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2014年06月26日
吾ガ衰エタルヤ。夢ニ周公ヲミズ
伝説の怪物相場師の痛烈な人生も終盤に差し掛かりつつあるところですが、今回は近藤信男というよりも老いがもたらす間隙について伊藤肇の人物観察という観点を相場師列伝から紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

吾ガ衰エタルヤ。夢ニ久シク周公ヲミズ

相場師たると、経営者たると、政治家たるとを問わず、よしこれがいかにすぐれた人物であっても、息をひきとった日から逆算して三年間にやったことは全部、失敗である。

「強盗慶太」と恐れられた東急コンツェルン総帥の五島慶太が東洋精糖の乗っとりに失敗したり、東京ヒルトンホテルとの契約に盲点をつかれて、大損をした上に生き恥をさらしたのも「三年間」のことだったし、池田内閣の実力者といわれた朝日麦酒の山本為三郎ほどの男がサッポロとの合併に二度も苦杯をなめさせられたのも、この「三年間」だった。

トップは決断の連続を強いられる。
だが、その決断たるや、健康なときでさえも、時々、とんでもない間違いをやらかして臍(ほぞ)を噬(か)むのに、まして、体調のすぐれぬときにおいてをやだ。

孔子の叡知をもってして、なお「甚ダシキカナ。吾ガ衰エタルヤ。久シク夢ニ周公ヲミズ」と嘆いている。
若いころはもちろん、壮年時代も、尊敬していた周公の夢をよくみたのに、近ごろは呆けてしまったのか、さっぱりみなくなってしまった。
孔子のように充実した人生ですらも老いがもたらす間隙をいかんともすることはできなかったのである。


以上です。

人は誰も老い死ぬものであればこそ、その生に値する意味を求めるようになるのかも知れませんが、老いるということを改めて考えさせられますね。
怪物相場師、近藤信男はどうだったのでしょう次回をお待ちください。




2014年06月18日
怪物相場師 近藤信男の聞いた話
前回は怪物相場師、近藤信男がソニー売りの理由の一端について、触れましたが近藤道場でソニーが話題となった時にソニー売りの根拠が明かされたたことを相場師列伝から紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

「たしか、あのとき、盛田昭夫は問題児だといいましたネ。一体何が根拠だったのですか」と聞くと、

「いろいろあるさ。しかし、最近、こんなことを聞いたぜ。
石坂泰三がチェース・マンハッタン銀行の社外重役になっているのを老齢なので辞めようといいだした途端に自薦他薦が殺到したが、そのなかの一人に盛田がいた。
盛田は石坂を自宅へ招いて、至れり尽くせりの歓待をした。

これだけやったんだから爺さんも大いに喜んで帰ったと思いきや側近にこういったそうだ。
『盛田の家へ招待されたら、出てくるもの一つ一つに、ほほう、素晴らしい、という言葉を連発しとればいい』。
側近が意をはかりかねて『どういうことですか』と聞くと、
『カネのかかったものを、これでもか、これでもかと出してくるんだ。あいつはなりあがり者だネ』。

この情報を聞いたとき、ああ、もうこれで、チェース・マンハッタンの社外重役は盛田へはいかないな、と思ったら、案の定、三菱商事の藤野(忠次郎、現会長)が収まった。
あわてた盛田は対抗上八方、手をまわして、モルガン・ギャランティの社外重役にぶらさがったってわけさ。
こういうやりかたが、問題児の問題児たる所以(ゆえん)だよ」

近藤としては、珍しく大演説?をぶった。
こんな情報を何処から入れてくるのか。しかも、独特の人物評価だが、ズバリと肯綮(こうけい)を衝いている。
人間、誰しも名声にあこがれ、有名になりたがる。しかし、これをでっちあげてはならない。
有名とは、渋柿が熟して甘くなるように、ひとりでなるものだ。

氏も育ちも立場も違う石坂泰三と近藤信男とが、人間観において、ぴしゃりと一致しているところが面白い。


以上です。

近藤信男という相場師の人間観の面白さを感じさせますが、その近藤の言動を客観的に観察している伊藤肇によって近藤の人間観と言うものがより身近なものとして、その熟柿論は分かり易いですね。
また石坂泰三と言えば経団連会長を長年務め「財界総理」と言われた人です。





2014年06月11日
怪物相場師 近藤信男のソニー売りの理由
怪物相場師、近藤信男がソニー売りに失敗して90億円の損失を出し、その反省については前回でも触れましたが、その中で近藤は「ソニーは依然として売りだ」という考え方を変えていませんでした。
今回は、そのわけを相場師列伝より紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

ソニーを売りまくったのは山勘的にやったわけではない。
ソニーの内容をインチキと睨んだからだ。
その結果、90億円の損失をこうむったが、近藤にとっては、ソニーがまやかしであることにはかわりないのだ。

「理由は?」とつっ込んだら、「数学的にも、いろいろ、おかしな点があるが、社長の井深(現会長)と副社長の盛田(現社長)との間がしっくりいっていないからだ。
トップが喧嘩をやっていて、会社がうまくいくわけがない」。

