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2013年07月29日
伊藤肇が学んだ本 ステファン・ツバイク全集
ファンブログの現状からすると記事の更新意欲も殺がれてしまいますが、アクセス機能は仕方ないとしても少なくともコメントがやりとり出来るように早急に問題を解決してもらうことを願って更新することにしました。

人物論については伊藤肇の友人である伝記作家の小島直記氏が強い男として取り上げた金子直吉については、もう少し先に取り上げることにして今回は鮎川義介が伊藤肇にどんな本を読んで勉強しているか、と聞いたことに対しての答えを中心に伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」より紹介・引用いたします。

以下、藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

われわれ記者が人物論の手法を学ぶためにまっ先に読むのは、外国ものではステファン・ツバイクの全集である。

オーストリアの作家で富裕なユダヤ系実業家の子としてウィーンに生まれた。
第一次大戦中、ロマン・ローランとの友情に結ばれ、戯曲や小説を書いたが、歴史上の人物の評価や伝記文学に特にすぐれ、『ジョセフ・フーシェ』『マリー・アントワネット』『マゼラン』などがある。

1934年、ナチスに追われて英国にわたり、41年ブラジルに逃れたが、リオの近郊で妻とともに自殺した。

何故、ツバイクの伝記文学がすぐれているのか。

深く敬愛したフロイトの深層心理学を右手の武器とし、故郷のウィーンで培われた多彩な情緒的表現を左手の花とし、情熱と知性とが高い緊張をはらんだまま、破滅へとつき進んで行く主人公をきらびやかに描き出し、「その評伝では『精神の類型学』をつくりあげ、小説では『感情の類型学』を形成しようとしたのであった」<辻瑆 訳者>

だから、全集に出てくる一言一句は、今でもよくアチコチに引用される。
「立派な精神人格の士の世に与える感化はもちろん偉大であるが、現実政治においては優れた人物や高い理念によって政治が行なわれることはめったにない。
それよりも遥かに価値は低いが、要領のよい連中、舞台裏の人間が主役を演じている」<ジョセフ・フーシェ>

「歴史という、この偉大な創造者は、胸をゆさぶるようなドラマを舞台にのせるにあたって、その主役に必ずしも英雄的な性格を必要とはしない。

悲劇的な緊張というものは、あの人物がなみはずれているというところから生ずるとは限らないので、何時いかなる場合も、人間がおのれの運命と不釣合になることから生ずるのである。

強大な人物、英雄か、天才か、おのれの持って生まれた使命を遂行しようとするにあたっ
て、その環境があまりにも狭隘(きょうあい)で敵意のこもったものであるためにこれと衝突するとき、悲劇的緊張、ドラマティックにも出現する可能性がある。

たとえば、セントヘレナというちっぽけな空間で窒息しそうなナポレオン、つんぼの牢獄に閉じ込められたベートーヴェンがそれで、偉大な人物がおのれの身を入れるに相応しい場所やその力のはけ口を見出せないときは、時と場所のいかんを問わず起こり得ることである。

しかし、平凡な、あるいはまた弱々しい性質の人間が、とてつもない運命の手に落ち、個人的な責任を負わされて、その重圧に押し潰されてしまう場合も、同じように悲劇が生まれるものである」<マリー・アントワネット>

伝記作家の小島直記から、この全集をすすめられて一読し、これらの章句に接して、うちふるえるような感銘を受けたのをつい最近のことのように思い出す。


以上です。

伊藤肇が感動的な文章を綴りながらステファン・ツバイクについて紹介しているだけに一部分でも省くことが憚られ彼の思いそのままに長くなりましたが引用いたしました。
「うちふるえるような感銘」という文言は文章の力というものを改めて考えさせられました。


