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2015年07月30日
覚えておきたい一節 伊藤肇のノート
覚えておきたい意味深い一節ということで伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介していますが伊藤肇のノートの一部から抜萃したものを前回に続いて引用いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

□ 柳田国男は「史心」という言葉を残した。私たちのしてきたことが、どう歴史に組み込まれたか。
そして、それは私たちに何を教えているかを、何時も問いかけてみるのは大事なことなのだ、私はこの言葉を解釈している。
                                                       ―角田房子

□ 友と話し合うことの本当の現実は、話し合っている時にあるのではなくて、別れてから帰る道で、さて、考えなければならない何が心に残り、刻まれたか、ということの中にある。
                                                   ―ドストエフスキー

□ 私は、最もすぐれた女たちが、一人の才智ある男に感服するのをみたが、と同時に彼女たちはほとんど同じ言葉で大馬鹿者をほめていた。
                                                     ―スタンダール

□ 嫉妬(しっと)とは、自信のない人間、自分のうちに安定感をもたぬ人間の陥る精神のくせである。

                                                     ―亀井勝一郎

□ 嫉心深き者は内争を生じ易(やす)し。与(とも)に交(まじわ)りを結ぶべからず。また、与(とも)に事を謀るべからず。
                                                      ―廣瀬淡窓

□ 一流になる見込みのないことに手を出すな。手を出したら、一流になるまでやれ。
                                                      ―永井 隆

□ タフでなければ生きて行けない。優しくなければ生きて行く資格がない。
                                             ―レイモンド・チャンドラー  


今回はここまでといたします。

まだまだ、ありますがジックリ味わっていただければ、と思っています。
それぞれに、奥深い意味を感じられますがレイモンド・チャンドラー氏の「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きて行く資格がない」という言葉は、この後の「喜怒哀楽の人間学」で、もう一度出てきますが生き方ということを改めて考えさせられました。


2015年07月23日
覚えておきたい一節
前回に続いて覚えておきたい意味深い箴言の一節伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」から紹介いたします。
さて、その一節とはと言うことで伊藤肇ワールドの世界へようこそ。

以下、伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」より

二・二六事件で惜しくも凶弾に倒れた高橋是清は毎日、「ロンドン・タイムズ」や「ニューヨーク・タイムズ」を克明に読み、必要な記事はノートに丹念に「筆写」した。

あまりにも時間と手間がかかりすぎるので、みかねた伜(せがれ)の是彰夫人が「私がスクラップに張りましょう」と申し出ると、「いや、それはありがたいけれども、スクラップに貼ってもらったんじゃ、それっきりになってしまう。こうやって自分で書いておくと、頭にしっかりと刻みこまれて参考になる」
といって断った。

筆者にも、そういうノートが数冊あるが、その一部を抜萃してみよう。

□ 天才だけが飛躍するのです。ただ、しかし、人間が絶えず天才であり、英雄であるということはむずかしいことで、ある時期に英雄であり、天才であるにすぎない。
あたかも美女や美男が、ある短い時間だけがそうであるように‥‥‥。
そういう持論を僕はもっているのです。
つまり、生涯を通じて、天才であり、英雄であるという人間はおそらくいない。
肝腎な時に天才であったり、英雄であったりした人間が後世に残る大事業をするのです。
                                          ―海音寺潮五郎
□ 美しい行為は美しい言葉から生まれる
                                          ―ゲーテ
□ 足を踏んでいる者には踏まれている者の痛みはわからない。
                                          ―鶴見俊輔

□ 有名なのが名文か? いや、そうではない。君が読んで感心すれば、それが名文である  
                                          ―丸谷才一

今回は以上です。

まだまだ伊藤肇のノートからの抜萃は続きますが今回、取り上げたゲーテを除く海音寺潮五郎、鶴見俊輔、丸谷才一の各氏のそれぞれの言葉や文章は切れ味というものを感じさせますね。
こういう文章を見ていると若い時に私が好きだった言葉を思い出しました。

