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2015年12月30日
バートランド・ラッセル、三木清、レイモンド・チャンドラー
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介して早いもので今日は12月30日となり年内最終更新で今回の箴言が新たな年を迎えるにあたって何らかの参考になれば幸いです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

成功は幸福の中の一つの要素にはなり得る。しかし、もし、他のあらゆる要素が成功を獲得するために犠牲にされたとしたら、成功の値(あたい)はあまりにも高価すぎる。

                                            バートランド・ラッセル『幸福論』

<世の中には成功のほかに人生の目的はない、と思っているようなのがいる。特にエリート・コースを驀進(ばくしん)してきた人間には、この観念が強い。
だから、そういう人間が社長の地位につくと、その地位に執着しすぎて、その地位から去ることは、もう幸福がそれでおしまいになってしまうような錯覚に襲われて、必死にその地位にしがみつき、老醜をさらすことになる>

一種のスポーツとして成功を追求する者は健全である。

                                                 三木清『人生論ノート』

<成功を追求しすぎると、個人主義になり、自己顕示欲の強い男となり、非情な男となる。というのは、成功というものは、そのような素因の上に成立しているからである。このため、成功の追求にのみうき身をやつしている男は、ある意味において病的である。
しかし、一種のスポーツ的な気分で、勝つことを目標に成功を追求している者は、そういう病的なものはない。そこにはスポーツマン的な明朗さがあり、たとい敗れても、そこには陰湿なジェラシーみたいなものは存在しない>


タフでなければ生きて行けない。
やさしくなければ生きている資格はない

                                                レイモンド・チャンドラー

<「プレイバック」の主人公、フィリップ・マーローは、食うか食われるかの厳しい暗黒面をかいくぐって生きているロスの私立探偵である。そのマーローが一夜、ふと女を抱き、その女との別れぎわにたずねられる。

「あなたみたいなタフな男が、どうして、こんなにやさしくなれるの?」

これに対するマーローの答えであった。

人生は時に非情に徹するタフさがなければ生きていけない。しかし、タフに生きぬくために「情」とか「慈悲」とかいう人間のデリカシーを犠牲にしてはいけない。もともとと、人生とは未解決の問題を背負って生きぬいてゆくことだが、この二律背反をいかにこなすかが、大事なところである。

東京電力社長の平岩外四の最も好きな言葉で、「これを東洋学では『小事は情をもって処し、大事は意をもって決す』ということになりますか」と解説している>

今回は以上です。

今回の箴言、如何でしたでしょうか、人生、成功そして生き方ということをふと、この一年から振り返ってみるには今日から明日の大晦日にかけて丁度よいタイミングでは、と思わないでもありません。
それにしても、これらの言葉の奥の深さを改めて感じさせられます。


来年は元旦のご挨拶ということで更新する予定にしています。
この一年このブログにお出でいただき、ありがとうございました、来年もよろしくお願い申し上げます。
皆さまには、よいお年をお迎えください。


2015年12月24日
行動をささえた箴言
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より出処進退ということで今回は「出処進退」に関する箴言を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

「出処進退」に関する箴言を書いておきたい。
自分が迷った時、ここを開けば、事に臨んで明確なる裁断をたすける何かがあるはずである。

英傑、大事に当りては固(もと)より禍福生死を忘る。而(しこう)して、事、適々(たまたま)成れば、則(すなわ)ち亦或(またあるい)は禍福生死に惑う。学問精熟(せいじゅく)の君子に至(いた)りては則ち一(いつ)なり。
                                 大塩平八郎『洗心洞箚記(せんしんどうさつき)』

<英雄豪傑というものは、非凡な気迫や力量や才能をもって天下の功業を争うものだが、多くは時の勢や客気にまかせて、深く心を練るというようなことをしない。

このため、何か、事に当って、自分の全知全能を傾け、全く、余念の生ずる余地がない時はいいが、ひとたび、問題が片づき、ふと心の弛(ゆるみ)が生じた時、事、志と違って「禍福生死に惑い」だすと、自ら関するところが大きいだけに混乱も大きく、下手をすれば命とりとなる。

これを防止するためには、英傑たる者は功名富貴を目的とせず、「学問精熟」を旨とし、英傑自らが君子になるか、あるいは君子を師とするかの何れかでなければならない>


雲―大事を做(な)し出すもの、必ず跡あるべからず。跡あるときは禍、必ず生ず。跡なき工夫如何(くふういかん)。
功名を喜ぶの心なくして做(な)し得べし。

水―是(これ)も亦是(またぜ)なり。功名を喜ぶの心なきは学問の工夫(くふう)を積まざれば出まじ。
周公の事業さへ男児分涯(だんじぶんがい)のことをする程の量にて、始めて跡なきようにやるべし。然(しか)らざれば、跡なき工夫、黄老清浄(こうろうせいじょう)の道の如くなりて、真の道とはなるまじ。細思商量。
                                                 
