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2014年04月29日
カミソリ正之の魅力
近藤信男という相場師が付き合っていた人物として政治家では石橋湛山、西尾末広という両氏を取り上げてきましたので今回は同じ相場師仲間としての人物について、相場師列伝より紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

経営者というよりも相場師仲間として「泥棒の相談」でもやれる仲だったのは、伊藤忠不動産社長の越後正之だった。
仕事については「カミソリ正之」といわれる反面、人間的にはユーモリストで情もあった。

近藤の長男禎男(現社長)が慶応を卒業したので、そのお祝いをかねてメシでもくおうと赤坂の田川に集まった。

話の最中、禎男が、何気なしに「塾の連中が『お前は社長の伜だから、就職の心配せんでもええから、羨ましい』といいます」といった途端に、ニコニコ笑っていた越後正之の顔がきゅっとひきしまり、叱りつけるような厳しい語調でいった。

「ボン、親爺はんのあとをうけ継いでやっていくことは、並大抵の苦労やおまへんで。
むしろ、どこかへ就職したほうが、ずっと楽とちがいまっか。
芸者ワルツの『これが苦労のはじめでしょうか』の覚悟でやらんと間違いまっせ」

表現はきつかったが、その底にはしみじみとした感情がこもっていた。

また、こんなこともあった。
一年近く、病床に呻吟している近藤を見舞って帰ったある日、
「声もだせない。動くこともできない。まるっきり生ける屍みたいな近藤はんが気の毒でしょうがない。
いっそ、安楽死させてやるのが慈悲ちうもんや」


ポツリと一言いって口をへの字に結んだ。

この石橋湛山、西尾末広、越後正之という三人の男の焦点に近藤信男の人間像がうかびあがってこよう。

今回は以上です。

社長の息子が必ずしも社長になるに相応しい能力があるとは言えないのは当然で、現社長の親爺が偉大であればあるほど、周りは親爺と比較するものだけに、「カミソリ正之」はこの辺りのツボを芸者ワルツの歌詞になぞらえて指摘したのでしょう。
それにしても鋭い指摘は当にカミソリの切れ味であるとともに、その鮮やかさに情が込められていたのだと思います。

石橋湛山、西尾末広、越後正之という三人を通して近藤信男という人物を相場師としてでなく、一人の人間としての身近に感じてもらえれば幸いです。



2014年04月22日
荒野の一本杉
怪物相場師、近藤信男は政治家では石橋湛山と西尾末広が好きだった、ということで前回は石橋湛山との交友について取り上げましたので今回は西尾末広という政治家について相場師列伝から紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

西尾末広も昭電疑獄で苦労した。
総理の片山哲はグズ哲といわれ、自分は政治資金を一円もださず、カネの苦労は全部、西尾一人におっかぶせて、のほほんと椅子に坐っていた。

敗戦直後の混乱のなかから生まれた社会党内閣である。
カネも物も足りない。
書記長として西尾はいうにいわれぬ苦労を重ねた。
その政治献金を摘発されて、西尾は火の粉を浴びた。

ところが、西尾のおかげで飯をくわせてもらっていた社会党は、一審で西尾が有罪となると、情け容赦なく、西尾を除名した。
そんな社会党に西尾は、つくづくいや気がさしたにちがいない。
後に社会党と袂を分かって民社党をつくった遠因がそこにある。

石橋も西尾も、命を縮めるような、ひどい目にあっていながら、自分の行動については一切弁解をしていない。
行為する者にとって、行為せざるものは、最も苛酷な批判者となる。
一時は石橋も西尾も四面楚歌の悲哀を味わった。

荒野にそびえる一本の立木のような孤独感である。
しかし、人間を鍛え、成長させるのは、この孤独である。
逆説的にいえば、孤独を味わったことのないような奴はトップになる資格はない。

骨を噛むような孤独は辛いことにちがいない。
が、くよくよ焦ったところで、どうにもなるものではない。
そんなときは荒野の立木を自らの運命として、静かに生きていくことだ。
世の中は面白いもので、そういう人物を吹雪の夜でも、千里の道を遠しとせず、訪ねて来る人がきっといるものだ。