今も憶えていることからすれば当時の私にとって意味深い箴言と言うか、バカの一つ覚えのようなものでもあったようで、それは次の言葉です。

・僕は二十歳だった。それが人生で一番美しい年齢などとは誰にも言わせまい。 ポール・ニザン


2015年07月16日
箴言(しんげん)
本の読み方というのは人様々ですが本に書かれた言葉などから感得するポイントというものは、そんなに違わないものではないでしょうか。
いつものように伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より箴言について紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

ゲーテの一言からアンドレ・モロワを連想した。

「本を読みながら、ノートを傍らに置いて、覚えておきたいと思った意味深い箴言をそこに書きとめておくのは好ましいことである。何時か気持ちがふさいだ時など、これを眺めれば、書きとどめられた賢者たちの思索は、生きてゆくのを助けてくれるだろう」

もともと、生きた悟りや心に閃く真実の智恵あるいは力強い行動力は、けっしてダラダラした長ったらしい概念や論理から得られたものではない。

それは体験と精神とが凝縮している片言隻句(へんげんせっく)によって悟るのであり、また、その原理原則を把握することによって実践するのだ。
したがって、語録とか、箴言というものは、経験を積めば積むほど、教養が深くなればなるほど、身につまされてわかってくる「おとなの学問」なのだ。

「おとなの学問」である以上、漫画でもみるような調子でうわの空でよんだのでは、何年かかっても語録の真髄に触れることはできない。
そこで、精読し、筆写するということになる。

「筆写」などといったら、「このスピード時代に」とせせら笑う向きも多かろう。
だが、最もスピーディな読書法は熟読玩味であり、それよりも正確で早いのは「筆写」である。

文芸評論家の梅田晴夫が敗戦直後、先輩から原本のジャン・アヌイ選集を一週間の期限つきで借り、それを「筆写」した。
相当な難行苦行だったが、結果はジャン・アヌイの精髄にハッキリ手を触れることができた。

それまでの梅田は「筆写」などということはバカげたキザな所業だと思い込んでいた。
ところが、これを契機として「文字を書きうつすという作業のもつ大きな精神的影響力をしみじみと感じさせられた」と告白している。

たしかに外国文学を味わい得る実力を養うには、原文の筆写が最も手っとり早い。
自分の好きな文章を一節なり、一章なり、根気よく、何度も何度も、くり返し「筆写」しているうちに、外国文の構造やニュアンスが、何時とはなしにのみこめてくるのである。


今回は以上です。

箴言って、ご存知と思いますが、普段あまり聞かない言葉ですので調べてみると「教訓の意をもつ短い句。戒めとなる言葉。」ということです。
確かに本を読んでいて、その文章の一節に得るところがあればこそ読書の力であり、己の人生経験や教養というものと向き合うことが「おとなの学問」というものかもしれませんね。

また筆写とは文字を書きうつすことによる精神的影響力とするなら、写経という意味にも通じるものがあるように思います。

では、その覚えておきたい意味深い一節とは、具体的にどういうものか、を次回は紹介いたします。


2015年07月09日
スピーチの薬味
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から前回の続きで、経済使節団団長が何より辛いのは、ゆくさきざきでテーブル・スピーチをやらされることという話の続きです。

経済使節団団長、田実渉氏のディナーでの話は昔、暴帝ネロはライオンにクリスチャンを噛み合わせて楽しみました、というものです。

ライオンに食い殺されていく中で一人だけライオンにとびついて何かをささやきます、とライオンはすごすごとしっぽをまいてひきさがってしまい三度も撃退した者がおりネロはその者を呼び寄せ、お前はライオンに何をいったのだ、と聞いてクリスチャンが答えるところまでを紹介しました。

クリスチャンはネロに何と答えたのでしょうか?

