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2012年01月28日
「俄」 読ませどころ 御用盗、西宮に向かう
前回は御用盗の首領、安岡鳩平とその一味についての件でしたが今回は彼らが西宮へ向かう場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

鳩平たちはこの新町長柄屋に二日流連して三日目の朝、廓(くるわ)を出た。
配下の者には、「今夜、西宮の旅籠十文字屋にあつまれ。三々五々あつまれ。明朝の出船で周防(すおう)の三田尻へくだる」と言いふくめてある。

鳩平は、山金といわれている腕達者の男ひとりをつれて市中を歩いた。
大胆にも天満与力町のちかくまで来、芳花屋という刀屋で大刀一ふりを買いもとめようとした。
「すぐ差料にするからこしらえのついたほうがいい。そちの店ではどれほどの刀があるか」
「へい」と、芳花屋の芳蔵という亭主が鳩平の人体をみて、十五両ほどの新刀をさしだした。
「近江守正勝でございます。二十両と、申しあげとうございますが、目貫(めぬき)が粗末でございますので、十五両頂戴しとうございます」

「百両ほどの刀はないか」
(えつ)と芳花屋がおどろいたのは、その値段の巨額さではない。
そういう雑駁(ざっぱく)な買い方をする相手の態度についてである。
(こいつ、御用盗かもしれんな)芳蔵は、稼業がら、そんな勘が働いた。

「これはいかがでございます」
と、目のさめるほどにあざやかな拵(こしら)えの刀をとりだしてきた。
鞘が、朱と黒の革で蛭巻(ひるまき)につつんだ華やかなものだ。
それに白糸でツカを巻いてあるから、これを帯びておれば遠目でも目につく。
(人目につかせてやれ)というのが芳花屋芳蔵のこんたんであった。
「水心子(すいしんじ)正秀の高弟で大慶直胤(だいけいなおたね)の作でございます。へい、在銘で」と、その刀を手渡した。

刃渡りは、ニ尺四寸五分で、安岡鳩平にはうってつけの寸法である。
鳩平はすらりと抜いて刃文(はもん)をしらべたり重さを掌のなかではかったりした。
「斬れそうだな」
(こいつ、子供のような顔つきをしていやがるが、こんなやつにかぎって大それた人殺しが多いものや)芳蔵はそんな目で鳩平をみている。
「気に入った。購(もと)めるぞ」
「へい、ありがとうございます。ちょうど百両、と申したいところでございますが、冥加(みょうが)として五両、手前が負けたことにいたしとうございます」
「九十五両か」鳩平はふところから二十五両包みの切り餅を四つとりだし、一つを割って五両をふところに入れた。
山金も、ここで五十両の刀を買っている。

そのあとふたりは心斎橋へ出、呉服屋に寄って出来合いの黒縮緬(ちりめん)の羽織をそれぞれ買った。
贅をつくしたつもりである。
そのころ、芳花屋芳蔵は町会所に届け出、その刀の拵えも克明に物語った。

奉行所では色めき立ち、尻無川の一柳藩番所にも通告してきた。
すぐ番所から西宮の万吉のもとに飛脚がとんだ。

御用盗首領安岡鳩平は、山金をつれてそのまま西宮へむかった。
「攘夷というのはいいものだ」
と、神崎川を徒渡(かちわた)りしながら、山金にささやいた。
攘夷というのは「外国を撃ちはらう」という意味だが、この連中の隠語では押し込み強盗という意味につかわれている。
「ええものやな」漁師あがりの山金も満足そうにうなづき、
やがてその顔が卑猥になった。

「西宮の旅籠にはええ飯盛りがいますやろ」といった。
荒仕事をやったあとは、女のことしか考えない。
不安と昂奮に沈静をあたえてくれるのは、思いきって女と悪騒ぎする以外、手がないのである。
「新町では、お通夜の晩におかゆをすすらされたようなもんや」
音もなくすすって息づかいさえひそかにさせられていたことが、山金には不満だったのであろう。

