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2015年09月24日
漢詩作法の起承転結
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より応待辞令ということで前回は佐藤栄作氏が首相になる前にアメリカに表敬訪問に行った際の一言「大統領、シュバイツェルを御存知ですか」とシュバイツェルが言った『戦に勝ちし国は敗れし国に対して喪に服するの礼をもって処さねばならない』という智恵についてを紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

筆者はこの会談がきっかけとなって、沖縄返還という大きな結実をもたらしたと信じている。
ただ、われわれ記者は、ヘソの曲り具合が普通の人とは大分違っている。

<どう考えても、佐藤栄作にこれほどの教養があったとは夢にも思えない。誰がこの智恵をつけたのだろう>と探ってみたら、佐藤が渡米するにあたって、師の安岡正篤を訪問したことがわかった。
ここで、佐藤は「ケネディとの応待辞令をどうするか」について師の教えを乞うたのである。

その時、安岡は「応待辞令には漢詩作法の起承転結があり、結が最も大事だ。だから、その結に相手の心に響くような一言を吐くことである」といい、シュバイツェルの言葉を授けたのだった。

「漢詩作法」とは次のようなことである。

起  京の三条のいと屋の娘
承  妹十六姉二十
転  諸国大名は弓矢でころす
結  いと屋の娘は目でころす

第一句の「起」は、まず、相手のドギモをぬくような文句をもってくる。
「京の三条のいと屋の娘」とくれば、誰しも<どんな別嬪(べっぴん)かな>と興味をそそられる。

第二句の「承」は、「起」を「承(う)けてそれを説明する。
その「別嬪(べっぴん)は「妹十六姉二十」である。ますます、おいしそうである。

ところが、第三句の「転」は「起」とも「承」とも全く関係のない奇想天外の文句をひっぱってくる。
「諸国大名は弓矢でころす」。まさに三百六十度の転換である。
人間の心理として、最初に驚き、次に一つの緩衝地帯を設け、さらにも一度、驚きをくり返すと、後の驚きは前の驚きより一層大きくなる。

そして「結」は、「起」と「承」と「転」の三つを総合した内容をもってきて、ポンと落とすのである。
それだけに「結」が最も難しい。
また「人ヲ看ル。晩年ヲ看ヨ」と菜根譚(さいこんたん)にあるように、過去がいかに幸せで、輝きに満ちたものであっても、晩年が不幸なら、その人の一生は不幸だということになる。

反対に過去にさまざまな辛酸(しんさん)をなめても、晩年が幸せだったら、まさしく、その人は幸せである。

漢詩も人生も、この「結」いかんによって生きたり、死んだりするのだ。
それだけに「結」には巧緻(こうち)の限りを尽くさなければならない。
「応待辞令」においても、また然りである。


今回は以上です。

漢詩作法の起承転結、いかがでしたでしょうか。
「起」「承」は、なるほど言われてみればという気もしますが「転」はエッと驚くものだけに「結」がストンと腑に落ちますね。

それにしても今回の一字一句に奥行の深さを感じるのは私だけでしょうか、この本は既に何回も読んでいますが含蓄のある文章は改めて人生というものを考えさせられます。

2015年09月18日
「大統領、シュバイツェルを御存知ですか」
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より応待辞令の実例ということで、前回に続き今回は見事にきまった応待辞令について紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

見事にきまった「応待辞令」は佐藤栄作である。
佐藤栄作がまだ総理の座についていない昭和三十七年十月、アメリカへ表敬訪問にいった。
時の大統領はケネディである。
ところが時期が悪かった。

後に「米ソが核戦争の危地でかろうじて立ちどまった1962年十月の十三日間」と呼ばれたキューバ・ミサイル危機のただ中だった。
つまり、U−2型機の写真撮影でキューバにソ連の中距離弾道弾がひそかに持ち込まれていることを掴んだのが十月十四日。

「苦悩にみちた検討」の末、アメリカはキューバに航行しているソ連艦船に対する海上封鎖に踏みきった。
それが十月二十二日だから、佐藤がケネディに会ったのは文字通り、ホワイト・ハウスが重大な政治決定をしようと鼎(かなえ)の沸(わ)くが如き混乱状態だった。

おまけにケネディにとっては、日本はアジアの一小国という認識しかなかった。
いや、まだ「オキュパイド・ジャパン」の「尾骶骨(びていこつ)」すらついていたのではなかったか。

