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2015年04月30日
スターンとマラルメ
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介していますが前回は“This is for Ladie's only”とナメクジということで、チョットくだけた話でしたが今回はもう少し知的で気の利いたところのお話を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

フランス文学者の河盛好蔵は「人間は誰でもお世辞をいわれることを決して嫌いではない。ただ、そのいい方に好みや注文があるだけの話である」
といい、スターン<英・作家>の名作『センチメンタルジャーニィ』の中の一挿話を紹介している。

スターンがパリの社交界で、さる老侯爵に紹介された。
その侯爵は、女にもてることで有名で、当人も、その方は自信満々であったが、彼はスターンにむかって
「一度、お国へ出かけたいものです」といって、イギリスの女についていろいろと尋ねた。

すると、スターンは「いや、それはぜひ、御無用に願います。今でさえ、われわれイギリスの男は、あなたのお噂をするだけで、女たちから見向きもされない始末なんですから‥‥‥」と答えたところ、早速、侯爵から晩餐(ばんさん)に招かれた。

もう一つの話は、自ら機知縦横の才女をもって任じている某夫人は、スターンがかなりの才人であるということをきいて、「ぜひ、お目にかかって、お話を承りたい」と申し込んできた。

訪ねてゆくと、スターンが腰を下ろすか、下ろさぬかのうちに、彼女のほうで、その才女ぶりを納得させるために、猛烈にまくしたてはじめた。
スターンは心得て、その席では一言も喋らなかった。
以後、その夫人は誰に会っても「殿方とあんなに為になるお話をし合ったことは、これまでついぞないことでした」といって大満足であった。

しかし、もう一枚上手(うわて)は詩人のマラルメ<仏・極度に洗練された美しい象徴詩をつくり、門下にバレリーやジイドなどの逸材を輩出した>である。

特にマラルメは座談の雄だったが、他の座談の雄と違って、自分ひとりだけ喋りまくるようなことはなかった。
何時でも自由にお客に喋らせる。
それでいて、本人が気がつかぬうちに相手の説を自分の主張と一致させることに妙を得ていた。

またマラルメはごく些細な暗示をも見のがさずについて行き、いかなる枠組(わくぐみ)にもすぐ提供されただけの材料を駆使して彩色を施すだけの用意を常にもっていた。
議論をしても八分くらいのところで太刀をおさめて、最後のひと太刀は、ただふりかぶってみせるだけで、ばっさりと骨まで斬りさげるような野暮は絶対にしなかった。


今回は以上です。

冒頭の「人間は誰でもお世辞をいわれることを決して嫌いではない。ただ、そのいい方に好みや注文があるだけの話である」というところは、さすがフランス文学者だけにエスプリが利いていますね。

確かに、ものは言い様で場の空気や状況を一変させてしまうこともあるでしょうが、ここで紹介されているお話はどれもウイットとユーモアにエスプリを感じさせられますね。






2015年04月23日
“This is For Ladie's only”とナメクジ
咄嗟の機転による洒落で窮地を脱したケースとユーモアについて、今回は伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」の中でもウーンと唸るしかない、お話を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

日本鋼管会長の松尾金蔵がまだ通産省の役人時代、アメリカへいった。
アメリカで一番困るのは「ハイセツ」の問題である。
日本みたいにところかまわずやらかせば、たちどころに罰金である。

御多聞に洩れず、松尾も前を押えて脂汗を流す破目となったが、さいわい公衆便所があったので、あわててとびこみ、せいせいしてでてきたところをポリスに一喝くらった。
「汝ハ、コノ For Ladie's only <女性専用>が目ニ入ラヌノカ!」
瞬間、<しまった>と思ったが、そこはそれ、通産事務次官時代には国会のメイ答弁で鳴らした松尾金蔵である。

精いっぱいの愛想笑いをうかべながら、やおら、Mボタンのあたりを指して
“This is for Ladie's only”<コレハ女性専用ダ>

件(くだん)のポリス殿、目をシロクロさせたが、やがてのことに、そのシャレに気がつくと“Oh! me too”とニヤリと笑って許してくれた。

この松尾金蔵に、まんまとかつがれたことがある。
戦争中、食うものがなくなってナメクジを食べたという。

蝸牛(かたつむり)などはフランス料理の最たるものだから、ナメクジだって同じようなものだ。
吸ものに出てくる蓴菜(じゅんさい)みたいな味がするのではないかと思って、「どんな味がしましたか」ときいたら、大まじめな顔でやられた。

