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2015年03月26日
それぞれの立場?
前回は、独禁法というような堅い話で面白くなかったかも知れませんが、運命に従順な治世むきの財界人である稲山嘉寛氏について前回の続きを伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」よりみていきます。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

ちょっと、その生いたちをみてみよう。
稲山は花のお江戸のどまんなか、銀座五丁目に生まれ、泰明小学校に入り、中学は府立はむつかしいからと錦城中学に進んだ。
四年で水戸高校を受けて失敗。五年の時は「杜(もり)の都」にひかれて二高を選んだ。
二高時代、兄が法律をやっているのをみて面白くなり、東大法科を志したが、むつかしそうなので、無試験で入れる商学科を選んだ。

評論家の草柳大蔵はこれを評して「これは稲山が怠けものだということではなく、一途に思いつめることを野暮とみる銀座育ちの性格が人生を多目的にみさせているのである」といっているが、要するに運命に逆らったことは一度もなく、その従順さが運命の神に愛されてぐんぐん伸びてきたのである。

だから、「運命にチャレンジする」タイプの土光に今年の経済乱世をのりきってもらい、大体、治世への荒ごなしが終わったところで来年<昭和五十四年>五月、「運命に愛される」稲山にひき継いでもらうのが「最も理想的な交替だ」というのが「財界」の考え方である。

まさしく、乱世には「乱世の学」、治世には「治世の学」が必要である。
もし、その適用を誤まると、再び、大混乱をひきおこすことになりかねないのである。

「天下ヲ以テ人ニ与ウルハ易ク、天下ノタメニ人ヲ得ルハ難シ」

と孟子の一言にもあるように、天下を他人に譲ることは、まだ容易だが、譲った後、天下のために最良の人材を得ることは、たやすいことではない。


今回は以上です。

稲山嘉寛氏について、上記では「運命に愛される」タイプとされていますがWikipedia によりますと、入学・入社試験では苦労されたようで官営八幡製鐵所に入所されてからは販売畑を歩み日鉄分割後は八幡製鉄で社長に就任し、富士製鐵社長の永野重雄とともに、公正取引委員会他の反対を乗り越えながら新日本製鐵の誕生を実現させました。

稲山が合併推進に尽力したのは、1960年代後半から業界の過当競争が激しくなり、価格安定のためには1位・2位メーカーが合併して需給調節をするしかないということからであり、つねに「競争より協調を目指すべき」という信念が行動原理として貫かれており、「ミスターカルテル」の異名を取るに至った、とあります。

前々回、人生五計のところで経団連会長の座が土光敏夫<東芝相談役>から稲山嘉寛<新日鉄会長>へバトンタッチされると取沙汰され、大部分の新聞が、それを決定的人事として報道した、ところが、結果はひっくり返って土光留任となった、という件はこういう背景もあったのでしょう。

三木武夫と稲山嘉寛とでは天地雲泥の差があるかと言えば、乱世や治世というほどのことではなく、それぞれの立場の違いと言えるのではないでしょうか?

前回の伊藤肇の記述には単にヨイショ記事のような印象を受けるだけで伊藤肇なら、もっと琴線に触れるような言葉を吐いて欲しいと感じた次第です。






2015年03月19日
この件(くだり)には反発を感じます
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」は著者の記述に共感するところがあり紹介して来ましたが今回紹介する件には私自身は反発するものを感じるものです。

前回は当時の経団連会長、土光敏夫氏の人生五計の続きになりますが良ければ前回の記事に目を通してから今回分を見ていただければ、と思っています。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

そのせっかくの「老計」がまっこうから否定されてしまったのは、今年<昭和五十三年>は日本経済が乱気流にもまれる年で、すぐれた指導者が強力なリーダーシップを発揮しないと、日本株式会社は沈没してしまうからだ。

それは、政界が最も重大な時期にもかかわらず、「モーニングをきた蝙蝠安(こうもりやす)といわれる無能なバルカン政治家、三木武夫を総理にしたばかりに、自民党株式会社は更生法適用寸前にまで追い込まれた苦い経験をもっているので、財界が一層、神経質になったのである。

シューマン・プランの作者、ロベール・シューマンは「政治における最悪の態度は、決定を行い得ない態度であり、さらに悪いのは相矛盾する決定を行うことである」といっているが、一国の指導的地位にある人物が、事にあたって、明確な決定を行う勇気に欠け、部下から、あるいは国民から、その軽重を問われるようなことがあると、それは国家滅亡の原因になる、という意味である。

