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2011年12月27日
「俄」 読ませどころ 西宮 街道見物
前回は西宮の坂東屋に宿をとることにした万吉が酌婦の小春と出会った場面でしたが今回は日が暮れるまで御用盗が来ないか、坂東屋の二階から街道を見張っている場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

(まるで祭りのようやな)とおもうほど、往来する旅人が多い。
さすがに西国へ行く唯一の官道という感がふかいが、それにしてもこの旅人の多さは、時代相のせいであろう。

(ご時勢のせいや)万吉はおもった。
こうして二階から往還を見おろしていても、ひしひしと時勢というものを感ずるのである。

はやりの韮山笠(にらやまがさ)にブッサキ羽織、軽衫(かるさん)をはいて肩ひじを張りながらゆくのは、胸中(うち)に鬱勃(うつぼつ)たる尊王攘夷の志を秘めた西国の浪士か、下級藩士かなにかであろう。

細い棒(おうご)のさきっちょに小さな荷物を結びつけてかるがると西へ走ってゆくのは、おそらく京の情勢を西国の本藩に報らせる飛脚であろう。
ボテ飛脚もいる。
この種類の飛脚は手紙飛脚でなく物品をはこぶ飛脚だった。
一本の棒の前後に大きな籠をぶらさげ、それに物品を盛りあげ、ボテ振りのようにして腰調子をとりながら、やってきては去ってゆく。

洋式鉄砲をかつぎ、筒袖、股引、わらじといった姿でやってくる一隊もある。
西宮警備を担当している伊予大洲(おおず)藩の足軽たちに相違なかった。
もっともそういう物騒な連中でなく、駘蕩(たいとう)とした旅姿の者たちもいた。

(あれは大坂あたりの富商の御寮人の里帰りすがたか)
とおもわれる婦人もゆく。
笠は、上からみても色気のある照降笠(てりふりがさ)である。
紅緒に白足袋という足ごしらえで、鼠色に白の小模様などを染めぬいた木綿の合羽をはおっている。

「アレさ」とさわぎながら来るのは、いま舟着場から出てきたばかりの金比羅船の連中だろう。
金比羅船はこの西宮から発着している。
みな七八人で組んだ団体で、それぞれ四尺ばかりの金比羅大権現のお札を背負っている。
この連中は、金比羅信者が関東に多いせいか、江戸者が多い。

木遣歌(きやりうた)を合唱しながらやってくる若者の一団もある。
そろいの菅笠(すげがさ)、そろいの手拭い、一様に竹杖をついてはしゃぎながら進んでくる様子は、ひと目みてお伊勢詣りの若者たちであることがわかる。
(にぎやかなことや)
万吉は、倦(あ)かずにながめた。

この時代、娯楽のすくないころだから、
――街道見物というあそびまであったほどだ。
それほど街道というのは終日ながめていてもあきがこない。
(ところが)かんじんの御用盗らしきやつはいっこうにやってこないのである。

そのうち、日が暮れてしまった。
「あの、御膳は?」と、小春がむこうの廊下からきいた。
そういえば腹がすききっている。
「頼むでえ」万吉は、立ちあがってわざと伸びをした。
なにやら小春をみるのが気はずかしい。


以上は「俄」文中の一節でした。
この後の展開は次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 01:58 | この記事のURL
2011年12月22日
「俄」 読ませどころ 万吉、坂東屋に宿をとる
前回は西宮御番所の与力に面会し御用盗一味を捕殺する便宜をはからってもらうように頼んだ場面でしたが今回は西宮に宿をとったところでの件です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

万吉は坂東屋に宿をとった。
この時代の習慣として、希望すれば女がつく。
酌婦である。

小春といった。
まだ初心(うぶ)っけのぬけぬ娘々した女で、摂津有馬村のうまれだという。
「まだ半年か」と万吉は小春のえりもとの清々(すがすが)しさにおどろきながらいった。
「お前のような者が、なんと荒い稼業に入ったことかい」
「運命(さだめ)だっさかい」そのわりに明るい表情でいった。
小作りで目鼻立ちもちまちまと小さく、顔がやや浅黒いわりには手がひどく白かった。(こいつを、嫁にするか)