「うん、あまり、うまそうなので、貴重品の食塩をふりかけて、すすってみようと思ったら、残念だったねえ。ナメクジのやつ、とけちゃって、影も形もなくなってしまったよ」


今回は以上です。

これを読んで作り話では、と思われた方もおられるかも知れませんが若き役人時代のエピソードですが、それにしてもThis is For Ladie's onlyとはよく言ったものでナメクジの話とあわせて、さすが城山三郎の小説「官僚たちの夏」のモデルになるだけの人物ですね。


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2015年04月16日
応待辞令 ユーモア二題
人を見る明のメルクマール(判断基準・目安)として前回に続いて応待辞令について、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」からユーモア二題を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

トーマス・モアのユーモア

理想的国家像を描いた「ユートピア」の著者でイギリスの政治家、大法官をつとめたトーマス・モアの「応待辞令」はいかにもイギリス的ユーモアに満ちている。

何時の世にもあることだが、社会的に身分の高い男がある事件に問われた。
そして、これまた何時の世にもあることだが、その男は罪を逃れようとして判事の買収にかかった。
判事はトーマス・モアであり、贈られた品物は絢爛(けんらん)と輝く銀の豪華な壺(つぼ)であった。

モアは、一応、それを受けとり、公判の前日、手紙を添えて、贈り主にその壺を返した。

「ご秘蔵の品、ありがたく拝見しました。
おかげで久しぶりに目の保養をいたしました。
そのお礼のしるしに、ありふれたお酒でかえって失礼かもしれませんが、いっぱいつめてお返し致します。
どうぞ、ご賞味下さいませ」


「シャングレラ」

1944年、アメリカがニュー・メキシコの砂漠の中で最初の原爆実験を行った。
ホワイト・ハウスの記者会見で、その発表が行なわれた。

「その実験は何処で?」記者団はいっせいに質問した。
「うむ」とルーズベルト大統領はつまってしまった。
何しろ、戦争中のことである。当然軍事機密に属する。

そのうち、大統領はニヤリと笑って答えた。
「シャングレラ!」
記者団から、どっと笑声があがった。

「シャングレラ」とは、その頃、英米読書界のベストセラーだったジェームス・ヒルトンの『失われた世界』に出てくる「桃源境」のことであった。
イギリスの飛行士二人がアジアに向う途中、不時着した。
場所はチベットの奥地らしい。そこで彼らは「桃源境」に出くわすのである。

「ルーズベルトは『これは軍事機密だ』というほど野暮な政治家ではなかった。
のである『桃源境』にせよ、何にせよ、とにかく『シャングレラ』は地名である
そして、その言葉にほんのりと軍事機密を匂わせたのである」

と扇谷正造の解説だった。


今回は以上です。

トーマス・モアのユーモアは風刺をルーズベルト大統領の「シャングレラ!」はウイット(機知)を感じさせるものであり、当に身辺に起こってくるいろいろな問題に即応し、かつテキパキと処理していく「応待」であり、問題に対し自分の考えを表明する「辞令」そのものと言えるのではないでしょうか。

それにしてもトーマス・モアは、さすが「ユートピア」の著者だけに風刺が効いていますね。






2015年04月09日
和泉式部と少琴
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より前回は「応待辞令」のしゃれた小噺ということで和泉式部の扇の件をもう一度見ておきます。

ある男がすてきな扇をもっていた。
藤原道長がこれをみて、「誰の扇かね」ときくと、「和泉式部のさ」と得意気に答えた。
平安時代は、恋のあかしに扇を交換したものである。

いささか、ジェラシーを感じた道長は「ちょっとみせてくれ」といって扇をとると、それに一筆したためた。
「うかれ女の扇」
和泉式部は一生、恋愛に終始した情熱家だから、この文句は相当、カンにさわったに相違ない。
ところが、和泉式部は、さあらぬ態(てい)で道長の筆の下にさらさらと書き加えた。

いうところまで紹介しましたが、さて和泉式部は藤原道長の「うかれ女の扇」という筆の下に何と書き加えたのでしょう?
ということで今回はこの続きです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

越えもせん 越さずもあらん 逢坂(おおさか)の

関守ならぬ 人なとがめて


私にとっては、一線を越える深い間柄の人もあるし、それを越えない無関心な人もあるのよ。
関守でもない外野席のあなたから、つべこべいわれる筋合はありません。
かなり気の強い才女だったんだろうが、道長はお面を一本とられた形である。