「西宮の十文字屋では思いきって騒がしてもらいまっせ」
「わるい料簡だ」鳩平は首領だけに、自制心をもっている。
「騒ぐと足もとをみられるぞ」「一ト晩だけや。あとは船だすがな」
船で海上へ出てしまえば、まさか幕吏が追っかけては来まい。
「命がけの仕事をやったのや。西宮でもお通夜をせえといわれたら、みなふくれますぜ」

夜、西宮に入り、関所を通過した。
関所ではあやしまれなかった。
その足で十文字屋に入ると、すでに六人が先着していた。
夜ふけてあとの二人が到着し、ぜんぶそろった。
あすの乗船の手配りもした。
「わっ、と騒ごうぜ」と首領の安岡鳩平に詰めよる者もあったが鳩平はそれをおさえた。

「騒ぐな、女も抱くな」と、居丈高(いたけだか)にいった。
一ト晩の辛抱であるといった。
「みな気がゆるんでいる。女を抱けばどんなことを喋ってしまうかわからん」
「女ぐらい、抱かせえや」播州の漁師のことばをまるだしで山金がわめいたが、
鳩平はうんといわない。

「周防の三田尻についてから底抜けに騒げ。三田尻は長州領だ」
長州藩は幕府に対して元治元年以来敵対関係にあり、戦国の割拠主義をとって幕法は長州藩までおよばない。
いかなる犯罪者も、いまや長州にさえ逃げれば安全という状態にある。

むろん、長州にも警吏はいる。
不審の他国者に対してはいちいち宿あらためをするが、そのときは、
「われわれは平野国臣先生の門人で生野義挙の生き残りである。尊藩をたよって攘夷のさきがけたらんとする者」
といえばよろこんで迎えてくれる。
鳩平は、そのつもりでいた。

ところが、おもわぬ事態がおこった。
この夜、夜半から風が吹きはじめたのである。


以上は「俄」文中の一節でした。
風はどちらに見方するのでしょうか、次回をお待ち下さい。









Posted by ゼットキ at 01:13 | この記事のURL
2012年01月23日
「俄」 読ませどころ 御用盗の首領
前回は藤堂藩宿陣での騒動についての場面でしたが肝心の御用盗一味はどこにいるのでしょう、今回は御用盗の首領についての件です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

万吉がつけねらっている御用盗の首領は、安岡鳩平(きゅうへい)という若者である。
悪い人相の男ではない。

だから大坂新町の妓楼長柄(ながら)屋でも、安心してこの若者とその一党に登楼させた。
「どこかの大藩の国家老あたりの次男坊ではないか」という見込みを、客の鑑定(めきき)に熟達した長柄屋善兵衛でさえつけたほどであった。

「ニ三日、流連(いつづけ)させい」と、保証の金を二十五両、帳場にあずけたほどである。
金さえあずかれば、相手が何者であれ、娼家の主人としては知ったことではない。
「きゅうさま、きゅうさま」などといって、敵娼(あいかた)の錦木の熱のあげようも異様なくらいだった。

鳩平は河豚(ふぐ)の腹のように色白でまるい顔をもっている。
いかにも坊ちゃん坊ちゃん顔つきで、舌が長く、ものをいうとき、いったん口腔のなかでもぐもぐ動かしてからやっと口をきく。
それがいかにも甘ったるく、まだ乳くさいにおいを女に感じさせた。
(可愛いひと)と錦木が思ったのはむりもない。

錦木は安岡鳩平のたばこのつけかえまでいちいち世話をやいてやるという熱の入れようだった。

安岡鳩平はじつのところ、武士階級の出身ではない。
西国筋の姫路城下のはずれの大きな網元の家の子である。
年少のころから家業をきらい、縁戚にあたる姫路藩士の家に寄寓し、そこから城下の町道場にかよって神道無念流をまなび、十八歳で目録になった。

そのころから、この西国の要都にもしばしば思想的遊説者があらわれた。
道場にもつてをたよってよくくる。
「いまこそ草莽(そうもう)の立ちあがるときだ」といって蹶起(けっき)をうながしにくるのである。