2013年07月22日
コメント機能の一時停止について
ファンブログのアクセス機能がなくなり今度は一時的にせよコメント機能もなくなりました。

こうしたことから他のブログに替わられる方も多いようでブログの基本的な機能が利用出来ないのであれば他のブログを利用されるのも当然なのかも知れません。

私自身、別にアフィリエイトにこだわるわけではないのですが、漸くブログの方向性というものが何とか見えて来た矢先のことでもありますので当面はファンブログの問題解決を待って暫くの間は様子をみることにしています。

しかし、ブログの基本的な機能が利用出来ない状態が続くようだとブログを替える必要も考えざるを得ません。
コメント機能が使えませんので、ブログの現状における当面の考えをまとめさせていただきました。


Posted by ゼットキ at 01:46 | この記事のURL
2013年07月15日
鮎川の質問
前回は少し趣を変えた内容の記事になりましたが今回は、正攻法で人間の煩悩や執着と言うことから鮎川の質問の観点伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

人間、晩年にさしかかると、何か一生懸命にやっている時、ふと通り魔のように「これが一体、何になるんだ」という声が聞こえてくる。
そして、一切が白々しくなる。

誰しも、こんな兆候が周期的に起きてくるものだが、鮎川に関する限り、絶対にこういうことはなかった。
死の瞬間まで、仕事、仕事、仕事の連続だった。
これは芸術家肌の人間にはすべて共通する現象である。

もう大分前に鬼籍の人となった通人画家、菅楯彦は瀕死の病床にありながら、しきりに絵を描きたがって看護の人たちを手こずらせた。

「絵がたんとあるねん」 「何処にですか」 「この中や」
楯彦は両手の甲を交互に撫でた。
そして、「もうニ、三十年生きんことには、この手の中にあるもん仕上げられへんなあ」といい、
これが最後の言葉となった。

楯彦の絵に対する執念も鮎川の仕事への執着も全く同質のものだが、逆説的にいえば、大煩悩、大執着の人間でなければ、一家を成すことはできない、ということである。

その鮎川から厳しい質問を受けたことがある。
「君は口を開くと人間学だの、人物論だのと、えらいやかましいことをいうちょるが、どんな本を読んで、勉強しちょるのかネ」

われわれ記者が人物論の手法を学ぶためにまっ先に読むのは外国ものではステファン・ツバイクの全集である。

オーストリアの作家で富裕なユダヤ系実業家の子としてウィーンに生まれた。
第一次大戦中、ロマン・ローランとの友情に結ばれ、戯曲や小説を書いたが、歴史上の人物の評価や伝記文学に特にすぐれ、『ジョセフ・フーシェ』『マリーアントワネット』『マゼラン』などがある。


以上です。

私も、年齢的なものを嫌でも感じることがありますが、それだけに大煩悩、大執着という生き方を考えさせられますと同時に若い頃と違って今の年齢になって漸く人間というものに思い至ることが出来る様にも感じています

さて、いよいよ伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」の入り口に差し掛かって来ました、鮎川の質問に対して伊藤肇はどう答えたのでしょうか、次回をお楽しみにお待ち下さい。


2013年07月08日
人物と女
いつも、少し堅い内容の記事になっているので今回は“人物と女”ということについて触れてみることにしました。

世の中、聖人君子ばかりではないと言うよりも聖人君子みたいな人は少ないのが現実なのかも
知れませんが伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」ではその辺りをどのように書いているのでしょう。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

財界の長老で女房以外に女をしらないのは石坂泰三と鮎川義介の二人ぐらいのものといわれていた。
だが、石坂は「何を隠そう、一度だけ失敗した」と告白しているので、実際は鮎川一人だけということ
になった。

そこで、何かの話のついでに「八十数年の生涯をホントに奥さんだけを守ってこられたのですか」ときいたら、たいして面白くもなさそうな顔で、「そうじゃ」と答えた。

<本人がいうんだから間違いはないだろう>と一穴居士の顔をまじまじと眺めていたら
「女よりも仕事のほうが面白いにきまっとる。大体、女に迷うような奴は志がない証拠じゃ」と
やられて、びっくり仰天した。