近藤がいう以上、仲違いは、単なる噂ではなかった。
しかるべき筋から正確な情報を入手しているに違いなかった。
今までも、座興に、ふと漏らした感慨が相当、あとになってから、〈ああ、あのことだったか〉と思い当たることがしばしばある。

「いずれ盛田昭夫が社長になるだろうが、これが相当の問題児だ」〈大変なことをいう親爺だな〉と思ったが、反駁する材料もないままに口をつぐんでしまった。
そんなことがあって、四ヵ月くらいあとに、『週刊朝日』が「ソニーの黒い霧」に火をつけた。
五〇〇〇円近くまでいった株価は半値以下に暴落、ソニー神話が崩壊した。

まさしく、近藤のいう通りになったわけだが、既に済んでしまった勝負なので、忘れるともなしに忘れてしまった。
ところが三年ほどたったあるとき、「近藤道場」でソニーが話題となった。
瞬間、犬山でのやりとりが鮮やかに脳裏に甦ってきた。


以上です。

この相場師列伝という本は昭和49年11月から51年3月までマネー誌に連載されたものをまとめたものです。
盛田昭夫氏が福社長時代ですから随分昔のことになりますが、盛田昭夫氏と言えばソニー社長と言うよりも名経営者とされていますので人によっては評価が分かれるところもあったのでしょうが近藤は何を根拠にしたのでしょう。
引っ張るわけではありませんが次回をお待ちください。







2014年06月04日
相場師、近藤信男 ソニー売りの反省
相場師、近藤信男はソニー株の売りで90億円の損を出しましたが、そのソニー売りの失敗を近藤自身はどのように感じていたのかについて、相場師列伝から紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

近藤信男が口惜しがったのは90億円の損失ではなかった。
綿密にたてた計画が、ものの見事にひっくり返されたことについて、自分自身に腹をたてた。
しばらくはメシより好きな相場にも手をださなかった。

そのうち、土曜日になると、名古屋近郊の犬山の別荘にこもった。
木曾川の清流に臨んだ瀟洒(しょうしゃ)な造りで、庭には四季おりおりの花が絶えず、俗塵をのがれて、考えるには、もってこいだ。

まさか、そんなことはありえないことだがひょっとして、「今夕、タダ風月ヲ談ズベシ。公事ニ及ブベカラズ」と門人に語った梁の名相、徐勉の心境にでもなったのではないかと思って、一日、犬山を訪れた。

最も現実的な魂に最もロマンチックな魂が何の矛盾もなく同居している例を沢山知っていたからだ。
近藤は浴衣がけで、あぐらをかき、しきりにキリン・レモンをのんでいた。
アルコールと名のつくものは、全く受けつけなかったが、糖尿の持病で口がかわくため、しきりにサイダーをほしがるのだ。

相場師にギリシャ哲学などは、どうとは思ったが、反応のしかたによっては、風がわりな談話がとれるのではないかと、ぶつけてみた。
「ギリシャの哲学者、ヘカートンが『私の進境?それは私が自分自身に対して友となりはじめたことだ』といい、それをセネカが激賞しているけど、この犬山へは、そんな心の対話をやるために来たのではないおですか」

近藤が皮肉な微笑を浮かべた。
「セネカか、ヘカートンか、大根か知らんが、そんな気持は毛頭ないよ」。
とりつくしまもないいいかただったが、ここでひきさがっては、せっかく、のり込んできた意味がなくなる。
「それでも、ソニー売りの失敗に対する反省はあるでしょう」と、くいさがったら、案外、素直に、「うん、それはある」
と答えた。

「第一は攻勢終末点をあやまったことだ。相場にも戦争と同じような時の勢いというものがある。
勝ちに乗じているときは、どこまでも深追いしていいが、いったん、風向きが変わったら、臆病といわれるくらい大事をとって、次の機会を待つべきなんだ。
それが今度は、意地になってつっ込みすぎた」。

何くわぬ顔はしていても近藤は自分のしたことは、常に腹の中で見つめていたのである。

「第二は何ですか」とたたみかけると、
「相場は一〇歩さきを見通して、二、三歩さきを歩くのが勝つ鉄則だ。
そいつを忘れて一〇歩さきを見こして、一〇歩さきを歩いてしまったよ」

自分の不当や不明をフランクに承認することは、正当を主張するよりもはるかにむつかしい。
まして反省することにおいてをやだ。
しかし、ここで気がついたのは、「ソニーは依然として売りだ」という基本的な考え方が少しも変わっていないことだった。

以上です。

今回は近藤信男の失敗に対して雑誌記者で人物論を得意とする伊藤肇が近藤信男という人間をギリシャ哲学を引き合いにだして観察しようとしますが、現実的な魂はまさに現実的な対応で拙い戦い方をしたことを反省点として挙げながらも自身の見方を変えていませんでしたが、そのわけとは次回をお待ちください。






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