広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
<< 2016年01月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ゼットキ
人物論 (03/25)
小町
人物論 (03/24)
ゼットキ
何度も読み返し得る本 (03/05)
yume
何度も読み返し得る本 (03/05)
ゼットキ
爵禄は得易く、名節は保ち難し (11/21)
プロフィール

ゼットキ
特になし
http://fanblogs.jp/nnnanikore/index1_0.rdf

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2016年01月27日
細川ガラシャ
出処進退の人間学ということで伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より、その箴言の数々を紹介して来ましたが今回は究極の「退」についてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

名声への野望は賢者にとって断念すべき最後のものである。
                                フヴリウス・ヌキトウス<古代ローマの歴史家>

〈いかなる名僧といえども、最後の最後まで残るのは尊敬されたいという気持ちである。
まして、一般の凡人は老年になると一段と欲が深くなる。特に名声と富のある者はそれを失うまいと焦る。
だが、どんなに焦っても、いつか容赦なくやってくる死によって零(ぜろ)となる。
これだけ明瞭にわかっているにもかかわらず、多くの人々が死の直前まで焦慮と欲望の虜となってあがくのである〉


散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花は花なれ 人も人なれ
                                              細川ガラシャ夫人の辞世

〈たとえ万斛(ばんこく)の涙をのんでも散る時には散らねばならない。
散るというほど深刻ではなくても、「去るべき時」に去らぬと、再びうかびあがるのは難しくなる。
時には清水の舞台から飛び降りるつもりでそのポストを去らねばならぬこともあろう。
だが、身を捨ててこそ次のチャンスに浮かぶ瀬も到来しようというものである〉

今回は以上です。

今回も〈〜〉は伊藤肇の解説ですが最初の部分は伊藤肇らしく言葉に切れ味というものを感じさせますが細川ガラシャ夫人の辞世については、その辞世の句の前にたじろいでいるように感じるのは私だけでしょうか。
明智光秀の娘「珠」として生まれ16歳で細川忠興に嫁ぎ、その後の「本能寺の変」そして、この辞世の時は37歳の生涯でした。

この辞世の前には言葉がありません。
ただ、圧倒されるばかりです。


2016年01月21日
出処進退の箴言 安岡正篤、江戸英雄
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より出処進退についての箴言を紹介していますが、今回は前回とは視点を変えた「退」ということを紹介していきます。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

志ある者は「進」を己に求むべきで人に求めてはならない。その道を己に求むということは道業学術の精に外ならず、「進」を人に求むとは富貴利達の栄にすぎぬ。
富貴利達は結局、わが外にある問題で、自ら求めて、必ずしも得られるかどうかわからぬことであるが、道業学術は自分に内在するものであり、自分が啓発せねばならぬものである。
                                          安岡正篤〈全国師友協会々長〉

<近ごろの経営者は、ただひたすらに「進む」ことに狃(な)れ、一旦、「退く」と、ぼんやりしてしまって何もできない。
それは自分に内在するものがないからである。
地位だの、名誉だのというものは偶然にくるものだ、と古人も説いているが、道業学術に懸命に励んでいるうちに結果として地位や名誉に恵まれるという意味である。
地位や名誉は結果であって目的ではないのだ>


池田成彬(しげあき)さん〈三井財閥の大長老〉が最後にやられた仕事は「重役の停年制」です。
昭和十一年五月のことでした。
それまで三井直系会社には役員に停年がなく、相当な長老連が各社に君臨していました。
それらの老人たちは三井各社の「生みの親」であり、「育ての親」なので、いつもその中心に頑張っておられたが、池田さんが「会長、社長は六十五歳。重役は六十歳」という停年制を断行されて、きれいさっぱり大掃除してしまわれた。
そして、私が何より打たれたのは、自分で作られた停年制に従って、自らもおやめになったことです。
                                           江戸英雄〈三井不動産会長〉

<日本楽器会長の川上源一は六十五歳で引退を決意した。
理由は「父が六十四歳で倒れたことにもよるが、それよりも、年とともに老化現象がでてきて、具体的に細かい仕事の中身までチェックする根気が薄らいで、大ざっぱなことしかやれなくなったことである。
そこで、何でもおいしく食べられ、酒もある程度のめ、ゴルフにいっても、まだ体が動き、肉体的条件が人生を楽しませてくれるのは七十歳までと一応決めた。
そういう体力残っている間に人生の最後の休暇をあと五年間いただこうということだ。
それから先、まだ体が丈夫だったら、もうけものである」
ということだった。
事実、人は老いてくれば、老に従った仕事をすべきである。
境遇も地位も変化するであろうし、老いてなお、壮年の真似をして欲望をもつのは愚というべきである。

