広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
<< 2014年07月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ゼットキ
人物論 (03/25)
小町
人物論 (03/24)
ゼットキ
何度も読み返し得る本 (03/05)
yume
何度も読み返し得る本 (03/05)
ゼットキ
爵禄は得易く、名節は保ち難し (11/21)
プロフィール

ゼットキ
特になし
http://fanblogs.jp/nnnanikore/index1_0.rdf

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2014年07月30日
人生の紛失
入院中もオペ直前まで相場を張り、世間から大金持ちと言われるようになっていた強気一点張りの怪物相場師にして経営者でもある近藤信男が「死の床」についたときには、お金について考え方がかわっていたことを前回に引き続いて相場師列伝より紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

ところが、その同じ近藤が、今度、「死の床」についたときには、台詞(せりふ)の内容がかなりかわってきた。

「世の中のことは、すべて金で解決がつくと思い込み、何でも彼でも、金を握らねばと夢中で働き、はっと気がついたときには、いわゆる『大金持ち』になっていた。
ある意味において人生の目的を達したようなものだ。

しかし、そこで感じたことは、金がなく、貧しければ貧しいで、いいことと悪いことがあるように、金があればあるで、いいことと悪いことがある。

いうなれば、『大金持』になるということは、苦労がなくなることではなくて、苦労の種類がかわるにすぎないことがわかった。
しかもだ、オールマイティと信じていた『大金持』も死の前には無価値だ。
虚しいなあ」

これまでの近藤信男には仕事だけがあって、人生を紛失していた。
この紛失していた人生を死に直面してはっと思い出したのではないか。


以上です。

人生の紛失と言うよりも「大金持」というモノは全て死という前には確かに無価値なのでしょう、しかし、人がやろうとしたコトは決して無ではなく残っていくものではないでしょうか。
近藤信男は立派に父親の事業を経営手腕と相場を通して引き継いだ人生だったコトこそ彼の人生そのものと言えるように思います。

人は誰しも人生と向き合う中で、己の生き方を常に問いかけながら生きていくのでしょうね
人生とはモノとコトの理と言えるのかも知れません。


2014年07月23日
金ののこしかた
今回は胃潰瘍で入院しオペ直前まで相場を張り続けた怪物相場師と言われた近藤信男の「金ののこしかた」について、いつものように相場師列伝から紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

入院中、伊藤忠商事会長の越後正一(当時社長)が見舞にきていった。
「近藤はん、いくら金を残したかて、九割は税金にもっていかれるんや。考えてみりゃ、あほくさいことでっせ」

ま、あまり齷齪(あくせく)しないで、入院中くらいは相場から離れて、のんびりしたら、どうですか、という意味を言外に含めていたが、近藤には全然、通じなかった。

「そういいますけどなあ。100億のうち九割税金にもっていかれたら、10億のこりまっしゃろ。
1000億残しとけば、100億のこりますがな。やっぱり、銭は儲けときませんとなあ」。

この一言には、海千山千の越後正一が、しっぽをまいて退散した。
こういう啖呵(たんか)が切れるだけあって、近藤の税金対策は万全だった。
白壁町の本宅も犬山や熱海の別荘も全部、会社の名義になっており、この会社の株は99.9パーセント近藤信男のものだった。

それを、年月は忘れたが、紡績が不況のどん底にあったとき、名古屋国税局に一株70円の評価をさせて、贈与税を払い、全株、長男の近藤禎男名義にしてしまった。
このため死んだ時には相続税でごっそりやられる破目にもならず、近藤紡の全財産はそっくり、そのまま近藤禎男に引き継がれた。
先の先まで考えた心憎いやりかたである。


以上です。

お金を残す人は考え方が違うのでしょうか、九割税金にもっていかれても後の一割をどのように受けとめるか、ということがお金の残し方のポイントなのでしょうね。
それにしても、お金を残す人は税金に強いと言えるのかも知れませんねが、出来れば税金対策を考えるほどになってみたいものですね。




2014年07月17日
オペ直前まで相場を張る
近藤信男という相場師のことから離れて前回は年齢の味という少し人生論的な話でしたが今回は怪物相場師、近藤信男ならでは、について相場師列伝より紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

近藤信男は53歳のとき、胃潰瘍のオペで入院した。
筆者が訪れたのは、偶然にも手術室へはいる前日だった。
大兵肥満の男がやせこけて、坐っているのが辛そうだった。
ただ、眼だけがらんらんと輝いているのが無気味だった。

坐っているのが辛いなら、寝ておればよさそうなものだが、そうはいかない。
受話器を二つもって相場を張らねばならぬのだ。
受話器二つというのは、右の耳で綿糸の相場をきき、左の耳で株をやるのだ。
手術の直前まで、そんなことをやらなくてもよさそうなものだが、一種の業(ごう)の深さを感じて、やりきれない気持ちになった。

電話がとぎれると、缶からピースを一本ぬいて深々とすいこんだ。
「胃潰瘍にタバコをすうなんぞ、無茶苦茶だなあ」と独白(ひとりごと)をつぶやいた途端に、「君には、ホントのタバコのうまさがわかっとらんのだ」と噛んで捨てるようにいった。

これが最後ではないか、というときでなければ、本当の女のいとしさはわからない、というから、タバコも同じことかもしれないと思って、口をつぐんだ。

50をはるかにすぎてからの胃の手術となれば、癌は大丈夫かと懸念し、悩み苦しむのが人情だ。
まかり間違えば、手術室からあの世への直行便に乗せられる可能性もある。
近藤は死の恐怖をおくびにも出さなかったが、心の中では毎日、死と対決していたに違いない。