今回は以上です。

荒野の一本杉とは石橋湛山や西尾末広には言い得て妙という感じで著者が、その人物的な魅力に惹かれていたのかも知れませんが「荒野の立木を自らの運命として」と「吹雪の夜でも、千里の道を遠しとせず」という行(くだり)は伊藤肇の熱い思いを近藤信男に託しているようで琴線に触れるものを感じます。








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2014年04月16日
近藤信男と石橋湛山
怪物相場師、近藤信男の生きざまということで前回は調停の原理原則として大岡裁きの三方一両損から取り上げましたが今回は近藤が付き合っていた政治家について紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

人物論の一手法に「居テハソノ親シムル所ヲ視ル」(十八史略)というのがある。
仕事を離れたときに、どんな連中とつき合っているかをみれば、その人物の器量がわかる。
近藤は政治家では石橋湛山と西尾末広とが好きだった。

石橋は第一次吉田内閣の大蔵大臣をやり、信念に基づいて、進駐軍がおしつけてきた予算に大ナタをふるった。
特に、造営費をバサリ、バサリと削った。
家を焼かれ、食うものも食えず、敗戦による塗炭の苦しみに喘いでいる日本人にとって、戦勝国とはいえ、ヤンキー達の贅沢は眼にあまるものがあった。

豪壮な将校用の邸宅が続々と建てられるのは、まだしも、日本のいたるところにゴルフ場が開設され、清浄野菜を供給するということで、ガラス張りの温室が数億の予算でつくられた。
すべてが日本政府の負担である。

こんなものを全部、認めていたら、復興にまわすカネはなくなり、日本は永遠に虚脱の底に沈んでしまう。
おまけに対米感情まで、ますます悪くなる。

〈あくまでも筋の通った話だし、大国アメリカの襟度にかけても、大きく呑み込んでいくだろう〉
と思ったのは、石橋のとんだ買いかぶりだった。
何よりも経済科学局長のマーカットが、すっかりおかんむりとなり、石橋が戦時中、新聞雑誌に発表した文章のなかから、不穏な文章をぬき出して綴りあわせて、軍国主義者の烙印を押すという陰険なやり口で石橋を追放してしまった。

石橋が根っからの自由主義者であることを十分、承知していながら、強引にやってのけた占領政策の一恥部である。
日本のために政治に命を賭けようと気張った途端に首をきられたのだから、石橋としては憤懣やるかたないものがあったし、人一倍、気は強いが、さすがに大臣の椅子を去るときには孤影悄然たるものがあった。

そんな石橋が国際電気の株を名古屋で消化しようともち込んできた。
石橋は日本ではじめて地下街をつくった山口達郎(名古屋地下街KK相談役)とは旧知の間柄だったので、山口をたよってきたのである。

山口が早速、近藤信男に紹介したところ、奇妙なほど、二人は意気投合し、名古屋財界の誰もが見むきもしなかった、この株を近藤だけが二つ返事でひき受けた。
以来、二人は、時に石橋が近藤のブレーンとなり、時に近藤が石橋のブレーンとなって、有無相通ずる仲となった。


以上です。

石橋湛山は政治家になる前は東洋経済新報(後の週刊東洋経済)で軍国主義に対し平和的な貿易立国論を展開したリベラルな政治家であり近藤信男と意気投合したのは石橋湛山の確固たる理念に共感したことと政治家としては経済誌の主幹をしただけに経済通であったことなどによるものかも知れませんが、やはり人物としての見識をお互いが自ずと感ずるものがあったと言うことではないでしょうか。





2014年04月08日
三方一両損の調停
怪物相場師、近藤信男について相場師列伝から紹介していますが前回は相場とは関係のないことでしたが今回は名古屋繊維取引所における出来事を紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