万吉は初対面の瞬間からそう思った。
例によって勘でものごとを決めてしまう。
そう思いこんでしまうと、どことなく情が声音(こわね)にもにじむらしく、小春も用もないのに、部屋を立たず、袂をいじくっている。

「小春」万吉はくそまじめな顔でいった。
「この真っ昼間からなにをするわけにもいくまい。日暮れまで往来へ出ていてくれるか」「客引きを?」せよというのか、と小春はそんな顔をしてみせた。
客引きは酌婦のしごとである。
「そら、どっちゃでもええが、こういう旅の者が通ったら知らせてくれ」
と、例の十人組の御用盗のざっとした人相風体を話した。

「それはなにをするお人だす」「天朝方の浪人や、人を斬った」
「怖わ」本気で怖わそうな身ぶりをした。
万吉はそんな所作まで可愛くなってきた。
「怖いことはない。どうせ偽浪士や。本物ならいざとなったら死ぬまで闘うかもしれんが偽者はゆらい臆病なものや」

「それを旦那さんはどうおしやすのです」「これや」長脇差のつかをたたいた。
「斬る」「おひとりで?」「まあ場合によってはそうなるかいな」
「ふうん」小春は、まつ毛をいそがしく動かして万吉の顔を見つめた。
(なんのご商売やろ)と問いたげな顔であったが、なにもきかずに、
「心得ました」と指をついた。

こういう稼業の女にしてはつつしみがある。
(気に入った)と思ったが、万吉は思うと同時にあごをしゃくった。
「早う行け」そのあと万吉は、街道に面した手すりに身をもたせかけ、下をゆく旅人をながめた。
(きっとくる)
連中は大坂で荒稼ぎをし、西宮へきて船を待ち、西国へ高飛びをする。
そうにちがいないと万吉は思っている。


以上は「俄」文中の一節でした。
この後は次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 01:16 | この記事のURL
2011年12月17日
「俄」 読ませどころ 西宮御番所
前回は御用盗が西宮を通るであろうという万吉自身の勘を頼りに駕籠を飛ばして西宮に急ぐ場面でしたが今回はその続きです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

摂津西宮は、大坂から五里である。
東海道に連接する西国街道(山陽道)の名駅で、戸数三千、殷賑(いんしん)の地である。海港でもある。

西宮は、付近の灘や池田、伊丹とともに酒どころとしても知られ、巨大な酒造業者が密集し、西宮港の回船問屋がこの酒を諸国に輸送する。
酒の港として高名である。

余談だが、毎年春二月に新酒ができると、この新酒を関東方面に輸送する出船は、品川につくまでの太平洋岸を競争で航争する。
万吉の手下で「胴六」という妙な名前をもった男がこの酒舟の水夫(かこ)くずれで、「そら、みごとな景色だっせ」と、酒に酔うと万吉に語った。

新酒積み出しの一番船は、七艘ということにきまっている。
出発の合図は、浜で船切手を渡すところからはじまる。
七艘の千石船は胴六の表現でいうと「酒樽を呑みこんでずっしりと船腹を沈めて沖合で待っている」そこへ陸地で船切手を受けとった各船のハシケは挺櫓(ちょうろ)でそれぞれ本船へ漕ぎつき、碇(いかり)をあげてどっと出航するのだ。
品川ではその船の到着をまち、最初に到着した酒は、「一番酒」として江戸での
値段がとくべつ高価になるのである。

西国街道といえば天下の官道であるのに、道路がひどくわるかった。
途中、川が多いが、大半は橋がかかってない。
徳川幕府というのはふしぎなほど橋をきらった。
橋をかけると、万一西国大名が反乱した場合、すらすらと西国街道をのぼって京大坂を占領されるという防衛観念から、三百年来、官道での架橋を最小限にとどめてきている。