どんな見舞を受けても、誰にどう慰められても、どうにもなるものではない。
結局、死との対決、病気との戦いは自分独りでやる以外にない。
要するに、自分独りだけという厳しい孤独感にさいなまれる。
それは相場をはるときの孤独感にも似ていた。

相場の世界にあっては、人間のつながりというものはあってないようなものだ。
ひとたび、戦いの火ぶたがきられたら、昨日の友は今日の敵、これはと思っていた親しい奴が敵にまわることは日常茶飯のことだ。

しかし、そんなことをいちいち驚いているようでは相場師にはなれない。
非情の計算に徹した「無倫理の商魂」――それが貫けるか、どうかが、相場師として生きて行けるか、どうかの適否をきめる。

近藤はある時、「相場は一代だ。死ぬ時は相場で死ぬ」と、彼には珍しく文学的表現で嘨いたことがあったが、恐らく、この時も、オペを一種の賭けとみて、その壮烈感と孤独感に陶酔しているような面があった。


以上です。

手術前日も受話器を二つ持って綿糸と株の相場を張るとは、さすが近藤信男ですね。
確かに伊藤肇も指摘するように、ある意味で相場の世界に生きて来た相場師ならではの業のようなものかも知れませんが、やはり彼の中には病気や死との対決において近藤信男という相場師なりの対決法がオペ直前まで相場を張ることであり、一服のタバコだったのでしょうか。
しかし、近藤信男らしい話ですね。



2014年07月09日
二〇の味と五〇の味
怪物相場師と言われた近藤信男も相場の失敗から病床に呻吟するようなことになり、強気一点張りの近藤も今更ながらに年齢を感じていましたが、今回は年齢の味ということで相場師列伝を紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

人間、二〇歳には二〇歳の味があり、三〇歳になれば三〇歳の味がある。
同様に四〇、五〇、六〇とそれぞれのもち味がある。
しかも、それぞれ時期相応の味は、それぞれの時期に到着しなければわからぬようにできている。

三〇歳の味は二〇歳の人間には到底、わかりっこない。
が、三〇歳になれば、わけなくわかる。
いわゆる冷暖自知、自分の体験に俟(ま)つより手はない。

書物から学んだり、あるいは先輩や故老の話をきいて、どうにも腑に落ちなかった点が、その時期になると、豁然大悟したみたいに、「ああ、そういう意味だったか」と、何の理屈もへちまもぬきにして、わかるのが不思議である。

いうなれば、この道だけは、どんな人間にも飛躍や三段跳びは許されない。
それができると錯覚するところから、いろいろなゴタゴタや間違いが起きるのだ。


以上です。

人生の奥深さ、を考えさせられますね。
伊藤肇が、近藤信男が病床で呻吟している、この段階で、この一文を書き「冷暖自知、自分の体験に俟つより手はない」という表現は近藤への励ましだったのかも知れません。
短い一文に味わい深い真理がこめられているように感じます。





2014年07月03日
こたえた中山製鋼の失敗
近藤信男が相場師として最後の戦いとなった中山製鋼の失敗により相場師の限界を意識したかも知れない出来事について、いつものように伊藤肇の筆致を相場師列伝より紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

近藤はソニーで90億円やられたあと、中山製鋼で30億円いかれた。
参院選をドロ沼でふみにじった糸山英太郎の買いに対して、近藤は例の鼻柱の強さで売りまくった。
それが、たかが20代の若僧に土俵の砂をなめさせられたのだ。
もちろん、糸山の背後には右翼のボス笹川良一が控え、何処から出てくるのかわからないが豊富な資金を投入した。

一敗地にまみれたとき、近藤は口にこそ出さぬが相場師の限界を意識したに違いない。
鬱々(うつうつ)として楽しまざる日がつづいた。
機嫌が悪いので、周囲はなるべく敬して遠ざけた。
のっぴきならぬ用事以外は近藤の傍へよりつかなくなった。
それがまた癇(かん)にさわって、時々、感情を爆発させた。

そんな悪循環を繰り返しているうちに持病の糖尿から急性肺炎を誘発して、名古屋大学病院へかつぎ込まれた。
病床にのたうちまわりながら、近藤は今更ながらに年齢を感じた。
かっては「俺は300歳まで生きて、相場を張って張りまくるんだ」といきまいた執念はあとかたもなく消えていた。
親しかった連中が見舞いにいくと、やせさらばえた手をさしのべ、涙をこぼして喜んだ。
強気一点張りの近藤には見られなかった現象だった。

めっきり衰弱した近藤の顔を眺めながら、ふと、明末の碩学、酔古堂剣掃の一節を思い出した。

「人、病床ニアレバ、百念、灰ノ如ク冷ヤカナリ。富貴アリトイエドモ、享(う)ケント欲シテ不可ナリ。
カエッテ貧賎ニシテ健ナル者ヲ羨ヤム。
コノ故ニ、人ヨク無時ノ時ニ於テ、常ニ病ニ想イヲ致サバ、一切名利ノ心、自然ニ掃イ去ラン」


以上です。

今回の部分を紹介しながら、ふと思い浮かんで来たのはアリスの「チャンピオン」でした。
近藤信男も、「帰れるんだ これでただの男に」と思ったのでしょうか。
しかし、怪物相場師と言われた矜持のようなものが彼をしてただの男に帰さなかったのかも知れませんね。


カラーミーショップ








×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。