回は以上です。

「深沈厚重」という言葉を具体的に体現している人物となると、相応しい人物として、やはり西郷隆盛ですね。
それも西郷隆盛というよりも「西郷さん」という言い方が一般的にも馴染んでいるところに西郷さんならではの魅力と言えるのかも知れませんね。

その西郷さんの魅力が増田栄太郎をして「一日、かの人に接すれば、一日の愛生ず。三日、かの人に接すれば三日の愛生ず‥‥」と言わしめたものと思います。

また私の記憶にかすかに残っていることですが学校の講堂に「敬天愛人」という額が掲げられていて当時は「けいてんあいじん」って何だろうくらいにしか分かりませんでした、しかし、その後かなり経ってから「西郷さん」が好んだ言葉であることを知った次第です。

「敬天愛人」天を敬い人を愛する、「人は天命というものを天から与えられ、それに従い生きているのである」天命に生きる、という生き方が人を惹きつけてやまないものが「深沈厚重の魅力」というものではないでしょうか。


2016年02月10日
人間的魅力
魅力的という言葉はよく聞きますが、では魅力とは、と改まって聞かれると分かっている様でなかなか説明し難いものですが今回は、そんな魅力についてのお話を伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より紹介いたします。

前回の上に立つ者は魅力がなくてはならない。
魅力がなければ人はついてこないし、人がついてこなければ仕事はやれない。その魅力の基本が「修己治人」である。
という続きになります。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

阪急電鉄相談役の清水雅が「一人の力で事業が成功することは絶対にない。一人の力が他人の協力を得たとき、はじめて事業は成功する。そして、協力を得られるのは、鋭さではなくて人格の力である」

といいきり、ドラッカーも「経営者がなさねばならぬ仕事は学ぶことができる。しかし、経営者が学び得ないが、どうしても身につけていなければならない資格が一つある。それは天才的な才能ではなくて、実にその人の品性である」

と断言している。

しかし、「魅力とは何か」と開き直ってみると、「いわく、いい難し」と答えるほかはない。
だが、「魅力がある」ということも厳然たる事実だし、「魅力がない」ということも厳然たる事実である。
しかも、その魅力はつけ焼刃(やきば)では絶対につかないことも厳然たる事実である。

ところが、この難しい「魅力」を明快に分析した学者がいる。
明末の碩学、呂新吾(ろしんご)で、その著『呻吟語』で次のように述べている。

深沈厚重(しんちんこうじゅう)ナルハ是レ第一等ノ資質。
磊落豪雄(らいらくごうゆう)ナルハ是レ第二等ノ資質。
聰明才弁(そうめいさいべん)ナルハ是レ第三等ノ資質。

今回は以上です。

人間的魅力と言われると確かに難しいもので答えに窮してしまいますが、人格、品性といい深沈厚重の魅力とは、まさに字のイメージそのもののような感じですが具体的な人物像については次回ということにして今回は人間的魅力って何だろうか、と考えていただければ幸いです。


2016年02月03日
修己治人
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」も出処進退の人間学から周己治人の人間学を今回から紹介していきます。
「人を見る明」ということで、人品骨柄、応待辞令、出処進退という三つを見てきましたが今回は四つ目になります。
それでは早速紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

「人を見る明」の第四のメルクマールは「修己治人」である。「己を修め、人を治める」と訓(よ)む。

論語に出てくる例のやんちゃな弟子、子路が、君子たるの資格について孔子に質問している。

子路、君子ヲ問ウ。
子曰ク「己ヲ修ムルニ敬(つつしみ)ヲ以テセヨ」

自己の道徳的完成、それが君子たるものの第一の資格である。
しかし、子路は無遠慮に反問する。

斯(か)クノ如キノミカ<たったそれだけのことですか>。

すると、孔子が答える。

己ヲ修(おさ)メテ以テ人ヲ安(やす)ンズ。

「人」とは自分に近い範囲の人間、つまり家族隣人である。修養して、徳を身につけて、周囲の人に信頼されることだ。

だが、子路は満足しない。

「斯(か)クノ如キノミカ」と、も一度、反問する。

これに対して、孔子の答は峻烈である。

「己ヲ修メテ以テ百姓(ひゃくせい)ヲ安ンズルハ、堯舜スラ猶(なお)、諸(これ)ニ病(なや)ミシモノヲ」

「百姓」(ひゃくせい)とは「農民」の意味ではない。すべての人民である。つまり、為政者として、すべての人民を安定させる。それが君子すなわち、すぐれた人間の究極の任務である。そして、それは堯舜のようなすぐれた為政者でも困難なことであった、とつけ加えている。

また、孔子は「鳥獣ハ与(とも)ニ群ヲ同ジクスベカラズ。吾(われ)、斯(こ)ノ人ノ徳ト与(とも)ニスルニ非ズシテ、誰ト与ニセン」と教えている。

人間の愛情は人間の相手をもつことによってこそ成立する。
その意味では、できるだけ多くの相手に愛情をふりそそぐ方法として、政治はたしかに有力な方法である。

上に立つ者は魅力がなくてはならない。魅力がなければ人はついてこないし、人がついてこなければ仕事はやれない。
その魅力の基本が「修己治人」である。

今回は以上です。

「修己治人」とは、「己を修めて人を治める」には人間的魅力がなければならない、というように私は感じましたが皆さんは如何でしたでしょうか。
それにしても子路という弟子の師に「斯(か)クノ如キノミカ」と食らいついていくところがいいですね、これくらいでなければ物事を究めることができないものなのでしょうね。



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