大坂から西宮までのたった五里のあいだで野里の中津、佃の神崎川、辰巳の左門殿川がいずれも橋がない。
「飛びこめ」と、万吉はそのつど駕籠辰に号令した。
駕籠舁きはしぶきをあげてとびこみ、水底の砂を蹴りつつ駕籠をわたしてゆく。

西宮につくと、万吉はこの町の司法権をにぎっている大坂町奉行所支配による
御番所の門前で駕籠からおりた。
(ええ屋敷やな)万吉は感心した。長屋門のりっぱな屋敷で、大名の藩邸ほどもある大きさである。
門は南面し、長屋門のりっぱな屋敷で、大名の藩邸ほどもある大きさである。
門は南面し、西と南には堀をもうけ、土手には松並木がうわっている。

門番が万吉の人体(にんてい)をみて、「うぬらの来るところではない」
と制止した。
「これかい」万吉はわが風体を見た。
なるほど、樽屋の職人頭のような服装である。
「わいは侍や」と、万吉はしずかにいった。門番は、信用しない。
そこをすったもんだの問答のすえ、やっと一柳藩の足軽頭格で大坂の尻無川筋の警備をうけもっている小林佐兵衛だということをなっとくさせ、なかへ入った。

長屋門を入ると、栗石を敷きつめた庭になっている。正面が、玄関である。
玄関には弓矢、鉄棒、刺股(さすまた)、槍などの罪人捕獲道具がならべられているが、べつだんこれが実用に供せられるというわけではない。
警察権の象徴のようなものだ。

この御番所には、大坂町奉行から与力が一人ずつ交替で詰めて、この与力がいわば長官になっている。
その下僚である同心は土地に居付の者で、その役宅が構内にある。
それがわずか三人である。

要するに西宮の行政、司法などをとる幕吏は、わずかに与力一人同心三人ということである。
その下に十手をあずかるいわゆる目明しのような男は何人かいる。
この町では、猿などといった通称でよばれていた。

万吉は、その西宮詰めの与力堀久右衛門に面会し、事情をうちあけた。
「きっと、その御用盗が当地に来ると申されますのかな」
「まあ、来ますやろな」万吉がいうと、与力は狼狽した。
このわずかな人数で、十人の御用盗を召しとれるはずがない。

「わてがやりまっさ」と、万吉は言い、そのかわり捕殺に必要な便宜をはからってくれと頼んだ。


以上は「俄」文中の一節でした。
果たして御用盗はやって来るのでしょうか、次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 21:30 | この記事のURL
2011年12月12日
「俄」 読ませどころ 御用盗を追って西宮へ
前回は御用盗が船場の近江屋に押し入って番頭を殺害した件でしたが、前回の続きで御用盗を追って万吉が西宮へ向かう場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

御用盗の連中は、番頭の嘉平を殺(や)ったあと蔵を破って千両箱二つをもち出した。
皮肉なことに、――御用盗がきたときに。
と万事取り越し苦労な嘉平が蔵に用意してあったあの金だった。
それを奪い、さらに十六になる娘のお千賀を人質に連れ出した。
「届けるな」と御用盗は近江屋の者にいった。
届けるとこの娘を殺す、とさらにいった。 そのまま彼らは去った。

そのあと、物音をききつけた近所のものがさわぎ、町会所に報告した。
「あの野郎」と、すべてをきいたとき、万吉は顔からどっと汗が噴き出た。
「木戸は締めたか」町々に木戸がある。
夜陰は閉まるはずだがすでに御用盗が現場をひきあげたときは夜があけていたため、木戸を閉じる余裕はなかった。
だから御用盗はそのままたれにも気づかれずに大坂を去ったかに思われる。

