<< 2012年02月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ゼットキ
人物論 (03/25)
小町
人物論 (03/24)
ゼットキ
何度も読み返し得る本 (03/05)
yume
何度も読み返し得る本 (03/05)
ゼットキ
爵禄は得易く、名節は保ち難し (11/21)
プロフィール

ゼットキ
特になし
http://fanblogs.jp/nnnanikore/index1_0.rdf
2012年02月28日
「俄」 読ませどころ 万吉のおっちょこちょい性
前回は御用盗一味の首領と山金を十文字屋の二回から階下へおびき出した件でしたが今回は西宮御番所、藤堂藩の連中も誰一人として万吉と一緒に御用盗の連中に斬り込むものがいないことで万吉が一人で斬り込むことになる場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

斬り込みの準備はできた。
土間に、万吉の手下、西宮御番所の人数、藤堂藩の人数が詰めかけ、「わあーつ」と気勢をあげた。
そのなかにあって万吉は鎖を巻きこんだ鉢巻を締め、十文字にたすきをかけ、すそを思いきり尻っ端折って、抜き身をかざし、階段の下に立った。
(わいは阿呆や)
ふと、思った。
自分だけが斬りこむ、などというような馬鹿の役目をなぜ背負いこんだのであろう。(おつちょこちょいのせいや)

そのとおりであろう。
行かなくてもいい運命に自分自身がつねに自分を追いあげてゆくのが、万吉という男らしい。
(せやが)ともおもう。
いわば、万吉の全身全霊を占領しているこのおつちょこちょい性のおかげでいままでめしが食えてきたわけだし、それがいわば唯一の才能であり稼業でもあるわけではないか。
(わいの一生で、これが一番の難所や)ともおもった。

そう思うと、子供のころからのことが、一瞬で思い出された。
カッパばくちの銭の山におっかぶさって死ぬほどなぐられたこと、堂島の米相場をたたきつぶしたこと、そのあと、万人が堪えられぬという蝦責めの拷問に堪えぬいたことが、くるくると脳裏にまわった。

だだっと階段を三つ四つのぼると、万吉はたちどまり、土間を見おろした。
「景気ようやらんか」と、声をあげる勢子どもを叱咤した。
「声が小さい」万吉はそれが不満である。
「もっと大声を出せ。家が割れるほどに喚(おら)びあげえっ」
「わあーつ」と、声があがった。笑っている奴もある。
(おのれ、人の生き死を笑いくさって)万吉は腹が立ってきた。
自分一人が俄芝居の喜劇役者のように思えてきた。

「わいはこれから死ににゆく。
明石屋万吉一世一代の一人斬りこみの場アがいまからはじまるんじゃ。
末代までの語り草に、もっと景気よう三途(さんず)ノ川へ送り出せ」
「わあーつ」と、声をあげた。
その声も、どうも万吉の必死の心境からみれば空虚(うつろ)なようにきこえる。
(おれを滑稽者と思うてくさるか)

堀与力の顔もあった。
まじめくさって天井を見あげているようだが、そのあたまの片すみには、早くこの騒ぎを片づけて家で寝酒でも飲みたいと思っているにちがいない。
(あの与力が寝酒をのみくさるときには、おれはこの世に居らんやろ)と思うと、
万吉は情無いようなわが身が滑稽なような思いがしたが、
(むこうはお役目が商売、こっちはおつちょこちょいが商売)と思うと、
あきらめがつくような思いもした。

万吉は白刃をそばめ、一段、階段をのぼった。

万吉は階上(うえ)へ、「いまからゆくぞ」と、どなりあげた。
が、それだけではなにやら華やかさが足りないような気がして、「明石屋万吉」
と、つけくわえた。
いったん付け加えると、もっといろいろと付け加えたくなった。
どうせ死花を咲かすために名乗るのである。
花は大きいほうがいいではないか。

「明石屋万吉なるは極道屋の名乗り。またの名は播州小野一万石……」
播州の語感で、万吉自身、赤穂浪士のような悲壮な感動を覚え、全身に粟つぶが立ってきた。
のちに万吉が階段の途中でがたがたとふるえていたという巷説が出たのは、このときの感動によるものであろう。

「……一柳家物頭小林佐平衛、公儀御沙汰によって西大坂の警衛をつかまつる者」
――なにかしゃべっている。
と、階上では、安岡鳩平が、仲間をかえりみていった。
かれらは階段の踊り場をかこんで白刃を抜きつれ、万吉のあがってくるのを待ちに待っている。

