広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
<< 2014年05月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ゼットキ
人物論 (03/25)
小町
人物論 (03/24)
ゼットキ
何度も読み返し得る本 (03/05)
yume
何度も読み返し得る本 (03/05)
ゼットキ
爵禄は得易く、名節は保ち難し (11/21)
プロフィール

ゼットキ
特になし
http://fanblogs.jp/nnnanikore/index1_0.rdf

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2014年05月28日
相場師、近藤信男 90億の損と世間の評価
怪物相場師で事業家でもある近藤信男の日常生活を朝の健康法や仕事ぶりについて見てきましたが、今回は別宅である通称「近藤道場」で夜はどうしていたのか、また90億の損を出した後始末について相場師列伝より紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

夜は沢上の「近藤道場」へ種々雑多な人間が集まった。
相場師、商社マン、バンカーetc‥‥‥。

彼らに勝手にしゃべらせておいて、自分は鼻毛をぬきながら、フンフンと聞いている。
話題がとぎれると、「この問題について、どう思うか」と聞く。
決して、自らは意見を述べない。

こうなると、世間というのは妙なものである。

「偉いもんやでえ、近藤はんは。90億いかれはったのに、ミシッともしやはれへんわ」

風向きがかわって、逆に近藤を高評価し始めた。

おまけに近藤紡績は「株式売買」を定款にうたっている。
株の損は利益から落とせる上に、今まで納めた税金の払い戻しまでいただける。

つまり、法人税は企業が儲かっているときには、情け容赦もなくとりたてるが、ひとたび、赤字をだしたとなると、数年前にさかのぼって利益をプールし、とりすぎになっていたときには返してもらえる仕組みになっている。
おまけに還付加算金という金利までついてくるのだからこたえられない。

近藤坊へいくら戻ったかは知らない。
だが地もとの名古屋国税局では、スケールが大きすぎて手に負えず、本庁がのりだしたほどだから、ちっとやそっとの額ではなかったはずである。


以上です。

夜の「近藤道場」に集まる人たちから有益と思える情報を近藤は取捨選択していたのでしょうが、こういう場には結構面白い話が出て来るもので夜の商工会議所ではありませんが、闇が辺りを包む頃になると人間は不思議と解放的になるものかも知れないことを近藤は知っていたのかも知れませんね。

それにしても世間の評価と言うか見方というのは面白いもので当初は「さすがの近藤将軍も、今度は野村に息の根をとめられたな」と言っていたものがコロッと変えるところは、荒野の一本杉の迫力によるものでしょう。
また税金ってある意味で奥が深いものだけに奥の深さを測る知恵比べのような感じがしないでもないですね。




2014年05月20日
近藤信男 小指のタコ
相場師であり、経営者でもあった近藤信男の一日の始まりは朝の電話と朝食、朝食後に15分ほど横になってから会社に出勤しますが、今回は怪物相場師の小指の思い出ならぬ小指のタコについて、相場師列伝より紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

8時ちょっとすぎには、キャデラックが近藤紡績所の正面玄関に着く。
給仕がドアをあけると、大兵肥満の体をのっしのっしと運んで、製品検査場へ直行、作業用の背広に着かえ、前掛けをしめて、「さあ、もってこい!」とわめく。
そんな大声を出さなくても、各工場から集まった篠巻(しのまき)は、ちゃんと用意してある。

篠巻というのは、荒びきした太い綿が巻きつけてある管で、その綿をひっぱって、強弱を判断し、それをかける粗紡機のゲージを調節させるのだ。
この作業を40年以上も続けているために綿の端をひっかける小指にはタコができ、作業服も篠巻が当たる部分は、わざわざ、つぎが当たっているのに、そのつぎがボロボロになる始末だった。

おそらく、10大紡の社長でも、これだけの努力をしているトップは一人としていまい。
そんなところから「10大紡が全部潰れるようなことがあっても、近藤紡だけは残る」などとささやかれたものである。

篠巻を社長自らが手にとって調べることを百も承知している各工場長は、最優秀と思われるものを送ってくるが、近藤は長年のカンから欠陥をすぐ見破り、ビシビシと指摘した。
名医が顔色一つで病気がわかる如く、篠巻をみれば、その工場が、どんな状態にあるかを的確に把握できた。

工場長にとっては、早朝の電話と篠巻検査で、会わなくても、毎日、人物を試され勤務評定を受けているようなものだった。


今回は以上です。

近藤信男にとって綿糸は本業だっただけに自社の製品検査は近藤自身が直接行ない各工場の状態をチェックしていたのでしょうが、工場長も朝から緊張したことでしょうね。
それにしても小指にタコが出来るほどの努力をしていたからこそ厳しい相場の世界にも立ち向かえるものがあったと言えるのかも知れません。