「天満の八軒家は?」「へい」と、芳松はうなずいた。
「張ってま」ところが、天満のどの船宿にも入った形跡はいまのところない。
「まだ大坂の市中にいるか、そのまま西国へ逃げたかどちらかやな」
西国に逃げたとすれば、万吉の最初の予感どおりに西宮を通過する。
(いずれにしても西宮や)と万吉はおもった。

河内にも大和、和泉にも逃げる口はあるのに、この男はどうあっても西国やと確信した。(きっと長州を頼ってにげやがるはずや)
御用盗といわゆる志士とはちがう。が、御用盗がにわか志士に変じて、犯罪をおかしたあと長州へ逃げた例は多い。

「おらア、西宮へ出かける」と、万吉の家老ともいうべき帯権にそういった。
帯権は、わかりの早い男だ。
「よろしおま」うなずいた。この番所の指揮は帯権がとることになる。

万吉は、縞の着物に股引といったかっこうで長脇差(ながどす)を一本ぶちこんだ。
「駕籠辰」と、どなると、番所の玄関に駕籠がまわった。
粗末な辻駕籠だが、万吉は平素、足達者の者をえらんで三挺の駕籠を番所に詰めさせてある。
そのなかでも辰と芳というのが大坂一の肩自慢、足自慢で通っていた。
「たのむでえ、西宮や」と乗ると、辰と芳は息杖をポンと突き、飛ぶように駆け出した。

右の次第で、万吉は西宮へ駆けた。
わざわざ「右の次第」といったのは、万吉はさほど思慮の足った男ではない、ということだ。
利口な男なら、尻無川の番小屋で悠然とすわっていたであろう。
そのほうが身に危険はないし、一集団の頭目として居るべき場所にすわっているほうが、はるかに指揮統率上賢明でもある。
大将がうろうろ現場に駆けまわっていては事が混乱するばかりだ。

ところが、根がどこか素っ頓狂に出来ている。
西宮に走るにしても、思慮分別をかさねた上で走っているわけではない。
西宮を賊が通過する、などは、たしかな公算があるわけではない。
(きっと西宮だ)という勘だけである。
それだけで走っている。そういう頭の仕組みにうまれついた男らしい。

役者松が殺され、数人の手下が殺された。
それだけで万吉はめしが食えなくなるほど体じゅうの血が哀しみで酸っぱくなるような思いがした。
その上、賊は、北船場の近江屋忠兵衛の番頭を殺し、お千賀という十六歳の娘を人質として連れ去っている。

(餓鬼ども。――)と憎々しくおもう感情よりは、この男の場合、役者松や近江家の番頭、お千賀などが哀れでたまらない。
攻撃的な性格よりも、受身のむしろ女性的な感情がつよいたちなのであろう。
そのくせ、激動する駕籠のなかに乗っている万吉のつらつきは両眼が深沈とひかって、女性的というような表現からよほど遠い。

途中、駕籠舁きが疲れはじめると、「死ぬ気で走れ」と、容赦なくどなった。


以上は「俄」文中の一節でした。
万吉の西宮での出来事は次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 15:50 | この記事のURL
2011年12月06日
「俄」 読ませどころ 御用盗の押し込み
前回は巡察隊が浪士に三人も斬られたと件でしたが今回はその偽浪士が富商の家に押し込みに入ったという場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

捕り方連中は役者松、シラクモ、ヤケドの三人の骸(なきがら)を戸板にのせて
番小屋にかえってきた。

万吉は玄関まで出て、その事情を半分までききおわると、「あほんだらあっ」
ととびあがり、兄哥(あにい)株の権という男の頬げたを力まかせになぐった。

「三人も殺されやがって、おめおめと帰ってきたか。日頃、遊び人とか侠稼業などと言いくさって、大きな顔で歩いているそのつらはどうした。それが男のつらか」
と片っぱしからなぐってまわった。
五十人をなぐりおわったときは、さすがの万吉もぐったりした。