さらに、火付けの係りは、唐紙障子のそばに蝋燭十本をともし、そのそばに古い油紙を盛りあげていつでも火を掛ける態勢をとっていた。
「あいつが、一人で斬りこんでくるらしい」
安岡鳩平は、緊張のなかながら、くすくす笑い出してしまった。


以上は「俄」文中の一節でした。
万吉一人の斬りこみはどうなるのでしょう、この後の展開は次回をお待ち下さい。


Posted by ゼットキ at 01:08 | この記事のURL
2012年02月20日
「俄」 読ませどころ 万吉、御用盗相手に奮闘
前回は漸く御用盗の尻尾を捕まえることが出来た万吉ですが、いよいよ御用盗相手に万吉の奮闘が始まります。

以下、司馬遼太郎「俄」より

馬鹿は馬鹿なりの思考法がある、といえば万吉はおこるかもしれないが、眼前の山金の殺気の異常さに、(やっぱり、まちがいない)
と、相手の正体を再度たしかめ得たような思いだった。
が、この確認法は、危険そのものだった。

いつ山金の白刃が万吉の脳天を西瓜のようにたたき割るかわからない。
階上階下の騒ぎは、割れるようだ。
普通の泊まり客や宿の者、女たちは、裏からとび出したり、二階の小屋根からとびおりたり、それらが逃げながら悲鳴をあげたり絶叫したりして、まるで狂人が狂馬に乗って屋内を駆けまわっているようだった。
(なんと、人間とは喧[やかま]しい生きものか)

万吉は棒をかまえながら、もうそれだけで厭世的になる思いだった。
「静かにせいっ」
万吉がたまりかねてどなったとき、山金の白刃が頭上に打ちおろされた。
それをあやうく棒で受け、受けた棒をひるがえして山金の胸を思いきり突いた。
「わっ」と山金が倒れたとき、階段がこわれるほどの勢いで人の群れが雪崩(なだれ)をうっておりてきた。

安岡鳩平ら、御用盗の連中である。
(こら、かなわぬ)万吉は棒を縮めたとき、雨戸が、どどどどと鳴った。
「開けえっ、御番所の者だ」あとでわかったことだが、西宮御番所の人数、万吉の配下の軽口屋の人数、それに藤堂藩の人数が、道路、裏口、隣家の大屋根といったぐあいに配置しつつびっしりと十文字屋を包囲していた。
「山金、これはまずい」
安岡鳩平が山金をひきおこして、ふたたび階段へあがりはじめた。

「こうなれば、この十文字屋の二階で籠城だ。火を放ってその隙に逃げよう。めいめい、よいか」と、安岡鳩平は階段を駈けあがりながら叫んだ。
「待った、土間に、あいつがいる」と山金がいった。
殺してしまわねば、捕り方を内部へひき入れるだろう。
「あいつか」安岡鳩平は、階段の途中で土間を見おろした。
鳩平の左手には、天満でもとめた例の朱と黒の蛭巻鞘の一刀がにぎられている。

その刀を、万吉は見た。(やっぱりそうや)
そうみると、この男は火を噴くように勢いづいてしまい、階段の下にまだいる山金にとびかかり、その頭蓋めがけて思いきり打ちおろした。
山金はとっさに胴を払おうとした。
万吉はこのため帯を切られ、前はだけになった。
が、山金はそのときは息も絶えだえになっている。
万吉は、機敏だった。
その山金の刀をひろい、いま一人の御用盗を叩っ斬った。

安岡鳩平は狼狽した。
二階へ駆け上がった。それにつれて御用盗の全員が二階へ逃げた。
土間では、万吉がひとりである。

外から、雨戸を叩く音がやまない。「いま開ける」万吉は、内からどなった。
からん、と桟(さん)をはずすと、だっと飛びこんできた武士が、万吉の腰にしがみついた。
「ばか、おれじゃい」と万吉は突きころばした。
軽口屋であった。
それにしても軽口屋は平素に似ず、勇気のある男だった。
「あっ、親方だっか」「そや。うろたえるな」
「賊はどこだす」「二階や」万吉は血刀をぶらさげながらいった。