古くは文久二年のころ、有名な清河八郎が九州遊説の帰途、道場に立ちよったということも鳩平はきいている。
その後、有名無名の遊説者が足をとどめた数はいちいち指を折ることもできないほど多い。
生野の乱をおこした平野国臣(くにおみ)もきたことがあり、その熱弁に浮かされて国臣に従って道場をとび出して行った先輩もある。

京の新撰組から、前後二回にわたって道場に勧誘にきたこともあった。
討幕派にしろ佐幕派にしろ、いうところは一つである。
「尊王攘夷のため」ということであった。

そのうち天下の騒動がいよいよ大きくなり若い安岡鳩平もじっとしていられなくなった。
が、この若者に思想があるわけでもなく、読書能力があるわけでもない。
ただ、若いだけに血の気がある。
「ひとつ大坂の奸商をいためつけてやろうではないか」と、たったそれだけのことで道場で同志をつのったところ九人の仲間を得た。
そこで近江屋忠兵衛方を襲ったのである。
近江屋が奸商であるかどうかなどは、この種の亜流志士にとってはどうでもよい。

といって御用盗首領の安岡鳩平には罪悪感はなかった。
「奸商を槍玉にあげてやった」という昂然たる気持があるだけである。
思考力のとぼしい、それだけに乱世の感化がこの若者には強烈だった。

思考力がとぼしいといえば、安岡鳩平は近江屋忠兵衛がなぜ奸商であるかという点でも明確でない。
「この国難のご時勢に、天朝の御苦悩、民の窮迫をもかえりみず、ただ射利(しゃり)(営利)をこととし、莫大な利益をあげている」
だから奸商なのであった。

もっとも文久二年三年の天誅ばやりの時勢では、しばしばそういう理由だけで商家がおそわれた。
新撰組の初期、初代局長の芹沢鴨も京都の富商をその理由でおそい、大砲まで持ち出している。

鳩平は、大坂をおそうためにまず兵庫に入って情勢を探知していたころ、
「ちかごろは綿問屋がもうけている」という話をきいた。
綿は、アメリカが世界最大の輸出国であったがそれが南北戦争のために生産が需要に追っつかぬばかりか、戦争の荒廃で綿畑そのものも荒れはてた。
このためヨーロッパで綿が暴騰し、ヨーロッパ商人たちは日本にまで買いつけにきているのである。

そこで綿問屋がおもしろいほど儲かった。
とくに大坂の郊外である河内地方は日本有数の綿の産地でもあり、大坂の商人がそれを買いつけては、長崎、横浜といった開港場にどんどん送った。
その評判は、兵庫まできこえている。
(すると、綿問屋が奸商だ)と、鳩平たちの単純な頭で理解した。
理解というより目標をみつけさえすればいいのだから、これほど簡単な思考はない。

「綿問屋なら、たとえばどこだ」「近江屋忠兵衛もそうだ」ということで、襲撃の目標がえらばれ、襲撃し、番頭を殺し、娘を連れ去り千両箱を手に入れた、という次第である。
こんな程度の思慮でとほうもない行動をしでかすというのも、やはり乱世のせいであろう。

近江屋の娘お千賀については、「手をつけるな」と仲間に釘をさした上で、尻無川べりの野小屋にとじこめてある。
仲間が二人ずつ、交替で監視し、監視の役のおわった者は新町のこの長柄屋へきて遊興にくわわるという仕組みである。

長柄屋での鳩平らの遊興態度は、物狂いにさわぐというところはなかった。
どちらかといえば、物静かな客である。
「人目につくような騒ぎ方をするな」と首領の鳩平は、一同に念を入れてある。
一同もよくこの若者の言うことに服した。
おなじ道場仲間とはいえ、鳩平の腕はずばぬけていたため、服すよりほかはない。

「あす、娘をつれて、松田と武藤がひと足さきに西宮へゆけ。西宮では十文字屋にとまっているように。あとから三々五々、われわれがゆく」
と、新町長柄屋に入ったときそのように手配りしている。