                                                 松浦静山『甲子夜話』

<雲―跡とは、何かを行った後に残るしるしである。大事をなす時は、そういう形跡があってはならない。
跡があると、必ず、禍が生ずる。ではどうするか。功名を喜ぶ心を捨てきって、無心でやった時、はじめて出来ることかもしれませんネ。

水―お説の通りです。これはよほど学問を積まなければできないことです。
千年王国といわれた周の建国という大偉業をなした周公旦の事蹟も男一匹の仕事をする程の度量があって、はじめて跡のないようにやれましょう。
そうでなければ、いわゆる「黄老―老子―清浄の道」で一種のニヒリズムに堕してしまって真の道とはなりません。
この点、こまかに思索し検討されたい>

今回は以上です。

今回の大塩平八郎の『洗心洞箚記(せんしんどうさつき)』の引用部分の解説が<英雄豪傑と〜何れかでなければならない>までで、松浦静山の『甲子夜話』の引用部分は雲―、水―ですが、解説を読んでも何かよく分からないところがありますね。

大塩平八郎は大坂町奉行元与力で陽明学者でもあり天保の大飢饉に民衆の救済のために起こした「大塩平八郎の乱」はご存知でしょうが松浦静山は平戸藩第九代藩主でよく知られているのはプロ野球元監督の野村克也氏が好んで引用した「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉を聞かれたことがあるのではないでしょうか。
これは大名ながら心形刀流剣術の達人であった松浦清(静山)の「剣談」によるものです。

松浦静山は大塩平八郎の乱については『甲子夜話三篇』で大塩の乱について盛んに情報収集した結果がまとめられています、また静山自身は朱子学を奉じており、民を救うために乱を起こした陽明学者大塩平八郎の行動を是としませんでした。

伊藤肇が大塩平八郎と松浦静山をして語らしめた箴言、自分が迷った時、ここを開けば、いう件は何となく分かるような気がして来ました。
それにしても今回は難しいですね。


                                      

2015年12月17日
奔競の人
1978(昭和53)年に出版された伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介しています。
出処進退の人間学ということで前回は『宋名臣言行録』より「人ヲ挙グルニ須(すべから)ク退ヲ好ム者ヲ挙グルベシとして奔競の者ヲ挙グルコトナカレ‥‥」ということを紹介しましたが、今回は奔競の人についてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

まっさきに頭にうかぶのは自民党政調会長の中曽根康弘である。
中曽根がかって経団連会長の石坂泰三を訪ねたことがある。
もちろん、例によって大風呂敷をひろげた。
石坂はフンフンといいながらきいていたが、中曽根に喋るだけ喋らせると、とぼけた面でこういった。

「中曽根クン。君は龍の絵をしっているかネ。龍にはいつも雲が描き添えられているだろう。
それは、雲を描かずして龍の躍動をうきぼりにすることはできないからだ。
したがって、雲は龍におけるベールであり、ペースであって、これを離れて龍の面目はあらわれ得ないのだ。

人間も龍と同じで、自分のペース、自分の雲に隠れきって、時々、雲間から、ほんのちょっぴり、角をみせ、顋(あぎと)をちらつかせ、胴体の片鱗をあらわすにとどめ、そこから抜けださぬのが一番の韜晦術(とうかいじゅつ)というものだ。
それなのに君は、龍がふんどしまではずした格好で、余計なむき出しかた、余計な暴れかたをしたがる。
ほんとうにバカげたことだよ」

さすがに自信過剰の中曽根も一言もなく退散した。
「言語明晰、頭脳不明晰」な男の長広舌にうんざりした石坂がピリッとわさびをきかせたのである。

もっとも中曽根は、このやりとりがよほど骨身にこたえたのか、毎日新聞の「ひと」欄<52・11・28>でインタビュアーから「あなたの欠点はどう?」ときかれて「ライトを浴びていたい、という気持ちが強すぎることでしょう」
と答えている。

六十歳をすぎて、多少は自分の致命的欠陥がわかってきたのかもしれない。

今回は以上です。

奔競の人とは、朱子によれば<スタンドプレイをやって猛烈に競争する者>ということで前回に触れていますが、ここでは、中曽根康弘自民党政調会長(当時)がまっさきに頭にうかぶとされています、ただ当時、中曽根康弘氏は自民党総裁選挙に初出馬していますので、そういういう意味では猛烈に競争するのはある意味当然なのかもしれませんね。

因みに1978(昭和53)年に自民党総裁選に初出馬し1982(昭和57)年に内閣総理大臣に就任しています。

それにしても「乃公出でずんば天下の創生を如何にせん」という気概が今の時代こそ必要なような気がするのは私だけでしょうか。


2015年12月09日
退を好む者を挙ぐべし
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より出処進退の人間学として中山素平氏が興銀頭取を辞めた時の記者会見時の言葉から「退」を好む者、とは、です。

「わたしは年齢も六十一歳となりました。頭取業を足かけ七年やり、後継者はしぶりにしぶっていた正宗猪早夫(まさむねいさお)を二年ごしに口説きつづけて、やっとOKをとりましたので、これを機会に引退することにしました」

