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2015年01月29日
惜福
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より、長頸鳥喙(ちょうけいうかい)の相を持つ越王、勾践(こうせん)と范蠡(はんれい)の話からナンバー2 の生き方ということを紹介して来ましたが、今回は話を戻してその後の范蠡(はんれい)の生き方から惜福ということを取り上げます。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

越王、勾践のもとをうまくのがれた范蠡(はんれい)は船で太湖から揚子江に入り、海に逃れて斉の国へ入った。

ここで「産ヲ治メテ数千万ニ至ル」。 そして「斉人(せいひと)、其ノ賢ヲ聞キ、以テ相(しょう)ト為ス」とある。
范蠡(はんれい)の識見、人物に惚れ込んで、宰相の地位に就いてほしいと懇願した。
越であれほどの手腕をふるい、あれほどの大功業を成しとげた人物だから、治績は大いにあがり、数年は瞬く間に過ぎていった。

ここまでいきつくと、かなり修練を経た人物でも、つい驕慢になるものだが、范蠡(はんれい)は

「一実業家としては身にあまる財を築きあげた上に、平民から成りあがった者としては、最高の位である宰相にまでのぼりつめた自分だが、はてさて、金と名誉の両方を長い間、独占していたなら、必ず不幸のもとになる」

といって、尽く、その財を散じ、重宝<大事な宝>だけをもって、人目をさけるように陶の国へ去った。
もちろん、陶でも実業家として、数億の資産を築き、「陶朱公(とうしゅこう)」と自称したが、中国では、その後、富裕の表現に「陶朱の富」という成語をつかうようになった。

范蠡(はんれい)ならずとも、人生のある時期、バカ当りに当るときが誰しもある。
そういう時は、何もしなくとも、富も名誉も地位も、どんどん、向うからやってくる。
ところが、それを手当たり次第にとり込み、貪婪(どんらん)飽くことを知らぬと、やがて、思いもかけぬことでつまづいて、下手をすれば没落してしまう。

幸田露伴<明治・大正にかけての文豪>は

「幸福に遇う人を観ると、多くは惜福(せきふく)の工夫ある人だ」

と、人生の英知を書きのこしているが、人間、あまりにも幸福すぎる時には、<待てよ!>と、その幸福を反省してみる必要があるのだ。


今回は以上です。

誰しも人生のある時期、バカ当りに当るときがある、ということですが、バカ当りとまではいかなくても小当りから中当たりぐらいまでなら経験された方も多いのではないでしょうか、否まだ小当りもないという人もおられるでしょうが逆に言えば、これからバカ当りの可能性が大と言うことで良い方に考えたいものですね。

ただ、ここで言われている「惜福」は読んで字の如し、自らに与えられた福を、取り尽くし、使い尽くしてしまわずに、天に預けておく、ということで、その心掛けが、再度運にめぐり合う確率を高くするという意味です。
こういう意味からすれば、私の場合はチョット使い過ぎたようにも思わないでもありませんが、惜福を心がけて再度運にめぐりあう確率を高めたいものです。



2015年01月22日
ナンバー2の生き方
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介していますが、少しは興味を持ってもらえたでしょうか、これからが佳境という段階で今回は越王、勾践(こうせん)と臣、范蠡(はんれい)、文種(ぶんしょう)からナンバー2についてを紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

英雄というものは、まことに身勝手である。
用事のある間は、その人間を大切にするが、功業成って収穫期に入ると、かっては下へも置かぬほど大事にした功臣を次々と粛清してしまう。

越王、勾践然り。漢の高祖然り。日本でも源頼朝、織田信長みな然りである。
英雄はすべて独裁者である。
独裁者は、すべての政治的批判や造反を容赦なく弾圧することによって権力を保つ。

マキャベリなどは「君主は宰相を優遇せよ。しかし、与えるもの以上を望ませるな」とか、「君主は愛されるより恐れられよ。恐れられるほうが安全である」とまでいっている。

しかし、弾圧が昂じてくると、独裁者に反感をもつ連中は「ナンバー2」つまり将来の独裁者になるはずの人間のもとに集まってくる。
その動きを「今日の独裁者」がキャッチすると、直ちに「ナンバー2」をチェックし、時によっては消してしまう。

かって「大長征」のあげく、延安に逃げ込んで、穴居生活までして「患難」を共にしてきた同志を天下をとると同時に林彪(りんぴょう)を使って、元国家主席で実権派のボス、劉少奇を追放し、用が済んだら、林彪(りんぴょう)に叛乱罪をおっかぶせて抹殺してしまったし、総参謀長にいたっては1955年の黄克誠、66年の羅瑞卿、68年の楊成武、そして71年の黄永勝と次々に消されている。