以上は「俄」文中の一節でした。
万吉は西宮で御用盗一味らを見つけることが出来るのでしょうか、この後は次回をお待ち下さい。




Posted by ゼットキ at 15:30 | この記事のURL
2012年01月17日
「俄」 読ませどころ 御用盗に対する恐怖心からの騒動
前回は西宮御番所与力が万吉らの手の者だけでは御用盗に立ち向かうには心細いということで藤堂藩に浜の警備を頼んだ件でしたが、今回はその藤堂藩宿陣での騒動の場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

騒動というのは、この夜、西宮の北西部で起った。
北西部の広大な地に摂河泉(せっかせん)三州でもっとも賑わう神といわれる西宮の戎(えびす)神社がある。

その境内の北が田んぼになっていて、田んぼのむこうに「浦之町」といわれる四五十軒の零細な町家が密集している。
その町内に西安寺(さいあんじ)という寺がある。
この寺が、伊勢の津の藤堂藩の宿陣になっていた。人数は五十人である。

いうまでもなく、大坂湾に外国艦隊が侵入してきてこの西宮の浜に陸戦隊を上陸させたときに迎え撃つべき兵であった。
この五十人の藤堂兵と、それと同数の伊予大洲藩兵が海防上、近畿におけるもっとも重要な拠点であるこの西宮を防備している。

この小勢で、児戯に類する、といってしまえば実もふたもない。
時勢のふんいきがそれを要求し、幕府が諸大名に、国防上の至上命令として命じた処置なのである。

藤堂藩兵の隊長は、中村祐右衛門(すけえもん)という頭の禿げた小男だった。
話がもどるが、西宮の与力堀久右衛門が、(あの一柳藩の妙な男だけでは心細い)とおもい、この藤堂藩宿陣にたのみに行ったのは、きのうのことだった。

「ほう、御用盗が徒党を組んで大坂からくだってくると?」
小男の祐右衛門はいった。藤堂藩はゆらい藩風のゆるんだ藩として有名である。
藩吏の伝統的体臭として巧言令色で実のない風がつよく、
そのせいかこのときも中村祐右衛門は、
「よろしゅうござるとも。わが家の勇武をあらわす好機というべきでありましょう」と色よい返事をして堀与力を帰した。

(安堵した)と堀はおもい、万吉にもその旨を告げたのである。
むろん、当の中村祐右衛門は愛想よくそういっただけで、いざ御用盗というとき本気で戦うつもりなどなかった。
が、その話だけは、藩兵につたえた。
藩兵に恐怖がおこったのはそのときからである。

陽のあるうちこそ、みな柄頭(つかがしら)をたたいて、「おれが一刀のもとに」などと高言していたが、陽が落ちると、いまにも御用盗の襲撃があるような、ぶきみな緊張が支配した。
が、緊張のしっぱなしでもいられない。
結局は総員、寝(しん)についた。

寝しずまったころ、藩兵のひとりが、夢でうなされたのか、「ひえーッ」と、とほうもない叫びをあげた。
全員が飛び起きたのはその瞬間である。
みな、寝巻きのまま、雨戸を蹴やぶってそとへ飛び出した。
わめく者、夢中で逃げだす者、もっとも遠くへ逃げた者は五里さきの兵庫まで走ったといわれた。

この喧(けたたま)しい騒動で町内はみな起きたが、事情がわかるにつれて町人でさえ藤堂藩のなさけなさをにがにがしく思った。
万吉の耳にも入った。
「そうか、雨戸を蹴破って出くさかったか」と、万吉は、その直後、藤堂藩宿陣のさわぎをきき、舌打ちをした。

実のところ、この騒ぎで万吉はたたきおこされたのだ。
西宮中がたたきおこされたといっていい。

最初、御用盗が藤堂様へ斬りこんだ、といううわさだった。
このため万吉は枕もとに長脇差をひっさらって階下へおりた。
路上に飛びだしたとき、小春が駆けてきて褌(まわし)を巻かせ、着物を着せてくれた。
それまで万吉は素っ裸であった。
「そのままで藤堂様へ駆けつけようとおしやしたのですか」
と小春があきれてきくと、万吉は不機嫌そうに「ふむ」とうなずいた。