2014年05月13日
近藤信男 唯一の健康法
怪物相場師、近藤信男は一年のほとんどを近藤道場と呼ばれた別宅で過ごしていましたが今回はその日常生活における唯一の健康法について相場師列伝より紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

近藤の日常は朝6時半、枕もとに置いてある電話のベルから始まる。
豊橋、大津、石津、浜松など10の拠点の工場長から10分置きにかかってくるのだ。
現場の状況を聞いて、適切な指示を与える。

2、3分ですむこともあれば、15分くらいになることもある。
時には大声で怒鳴りつける。
もたもたしている工場長に気合を入れるのだ。

それが終わると、洗面して食事。
ほどよくあぶった鰯の干ものに玉子やき、大根おろしと漬物という簡素さだが、飯と赤だしの味噌汁は、ずばぬけてうまい。

近藤は軽く二杯ほど平らげると、今度は大きな枕をもってこさせて、ごろりと横になる。
鼻歌をうたうこともあれば、寝そべったままで、コーヒーをすすることもある。
その間、おおよそ15分。

それが近藤のやった唯一の健康法だったし、近藤自身、一番、体にいいことだ、とかたくなに信じ込んでいる向きがあった。
食後、暫く横になって、放心状態を続けることがいかに消化を助けるかは、現代医学では既に常識になっている。

指導者のニーチェでさえも、「消化トイウコトハ健康上、一種ノ怠惰が必要デアル。オヨソ、体験ヲ消化スルニモ、ヤハリ同じコトダ」といっているから、胃潰瘍を切ったあとで、医者から特に注意されたのではないか。
もし、そうだとしたら、人のいうことなど、絶対に聞かなかった近藤が素直に耳を貸した唯一の例外として、興味ある事実だったが、ついに聞かずじまいに終わったのは、人間研究の面からいって残念なことをした。


今回は以上です。

近藤信男の健康法として「食後、横になって放心状態を続ける」とありますが朝、工場長との電話によるやりとりが、ある意味で健康法だったのではないでしょうか。
それにしても、飯と赤だしの味噌汁は、ずばぬけてうまいとは伊藤肇もご相伴していたからこそ言えるのかも知れませんが怪物相場師の健康法というところが雑誌記者で人物論を得意とする伊藤肇の目に留まったのでしょうか。




2014年05月06日
近藤信男の別宅住い
相場師、近藤信男の交友関係を前回までは紹介して来ましたが今回は彼の日常の生活ということについて相場師列伝から紹介いたします。

以下、相場師列伝より

近藤信男の本宅は、昔から名古屋の高級住宅地として知られる白壁町にある。
日本信販の山田光成が名古屋財界から頼まれてひきとった桜明荘の並びだし、中京の世話役で、隠然たる力をもっていた佐々部晩穂とも隣組だった。
一風かわっていたのはそれほどの家をもちながら、大晦日と元旦ぐらいしか寄りつかなかったことだ。

「家庭的な団欒(だんらん)を楽しむのも、男なら30歳ぐらいまでだ。
逆にいってみれば、40近くになっても、家族と喜んで遊んでいるような奴は、たいした仕事はできない」

機嫌がいいときによく、近藤が口にした言葉で、文字通り、本宅を離れて沢上にある別邸に入り浸った。
「入り浸った」と書いたが、そこに愛人がいたわけではない。
通称「近藤道場」よよばれ、軍団の参謀本部となっていたのだ。

トップに勤務時間はない。
経営者は夜、眠っているときも経営者だ、とはよくいわれるし耳にもするが、実際に、これをやってのけたのは近藤信男以外にはあまり聞いていない。

もちろん、懸命に努力する経営者は大勢いる。
しかし、絵とか、酒とか、小唄とか、陶芸とかの気ばらしを必ずもっている。
一切、これらのものを拒否して仕事に没入し、仕事を趣味とし、仕事を生き甲斐と化してしまったところに近藤信男の特色がある。

もっとも、近藤の顔色をみて、いちいち気をつかっていたのでは、家族としても息の詰まる思いだろう。
むしろ、沢上にいてくれたほうが、多少は寂しくとも、気が休まろうというものである。


今回は以上です。

近藤信男にとって仕事は仕事でなく、生き方そのものだったと言えるのかも知れません。
己のなすべきこと仕事や趣味という分け方を超越して生き甲斐を感じていたところに人が生きる原点を思い起こさせてくれる気がします

人は誰しもが、それぞれに使命を与えられた存在であるとするなら使命感のようなものが彼をして駆り立てていたのではないでしょうか。




×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。