ところが、P・Fドラッカーはもっと痛烈な指摘をしている。
「停年の必要は実際のところ、年老いたということではない。主な理由は『若者たちに道をあけなければならない』ということである。
でなければ若者たちは就職もしなければ定着もしない」>

今回は以上です。

安岡正篤師は陽明学者であり、戦後の政財界に大きな影響力があった人で伊藤肇は、その高弟といわれていましたので<〜>の解説が明解そのものですね。

また、停年制について、ドラッカーの言葉を引用した『若者たちに道をあけなければならない』という当に痛烈な指摘ですが、江戸英雄氏が語る池田成彬さんの停年制の断行は団琢磨氏が凶弾に倒れた後の三井財閥改革を推進していくための覚悟を決めた出処進退だったでしょうね。


2016年01月13日
出処進退の箴言 「退」
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より出処進退に関する箴言の数々を紹介しています、今回は人生表舞台からの「退」に関する箴言ですが伊藤肇の解説も併せて味わっていただければと思います。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

『新平家物語』を完結し、子供たちの成長をみとどけたら、路地裏へひっこむね。そして、妻と二人で植木鉢に水をやったりして暮らすよ。それを考えると、今から心がうきうきしてくる。
                                                  吉川英治<作家>


<兵法家として功成り名を遂げた孫氏が田舎にひっこんで余生を楽しんでいたとき、帝王の使者がきて、再度の出馬を乞うたが、孫氏は、かぶりをふりながらことわった。

「人の世のふれあいには微妙なものがあります。ある時期には大いに有用であり、大いに役にたつ人物でも、その時期がすぎて次の時期にうつれば、もう用をなさないのです。まあ、たとえて申せば、四季の衣服みたいなものでしょう。
春に春衣、夏に葛衣(かつい)、秋には秋衣、冬には裘(かわごろも)と、この季節、季節にはそれがなくては用をなしません。
いかに高価で美しくても、夏の裘は困ります。どんなにうすく涼しげでも冬の葛衣(かつい)は用にたちません。
ところが、四季は年々歳々確実にめぐってきますが、人の世は循環しません。
今の私は世間を忘れたいし、世間からも忘れられたいのです。
これからも、人間として生まれた以上、命のある限りは生きていかねばなりませんが、私の心境としては、できるだけ世間との接触を小さくして、自らの生をつなぐだけの接触に限りたいと思っているのです」>


実際、老人になって、わがまま一ついえぬようになったら、もうおしまいだ。老人になっても、わがままがいえ、わがままが通る間こそ花であって、それができなくなったら、一刻も早く出しゃばりをやめるべきだし、その地位もさっさとひきさがるがよろしい。
つまり、わがままこそが老人としての有用無用をたしかめるバロメーターみたいなもので、わがままをどうしてもひっ込めねばならなくなったら、いさぎよく自分自身もひっこめねばならぬ。万一、ここで下手にまごつくと、せっかくの偉物(えらぶつ)と見られていた人物でも、「老いては駑馬(どば)に劣る」などと悪口をいわれることになる。
                                            石坂泰三<元経団連会長>


<すでに亡いが、世紀のダム「黒四」を完成した前関西電力会長の太田垣士郎は主治医から「脳軟化(のうなんか)の気(け)がある」と告げられた翌日、一切の公職から徐々に身を引いていった。

人間は正常な時だって、時々、間違った判断をして後悔に臍(ほぞ)をかむこと度々(たびたび)である。まして、いささかでも脳軟化の気(け)があるとあっては、どんな失敗をやらかすかしれたものではない。
脳軟化の悲喜劇は自らが脳軟化であるかわからなくなることだ。太田垣はそれを心得ていて、見事な「退」を演じたのである>


今回は以上です。

<〜>の部分は伊藤肇の解説によるものですが孫氏の兵法で有名な孫氏が再度の出馬を断る時の四季の衣服の喩えがいいですね、四季はめぐって来ますが人の世は循環しないと改めて気付かされました。

進退と言うと「進」の方に目を向けがちですが人の世の「退」、なかなか出来ることではないだけに伊藤肇の解説一字一句が味わい深く感じられます。

2016年01月07日
酔古堂剣掃、菜根譚、十八史略
今年は元旦に伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より私の好きなこの本の冒頭部分を今一度紹介しましたが、今回は去年12月30日の続きで「出処進退」に関する箴酔古堂剣掃、菜根譚、十八史略言を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

富貴の家、常に窮親戚の来往するあらば、便(すなわ)ち、是れ忠厚。
                                             陸紹珩 『酔古堂剣掃』