その直後、軽口屋が飛んできて、路上で事件の実相をつたえたとき、万吉はいよいよ不愉快になってしまった。
「軽口屋、藤堂の宿陣まで見舞いにいこう。場合によっては藤堂のやつらを叩っ斬ってやる」「叩っ斬る?」軽口屋もさすがにおどろいた。
この明石屋万吉が人を斬るなどといったことはめったにない。
「恥を思い知らせてやるんじゃ」万吉は歩きだした。

藤堂家三十ニ万三千石藩祖藤堂高虎の武功によるものというよりも、高虎が、秀吉に取り立てられた士でありながら秀吉の死の前後から家康に接近し、家康のために間諜(かんちょう)となって豊臣家の殿中での情報をさんざんに流しつづけた功によるものとされる。

藩祖の人格、風姿、思想が藩風の伝統をつくるといわれているから、藤堂家の家風が骨のない団扇(うちわ)のような印象を三百年間あたえつづけてしまったのも当然であるかもしれない。

「それにしても、ひどすぎる」と万吉はいった。
「えらい阿呆や」暗い軒下の道を歩きながら、万吉のぼやきがつづいた。
「去年までのわいなら、怒りゃせん。嗤(わろ)うたるだけや。ところがいまはなりはこんな極道屋でも、表向きは一柳家の物頭や。つまりわいも歴とした侍やがな」
「いかにもそうだす」
「お前も侍や。その侍の身であることが小っぱずかしゅうて、表通りも歩けん気持ちや」
「まあ、そう怒りなはるな」

「三百諸侯のなかで、侍が古儀のとおり恥を知り武勇を尚(とうと)び、事あるときには敢然と死ぬという藩は、薩摩、長州、土州、会津のわずか四藩であるというな」「なるほど」
「この四藩が、天下の権を争いよるときが来るやろう。こんどの藤堂侍の腰ぬけぶりをみていよいよそう思うた」
「そのとき、どっちが勝ちますやろ」
「土佐は老公が頑固なためにずっと中立をまもってゆきおるやろ。とすると薩と長が、会津と闘うようになる。多勢に無勢、おそらく薩長の天下が来る」

一葉落ちて天下の秋を知るというが、万吉は藤堂兵のすさまじいほどの臆病ぶりをみてその感がにわかにおこったらしい。


以上は「俄」文中の一節でした。

万吉らが探している御用盗はどこにいるのでしょうか、次回をお待ち下さい。









Posted by ゼットキ at 16:56 | この記事のURL
2012年01月14日
「俄」 読ませどころ 御用盗に対する西宮警備
前回は万吉と小春とのおかしな問答の場面でしたが今回は西宮御番所の御用盗対策についての件です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

翌日、万吉の宿に軽口屋が武士の格好でたずねてきて、張り込みの現状を報告した。
「安心しとくれやす」
大坂から西宮までの街道の要所要所には人を植えこんでぬかりはない、という。
「あやしいやつはいたか」
「いまのところ、それらしいやつは影もかたちも見せまへんな」
「ああそうか」万吉は鷹揚にうなずいた。

「ほなら、しっかり頼むでえ」「よろしおま」
その応対を小春はきいていて、小春はなんとなくおかしくてたまらない。

町人姿の万吉に、侍姿の軽口屋という男がぺこぺこしているのも珍風景だが、その軽口屋が侍のくせに、「よろしおま」などという大坂の地下(じげ)言葉をつかっているのは、紋服大小の手前、なんとも奇妙だった。

(どうもけったいやな)こんな人種を、小春はみたことがない。
「ほンで、親方」と侍の軽口屋が呼びかけの言葉には小春もおどろいた。
一柳藩物頭小林佐兵衛に、親方はないであろう。

「なんやいな」「こちらは、この坂東屋の酌婦(こどもし)だっか」
「いかにも」「親方の」「ああゆうべから馴染や。名アは小春というのや」
そんな話があったあと、万吉は軽口屋をつれて倉開地の御番所に行ってみた。