「戦の場において、些かでも非情がゆるむことは相場師として堕落である」といいきった「非情の男」近藤信男を名古屋繊維取引所は恩人として感謝広告を日刊各紙に掲載した。

謹啓、今般、当所毛糸市場の波乱により長らく立会を休止する事態を招きまして、関係各位に多大のご迷惑をおかけしましたことを深くおわび申し上げる次第であります。
このたび、近藤信男殿のご尽力によりまして、ようやく二五日より立会を再開いたしました。
つきましては、責任の重大を自覚し、今後、取引所の使命を痛感して、適正な運営を計る決意であります。(38・11・28)

昭和38年11月25日。名古屋繊維取引所は白熱的興奮にどよめいていた。
カラ売買が異常にふくれあがり11月キリだけで8万5000枚にものぼった矢さき、売り方と買い方との間にトラブルが起こり、一時は立会中止になっていたのが、「売り方買い方ともに調停案を守る」ということで、ようやく再開された時も時、調停案にいや気のさした買い方の万栄が、いきなり1万2752枚の買い玉、全量を手じまってしまったために290円安という恐怖相場となった。

今回、特に取引所が設けた1550円の下値制限のワクを軽くつき破って、ジリジリと値を消してゆく。
〈これは相当なケガ人がでる〉死魚の肌にも似た白い底冷えが取引所を支配した。

名繊仲買人協会長の小島太左衛門や名繊取理事長の渡辺喜一が近藤に懇願して底値をささえることになっていたし、さらに東海銀行頭取の金子嘉徳(よしのり 現相談役)が暮夜ひそかに名古屋は沢上の近藤別邸を訪れ「資金はいくらでもだすから‥‥‥」と頭をさげた事実までハッキリしていたのに、一体どうしたことだ。

しかし、次の瞬間、会員たちの顔に安堵(あんど)の色がうかんだ。
松商事が2503枚買ったのを皮切りに、岡地2097枚、豊島2065枚とつづいた。
松商事は伊藤忠の子会社だが、豊島同様、近藤とはきってもきれない関係だし、岡地にいたっては近藤の機関店だ。

やがて近藤紡自らの買い出動となり、さしもの底なし沼の相場が、じりじりと押し返され、それに提灯がついて、大勢がきまり、下値制限1550円の線で総解け合いとなった。

一件落着してから、近藤のところへ遊びに行ったおりに、「非情の近藤将軍が、今度は、また、えらくセンチメンタルなことをやったものですな」とひやかしたら、ぎょろりと眼をむいて、

「君はまだ若いよ、こういう場合には仲に立った奴が得をするようなことをやったら、絶対に調停は成り立たぬものだ。
大岡裁判に三方一両損というのがあるだろう。
あれが調停の原理原則なんだよ」

と、バッサリやられた。


今回は以上です。

三方一両損とは落語に出てくる話で御存知の方もおられるでしょうが話の内容は次のようなものです。

財布を拾うと印形と書き付けと3両が入っていた。
 書き付けから神田竪大工町、大工の”吉五郎”と分かり届けてあげると、鰯の塩焼きで一杯呑んでいた。
「勝負!」と言いながら中に入り、白壁町の左官の”金太郎”だと名乗りを上げる。
「落とした財布を届けてやった」と言うと、「書き付けと印形は俺の物だから貰うが、3両はもう俺のものではないので、やるから持って帰ぇれ」と言う。

「金を届けてけんかを売られりゃ〜世話がねぇ。」「よけいなことをしやがる」「なんだと〜!」。
で、けんかになって大家が仲裁に入る。
 吉五郎は受け取るどころか大家にも毒ズキ啖呵を切る。大家も我慢が出来ず、「大岡越前守に訴えて、白州の上で謝らせるのでお引き取りください」とのことで、帰ってくる。

 こちら、金太郎の大家はその話を聞いて「おまえの顔は立ったが、俺の顔が立たない。
こちらからも訴え出てやる」。双方から訴えが出て、御白州の場へ。

大岡越前が裁いても吉五郎も金太郎も3両はどうしても受け取らないと言う。
「ならば、この3両を越前が預かり、両名に褒美として金2両ずつ下げつかわす」との裁定。
大家が成り代わってお礼を言うと、その訳を「金太郎そのまま拾っておけば3両、吉五郎そのまま受け取れば3両、越前守そのまま預かれば3両有るが、越前が1両を出して双方に2両ずつ渡したから、三方1両損である」。