さて、妙なことがある。
軽口屋こそ飛びこんできたが、他の者はこない。
「どうなっているのや」
「びしっと取りまいておりますがな。せやけど西宮御番所の人数も、藤堂藩の人数も、さっぱり臆病者ぞろいで、たれひとり踏みこもうとする者がおりまへん」
「そんな、か」「さっぱりだンな」
その軽口屋も、歯の根があわないらしくカチカチとあごのあたりを慄わせている。

「土間にはわしがいる、心配するなとみなに言え。ところで敵をどうするかじゃ。
それを頭(かしら)ぶんの連中とここで打ちあわせしたいゆえ、この土間まで入ってくれと言え」「よろしおま」
軽口屋がとび出して行ったが、やがて与力の堀と、藤堂藩の隊長中村祐右衛門をよび入れてきた。

藤堂藩の中村は、思いきって小男な人物だけに陣笠がいやに大きくみえ、どうみても椎茸が歩いているとしかみえなかった。
「敵を二人、私が斬った。あと八人は二階にいる」と万吉はいった。
万吉が傷と血しぶきですさまじい格好でいるため、与力も椎茸もすっかり度肝をむかれてしまい、この遊び人装束の万吉を頭とあおぐような姿勢をとった。

「そ、それで、われわれとしては、いかが致せばよろしゅうござろう」
と、堀与力はいった。
「わいの言うとおりに動いてもらいたい」
「いかにも左様に」致します、というふうに、堀も椎茸も、小腰をかがめた。
こういう修羅場になってしまえばもはや能力のある者に指揮をまかせざるをえない。
その万吉も、能力というよりも、あるのは度胸だけなのである。

「あいつらは火イ付けて逃げると言うていたが、ほんまにやりよるやろ。
火イでも付けんと、この場は逃げられまい」
「火を掛けられるとこまる」堀与力はいった。
西宮は街道を中心に家屋が密集しているから惨澹たる大火になるだろう。

「せやさかい、町中の火消しを集めておいてもらう。むろん捕り方はびっしりと包囲して網を張っておく。そこであいつらを屋外に飛び出させる。そのためには二階へ斬りこむ人数が要る」

「二階へ斬りこむ」与力の堀が、にわかに声をひそめた。
藤堂藩の椎茸も真蒼になっている。
「ああ斬りこまんとどうにもならん」万吉はうなずいた。
「そ、そんなことをすると、当方に人死(ひとじに)が出るではないか」

堀与力はかろうじて威厳を保ちつつ、慄え声でいった。
堀がそういうと藤堂藩の椎茸も救われたようにうなづき、
「そのとおりだ。与力の申されるとおりであるぞ。元来、われら藤堂家の者は義によって手伝いにきているだけだ」「それがどうした」

「本来の役目は洋夷に対する備えにある。洋夷が上陸してきたとあれば、それが何万であろうと一歩も退かずに戦うが、たかが宿場にまぎれこんだ御用盗のために士卒を損じたくはない。そこをよく分別してくれ」

「斬りこみいややというのか」「いやとは言わぬ」
「すると、命が惜しいのかえ?」
万吉はもう、三百年この国を支配してきた侍階級というものの臆病さに腹が立つというよりも憎悪を感じてしまっている。
「まあ、考えてもみよ」と椎茸はいった。
「二階の賊は死にものぐるいである。この賊に斬りこんでゆけば、十人のうち五人までは死ぬか大怪我をするであろう。用兵というものはなるたけ兵を損ぜぬことにある」(理屈だけは一人前や)

万吉は圧され気味になった。しかしすぐ盛りかえして、
「こんなときは分別もくそもあるかい。ぐずぐずしていたら、二階の阿呆どもは火イ掛けて西宮じゅうを火の海にしてしまうぞ」
「いや、竜吐水(りゅうどすい)がある」ポンプのことだ。

万吉は、いらいらしてきた。
三百年封建制度のなかでのうのうと高禄をひきついできた与力や大藩の上士には先祖の野生は失せはて、死ぬ生きるの難所はできるだけ避けて通ろうとする智恵だけが発達している。

幕府が長州征伐の令をくだしたときもそうだった。
かんじんの旗本八万騎の多くは従軍を怖れ、にわかに隠居して家督を息子にゆずる者が多かった。
このため二十五六歳の若隠居と十歳二十歳といった少年の当主が続出した。
先祖代々ながながとつづけてきた都会での消費生活がかれらの心をなまらせてしまったのであろう。(この調子では徳川様の天下ももう長うないやろな)
万吉は庶民らしい肌の感覚でそう思った。