「天満ノ軽口屋」と、武士姿の軽口屋をよび、それに二人の介添をつけて奉行所へ走らせた。
用というのは、浪人潜入の事実をつげ、下手人探索に全大坂の御用聞きや手先を動員してもらうつもりであった。

さらに隊からも市中探索の人間を出した。
「仇を討ってやる」と、万吉は殺には殺をもってむくいる決意をした。
その後は、通夜をした。
通夜の席上、万吉は考えごとをしている風情(ふぜい)で終始だまっていたが、
やがて、「今夜あたり、船場のどこかで押し込みが入るだろう」といった。

あの連中はすでに人を殺している。だから次の犯罪をいそいでいる。
今夜、どこかの富商の家に押し込み、金をうばった上、そのまま大坂を逃亡するだろうとみていた。

船場の警備は、越前福井の松平家が担当している。
万吉はそこへも使いを出し、「できれば町々の木戸を閉じてもらいたい」
と依頼した。

果然、この夜の子(ね)の刻さがり、北船場の近江屋中兵衛という富商の家に押し込みが入った。
万吉は寝ていた。暁け方、東町奉行所からの急報でそれを知ったのである。
「あいつらにちがいない」と、手下どもをたたきおこし、軽口屋を大将に二十人の者をえらび、「西宮へ走れ」と意外な方向を指示した。
「おれもあとでゆく。西宮の御番所に詰めておけ。きっとあいつらは西宮を通る」
万吉の勘である。

軽口屋の一隊を飛び出させてから、
万吉は奉行所の急報者にゆっくり事情をきいた。
急報者は、東町奉行の同心渡辺十左衛門の御用をつとめている男で、鰻の芳松というきびきびした若者だった。

「芳松っつあん、事情を話してんか」「へい」
芳松が要領よく語ったところによると、押し込んだ人数は十人内外で、ことごとく黒い布で顔をおおい、おさだまりの、「攘夷御用金を献上せい」
と、刀をぬきつれておどしたという。

近江屋の老番頭はおかしな男で、名は嘉平というのだが、平素、
「御用盗がきたら、なにをいうてもどうにもならん。金は出さんならん」
と主人にも説き、手代以下にもそうさとしていた。
怪我をしたり殺されたりするだけむだや、と嘉平はいっていた。

そのため嘉平は御丁寧にも蔵のなかに千両箱を二つ出しておき、「これはいざ御用盗、というときに、へいへい御用つかまつります。とおとなしゅう献上するための用意や」と、そこまで支度をしていた。

ところが御用盗が、なかなか近江屋忠兵衛方に入って来ない。
船場の富商は軒なみにあらされているのだが、用意万端ととのえている近江屋には入って来ないのである。
――ばかにしくさったか。
嘉平番頭は、妙に腹をたてていた。
自分の店が二流とみられることに、不満だったのである。

その御用盗が、ついに入った。
このとき御用盗はまず、主人以下をたたきおこして台所にあつめ、縛りあげてサルグツワをはめた。男女をふくめて十九人いた。

ところが嘉平のみはいない。
嘉平は平素寝つきのわるい男で、納戸の二階にひとり寝るのがくせだった。
「番頭の寝部屋へ案内しろ」と御用盗はいった。
女中が手燭をかざして案内し、納戸の二階にハシゴをかけた。
「たたきおこして来い」と御用盗が命じた。女中はあがった。

起こされた嘉平は狼狽し、ものぐるいしたように叫び、二階からころげ落ちてからも土間でわめきまわった。
「御用盗がきたらだまって金をわたす」と言いつづけてきたのが、どういう神経の狂いからか、逆になった。
嘉平は殺された。


以上は「俄」文中の一節でした。
その後の万吉と御用盗一味は次回をお待ち下さい。




Posted by ゼットキ at 18:43 | この記事のURL
2011年12月01日
「俄」 読ませどころ 西大坂警備隊の大事件
前回は男所帯の中で暮らしていて性に合わない侍装束していることで女房が欲しくなった件でしたが、今回はその続きで西大坂警備隊はじめての大事件です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