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

ここで、しばらく言葉をきって、会場をぐるりと見まわすと、おもむろにいってのけた。

「王様、まことに簡単なことでございます、ライオンの奴に『お前がわしを食べるのは勝手だけれども、あまり御馳走をたべると、あとでテーブル・スピーチをやらされるぜ』とささやいただけです」

会場は割れんばかりの拍手だったが、これはイギリスの作家、チェスタートンの鮮やかな引用である。

もう一つ、<うまいな>と感心したのは、リンクスの一手販売をやっているコトブキ・ゴルフ副社長の安本重夫が、わずか二分でやってのけた結婚披露宴のテーブル・スピーチである。

たった一筋 えにしの糸が 手繰(たぐ)る倖せ ふしあわせ

という都々逸をまず紹介し、「縁あって、結ばれたお二人は、やがて家を建てることになりまでょう。その時は、何をおいても、小さくてもいいから、バルコニーをつくって下さい。そしてわたしが、今から読みあげる漢詩の一節の境地をしみじみと味わって頂きたい」

落日平台ノ上
春風ニ茗(めい)ヲ啜(すす)ルノ時

「意味は、バルコニーで夕陽を眺め、春風に頬をなぶらせながら、静かにうまい茶を喫する時こそ人生の最も倖せな一瞬である、ということです」

エピソード、都々逸、詩、あるいは箴言というものはスピーチの薬味である。
同じそばを食べるにしても、薬味を入れたのと入れないのとでは味に雲泥の差があることはいうまでもないが、その薬味についてゲーテが名言を残している。

「逸話と格言を集めておくことは、社交家の最大の宝である。もし、彼が逸話を適当な場で話し、格言を適当な機会に思い出すことができるならば」


今回は以上です。

スピーチの薬味、如何でしたでしょうか。

それにしても「‥‥あまり御馳走を食べすぎるとあとでテーブル・スピーチをやらされるぜ」と言われては、さすがのライオンも引き下がるしかないというかテーブル・スピーチには歯が立たないようですね。
結婚式のスピーチもそうですが、こういうスピーチが出来るまでには相当の人生経験を積んでこそ自ずと伝わる味わいというものがあるのでしょうね。

今回は言われてみればスピーチの薬味、なるほどと納得されられました。


2015年07月02日
テーブルスピーチ
テーブルスピーチと言えば結婚式などで求められることがあると思いますが、今回はその場の雰囲気を盛り上げ和ませるテーブルスピーチということで伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から面白いテーブルスピーチを紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

三菱銀行相談役の田実渉は今までにいろいろな経済使節団長をつとめているが「団長が何より辛いのは、ゆくさきざきでテーブル・スピーチをやらされることだ」という。
日によっては、朝、昼、晩と三回もやらされる。
いかにスピーチ好きでもいい加減にうんざりする。

たまたま、豪州を訪れ、ニュー・サウス・ウエルズ・バンクのディナーでこんな演説をぶちあげた。
「昔、暴帝ネロは闘技場でライオンにクリスチャンを噛み合わせて楽しみました」
<田実の奴、また、何をいい出したのだろうか>
団員たちはハラハラし、豪州側は好奇心をもって、一斉に注目した。

「いかに強いクリスチャンでも素手ではライオンにかないません。悉く食い殺されてしまいました。
しかし、たった一人だけ例外がございました。
ライオンが唸り声を発してとびかかろうとする瞬間、そのクリスチャンは首にとびついて、何かささやきました。
すると、どうでしょう、ライオンの奴め、すごすごとしっぽをまいてひきさがってしまったのです」

出席者たちは、完全に田実のペースにまき込まれてしまった。

「一部始終をみていた暴帝ネロは『妙なことをやる奴め』と怒って、かわるがわるライオンをけしかけましたが、何度やっても同じ結果です。あきれかえったネロは、そのクリスチャンを呼びよせて、『三度、ライオンを撃退したのだから、約束通り、命は助けてつかわすが、いったいぜんたい、お前はライオンに何をいったのだ』とききますと、クリスチャンが答えました」


今回は以上です。

この続きがあるのですが、このクリスチャンは暴帝ネロに何と答えたのか良ければ、この話から答えを探り当てていただきたく思います、ただ正解を答えたからと言って何も出ませんが話のタネとして使っていただければ幸いです。

次回は正解の有無に関わらず、この続きを紹介していきます。