「わかった」と、この男はいった。
「わいが一人で斬りこむ。しかし一人ならかえって敵の軽侮をまねき、敵に勇気をおこさせることになるやろ。されば勢子(せこ)だけでええさかい、この土間にびっしりと人数を入れてわあわあ騒いでもらおうか」

「そうしてくれるか」与力の堀は、にこにこと相好をくずした。


以上は「俄」文中の一節でした。

この後、万吉と御用盗はどうなるのでしょう、次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 16:34 | この記事のURL
2012年02月13日
「俄」 読ませどころ 万吉、御用盗の尻尾を捕まえる
前回は万吉が御用盗一味が投宿している旅籠(十文字屋)に乗りこんだ件でしたが今回はいよいよ彼らの尻尾を捕まえる場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

万吉は、満座の監視のなかにある。
が、この無口な男は、石のようにだまりこくったまま、半日をすごした。
(わからん)日暮れごろになってもまだわからない。
例の近江屋へ入った御用盗の一味だとすれば、近江屋の娘お千賀を同行しているはずだった。 (殺しよったのやろか)

実はお千賀を、かれらは大坂の尻無川畔の野小屋に閉じ込めていたのだが、大坂脱出のとき、始末にこまってそのまま閉じこめて去った。
お千賀はその後、付近の百姓に発見されて近江屋へつれもどされるのだが、その一件はまだ万吉の耳にとどいていない。

(わからん)
わるいことに――というべきだが、日暮れ前から雨がやみ、嵐もすぎた。
夜あけに西風さえ吹けば、船は出帆するであろう。
(船が出てしまえば、なにもかもしまいや)それが、万吉をあせらせた。
日が暮れ、めしが済むと、ばたばたと夜具が敷かれはじめた。
(寝てしまわれては、えらいこっちゃ)ちょっと、あわてた。

万吉は自分の智恵の無さに、ほとほと愛想がつきる思いだった。
せっかく乗りこんでいながら、この集団の尻ッぽもつかまえることができない。
ついに意を決した。(こうなれば、わいの流儀でいくこッちゃ)
阿呆には阿呆の流儀がある、というのが万吉の信念である。
なまじい利口ぶって相手の尻ッぽを見定めてやろうというのがむりであった。

「お武家様」と、安岡鳩平のそばに寄った。
安岡は袴をぬいで寝支度をととのえていた。
この男だけ酒がのめないのか、酔っていない。
「なんだ」
「相談に乗ってくれやす。いや銭のことやおまへん。ここの勘定はちゃんとこうやって持っております」と、胴巻をみせ、念のためにそれを振ってみせた。
胴巻の底で銅と銀がふれあう音が、にぎやかにきこえた。

「金はおま。貸しとくなはれという話やおまへん」
(妙な男や)と思いつつ、安岡は万吉のその持ちかけかたに警戒心を解いた。
あまり利口な男ではないとみたのであろう。
「話せ」
「いや、ここでは申しあげにくいことでございますので。ちょっと表までおつきあいねがいますまいか」
「なに、顔をかせというのか」
「いやいやとんでもない。切羽つまった手前の話をきいていただきたいのでございます」「あらかた、どんな話だ」
「手前は人をさがしておりますが、そのことなんで。御義侠心にすがりとうございます」「おまえ、仇持ちか」山金が、横からいった。

そのあと、安岡鳩平と山金のふたりがどういう油断か、ふらふらと万吉といっしょに階下へ下りたのがこの男たちの不幸だった。

万吉は、外まで連れ出させたかったのだが階段をおりたところで、安岡鳩平と山金は足をとめ、「ここで話せ。なんの頼みだ」と、にわかに警戒心をみせた。
こうなっては、万吉も妙なうそはつけなくなった。
「私の素性を話す」万吉は、単刀直入にいった。
素性といっても、極道屋の明石屋万吉、などと言えば相手はおどろくまい。

「一柳家の小林佐兵衛という者だ」「それがどうした」
「わからんか。公儀の命によって尻無川の御番所をあずかっている。早ういえば、京の新選組に似たものや」
二人の顔色が変わった。
(やっぱり、御用盗やな)
と、万吉は勢いこみ、「近江屋忠兵衛方に推しこんで金を盗り番頭嘉平を殺したのは、うぬらと見た」
「証拠があるか」安岡鳩平は、さすがに落ちつきをとりもどしていった。
「ない」万吉は正直にいった。
「ないさかい、こうしてたずねている。うぬらが武士なら、証拠は要るまい」
「妙なやつだ。言いがかりをつけて、それで済むと思うか」
山金は、真蒼な顔でいった。

