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2015年11月27日
中山素平と「耳順」
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より出処進退ということで今回は中山素平と「耳順(しじゅん)」ということについて紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

もう一つ、財界の語り草となっているのは興銀相談役の中山素平である。
中山が「頭取をやめて会長になる」と公表した時は、興銀の重役会はもちろん、OBや周囲の連中も猛烈に反対した。

当然、あの手、この手のしつこい留任運動が行なわれたが、中山は頑として受けつけず、静かに自らの意志を貫き通した。
そして、いよいよ会長と決定した時、記者会見が行われた。

その席で中山は淡々たる調子でその心境を語った。

「わたしは年齢も六十一歳となりました。頭取業を足かけ七年やり、後継者はしぶりにしぶっていた正宗猪早夫(まさむねいさお)を二年ごしに口説きつづけて、やっとOKをとりましたので、これを機会に引退することにしました」

何の気負いもけれんみもない平凡で短い台詞だが、実は、この中に出処進退の原理原則が全部抑え込まれているのだ。

第一の「わたしも六十一歳になりました」という台詞である。
いかなる人間でも六十の坂を越す頃になると<ま、この辺が自分の精いっぱいのところだ>と限界点を自覚し、ある意味の絶対境に到達する。

孔子はそれを「耳順(しじゅん)<耳順(みみしたが)う>といい、今までは、とかく納得できぬことやら、カンにさわることばかり多かったが、そういう「我(が)」もとれて、人を大きく包容できるようになるのである。

たとえば、こんな具合である。

友人に夫婦仲の悪いのがいて、しょっちゅう悶着を起こしていたが、六十をすぎて、また一騒動やらかした時、珍しく女房が喧嘩の途中でこういった。
「もう、よしましょうや。お互い老い先が短くなっているのに、今さら、いがみあってもせんないことです」
亭主のほうも、<なるほど>と思い、以来、喧嘩をしなくなったという。

これと同じようなことだが、阪急電鉄相談役の清水雅も六十歳になった時、どういう風のふきまわしか、特に目をかけてくれた先輩がバタバタとなくなった。
本人も、「何や、けったいな気持になって医者へいった」という。
医者は丁寧に診察して「酒と煙草とをやめたら、寿命が三年延びるでしょう」といった。

そこで、清水は考えた。
<三年ぐらいだったら、寿命が延びても仕方がない。酒と煙草は断乎としてやめない>と決意した。
しかし、<あと三六五〇日寝ると七十歳か。そんなのは、あっという間だ。それなら三六五〇分の一の一日を大事にしなければならん>と自分にいいきかせ、「以来、女房を絶対に怒らなくなった」という。

また、友人でも親しくなればなるほど、いろいろな矛盾がでてきて、それが癪にさわったり、情けなかったりする。
ところが、それが六十になると、お互いに懐かしくなって、癪にさわる奴だったけれども、そいつの悪口をきくと弁解の一つもしてやりたくなるものである。

「耳順(しじゅん)」とは、そういう心境の変化をもたらす事なのだ。

どんなに有能な人物でも、齢をとれば、体力、気力ともに衰え、呆けてくるのは、いかんともしがたい。
「耳順」を説いた孔子でさえも「甚ダシキカナ。吾ガ衰ヘタルヤ。久シク夢ニ周公ヲ見ズ」と嘆いている。

若い頃はいうまでもなく、壮年になってからも心から傾倒していた周公<中国、周の政治家。賢人といわれた>の夢をよくみたが、寄る年波の近ごろは、さっぱり見えなくなってしまった。
という意味で、孔子のように充実した人生でさえも、老いがもたらした間隙(かんげき)がしのびやかに入り込んでいるのだ。

財界においては、実力者ともいわれた連中でも、亡くなった日から逆算して三年間にやったことはすべて失敗である。

「強盗慶太」と怖れられた東急コンツェルンの創業者、五島慶太が晩年やったことは、東京ヒルトンとの契約と東洋精糖の乗っとりで何れも大失敗だった。
また、池田内閣をつくった陰の実力者といわれた朝日麦酒の山本為三郎は、やたらとレストランをふやしては採算の足をひっぱり、毛並好みで後継者を選んだのが致命傷となって、今、朝日麦酒は住友銀行の管轄下にある。

実際問題として、経営者も働き甲斐のある仕事がやれるのは、四十五歳から六十五歳までの二十年間で、六十五歳以降は余生を考えるのが無難である。
そして、この間にやった仕事の質と量とによって、余生が稔り多きものになるか、あるいは陋巷(ろうこう)に逼塞(ひっそく)するかのわかれ目ともなるのである。

つまり、金銭に換算すれば、「二十年間」に千億の仕事をすれば、千億に対する端数利子がつき、一億の仕事しかやれなかったら、一億相応の端数利子しかつかぬことになる。
中山素平が、その六十五歳までに四年間の余裕をもたせたのは、心にくいというほかはない。