当然、ケネディの部屋へ入ると、剣もほろろの態度で、とりつくしまさえなかった。
仕様がないので、.佐藤は一応、形式的な表敬訪問の言葉をのべ、さて、帰ろうとする時に一言きいた。
「大統領、シュバイツェルを御存知ですか」

シュバイツェルはドイツ人にしてフランスの国籍をもつ宗教家であり、哲学者であり、バッハの研究家でありゲーテ学者で、このうちどの一つをとりあげても、他人が一生涯かかって、ようやく自分のものとすることができる名声と蘊蓄(うんちく)とを一人で所用していたが、特に赤道アフリカのランバレネに病院を建設、悲惨な状態にあった黒人たちに救いの手をさしのべたのがノーベル平和賞になった。

欧米では、誰一人として知らぬ者はいない聖人である。
その名前をアジアの一小国の政治家の口からきいたのだ。
ケネディは、はっとして佐藤を見直した。
瞬間、もう一つの痛烈なショックがケネディを見舞った。

「シュバイツェルがこういうことをいっていますよ。『戦に勝ちし国は敗れし国に対して喪に服するの礼をもって処さねばならない』と」

ケネディ自身、大統領就任にあたって「松明(たいまつ)は新しき世代にひきつがれた」とか、「諸君は国家が諸君に何をしてくれるかを考える前に諸君が国家に何をなし得るかを考えるべきである」などと格調高き演説をぶちあげている。
それだけにこの箴言(しんげん)は一層、胸にしみたのである。

全く儀礼的でとりつくしまもなかったケネディは急に態度を改め、胸襟を開いて会談は延々三時間に及んだ。

今回は以上です。

キューバ危機については、私が中学生の頃のことで新聞などで核戦争一歩手前状態だったことを今でも憶えています。

シュバイツェルはシュバイツァー博士と言った方が分かり易いかも知れませんが核反対運動にも参加するとともに1962年には、ケネディ大統領に手紙を出し、その中で、子どもたちへの放射能の遺伝的影響という問題に関心をもってほしいと、依願していることからも影響力の大きさがうかがえます。
また風月堂のゴーフルが大好物だったようですね。

さて、伊藤肇は佐藤栄作の、この応待辞令についての見方は次回に紹介いたします。


2015年09月10日
「言、必信。行、必果」
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より応待辞令について、いろいろ紹介して来ましたが今回はまさに伊藤肇ワールドならではのお話を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

きわめてまずかった「応待辞令」と見事にきまった「応待辞令」とを対照してみよう。
まずかったほうの実例は日中国交回復の端緒を開いたといわれる田中角栄である。

日中国交回復がよかったか、悪かったかは後世の歴史の批判に待つとして、交渉が終わって、いよいよ帰国ときまった際、田中角栄が周恩来に色紙を所望した。
周恩来はちょっと考えていたが、やがて、筆を取ると「言必信。行必果」と一気に書いた。

これは「言、必ズ信ニ。行、必ズ果」と訓(よ)み、「言ったことは必ず守ります。そして、やることは必ずきびきび実行します」ともとれるし、また「言ったことはきっと守ってくれ。また、実行は的確に間違いなくやってくれ」という注文とも解釈されるが、何れにしても、字面(じづら)から判断する限り、毒にも薬にもならぬ平凡な文句である。

ところが、この出典は『論語』の子路篇でそれをよむと、周恩来が田中角栄をいかになめていたかがよくわかる。

子貢問ウテ曰(いわ)ク「如何ナレバ斯レ士ト謂ウベキ」<第一等の士とはどんな人物をいうのでしょうか>
子曰ク「己ヲ行ウニ恥アリ。四方ニ使シテ君命ヲ辱シメザルハ士ト謂ウベシ」<自分の行(おこない)について恥を知っており、四方の国々に外交折衝にいって、君命を完全に果たして辱しめない人物が第一等の士である>

とても、これはやれそうもない。
「敢テ、ソノ次ヲ問ウ」と子貢が第二等の士をきくと、子曰ク「宗族、孝ナルヲ称シ、郷党、弟ナルヲ称ス」<一応、功成り名を遂げると、人間というのは、肩で風をきって歩きたくなるものだが、そういう気(け)ぶりが全くなく、一家一族、皆、あの人はよくつくしてくれるとほめ、郷党の人々も、あのかたはいつもへりくだっていて本当に奥床しいとたたえる人物なら第二等の士といえよう>