万吉は、早速返答に窮した。
(やっぱりおれはあほや)とおもった。
こうなれば、めったやたらと喧嘩を売ってゆくしかない。「番所へ来い」
「こいつ。石州松平家の家来であるわれわれがなぜ不浄役所へ参らねばならぬ。
不審があれば藩へ掛けあえ。ただし言いがかりの無礼はゆるさぬぞ」

「どないするんじゃい」万吉は、凄んだ。
「斬ってやる」山金は、背後でツカに手をかけた。
安岡鳩平があわてて制したが、遅かった。
鞘走る音が鳴ったかと思うと、万吉の背に白刃が襲った。
万吉は、土間にころがり落ちた。
かわしぞこねて背に薄手を負った。
血が、着物を濡らした。

「斬ったな」万吉はうれしそうに叫んだ。これで事件になった。
たとえ歴とした藩士であろうと番所へ出頭して事情を届け出ねばならぬ。
「さあ、番所へ来い」と連呼してさわいだ。
ただし手に四尺ばかりの突っかい棒をにぎっている。
山金は土間へととび降り、さらに白刃を打ちおろした。
万吉は、それを受け、そのあと猛然と攻撃に出た。
剣技は、万吉のほうがややすぐれているようだった。

山金は押された。
その間、万吉が「御用盗御用盗」の連呼をやめないため旅籠中が大さわぎになった。
「山金逃げよう」
安岡鳩平が、一味に脱出を指示するためばたばたと二階へ上がった。
山金は万吉の棒が眼前にあるためうかつに逃げられない。


以上は「俄」文中の一節でした。
この後、万吉と御用盗はどうなるのでしょう。
次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 16:12 | この記事のURL
2012年02月08日
「俄」 読ませどころ 御用盗 西宮 十文字屋で相宿
前回は嵐で船が出ず御用盗一味も船待ちでイラついている件でしたが今回は彼らが投宿する十文字屋へ万吉が探りを入れるため、彼らと相部屋になる場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

十文字屋の番頭与平は、訪ねてきた万吉を自分の部屋にひき入れた。
「えらいこったす」与平は、さすがに顔を土色にさせている。
「二階の客十人は、どうも臭うござります」「どう、くさい」
「さあ」そこがむずかしいところだ。

においは目に見えないからである。
が、こういう旅籠の番頭のかんというのは信ずべきであろう。
「宿帳には、どうなっている」「へい、これで」と、番頭は帳面をみせた。
石州浜田藩武田専十郎という名前が筆頭で、同藩士としてあと九人の名前が列記されている。

旅行目的は剣術詮議(研究)のため、ということであった。
「石州言葉かえ?」
「いや、石州というところはご存じのようになまりのすくないところで、関東のようでもあり上方のようでもあり、これという特徴もございませぬ。でございますから、生国をお偽(いつわ)りなさるお客様は、よくこの石州(島根県石見地方)というのをお使いになります」

「ほう、石州とはそんな国か」
「へい、でございますから、この石州とここでお書きになっているのがかえって怪しいわけで」「なるほど」さすがは旅籠の番頭だとおもった。
「朱と黒の蛭巻のはでな刀を、そのうちの一人が持っていなかったか」
「さあお腰の物までは」と、番頭は、くびをひねった。
相手がその刀を人目につかぬところに置いているのか、自分の目ではたしかめなかったという。

「金づかいはどうや」
「吝嗇(しぶ)だすな」昨夜は酒ものまず酌婦も抱かず、物堅く寝たという。
その点、大坂で荒かせぎをした御用盗らしくない。
「ただ、けさになって酒だ、といいだしましたので」
「船待ちの憂さをはらすつもりやろ」万吉はそうみた。
尋常すぎるほどのことでそれをもって相手をあやしむわけにはいかない。

「ただ、万一まちがいだったとすれば、これはえらいことに相成ります」
番頭はそれが心配だった。
相手は、石州浜田六万一千石、譜代のなかでも名家として知られた松平家の家来であると名乗っている。
ねじこまれれば、旅籠十文字屋だけでなく万吉のほうもこまるのだ。