もう少し、品のいいのでは、廣瀬淡窓<江戸後期の儒者>が安井見軒<江戸中期の儒者。昌平黌教授>の娘、少琴(しょうきん)にポロポーズした時、少琴がしたためた返事の詩である。

扶桑第一ノ梅

今宵 君ガタメニ開カントス

花ノ真意ヲ識ラント欲スレバ

三更 月ヲ踏ンデ来タレ


日本で一番美しい梅の花、つまり私の心が、今宵、あなたのために、この蕾を開こうとしています。
私が、いかなる思いを胸に秘めているか、あなたが知りたいと思(おぼ)し召(め)すなら、真夜中に月影を踏んで、ほとほととわが庵を訪(おと)ない給え。

こんな美しい恋なら、筆者といえども老骨に鞭打って、もう一度やってみたい。
それはともかく、和泉式部と少琴との人間の違いがうきぼりにされていて面白い。


今回は以上です。

「うかれ女の扇」という下に書き加えた文句には藤原道長も返す言葉がなかったでしょうね。
それにしても、「越えもせん 越さずもあらん‥‥関守ならぬ 人なとがめて」まさに至言といった領域ですね。

しかし少琴の詩は幻想的な感じがあり、この詩を目にするだけで魅せられます。
また廣瀬淡窓は後に咸宜園を起こし学歴、年齢、身分にとらわれず、すべての門下生を平等に教育し塾生からは大村益次郎や清浦圭吾に上野彦馬など幕末から明治にかけて活躍した人が出ています。



2015年04月02日
応待辞令の人間学
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介していますが、前回までは人品骨柄の人間学ということで人相などのことを取り上げて来ましたが政界・財界絡みの話はあまり面白くなかったかも知れません。

今回からの新しい章は4月ということで辞令、一般的な意味で言われる辞令ではありませんが、「応待辞令」という人が相対した時の対応について「喜怒哀楽の人間学」より見ていきます。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

人物のでき、ふでき

「人を見る明」の第二のメルクマールは「応待辞令」である。
「応待」というのは、身辺に起こってくるいろいろな問題に即応し、かつ、その問題をきびきびと処理してゆくことである。
そして、「辞令」とは、適当にそれらの問題に対して自分の考えを表明することである。

近ごろは「辞令」というと、任命の際のいいわたし書みたいな形で用いられるが、これは本来の意味ではない。

人間というものは黙って相対しただけで<この人物は相当な出来だな>とか、あるいは<すっとん狂な軽薄才子だな>ということが大体わかるものである。
まして、ものをいう段になると、のっぴきならぬものが出る。

実際、できた人間の言葉には一言一句にこくと迫力があるが、できていない人間は、まことに他愛のない言葉をカンナくずに火がついたみたいにペラペラとしゃべる。
しかも、この微妙な問題は、にわか仕立やつけ焼刃ではどうにもならないのである。
いわば、ごまかしが絶対にきかないのだ。

それだけに「応待辞令」で人物を判断するというのは、さすがに五千年の歴史をつみ重ねた漢民族の叡智である。

「人間には耐えられない侮辱が二つある。ユーモアのセンスがないという断言と苦労しらずだという断言と」
シンクレア・ルイスの名言だが、まず「応待辞令」のしゃれた小噺から入っていこう。

ある男がすてきな扇をもっていた。
藤原道長がこれをみて、「誰の扇かね」ときくと、「和泉式部のさ」と得意気に答えた。
平安時代は、恋のあかしに扇を交換したものである。

いささか、ジェラシーを感じた道長は「ちょっとみせてくれ」といって扇をとると、それに一筆したためた。
「うかれ女の扇」
和泉式部は一生、恋愛に終始した情熱家だから、この文句は相当、カンにさわったに相違ない。
ところが、和泉式部は、さあらぬ態(てい)で道長の筆の下にさらさらと書き加えた。


今回は以上です。

さて、和泉式部は道長の文句の下に何と書いたのか、は次回のお楽しみということですが「応待辞令」のしゃれた小噺ということですので良ければ道長の「うかれ女の扇」という文句の下に書く加えた言葉を思い浮かべてもらえれば、と思います。

尚、メルクマールとは、ものごとの判断基準で簡単に言えば目安
さあらぬ態(然有らぬ)とは、なにげない・なにくわぬ様子や態度