中国の俗諺に「三人の女を互いに喧嘩させないで、うまく御して行くだけの力量がないと一国の
総理にはなれない」というのがある。

それだけが宰相の資格とは思わないが、たしかに一面の真理を衝いている。
女で苦労することによって、人間の複雑な心理や人情の機微や盲点がわかってくるからだ。

桜田門外の変に倒れた井伊直弼の生涯を描いた舟橋聖一の『花の生涯』に出てくる「たか女」
の台詞(せりふ)に
「女におくれをとるようでなくては、いっぱしの人物とは申せません。
偉大な人ほど、女にのぼせやすいものです」とあるが、人生から一切の無駄を排除した鮎川の
合理主義は大変な長所であると同時に欠点だったといっていいだろう。


以上です。

女におくれをとるようでなくては、いっぱしの人物ではないとすると、さぞかし「いっぱしの人物」が多いのではないでしょうか、それにしても男と女は世界中何処に行っても男と女しかいないだけに世の中うまく出来ているのでしょうね。

そう言うお前はどうなんだと言われると、やはり「おくれ」をとった方なのは確かですが、いっぱしの人物ではないですね。


2013年07月01日
鮎川義介とその語録
ブログの更新を、もう少し詰め様と思いながら一週間経ってしまいました。

出来るだけ、更新を早めにしていきたいと思っていますが、当面は週一回というところになるでしょうが、何卒よろしくお願いいたします。

さて、前回の続きで怪物と言われた鮎川義介とはどんな人物だったかということは前回に少し触れ
ましたが父は旧長州藩士、母は明治維新の元勲である井上馨の姪であり東京帝国大学の工科を
出て芝浦製作所に身分を明かさないことを条件として日給四十八銭の職工になり、鋳物技術など
を学ぶために米国の鋳鉄会社で労務者として働き帰国して鋳物会社を設立します。

鋳物会社の設立から義弟の久原房之助の久原鉱業の経営再建を託され経営を立て直し社名を
日本産業(日産)として日産コンツェルンをつくり上げていきますが、何と言っても鮎川が注目されるのは満州に会社を移設し満州重工業としてドイツで迫害されていたユダヤ人の移住計画を提案したことです。

ドイツ国内のユダヤ人の移住と同時にユダヤ系アメリカ資本を導入することによる投資促進とアメリカを巻き込むことでソ連の満州への防壁とするという考え方は鮎川ならではといったとこでしょう。

前回で鮎川義介について触れてなかったことを取り上げましたが大叔父が井上馨という大きな後ろ盾があったにしても東京帝大を出て職工になったり技術を学ぶためにアメリカで労務者になったり、そしてユダヤ人とユダヤ系アメリカ資本の目をつけた辺りはさすがは怪物の本領発揮といったところですが、この計画の具体的な運びは日独伊三国同盟などにより実現しませんでした。

それでは、この鮎川の語録を伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」より一部を紹介・引用いたします。

▽私は歴史というものが大嫌いだ。何故かというと、歴史には嘘が多いからだ。
現に新聞や雑誌に私自身のことを書いたのがよく出るが、その七割ぐらいまでは嘘が書いて
ある。昔の天気予報ほども当たっていない。
現在、生きている者についてすら、かくの如くであるから、まして、死んで時がたってから書かれたものに嘘の多いのは当然のことだ。


▽偉人というものは、人に勝れた反面、常人には思い至らぬような短所もあるもので、これが
不測の災いを招く原因となる。
裏返していえば、人に殺されるくらいの短所がなければ、偉人になる資格はないということになる。


他にもありますが「人に殺されるくらいの短所云々」の件は人を見る目を感じさせます。

鮎川のユダヤ人移住計画というものを調べていくと、いろいろと興味深いものや感動的なものと
陰謀・策謀などがありますが本筋から離れるのでここでは触れません。

次回は少しくだけたところから話をすすめていくことにいたします。