三木武夫は、まさにそのダメ政治家の典型を演じたのだ。
例えば「独禁法の改訂」である。
それまでは独禁法のドの字もしらなかった三木が、総理になると間もなく「何が何でも、この法案だけは通す」といきまいたものの、猛反対にあって、「やはり無理か」とひっこめるとみせかけておきながら、三木一流の陰湿な裏面工作で共産党の要求まで丸のみして衆議院を全会一致で通貨させ、<してやったり>とほくそ笑んだのも束の間、参議院で、あえなく討死となった醜態は、三木自身の鼎の軽重を問われるものだ。

いうまでもなく、この三木武夫と稲山嘉寛とでは、見識においても、現実処理能力においても、品性においても、天地雲泥の差である。
しかし、どちらかといえば、乱世むきの荒法師、土光に比べると、稲山は運命に従順な治世むきの財界人である。


今回は以上です。

政治的なことは別にして、Wikipediaによれば公職選挙法改正案と政治資金規正法改正案、そして自民党総裁選の制度改正とともに、三木が熱意を見せたのは独占禁止法改正であった。

背景としてはオイルショック時に起きた便乗値上げや売り惜しみ、価格カルテルといった反社会的とも言える企業行動に、世論の非難が集中したことが挙げられる。
公正取引委員会は1974年(昭和49年)9月に独占禁止法改正案の骨子を発表しており、三木は自由主義経済における公正なルール確立を目指し、公正取引委員会案をもとにした独占禁止法改正を提案することになった。

三木が独禁法改正に取り組むことが明らかになると、消費者団体などからの賛成意見、そして財界、自民党などからは反対意見が出され、賛否の論議が高まった。

財界の反対意見は、オイルショックによる深刻な不況の影響を受けて日本経済が危機に陥っている中で、企業活動の活力を奪い、国際競争力を失わせる独禁法改正を行うことは認められないという意見であった。


上記はWikipediaより一部を引用いたしました。

三木武夫と稲山嘉寛とでは天地雲泥の差があるか、どうかは次回に見ていきます、それにしても三木武夫という政治家のどうこう以上に、この件はあまりにも一方的な見方に過ぎるように私は感じて少なからず反発を覚えます。


2015年03月12日
人生五計
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から前回は運・運命ということで日露戦争当時の東郷平八郎提督と乃木希典将軍についてのお話でしたが今回は財界の人事と人生観についてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

この運命に関連して、生々しいエピソードを思い起こす。
「財界総理」といわれる経団連会長の座が土光敏夫<東芝相談役>から稲山嘉寛<新日鉄会長>へバトンタッチされると取沙汰され、大部分の新聞が、それを決定的人事として報道した。

ところが、結果はひっくり返って土光留任となった。
たしかに土光が「八十一歳となったので老齢のため、後進に道を譲りたい」と洩らしたのは本音である。

筆者自身、それをきいた時、「土光は人生の五計のうち、老計を考えているな」と直感した。
人生の五計とは次の五つである。

第一に「生計」。我、いかに生くべきか。普通、生計と言うと、「暮らし」の意味だが、ここでは、もっと本質的な問題。
第二に「身計」。いかに身を立てるか。自分の社会生活のあり方。
第三に「家計」。家庭をいかに営み、維持していくか。

第四に「老計」。いかにうまく年齢をとるか。
美しく死ぬのは、さほどむつかしいことではない。だが、美しく老いることはむつかしい<アンドレ・ジイド>

第五に「死計」。いかに死すべきか「死をみること帰するが如し」いうところまでいけば「死計」を確立したといえよう。

この「五計」を要約すれば、結局は第一の「生計」つまり「いかに生きるか」に尽きるが、人間である以上、老いれば、その延長線上に死が待っているのは当たり前のことである。

事実、老人に会う時は、必ず、<あと、こうして何回くらい会えるだろうか>という思いが胸中をよぎる。
そして、「一期一会(いちごいちえ)」の言葉の重さを嚙みしめるのが常だが、なかには、この「当たり前のこと」を全く感じさせない老人もたまにはいる。