これもついていけない。「敢テ其ノ次ヲ問ウ」
そこで出てきたのが「言、必ズ信ニ、行、必ズ果」で、御丁寧に「硜々然(こうこうぜん)トシテ小人ナルカナ」というコメントまでついている。

「言必信、行必果」の人物なら、ま、第三等の士に入れていいだろう。
だが、この種の人間は路傍にころがる石塊(いしころ)みたいにコチコチで融通がきかない。
所詮(しょせん)、三流は三流なのだ。
周恩来は「硜々然小人哉」の文句はわざと伏せておいたのである。

子貢はここで話題を転じ、「しからば現代の政治家たちはどうでしょうか」ときくと、子曰ク「噫(ああ)、斗筲(としょう)ノ人ノミ。何ゾ算(かぞ)ウルニ足ランヤ」<どいつもこいつも十把ひとからげの連中ばかりでお話にならん>

このやりとりから判断すると、周恩来の揮毫は時の総理大臣、田中角栄は「言必信、行必果」の「三流の士」であり、それについてきた時の外務大臣、大平正芳以下もろもろの政治家、官僚たちは、すべて「斗筲ノ人」一山いくらのくだらん連中ばかりだということになる。

多分、田中角栄は訪中にあたって、『十八史略』も『論語』も読んでいっていないだろうから、「言必信、行必果、うーん、わかった。わかった」といって帰ってきたに相違ない。
もし、ここで田中が「自分は漢籍の素養がないのでよくわからないが、周さん、これはどういう意味かね」ときいたら、周恩来は、どんな反応を示しただろうか。

恐らく、田中は出典を知っていて反問してきたな、ということで、かなり、あわてたことだろう。


今回は以上です。

まさに伊藤肇ワールド全開といった内容で、あくまでも論語の中の話になりますが「言必信。行必果」という言葉からは、約束は必ず守ってくれというような感じに受け取れますが、この辺りが論語の奥の深いところなのかも知れませんね。

それにしても、伊藤肇ワールドとは言え、得意の論語の世界を持ち出して言いたい放題というところが反発とある種の惹かれるものを感じます。

それでは、見事にきまった「応待辞令」とはどんなことでしょうか、というのは次回に紹介いたします。

2015年09月03日
扇谷正造 講演の五カ条
前回はチャプリン・システム・スピーチについて、扇谷正造氏の解説を紹介しましたが今回は、その扇谷正造氏の講演についての五カ条を、いつものように伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

さらに扇谷は、自分の体験から、次の五カ条をすすめている。

第一に「聴衆は何を求めているかを的確に掴むこと」
話し手の主観を押し売りしてはいけない。
聴衆は感動に満ちたドラマを求めている。
しかるに与えられたものが乾いた批評文であってはどうにもならない。

第二に「劇的なもりあがりが大事である」
私は浪花節調の演説はできないが、私なりに体験を整理し、劇的に構成することはできる。
材料はふんだんにある。
問題は、その中から何を選び、いかに構成するかということである。

第三は「同じ話を何回もやってみることである。そして、聴衆の反応に応じて、ある部分はカットし、ある部分はふくらまして行く。そのうちに話が磨かれて、次第に完成品に近づいて行く」

文芸春秋の創始者、菊池寛は、文壇有数の話し手といわれたが、常に講演のテーマは三つであった。
「小説の効用」「日本で誰が一番強いか」「現代恋愛論」の三つで、聴衆によって、それを使いわけたり、上手にミックスしたが、事実、同じ話を何十回もくり返していると、それは次第に洗練されて行く。
名作落語などは、こうして出来あがったものである。

第四は「言葉をゆっくり区切って話すこと。つまり間(ま)である」。
それは相手の反応をながめながら話を進めていくことだが、あたかも流れの激しい川を足底でさぐりながら進むのに似ている。

第五は「客席の左右とまん中に一人ずつ、三人の聴衆を見つけ、いつも目をぱっちり開いて、三人の誰かに視線を注いでいること」


今回は以上です。

私は講演をしたことはありませんが、講演を聴きに行ったことは何度もありますが、コレはという話はそれほど多くはなく期待した割には、ということも少なくありませんでした。
それだけ講演と言うのは難しいものなのでしょうが、それだけに話上手な人というのは、この五カ条というものを身に付けている人なのでしょうね。

それにしても、菊池寛の三つの講演テーマのうち「日本で誰が一番強いか」というのは、実際どんな話だったのか聴いてみたい気がしますね。