また、スターリンも、後継者として自他ともに許していたキーロフを闇から闇に葬ったあと、後任として台頭してきたジュダーノフを頓死せしめている。

日本では、天智天皇が病に倒れたとき、実弟の大海人皇子(おおあまのみこ)を呼びよせ、帝位を授ける旨の勅命を下し、もし、それを喜んで受けとったら、直ちにバッサリやる計画だった。

前に、「漢の高祖然り」と書いたが、その高祖に謀られて縛(ばく)についた「股くぐり」で有名な韓信が

「果シテ人ノ言ノ如シ。『狭兎死シテ走狗煮ラレ、飛鳥尽キテ良弓蔵(おさ)メラレ、敵国破レテ謀臣亡ブ』ト。天下スデニ定マル。臣、固(もと)ヨリ煮ラルベシ」と悲痛な台詞を吐いている。

まことに「ナンバー2」の生きかたはむつかしい。


今回は以上です。

粛清と言うとスターリン大粛清がよく知られていますが、どんな強い権力を持つ独裁者であろうと不老不死というわけにはいかないことは言うまでもありません。
しかし、強い権力を持てば持つほど不老不死という錯覚に陥るものかも知れません。
それだけにナンバー2の地位にある人の生き方が、より難しいものと言えるかも知れませんね。

「果シテ人ノ言ノ如シ。『狭兎死シテ走狗煮ラレ、飛鳥尽キテ良弓蔵(おさ)メラレ、敵国破レテ謀臣亡ブ』ト。天下スデニ定マル。臣、固(もと)ヨリ煮ラルベシ」とは、

韓信は言った、果たして人の言ったとおりだった。
すばしこい兔が死ねば優れた猟犬は(猟の必要がなくなって)煮殺され
天高く飛ぶ鳥がいなくなれば、良い弓はしまわれ敵国が負ければ智謀にすぐれた家臣は無きものにされる。
天下はすでに平定された。私は当然殺されるはずだったのだ。
という意味で高祖は後に韓信を許して、淮陰侯としました。

尚、韓信の股くぐりとは、

韓信が若い頃、町のごろつきに喧嘩を売られたが、韓信は大志を抱く身であったからごろつきと争うことを避けた。
言われるまま彼の股の下をくぐらされるという屈辱をあえて受けたが、その後韓信は大成し、天下統一のために活躍したという故事から。
将来に大望のある者は、目の前の小さな侮りを忍ぶべきという戒めです。
(ナンバー2、の生き方とは直接関係があるものではありません)


2015年01月15日
衆口ハ金ヲモ鑠(と)カス
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より十八史略からのお話です。

 長頸鳥喙(ちょうけいうかい)の相を持つ越王、勾践(こうせん)の許を去った范蠡(はんれい)は心友で大夫(家老職)にある文種(ぶんしょう)に密書を送って逃亡を進めたが文種(ぶんしょう)は越王、勾践(こうせん)への未練が断ちきれず決断出来ないまま病と称して出仕しなくなったところまでを紹介しましたが今回はその続きです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

文種は范蠡につぐ功臣である。
おまけにその范蠡が去った今となっては、ただ一人、位人臣を極めた宰相である。
当然、やっかむ向も多かったはずである。
それらの連中が、ここぞとばかりに越王、勾践に中傷する。

「文種は君主の右腕となって呉を平定し、よく君主をして覇者(はしゃ)たらしめましたが、そのためにこれといった特別の恩典にもあずからず、領土さえも与えられていません。
文種はそれを根にもって出仕しないのです。
いや、仮病をつかって家にひきこもり、ひそかに叛乱の準備を進めているに相違ありません」

「衆口ハ金ヲモ鑠(と)カス」という。

はじめのうちは<そんなバカなことが>と思っていても、大勢の者がくり返し、くり返し、いろいろなことをいってくると、相当できた人物でも<ひょっとすると>と疑惑を生じ、それがつみ重なると、疑心暗鬼で目にふれるものが悉く疑わしく見えてくるのが人情である。

ついに越王、勾践は「文種(ぶんしょう)に異心あり」と思い込み、属鏤(しょくる)の名剣を送る。
「この剣で命を断て」という意味である。

文種はぐずぐずしていて范蠡の忠告に従わなかったことを悔いつつ、剣に伏して自らの命を断った。


今回は以上です。

「衆口ハ金ヲモ鑠(と)カス」、この言葉は現代でも十分にあてはまるものがあります。

やっかみや妬みからあらぬ噂を立てられたり中傷されたりと言うことがあり、それを耳にする方も「そんなバカなことが」から疑心暗鬼で目に触れるものが悉く疑わしく見えてくるのが人情でもあると同時に人の心の闇と言えるのかも知れませんね。



2015年01月08日
長頸鳥喙(ちょうけいうかい)
今年も伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」をよろしくお願いいたします。
と、いうことで「十八史略」に出てくる人相に関するお話です。