与力の堀久右衛門がちょうど出仕していて万吉の顔をみるなり、
「もし、御用盗が乗りこんできたとき、手が足りるだろうか」
と心配そうに言った。
この与力にすれば、そういう面倒な集団が乗りこんで来ないことを願っているらしい。

与力一人同心三人の幕吏しかおらぬこの手不足で、どうにもならぬではないか。
「わしの手の者が二十人います。まずこれで足りますやろ」
「素人やな」と、堀久右衛門はいった。
「捕り方は、相手の人数の五倍は必要、というのがこの道の通年や。曲者(くせもの)が一人なら五人でかかる。曲者が十人なら五十人でかかる、これが、ぎりぎりの人数や」

「いや、なんとかなりますやろ」と万吉がいったが、堀久右衛門はこの市井の遊侠あがりの一柳藩士などをまるで信用していない。
「多少心もとないによって、浜の警備についている藤堂藩に頼みに行った」
「へえ」

西宮警備を、通常二つの藩が幕令によって担当している。
いまは伊予大洲藩と伊勢の津の藤堂家の担当になっていた。
ただし、この警備は異国軍艦来襲にそなえた海防上のもので、国内治安のためではない。
「筋ちがいのことを、よう引きうけてくれましたな」
と万吉は疑わしそうにいった。
このことが大騒動のもとになった。


以上は「俄」文中の一節でした。
この騒動とは…次回をお待ち下さい。

さて、いつもの様に良ければクリックしていただければ幸いです。











Posted by ゼットキ at 01:16 | この記事のURL
2012年01月09日
「俄」 読ませどころ 小春から見た難儀な万吉
前回は酌婦の小春を、どうやら気にいった万吉でしたが今回は御用盗が現れるのを待つ間の小春との場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

万吉は坂東屋を出、ぶらぶらと歩いた。
まだ往還には人通りが多かった。
どの旅籠にも、西宮御番所から差紙がいっているはずで、例の御用盗らしい人物が投宿すればすぐ連絡があるはずだった。

万吉は一軒一軒の軒下をひろい歩いて、倉開地の番所へ行った。
構内の与力役宅に堀久右衛門をたずね、諸事うちあわせをしたあと、この町にある二軒の町会所をも訪ねた。
「いまのところ、影のかけらも見えまへんな」ということだった。
源吉という番所の番人が、「ほんまに来まンのかいな」
とうたがわしそうにいった。

万吉は、おれが念力でもこの西宮へ来させてみせる、といった。
「かならず来る。ぬかるな」そう念を押し、酒でも買え、
と銀の粒をひとつ置いて出た。

そのあと坂東屋に帰り、もう一度小春を抱いたあと、「なあ、小春」と、
例の話をむしかえした。
嫁にならぬかということである。

小春の目からみれば、まったくおかしな男である。
「旦那さんは何をして居やはるおひとですか」と、思いきってきいてみた。
「極道屋や」万吉は、濁りなく答えた。
極道屋とは、京大坂で、遊侠の徒のことを指していう。

「せやけどいまは侍や」とも、万吉はいった。このへんが、ひどくややこしい。
「播州小野の一柳藩の物頭(ものがしら)で小林佐兵衛とはわいのこッちゃ」
物頭といえば足軽頭などの職名をもつ高級藩士であることは小春でもうっすら知っている。
しかしこの同衾(どうきん)している男がそんな大層な身分の男とはとても思えない。
「もっとも侍は頼まれてなっているだけのことで、一生やろうとは思わんがな」
(わけがわかならい)小春は、身を縮めた。
この侍が、また手をのばしてきたからである。

「そうそう」侍は急に辞色をあらためた。
「わいの嫁はんになってくれるな」
「わからへん」と、小春ははずかしそうにふとんのはしで顔をうずめた。
「嫁はんが、はずかしいか」「うん」
「けったいな奴っちゃ」万吉は笑い出した。
酌婦をしていて客と寝ているのに、嫁ばなしで羞(はずか)しがるとはどういう頭の仕組みであろう。

「おまえ、変わり者(もん)らしいな」「旦那さんこそ」と、
小春は小春で笑い出した。
どちらもどこか、常人とくらべてとんちんかんなところがあるようだった。
「変わったはりますな」「そうかいな」万吉は、小首をひねった。
自分のどこが変わっているのか、自分ではよくわからない。