「よっしゃ」と、万吉はひざを打ち、決意をこめた顔をあげた。
「わし自身が探索する。わしをこの宿の客にしてあの部屋で相客させてくれんか」
船待ち客で宿は客であふれるはずだから、部屋が相泊まりになるのはごく自然なことで相手はそれを拒否できまいし、それを怪しみもしないであろう。
「せやが、こっちは命がけや」

明石屋万吉があらためて旅装をし、敵城ともいうべき十文字屋に乗りこんできたのは、それから四半刻後である。
「いらっしゃいまし」と、番頭与平が、みずからとび出てきて万吉をむかえた。
むろん芝居である。

万吉は、三度笠を手にもち、浅黄の股引に同色の手甲脚絆に身をかため、それに鉄づくりの長脇差を一本腰に落として、どこからみてもいなせな街道烏の姿である。
「たのむでぇ」と笠を女中に渡し、わらじをぬいで足をあらい、二階へあがろうとした。
番頭与平が、二階の侍たちに聞こえるような大声で、
「いま船待ちのお客様で大混雑しておりますが、二階のお客様と相宿していただくわけには参りませぬか」
「結構、結構」万吉はどんどんあがって行って、その二階の廊下に立った。
番頭の与平がその廊下にすわり、部屋のなかの安岡鳩平らにその相宿の件の諒解をとりつけようとした。

「まあ、よかろう」安岡鳩平は、にがい顔でいった。
船が出ぬとあればこの状態はやむをえぬことであった。
万吉は部屋のすみ、畳二畳を借りた。
その二畳を、女中が屏風(びょうぶ)で仕切ってくれた。

ほどなく、安岡らの一統の酒盛りがはじまった。
女も二三人やってきた。

屏風のかげでは、万吉も手酌で酒をのんでいる。
徳利が五本ある。
そのうち二本は水でその水を万吉は飲んでいた。
この男はどう修行しても酒がのめないたちである。

「うぬはたれだ」酔いがまわってきたころ、山金が首をまわして背後の万吉に問いかけた。
「へい、大坂の渡世人だす」「ばくち打ちか」「左様(さい)で」
「このご時勢に、ばくちを打って暮らしているとは料簡のよくない男だ」
「まったく」万吉は苦笑している。
「どこへ参る」「へい、讃岐の金比羅はんへ」
「なにを祈りにゆく」「家内安全無病息災」
「不心得なやつだ。いま、夷狄(いてき)が軍艦をならべて攻めて来ようというのに、家内安全無病息災とはなにごとだ。攘夷御成就(じょういごじょうじゅ)でも祈るならともかく」

「なにしろ」万吉は笑わずにいった。
「御用盗のはやる物騒な世間でございますさかいな」
そっぽをむきつつ、目のはしで相手の顔色を読むと、多少、表情に動揺があったようであった。
「せやけど、まあ、相宿もなにかの御縁でござります。まあ、いっぱい」
と酒の入ったほうの徳利をつかんで膝をすすめ、山金の杯に注いだ。


以上は「俄」文中の一節でした。

万吉は御用盗一味の正体を見破れるのでしょうか、次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 17:21 | この記事のURL
2012年02月02日
「俄」 読ませどころ 御用盗 西宮で船待ち
前回は御用盗が西宮の旅籠「十文字屋」に集合して船で三田尻まで逃げる算段をしていた件でしたが今回は嵐によって船が出ず船待ちの場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

「ありゃ、風かい」と、万吉が寝床で鎌首をもたげたのは、その夜の亥の刻(夜十時)をすぎたころだろう。
雨戸がしきりに鳴るのである。
「風でやンすやろな」と、小春が北摂のことばでいった。
枕に耳をつけると、浜辺の波の音が遠鳴りにひびきわたってくるようだ。

「えらい風でやンすな」
(藤堂の侍ども、また飛びだすのやないやろな)正直、万吉は心配した。
すでに御用盗らしき者が大坂天満の刀屋にあらわれたという報らせをうけとっている。
この大事な時期に、また藤堂侍にさわがれては事がぶちこわしになると心配したのである。