今回は長くなりましたが以上です。

今回の記事は還暦はもちろん六十代も半ばを過ぎて七十に近い身には耳が痛いことばかりですが、四十五歳から六十五歳までにやった仕事と言われると、「ウーン」と言うしかありません。

それにしても中山素平という人は、99歳で大往生していますが財界「鞍馬天狗」と呼ばれ日本経済に問題が起こると直ぐに駆けつけ問題を解決してサッと去っていったところから付けられたようです。
やはり志と使命というものがあればこそ、ということを改めて考えさせられました。


2015年11月18日
爵禄は得易く、名節は保ち難し
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より出処進退についての項を紹介しています。

ところで「名誉」という言葉はよく聞く言葉ですが「節操」という言葉はあまり聞かないように思いますが今回はこの「名誉」と「節操」についてのお話しです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

人間はどうも終わりになるとあわてだす。
古来、「全節」<節を全うす>ということが重んぜられるのは、晩年ほど、万事に執着が強くなって、人間のあさましさが露呈しがちになるからである。

アランの痛烈な一言がある。
「青年は恋愛を欲しがり、壮年は地位を欲しがり、老人は貪欲(どんよく)になって、地位も金も名誉もすべて欲しがる」

事実、「これは」と思わせた大物が、とんだところで馬脚をあらわした例は無数にある。
もっとも金や女に対する執着はまだかわいいものだし、断ちきるのも、それほどのことではない。
しかし、一旦、権力を握った者がそれを捨てることは至難の業(わざ)だ。

しかし、ものは考えようである。
ニューマン枢機卿<英の神学者。『わが生涯の弁明』『承認の原理』などの著者>が「人間は終わりになるのを憂えてはならない。未だ、かつて始(はじめ)らしい始(はじめ)をもたなかったことを考えよ」
という深い言葉を吐いている。

これは「常に始である」という思想であり、「終りも始である」ということなのだ。

その意味で、しゃれた出処進退をやったのは高橋幹夫<日本自動車連盟会長>である。
警察庁長官のポストを去るにあたって、元(げん)の名臣、張養浩(ちょうようこう)の「三事忠告」を引用したのだ。

一つは『廟堂忠告』の第十に出てきている「退休」。
いわく「こころみに辱(はずかしめ)を免れざりし者を見るに、おおむね、みな進(すすむ)を知りて退(のく)を知らず、栄寵(えいちょう)を恋索(れんさく)して、これを致(まね)く」と。

も一つは『牧民忠告』の下巻第六の「風節」。
いわく「爵禄(しゃくろく)は得易(えやす)く、名節(めいせつ)は保ち難し。爵禄あるいは失うも、時あってか、再び来たる。名節ひとたび虧(か)くれば、終身、復(かえ)らず」と。

また、五知先生伝<宋初の賢人、季繹>の「難を知ること。時を知ること。命を知ること。退を知ること。足るを知ること。この五知を養い得て、はじめてよく難局に当るべし」の座右を「常々、肝(きも)に銘じていた」ともいった。

ついでのことに「これから浪人生活に入るわけだが、その心構えはいかん」ときいたら、即座にゲーテの畏友、M。フォン・クリンゲルの言葉がかえってきた。

「まことの人は、彼の義務が要請(ようせい)する時と場合においてのみ、世界の舞台に現われねばならぬが、その他では一個の隠者(いんじゃ)として、彼の家族のなかに僅かな友人とともに、また、彼の書籍の間に、精神の風土に生活しなければならない」


今回は以上です。

今回は何やら難しい言葉が出て来て、取っつき難い気がしないでもありませんが、「晩節を汚す」ということからすれば「爵禄は得易く、名節は保ち難し」という言葉から伝わるものを感じます。

爵禄は失ったとしても時が来れば再び得ることができますがが名節(名誉と節操)はひとたび失うことがあれば一生取り戻すことは出来ない、とはまさに至言ですね。

五知とは己を律することであるとともに生き方として、過去にこだわらず未来に心乱すことなく常に今を生きる、ということではないでしょうか。


2015年11月11日
退くときは自ら決せよ
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より「人を見る明」のメルクマール(判断基準)として「出処進退」ということで「後継者を選ぶ」と「己を無にする作業」を紹介しましたがが今回は、退くときは自ら決せよ、を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

しかし、この二つの人間くさい作業をやりおおせただけではまだ完璧とはいえない。
それは出処進退の大原則を実践しなければならぬからだ。

その原則というのは「進ム時ハ人マカセ。退ク時ハ自ラ決セヨ」である。
越後長岡藩の家老、河井継之助の一言である。
司馬遼太郎の小説に『峠』という名作がある。
これは河井継之助を主人公にして描いたもので一読をすすめたい本でもある。

せっかく、「困難な二つの作業」をやっておきながら、「退」を人に相談したのでは茶番劇となる。
「辞めようと思うが、どうか」という相談を受けて、「いい時期だから、おやめなさい」などという奴はまずいない。