前回(12月25日)の続きで越王、勾践(こうせん)の許を去る決意をした臣、范蠡(はんれい)に対し越王、勾践(こうせん)は書を送り、半ばなだめ、半ば脅したところ范蠡(はんれい)まで紹介しました。
今回はこの続きです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

范蠡(はんれい)また書を送る。

「君主が臣を誅殺しようとお考えでしたら、そうなさるがよろしかろう。
ただ、臣は臣の思うところを行うまでです」

もちろん、この手紙が勾践(こうせん)の手もとへ着くころには、范蠡(はんれい)は輕宝、珠玉を荷づくりし、家族や家来たちと船に乗って、行方しれずになっていた。

ひとまず、斉(せい)の国に落ちついた范蠡(はんれい)は心友の大夫<家老>、文種(ぶんしょう)に密書を送って逃亡をすすめた。

「勇略、主ヲ震ワス者ハ身危シ、功、天下ヲ覆ウ者ハ賞セラレズ。足下ノタメニ之ヲ危ブム」

これに対して、文種は決断できぬまま、次のような返事を書く。

「王ノ我ヲ遇スルコト甚ダ厚シ。我ヲ載スルニ、ソノ車ヲ以テシ、我ニ衣スルニ、ソノ衣ヲ以テシ、我ニ食ワシムルニ、ソノ食ヲ以テス。我、コレヲ聞ク。
人ノ車ニ乗ル者ハ人ノ患(わずらい)ヲ載ス。人ノ衣ヲキル者ハ人ノ憂ヲ抱ク。人ノ食ヲ食スル者ハ人ノ末ニ死ス。
我、豈(あに)、利ニ向ッテ義ニ背クベケンヤ」

自分の意中を理解されぬことを口惜しがった范蠡(はんれい)が再度、密書を送っていわく

「越王ハ人為(ひととなり)、長頸鳥喙(ちょうけいうかい)ナリ、与(とも)ニ患難(かんなん)ヲ共ニスベキモ、与(とも)ニ安楽ヲ共ニスベカラズ。子(し)、何ゾ去ラザル」。

「長頸鳥喙(ちょうけいうかい)」は「首が細長く、唇が鳥のようにとんがっている」という意味と「黒ずんでいる」という二通りの解釈があるが、何れにしても人相のよくない、独占欲が旺盛で猜疑心の強い凶相である。
そういう男とは「患難」を共にすることはわりあいできるものだが「安楽」とか「富貴」をともにすることは難しい、と忠告したのである。

文種(ぶんしょう)は、内心、ハッと思い当る節があったが、人間の悲しさで、越王、勾践への未練が断ちきれなかった。
しかも、最も拙劣なことをやってしまった。
病と称して出仕しなくなったのである。
文種ほどの智慧者としては、「魔がさした」としか説明のしようがない。


今回は以上です。

長頸鳥喙(ちょうけいうかい)の相、「首が細長く、唇が鳥のようにとんがっている」また「黒ずんでいる」ということですが人相というよりも寧ろ内面的な特徴として独占欲が旺盛で猜疑心の強い人って確かにいますね、仕事などの苦しい時は同じ仲間として親しく接していたのが成果が出るようになると自分の手柄のようにする人がいるものです。

仕事などの成果を独り占めするだけなら、まだ我慢も出来ますが、うまくいかなかった時に人の所為にして遠ざけて決して近寄ろうとはせずに自分の保身を図る人が上司の場合は最悪ですね。

このお話を読んで昔のことを思い出しました。

2015年01月01日
志気に老少なし
平成二十七年(2015年)元旦、新年あけましておめでとうございます

旧年中は拙ブログにお出でいただきまして誠にありがとうございました。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、いつもなら前回の続きで伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」の続きを紹介するところですが、今日は元旦ということなので私の好きな言葉を紹介して年頭の挨拶とさせていただきます。

「一燈を提げて暗夜を行く。 暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め。」

意味は見てもらったその通りで、暗い夜道を提灯を掲げて一人行く、暗い夜道を嘆き悲しむな己の掲げている一燈をひたすらに信じて歩むということです。
頼む一燈は人それぞれのものがあるでしょうが、ともすれば気弱になる時に、この「只一燈を頼め」という言葉で迷いかけた夜道の視界がスッと開けるように感じます。

もう一つは

「血気に老少ありて、志気に老少無し」

血気は年齢とともに衰えても志さえシッカリしていれば年齢は関係ないというもので次の有名な言葉につながります。

「少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。壮にして学べば、
則ち老いて衰(おとろ)えず。老(お)いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。」


何れも佐藤一斎「言志四録」からです。

年頭にあたり改めて自分に言い聞かせています。

伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」次回からいつも通りに更新していきます。