今回は「退」を好む者を挙ぐべし、についてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

第三の「いやがる正宗を二年ごしに口説いた」という台詞である。

中山と親しい経団連会長の土光敏夫は「社長というのは大変な役目だ。それを知ってか、知らずにか、『社長になりたい』などとぬかす奴の気がしれない。なりたくて仕様がない奴を社長にするものだから、いつも、あとでゴタゴタが起きる」といっているが、たしかにその通りだ。
ただし、現実の世界では、なかなか、土光のいう通りにはいかない。理想論だときめつける向もある。

ところが、朱子が編纂した帝王学の本『宋名臣言行録』の中でも「人ヲ挙グルニハ須(すべから)ク退ヲ好ム者ヲ挙グベシ」と明快に原則を規定しているし、実際に中山が、いやがる正宗を頭取に据えているのだ。

さらにこの原則に対する朱子のコメントがある。

「退ヲ好ム者ハ廉謹<いさぎよく慎み深い>ニシテ恥ヲ知ル、モシ、之ヲ挙ゲナバ、志節イヨイヨ堅クシテ敗事アルコト少ナカラム。
奔競ノ者<スタンドプレイをやって猛烈に競争する者>ヲ挙グルコトナカレ。奔競ノ者ハ能(よ)ク曲(ま)ゲテ´諂媚(てんぴ)<へつらい>ヲコトトシ、人ノ己ヲ知ランコトヲ求ム。

モシ、コレヲ挙グレバ、必ズ、能(よ)ク才ニ矜(ほこ)リ、利ヲ好ミ、累(わずらい)、挙官<その人物を推せんした官>ニマデ及ブコトモトヨリ少ナカラザラン。
ソノ人スデニ奔競ヲ解スレバ、マタ何ゾ挙グルヲ用イン」

奔競の人間とわかっていたなら、絶対にこれを抜擢してはならない、と戒めているわけだが、では「奔競の人」とは、どんな人物か。


今回はここまでといたします。

「退」ヲ好む者ということで『宋名臣言行録』という本が取り上げられていますが、土光敏夫氏の「なりたくて仕様がない奴を社長にするものだから、いつも、あとでゴタゴタが起きる」という言葉は私にも分かりますし、確かにそういうことも経験しただけに、「なりたくて仕様がない奴」という表現がいいですね。

因みに『宋名臣言行録』とは北宋の名臣97人の言行録を朱子が編纂したもので為政者の必読書といわれています。


2015年12月02日
トップ業「三期六年」の意味
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介しています、出処進退ということで中山素平氏が興銀頭取を退いた時の「足かけ七年」という台詞を前回に続き紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

第二の「頭取業を足かけ七年やりました」という台詞である。
相当に線がふとく、豪放磊落の男でも、社長になりたての一期二年間は死にものぐるいの努力を重ねる。
文字通り、昼間はもちろん、夜寝ている時も経営のことを考えるのだ。

旭化成工業の宮崎輝がよくいう。
「ボクは副社長の時も、旭化成のことを真剣に考えつづけた。そして、考えながら、ベッドへもぐり込んだものだが、枕に頭をのせると同時に深い眠りに落ち込んだ。

ところがどうだ、社長になって、同じように社のことを考えながらベッドへ入ると、ますます目が冴えてきて朝まで寝つかれない。
社長と副社長との差はこれくらいあるぜ。しかし、これは社長になってみないと絶対にわからない」

副社長はいろいろ考えても、そのプランを社長に報告すればそれで終わりだ。
社長はただ一人で決断しなければならない。孤独な厳しい作業である。

二期、三年ー四年もこの緊張はつづくし、三期、五年ー六年も、まあまあである。
ところが、どんなに意志強固な社長でも四期、七年目になると、ぼつぼつ惰性がでてくる。

大体、社長になれるのは、五十歳をはるかにすぎてからだが、その年齢で全力投球が毎日続いたら、三期六年もやったらヘトヘトになってしまうはずである。
それを二十年以上も平然とやっているのは、「社長のサボタージュ」以外の何ものでもない。

したがって、最も理想的な形でいえば、三期六年の間に後継者を養成しておいて、さっさと退くことである。
せいぜい、妥協しても五期十年が限度であろう。
社長に限らず、古今東西、いかなる名君、名宰相といえども、あまり長く、その職にあれば、必ず、マンネリ化し、飽きられるのは歴史の常則である。

中山は、そこのところを「足かけ七年」で鮮やかに区切りをつけている。


今回は以上です。

興銀頭取を退いた時の中山素平氏の「足かけ七年」という台詞を伊藤肇らしい切り口で分析していますが、この分析に宮崎輝氏(旭化成社長1961〜1985年)の言葉を引用しているのが伊藤肇ワールドというものかも知れませんね。
それにしても旭化成、社長はもちろん社員も寝つけない日々でしょうね。

チョット横道にそれましたが中山素平氏の「足かけ七年」という台詞と「三期六年」の意味、如何でしたでしょうか、この本が書かれたのは昭和53年(1978年)当時のことですが内容は現代にも通じるものと思っています。