「いずれにせよ、その返事をきかんかぎりはおちつかんがな」
「あしたも居やはる?」
「さあ、御用盗の都合次第やな。あいつらがあらわれれば、わいの身イがどうなるかわからん」
「死ぬの?」びっくりして顔を出した。

「人間、生きていることがそもそもふしぎやのに、死ぬことがわかるかい」
と、またまたこの男は、禅坊主めいたことをいった。
「あしたのわが身は、わからん。せやさかい、こうして今夜のいま、約束をとりつけておこうといそいでいる」

「旦那さん、悪いお人やおまへんやろな」
「善(え)え人間でもないやろな」
「難儀な」と小春がため息をついたのは、こんな妙な男にどんな返答をしてよいか、途方に暮れてしまったのである。


以上は「俄」文中の一節でした。
万吉と小春そして御用盗は、この後は次回の更新をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 01:14 | この記事のURL
2012年01月04日
「俄」 読ませどころ 万吉と小春
前回は万吉が小春にプロポーズした場面でしたが、今回はその後の件です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

嫁になれといわれて、小春は一瞬目をみはったが、すぐばかばかしくなった。
(このひと、あほやろか)とおもった。としか思えないではないか。

酌婦といえば女郎である。
その女郎に嫁になれという話は世間にはよくある。
しかし昼に顔を合わせたばかりの、しかも一度も寝たこともない女郎にむかっていきなり「嫁はんにならんか」というあわて者は、そうざらにいないであろう。

そのうえ、小春にとって当惑なことに、言いだした当人は大まじめであることだった。「どや」と茶碗を置いて返答をせまった。
「そんなことより」小春は、泣き出しそうになった。
「御用盗はみつかったんですか」「見つかるやろ」万吉は、泰然といった。

御用盗は御用盗、嫁は嫁である。
「なんで、また、私のような者を」「理由(わけ)かい」
万吉は鼻の頭を小指で掻いた。
「はい、理由」
「理由みたいなもん、言えるかい。なんでうまれてきた、というようなもんや」
「なんで」
「も、くそもあるか。人間、なんでうまれてきたかということもわからぬ生きものあるのに、思慮分別で嫁がもらえるか」妙なことをいう男だ。

「本来、わが身そのものが謎である。そのわが身のやることなすことに、いちいち思慮分別の行きとどいた理由はつかんもんや」
「あんた、禅坊主(ぜんぼん)はんどすか」と小春は本気できいた。
「まげ、ついたある」
万吉は月代(さかやき)をたたいた。坊主なもんかというつもりなのだろう。

(けったいなお人や)
小春の年頃では、こんな男の真意を捕捉できる能力はなかった。
ただうつむいている手しかない。
冗談でまぎらすほどには稼業にすれていないのである。
「あの、ちょっと」と階下に用がある風情をつくって立とうとした。
「あかんど」万吉は、釘の頭をたたくような断固とした口調でいった。

「返事するまで、立たさん」「そんな」
小春は袂で顔をおおって泣き出してしまった。
そんな理不尽な、と叫びたかったのである。
にわかに泣かれてしまって、あわてたのは万吉だった。
「いけいけ、いけ」と連呼して階下に追いやった。
ひとりになってから万吉もわれとわが身に興ざめし、
(わいも、こまったもんやな)ツルリと顔をなでた。

やがて夜具が敷かれた。
「小春、寝るか」と、万吉が帯を解きはじめたとき、小春は体じゅうが赤くなる思いがした。
(奇態な)とわれながらおもわざるをえない。
客と寝るのが酌婦のつとめなのである。
げんにここ半年のあいだ、幾人の客の枕席(ちんせき)に侍(はべ)ってきたかわからない。
だのに、この男と寝ることが、なぜこうもはずかしいのだろう。