土光は、その数少ない老人の一人だが、それだけに「老計」の意味は重大である。


今回は以上です。

人生五計とは中国宋時代の朱新仲がまとめたもので日本では安岡正篤氏が「人生の五計」という本を著し解説しています、伊藤肇は安岡正篤の高弟を以て任じていることから人生五計という言葉が出てきたものと思います。

普通は「生計」というと経済的な暮らしのことを指す場合が多いのかも知れませんが「生計」とは己が生きて行く上で、如何に死すべきか、と対をなす人生のテーマとしての生き方を問うものであるということです。
話が難しくなりましたが、上記にもありますように「如何に生きるか」は幾つになっても人として常に問われるもなのでしょうね。

それだけに、この後の続きはが気になりますが次回をお待ち下さい。


2015年03月05日
運をつかまえる
福人吉士ということで前回は曲眉、豊頬、大耳、鞭体、清声の5つについて、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から紹介しましたが今回はについてのお話です。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

リコーの大植武士(おおうえたけし)が社長に就任した時の第一声は極めて異色だった。

「勢いに乗るコツを掴むのはむつかしい。 それは運をひっぱってくることだ。
世の中には、今日いえば、悪い結果をもたらすが、明日いえば、うまくいく、といった何かがある。

この運をうまくつかまえるパターンはないが、だから企業経営は面白いともいえる。
リコーは振幅は大きいがついている会社だ。
トップというのは運をひっぱってこなければダメだと思う」

上に立つ者は、悪運だろうと、何だろうと、とにかく運が強くなくては、その資格がない。

たとえば、軍隊においても、戦時統御(せんじとうぎょ)の鍵は部下を殺さないことである。
「あの隊長の下におれば、決して死ぬことはない」ということであれば、部下は、どんな苦労をしてでもついてくる。

また、シェークスピアが「人々の運命に満潮と干潮とあり、この潮勢を機敏に捉えるもののみ彼岸に達する」といっているのも同じことである。

そういえば、司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』の中に印象的な一節があった。

戦争というのは、国家がやる血みどろの賭博であるとするなら、将軍というのは、この賭博を代行する血の勝負師であらねばならない。
当然、天性、勝負運の憑(つ)いた男であるべきだ。
賭博の技術は参謀がやるとしても、運を貸すのは将軍でなければならないからだ。

海軍大臣の山本権兵衛は、連合艦隊司令長官を選ぶにあたって、何人かの提督のなかから、最も名声がなく、しかも舞鶴鎮守府司令長官という閑職にいた東郷平八郎をえらび、明治帝から、その理由を下問されると、「この男は、若いころから運のよかった男でございますので」
と答えた。

山本は、戦争とその執行者というものが、どういうものであるかを知りぬいていたのだ。

乃木はその点、あくまでも憑いていない男であった。
彼に与えられた最初の参謀長は、誰もが唖然とするほど、その任にふさわしくない男であったし、次に総司令部がやった乃木軍司令部の大異動で赴任してきた小泉正保は、まだ一発の弾丸もうたず、敵の顔も見えず、集結地にすら着いていない汽車から転落事故をおこすという態たらくだった。

事実、乃木はいたずらに犠牲ばかり多くだして、旅順要塞を攻めあぐみ、結局は、満州軍総司令部の児玉源太郎が乃木にかわって指揮をとり、やっと陥落させた。

こういう悲劇的な運命が乃木にはいつもついてまわり、あたかも、負け戦一歩手前ともいうべき黒溝台の会戦前後などは、殺気だった参謀たちが「乃木閣下が来られると縁起が悪い」とささやきあった程である。


今回は以上です。

運をつかむコツというものは、あるのかも知れませんがコツと言うよりは運をつかまえる、と考えた方が分かり易いように思います、人生前向きに捉えていれぼこそ感じるものが運というもので運をつかまえることこそ勢いに乗るコツと言うものでしょうね。

また、上記では司馬遼太郎の「坂の上の雲」から東郷平八郎将軍と乃木希典将軍について、触れられていますが東郷平八郎将軍は別として乃木将軍には厳しい見方をしていますが、これは「坂の上の雲」によるもの旅順攻囲戦が難航したことによる乃木愚将論によるもので実際は誤解などが多くあり公平な評価とは言えないようです。

司馬遼太郎の見方をは、ある意味で乃木将軍が殉死したことで神格化された影響もあるのかも知れませんね。