「まだ、まだ、おやめになるのは早すぎますよ」と止めるにきまっている。
それをいいことにして、ずるずるべったり居座ったら、間違いなく老醜をさらすことになる。

実例がある。
かつてサッポロビールの松山茂助(故人)が会長となった時、堂々と『中央公論』の「経営特集号」に一文を寄せた。

「以前から辞めたいとは言っていたのだが、社内では誰も賛意を表してくれない。ま、ありがたいことだが、人間は適当な時期に出処進退を考えるべきだし、後継者も育てなければならない。
新しいできても、世のなかに認めてもらうには二、三年かかることを考えれば、跡目をつくるのは私の重要な責務だ、そう考えて社長を辞めて会長になった」

人心の機微を辛辣に抉る政治的天才、ニッコロ・マキャベリは「君主は民衆の支持を得ていると錯覚してはならない。彼らが『わが君のためには死をも辞さぬ』というのは、死を必要としない時だけである」と警告しているが、側近あるいは部下から、「社長がおいでにならなかったら、わが社は闇です」などといわれて、それを丸のみにするような社長は、それだけでトップたる資格はない。

この松山茂助の出処進退のまずさが、後に血で血を洗うお家騒動を誘発し、サッポロの業績を一時、悪化させた。

住友の名総理事といわれた伊庭貞剛(いばさだたけ)の台詞ではないが、「人の仕事のうちで一番大切なことは後継者を得ることと後継者に仕事をひきつがしむる時期を選ぶことである。これがあらゆる仕事中の大仕事である。後継者が若いといって、譲ることを躊躇するのは、おのれが死ぬということを知らぬものだ」


今回は以上です。

マキャベリの言葉は有名ですが、「社長がおいでにならなかったら、わが社は闇です」などといわれて、丸のみする社長はいないでしょうが確かにその気になることもあるでしょうね。
「辞めようと思うが、どうか」と部下に相談するということは辞めたくない、という意思表示と言えるのではないでしょうか。

まさに「退ク時ハ自ラ決セヨ」ですね。

因みに上記とは関係ありませんが、前の大戦中インパール作戦の失敗で牟田口廉也軍司令官は部下の参謀に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談しています。

これに対し参謀は「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。
司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。

誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。
今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」と苦言を呈され、あてが外れた牟田口は悄然としてその場を離れましたが自決しませんでした。


2015年11月04日
仕事に対する執着を断ちきる作業
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から出処進退ということで「退」にあたっては二つの人間くさい作業のうち前回の「己を無にする作業」に続き今回は「仕事に対する執着を断ちきる作業」を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

もう一つの「人間くさい作業」は「仕事に対する執着を断ちきる作業」である。
実際の話が、仕事をやっている時にはこの「執着」はわからない。
仕事を離れてみて、はじめて、自分の生活に仕事がどんなウェイトを占めていたかがわかるのである。

仕事をひいた直後は、どんな人間でも、胸中を去来するのは仕事に関する思い出ばかりだ。
苦しかったこと。楽しかったこと。やりとげて生き甲斐を感じたこと。失敗して切なかったこと‥‥さまざまな思い出が走馬燈のように次から次へうかびあがってくる。

しかし、まだ、このうちはいい。
だんだんそれが昂(こ)じてくると、何だか、自分だけがとり残されたような孤独感に陥り、下手にまごつけば、気の弱い人はノイローゼとなる。

夕暮は買物の母のあと ついていきたいという退職せし父

朝日歌壇にのっていた短歌だが、誰しも、多かれ少なかれ、こんな気持ちを痛切に味わう。

見事な出処進退でしられている阪本勝(故人)ほどの人物でも、兵庫県知事を去る時には、この「仕事に対する執着」を断ちきることの苦しさを散文詩に託している。

すべての仕事というものは「始なく、終りなきもの」だ。
種をまくもの、咲き出る花を愛でるもの、結実を祝うもの、みな、それぞれめぐりあわせというものだ。

自分の播(ま)いた種を稔(みの)るをみたいのは人情だけれども、それはいわば小乗論だ。
中国の詩人、謝朓(しゃちょう)のうたうらく

大江日夜流ル 客心悲シミ未ダ盡キズ

歴史の大江にかげろうの身をうかべる人の身の限界を粛(しゅく)として知るべし。


今回は以上です。

「仕事に対する執着」ということからして、自分の播いた種が稔るをみたいという気持ちは仕事に打ち込めば打ち込むほど感じるものでしょうね、朝日歌壇にのっていた短歌を声を出して読むと切なさが身にしみて来るような気になります。

歴史の大江にかげろうの身をうかべる人の身であればこそ、断ちきり難い執着もあるもので、そこをどう乗り越えていくか、出処進退が「人を見る明」のメルクマールの一つでもあるのでしょうね。