そうきめると、万吉は翌日から町人の姿にもどった。
巡察も、その姿でゆく。
尻端折(しっぱしょ)って、股引を出し、色足袋に草履という、まるで左官の下職のような姿である。

まさかこの姿で一隊をひきいて歩くわけにはいかなかったから、巡察隊は、侍姿の帯権か役者松にひきいさせた。
万吉はつねに隊列を離れ、一見、見物人のようなかっこうで歩いてゆく。
「こまりまんな」と、最初、帯権は閉口した。
大将が町人姿でぶらぶらついて来られては、やりにくくてしかたがないのである。
「まあ、そのうち馴れるがな」と、万吉は帯権をなだめた。

捕物があるとむろん万吉がすーつと出てきて一隊を掌握し、適切に指揮し、相手の顔つきによって逃がすかつかまえるか、どっちかにきめる。
そんなふうに十日すごしていると、万吉はだんだん巡察にも出なくなった。
「帯権、たのむでえ」とか「役者松、しっかりやって来(き)いな」
とひとごとのようにいって送り出す。

あとは番小屋で書物を読んだり、探索人を出し入れしたり、賭場をのぞいたりしている。
賭場は大繁昌していた。
「なにしろ天下御免の大ばくち場はここだけやさかいな。得意はふえる一方や」
と万吉は大よろこびだった。
寺銭の収入も日に日にあがり、巡察隊をまかなって余りがあるようになっている。

それらの余剰金を、万吉は、情報活動につかった。
万吉自身の探索人を三人ばかり京に常駐させる一方、大坂町奉行所の与力に金を出して京都情報をきいたり、京都・伏見間の川船による交通の基点である天満八軒家の船宿の番頭にも金をつかませて、京都における諸藩の動きを知ろうとした。

こんなことで金をつかっているために万吉自身はつねにすっからかんで、新町へ遊びにゆく金をひねり出すにも大苦労をした。

そんな矢さき、尻無川の右岸の市岡新田を巡察中の役者松の一隊で大事故があった。
日没後ほどもない時刻だったらしい、この時刻がもっとも危険な時刻であった。
大坂に潜入する浪士や偽装浪士の強盗団は夕暮れ時分に海上にあらわれ、日の落ちるのを待って川筋に入ってくるのが普通である。

その一隊は十人ほどらしい。
市岡新田に上陸した。
上陸しようとしていたところを役者松がいちはやく見つけ、一隊を展開させ、みずから土手の下に立って誰何(すいか)した。
「何者や」というと、浪士群は答えず、答えぬまにそのうちの二人が物音を忍ばせて左右から土手の上へはいあがり、抜き打ちで役者松を斬って捨てたのである。
役者松は三太刀くらって絶命した。

所詮、やくざなどは意気地のないものだ。
巡察隊長の役者松が、偽浪士どもにかこまれて斬りきざまれているあいだ、捕り方の連中は棒をかまえたままで打ちかかろうともしない。
同勢は五十人もいるのである。
みなひしめきあって人垣をつくっているにすぎない。

浪士のほうも心得たものだ。
「寄るなよ」と、血刀をさげたまま、恫喝(どうかつ)した。
浪士のなかで二十一ニの色白丸顔の若いのがひどく腕が立つようで、度胸もすわっている。

「行こう」と、仲間に声をかけ、すぐさま捕り方の群れにとびこんで行って、またたくまに二人を斬った。
血路をひらくためである。
斬られたのは、シラクモの与三郎、ヤケドの八というふたりである。
シラクモもヤケドも、一刀で絶命してしまった。
みなその勢いをおそれ、ぱっと土手の両側に散って浪士たちのために通路をつくった。
かれらは東へ走り去った。
東とは町の方角である。


以上は「俄」文中の一節でした。
この事件に万吉はどのように対して行くのでしょうか、次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 16:27 | この記事のURL

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