「風は、たれが吹かせるのだすやろ」と、不意に小春が妙なことをいった。
目をいっぱいに見ひらいて小首をかしげている。
「風かい」万吉は返答にこまった。
風はたれが吹かせるのかなどは、万吉は考えたことがない。
(けったいことを言う奴ッちゃ)
「風は、風が吹かすのやろ」「風、というお人がだすか?」
(こいつ、あほうやないやろか)と、心配になって行灯の灯をつけ、小春の顔をのぞきこんだ。
満ち足りた童女のようなかおを横に寝かせている。

「漢籍には風伯というのが風の神やというが、ほんまかどうかおれは知らん」
「風伯さんは、たれのお言いつけで風を吹かしやはるのだす」
「長生きせい」万吉は笑い出してしまった。
この小春と連れ添えばひょっとするとこっちまでうかうかと長生きしてしまうかもしれない。

「こいつは嵐になるやろ。とすれば、あすは船が出んさかい、客はこの西宮であふれよるやろな」「お宿は大儲け」
「阿呆かい」万吉は笑い出した。
どうもこの小春といっしょにいると笑うことが多いようだ。

一方、十文字屋では。――
御用盗首領の安岡鳩平も、十文字屋の二階で目がさめ、
「風か」と横の山金にいった。
雨戸がはげしく鳴っているのである。

二階のニ室借りきってこの同勢十人がとまっている。
それらがみな起きあがってきて鳩平の枕もとにすわった。
おびえると風声鶴唳(ふうせいかくれい)にも目がさめるというが、やはりこの連中の不安が寝床に安んじさせなかったのであろう。

「あしたの船は、あかんな」と山金が、煤(すす)けた顔でいった。
「いっそ、早発(だ)ちで陸路長州へのがれてはいかがです」
そんなことをいう者もある。

一刻も早くこの幕府領をのがれて長州にちかづきたい、というのはこの場合の人情だろう。
が、陸路は十藩近い境をこえてゆかねばならず、危険はきわめて多い。

結局、十文字屋にいる安岡鳩平ら御用盗の連中は、ひと晩まんじりともせずに夜を明かした。
朝になっていよいよ風はつよくなり、海は天をたたくような高浪が立ち、とても船出どころではなかった。
「船待ちだな」鳩平は、いらだって顔色も蒼(あお)ざめている。

仕事がおわった以上、一刻も早くこの大坂町奉行所管内から逃げきりたい。
そう思うといままで冷静でいたこの鳩平までが心の落ちつきをうしなった。
他の者は推して知るべしである。
目が吊りあがり、仲間とささいなことで、口論している者もある。

「やりきれん。酒を飲ませえや」と、山金は、ついに鳩平にせまった。
酒でも飲んで酔っていなければたまらぬ気持である。
「飲め」鳩平も、とうとう押しきられた。
三四人が狂ったように階下へ掌をたたいた。
女中があがってきた。
「酒だ」と山金は噛みつくように女中にいった。

女中は、わっと口をあけた。
山金がよほどおそろしい顔をしていたのだろう。
ころがり落ちるようにして階下へ降り、
番頭をつかまえて「こわい」と、泣き出した。
あの侍十人客の血相が、ただごとでないのである。

「泣きやるな」番頭の与平はなだめるような手つきで女中の尻を上下にさすった。
急場の役得というものだろう。
与平は四十二の厄(やく)になる。
十三のときからこの十文字屋に奉公してこの宿のぬしのようになっている。
二階へあがり、世馴れた笑顔をつくって鳩平の部屋に入って行った。

「御酒(ごしゅ)をご下命ねがいましたのは、こちらの殿様方でござりまするか」
「そうや」山金は、横目で番頭を見、刀の手入れをしながらいった。
「早くもってこい」「お肴(さかな)はなににいたしましょう」
与平番頭はそんなことをいいながら観察の時間をかせいでいる。
(こら、ただの侍やないな)そう思いはじめた。

最初入ってきたときは大坂か京に在番するどこかの藩のお徒士衆とにらんでいたが、どうみても、この一座に行儀がない。
侍というのは、挙措(きょそ)動作のはしばしに子供のころからしつけられた行儀というものがにおってくるものだ。

(偽侍か?)とすれば、西宮御番所から差紙がきているあの連中ではあるまいかとおもった。
そうしたところに、万吉がこの十文字屋の土間に入ってきた。
朝夕、この男は西宮中の宿をまわっているのである。
「与平はんは、居るか」


以上は「俄」文中の一節でした。
いよいよ万吉と御用盗一味が顔を遇わせることになります、次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 00:38 | この記事のURL