小春は寝支度をととのえ、枕頭の行灯のそばにうずくまった。
「消すのか」万吉は妙な顔でそれをきいた。
西宮では油が高いのかとそんなふうに思ったのである。
「ええ」「始末のええこッちゃな」節約が行きとどいている、という意味だ。
「でも、月がありますやろ?」そのとおりだった。
行灯がきえると、青い光りが室内にみちた。

「なあ、小春」万吉は、小春を体の下に抱きこみながらいった。
「わいにはこまったところが一つある」「どんな?」
「これだけはどうにもならん」婦人とのことである。
万吉は血気ざかりにしては女遊びがすくなすぎるほうだが、いざ抱いたとなると、
どうにもならぬくらい激越な様相になる。

「驚くな」万吉は、まじめにいった。
さらに、「驚いたあげく助平じゃと思うてくれるな」とことわった。
そのあと小春の体がこなごなになるかと思われるような時間が一刻ばかりつづいた。

おわると、寝床からはねおきて、「ちょっと町を一廻りして番所をのぞいてくる」
と言いすて、すっと出てしまった。


以上は「俄」文中の一節でした。
万吉という男は変わり者のわりに面白い男ですね、
この続きは次回をお待ち下さい。




Posted by ゼットキ at 17:14 | この記事のURL
2012年01月01日
「俄」 読ませどころ 万吉のプロポーズ
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしゅう、お付き合いの程お願い申し上げます。

それでは、いつもの「俄」読ませどころといきますか。

前回は坂東屋の二階から御用盗の一味が通過するか見張っていたが来ないまま日が暮れた場面でしたが今回は坂東屋の小春に夕食の給仕をしてもらう場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

夕食の給仕は、小春がした。
(さすがは坂東屋や)と万吉がおもったのは、酌婦がつきっきりで客の世話をしてくれることである。
普通の宿場の酌婦なら、ばたばたといそがしそうに立ち居ふるまいをして、客のそばになどはほとんど居ないのが常例だった。

「それ、おあがりにならしまへんの?」と、小春は膳の上の盛り皿の減りぐあいまできをつけてくれる。

海魚が二種類ついている。
ひとつの皿はいわしの煮つけだった。
いわしは下魚(げうお)だが、この西宮の浜でとれるいわしは名物で、美味は大坂にまで知られている。

「この土地の名物ですけど」「食わんな」万吉は不愛想にこたえた。
その不愛想さにひどく愛嬌があって、これが万吉の人徳のひとつになっている。
小春もおもしろがって、「おきらい?」と語尾をあげてしっこくきいてやった。

万吉は面倒くさげに、「いわしという字がきらいや」
「字?」小春は、いわしの字を思い出そうとした。
やっと思いだした。
「魚ヘンに弱いと書く、あれ?」「そういうこッちゃな」
「それで?」「弱いと商売があがったりになるさかいな」万吉は注がれるままに酒をのんでやがて一合徳利があくころには真赤になってきた。
それが小春にはおかしい。

「弱おすやないか」酒が、である。そのとおりであった。
万吉はもともと酒ののめるたちではない。
「弱い」万吉はうなずき、小春をみてにやりとわらった。
歯ならびが、皓(しろ)かった。小春は、この客の笑顔をはじめてみた。
(坊やみたい)と目をみはる思いがした。
それほどあどけない笑顔を万吉はもっている。

万吉も万吉で、小春の笑顔や、ちょっと小首をかしげるしぐさ、照れると舌を出しかけたりする様子などを、どれもこれも気に入ってしまった。
「おいおい」万吉はたしなめねばならぬこともある。
小指の爪などを噛もうとしているからだ。

それに万吉の気に入ったところは、こういう種類の女はなにかといえば身の上ばなしをしたがるものだが、小春はいっさい自分のことを語ろうとしない。
(自分への愛がすくないのや)万吉はそう解釈した。
自己愛が過剰ではないというのは、それだけでもきわだった美徳である。

不意に、「わいの嫁はんにならんか」と万吉はいってしまった。
それも香の物を噛みながらである。


以上は「俄」文中の一節でした。
小春は万吉の嫁になるのでしょうか、次回をお待ち下さい。

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Posted by ゼットキ at 00:28 | この記事のURL

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