<銭を愛する者は、他人を愛し得ないが、自分の妻子は溺愛するものだ。しかし、地位に執着し、名誉を愛する者は親戚や家族までも犠牲にする場合がある。つまり、自分の地位や名誉のためには親戚の窮状も見殺しにし、家族の失敗や過失も、親身になって、その面倒をみない。深くタッチしすぎて、自分の地位や名誉が傷つくことを恐れるからだ。

出世コースを順風満帆でつっ走った男が、思わぬ奴につき合ったためにつまづいて失脚した。
その男がいつもいっていたのは「僕は出世のさまたげになるような女とは、心がけて結婚までつきあ合わなかったから、商売女の味しかしらない」ということだった。

こんな心がけでは本当の商売女の味もわかるものではない。一段高いところから、自己保身を第一として、商売女を見おろすような男にホステスだって、芸者衆だって惚れるわけがない。
こういう手合にかぎって、名もなき親戚とつきあうことを嫌うくせに女房の親戚にでも名のある人がいると、しきりにその人のことを話題にのぼせる>


事を謝するは當(まさ)に正盛の時に謝すべし。
身を居(お)くは宜(よろ)しく独後の地に居(お)くべし。
                                            洪自誠 『菜根譚』

<隠居するなら惜しまれるうちに。隠居の身を置くなら、他人の邪魔にならぬところへ>


四時の序(じょ)、功を成す者は去る。
                                            曾先之 『十八史略』

<友人の范睢(はんしょ)が出処進退に思い悩んでいたのをみて、蔡沢(さいたく)いった言葉。

「春は万物を芽ぐませて去り、夏はこれを成長させて去り、秋はこれを成熟させて去り、冬はこれを収蔵して去る。
春夏秋冬、おのおの、その功を成しとげると、順序よく移りかわっていく。
同様に人間も功をなしとげたら、潔く去って、次の者にバトンタッチすべきである」

范睢(はんしょ)は豁然(かつぜん)として悟り、病と称して、宰相の地位を降り、蔡沢(さいたく)を後任に推した>

今回は以上です。

<〜>は解説ですが、『酔古堂剣掃』の部分では伊藤肇の筆致が冴え渡っていますが、確かにこういうタイプの人っているもので特にエリートコースを歩んで来た人の中で常に周りが用意してくれていることが当たり前という感覚の人がいますね。

また、『菜根譚』の解説もそうですが『十八史略』の出処進退と春夏秋冬のたとえ話は当に箴言の箴言たる所以と言ったところでしょうか、今回の箴言と解説が何かの参考になれば幸いです。


2016年01月01日
平成二十八年 元旦
新年あけましておめでとうございます。
旧年中はこの「ん、何コレ」にお越しいただき誠にありがとうございました。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

一昨年から、このブログで伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介していますが私自身この「喜怒哀楽の人間学」という本が好きで、これまでに何回も読み返しています、この本を買った当時は冒頭部分の書き出しを読んで何かピンと来るものを感じましたが今でもこの部分を読むと琴線に触れるものがあります。

今日は新年元旦ということで、この冒頭の書き出し部分を改めて紹介し伊藤肇ワールドの世界に浸っていただければ幸いです。

以下、伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」より

全国地方銀行協会でやった講演を『経営者をささえる一言』という非売品の単行本にまとめた時、週刊現代の特集にとりあげられ、その中で一読者が「『将来、いかなる仕事をしているか、という自分を心に描くと、ぞくぞくするような戦慄(せんりつ)が体を走りぬける。そういう時間を度々もつことが大切である』という話に感銘を受けましたネ。
ありきたりの精神訓話と違って、これで私の人生が変わるかもしれないという期待をもちました」と感想を述べていた。

文章は活字になると同時に筆者の手を離れて、読む側の人生経験や教養の度合、流した涙の量などによって、深くもなったり、浅くもなったりする。
しかしながら、筆者にとっては<ここをこう読んでもらいたい>という箇所が三つや四つは必ずある。
そこのところを的確に汲みとってもらえた時は「人生、一知己を得れば、以て恨無かるべし」というような心境になるし、全く無視された時には索漠(さくばく)たる気持ちになる。

それだけに「人生が変わるかもしれない」という一言は、たとい、「命がけのお世辞」であっても、非常に嬉しかった。

学問は人間をかえる。
また、人間をかえるような学問でなければ、本当の学問ではない。
そして、その人間とは他人のことでなく自分のことである。
他人をかえようと思ったら、まず自分をかえることである。

以上です。

この「文章は活字になると同時に筆者の手を離れて、読む側の人生経験や教養の度合、流した涙の量などによって、深くもなったり、浅くもなったりする」という一節が好きで何度読んでも味わい深いものがありますが如何でしたでしょうか。
この読者の「人生が変わるかもしれない」という言葉が印象的ですね。



×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。