この後、越前守のはからいで膳が出る。
両人喜んで食べようとすると、奉行「いかに 空腹だからと言って あまりたんと食するなよ」

 「へぇい、多かぁ(大岡)食わねぇ」

 「たった えちぜん(一膳)」


という、お話ですが非情の近藤将軍は小唄から落語まで人情の機微を知っていたからこそ相場という世界に立ち向かえたのかも知れませんね。



2014年04月01日
近藤信男と奥村綱雄の色の道
前回3月25日の続きで怪物相場師、近藤信男を紹介していますが、今回は相場から離れて女好きということから近藤信男と奥村綱雄を伊藤肇が会わせたがっていたので二人の色の道について、相場師列伝から紹介いたします。

以下、相場師列伝から伊藤肇による「伝説の怪物相場師の痛烈な人生」より

奥村はよくいっていた。
「人物を評価する場合、真正面からとっ組んでいくよりも、裏側の『色』の面からみたほうが、より正確に人間像を把握できる。
というのは『色ごと』には人格が反映するからだ。

僕は男の本性を見ぬく一つの方便をもっている。
大体、男と女とは、ほっておいてもひっつくものだ。
この段階では『人間の価値は恋愛の対象によって決まる』程度のモノサシしかない。

しかし、女との別れぎわほど、男の正体がハッキリ出るものはない。
冷たい男は冷たい別れかたをする。
物質万能主義の男は札タバで頬をはるような別れかたをするが、情のある男は同じ別れかたでも、わきからみていて涙を誘うような切々たるものを残す。

世間一般は男と女とが一緒になるときは、随分と騒ぐのに、別れるときには、案外、さっぱりと聞き流してしまう。
人物を鑑定するには、その逆をいかねばならない。
別れぎわの男の態度をしっかりと見きわめることである」

また、こうもいった。
「大きな声ではいえんけど、四〇をすぎて、なお、女房以外の女に惚れられない男は、われわれ同性からみても魅力がないな。
~ 外へでたなら惚れられしゃんせ、そして惚れずに帰りゃんせ‥‥‥せめて、女性から、こんな思いを託される男にならなくちゃ」

これに対して、近藤は「色道三則」をいう。
一、色の道に連れは禁物。

―〈色恋はもともと秘事(ひめごと)だ。
濃艶な濡れ場を得意とする作家の瀬戸内晴美でさえもいっている。
「何のためにエロスを解放するのですか。もしも、私のセックスが良人と二人の生活によって充たされているとすれば、私はそれだけで満足です。
そして、私が満足しているということを他人には絶対に秘密にしておきたいと思います」〉

二、男は己のいつくしんだ女のことを他人に喋るべからず。

―〈自分の愛した女のことを、殊に閨(ねや)の模様などベラベラ喋る奴は男としても信用できない。
まして、結婚した女性を「むかしは俺の女だったのに」などと未練たらしくやるのは男の屑である〉

三、自分の下半身の始末に他人の智恵を借りるのは、下下(げげ)の下(げ)の下(げ)である。

―〈男たるもの、自ら播いた種は自らが刈らねばならない。たとい、人が誤解しようと、正解しようとである〉

案外、こんなやりとりがきっかけとなって奥村と近藤とが手を握ったら、意外に面白い人間模様が展開していたのではないか。


今回は以上です。

しかし、「外へ出たなら惚れられしゃんせ、そして惚れずに帰りゃんせ」とは粋な言葉であり近藤信男の「色道三則」も納得する他ありませんが色の道と人物鑑定とは伊藤肇が一番関心を持っていた分野であり、人間的な魅力を持っていた近藤信男や奥村綱雄に伊藤肇自身が惚れ込んでいたのでしょうね。