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2011年11月27日
「俄」 読ませどころ 万吉、女房が欲しくなる
前回は大坂に侵入した浪士の首領格の男を捕らえて子分にした件を紹介しましたが、今回は西大坂警備隊という男所帯の暮らしぶりについてです。

以下、司馬遼太郎の「俄」より

ひと月ほど万吉は、この男なりに夢中ですごしたが、次第にいまの自分に首をかしげるようになってきた。
番所の小庭に若梅が植わっている。それがニ三輪ほころびた午後、
北野の太融寺門前から小左門が見舞にやってきてくれた。

「女房(かかあ)の勧めかね」と万吉がいった。
正直なところ、こんな川っぷちで男どもと雑居していると、むしょうに女気がほしくなってきている。
「欲しいの」小左門は、ひどく年増じみた声でききかえした。
万吉は、ちょっと真剣な顔でうなずき、
「たれでもええ」と照れくさそうにいった。

相変わらず新町の遊里に出かけてはいるが、それだけでもどうも日常の汚れがとれそうにない。
やはり女房がいい、と思うようになっていた。
「こんな暮らしをしていると、体中が脂(やに)っこくなって、毛穴までが薄よごれてくる」
「あたしでよかったら?」と、小左門が冗談めかしていうと、万吉はあわててかぶりを振って、「いまさら」といった。
こう洗いざらいに親しくなってしまっては、まるで姉弟のようで小左門に女臭さが感じられない。

「じゃ、さがしたげる」
「とにかく妙な稼業や。女をやたらとほしゅうなる」
危険な夜の巡察などをして番小屋にもどると、精気が変にたぎってしまって、寝られないことがある。
「新町へでも行けばいいじゃないの」「疲れている」

遊びにゆくほどの気力は残っていない。結局行かずに寝てしまうと、翌日、万吉のいう脂が溜まったような感じになる。
それが毎日ということになると、いらいらしてくだらぬことにでも腹を立て、あとで後悔することが多い。
「世間に、なぜ嫁というものがあるかということを、やっとわかった」

そんなことを話しているうちに、万吉は自分の或ることに気づいた。
「わかった」
遊びが跡絶えている理由が、である。
この侍装束だった。
「これが邪魔でおれは行かなんだのやな」
「お侍でも新町に遊びにゆくじゃありませんか。むしろ新町ならお侍のほうが多いわよ」
「いや、おれは別や」
まさか、なじみの新町の妓(おんな)のもとにこの野暮ったい姿で「小林左兵衛」などと名乗って行けるものではない。
やはり、性に合った明石屋万吉の風体(なり)がいちばんいい。
「おれは、もとのなりにかえる」
「小林左兵衛はどうするのよ」
「そりゃ、そいつは厳然としてこの一柳家足軽頭としてこの世に居る。
居ることとして、明石屋万吉はそいつに仕えるのや。
巡視も、万吉のなりでゆく」

そんなことで、一柳家足軽頭小林左兵衛は名義だけとし、日常の暮らしは明石屋万吉にもどることにした。


以上は「俄」文中の一節でした。
この後はどういう展開になっいて行くのでしょう、次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 20:12 | この記事のURL
2011年11月22日
「俄」 読ませどころ 万吉、浪士を子分にする
前回は大坂に不法侵入しようとした浪士の首領らしい男に万吉は丸腰で飛びつき河中にひきずりこんだ場面の件でしたが今回はその続きです。

以下、司馬遼太郎の「俄」より

ふたりは、浮きつ沈みつ争った。浪士の手にはすでに刀がない。
刀どころではなかった。
無我夢中で浮かびあがっては二息ばかり呼吸するのがやっとで、あとは水中の万吉から足や腰をひっぱられて沈んでしまう。

ついに息絶えだえになったところを万吉は捕縄(ほじょう)をとりだして頸と右手足をしばり、自由をうばってから悠然と岸へ泳ぎはじめた。
そのころには勢いを得た万吉の手下どもが他の浪士たちをどんどん川下へ追いおとしている。

万吉が、葦のなかへ首領らしい浪士をひきずりあげたときは、頭上の堤の上にはたれもいなかった。
「水を吐け」万吉は、馬乗りになって、浪士の胃から胸へさすりあげると、男はどっと水を吐いた。
「苦しいか」男は返事もできぬほどに、ぐったりとうなだれた。
「縄は解いてやる。すこし横になれ」
万吉は、友人に対するようなやさしさで浪人を遇してやった。
(こいつ百姓やな)本物の侍ではあるまい、と万吉は見た。
両びんに面擦(めんず)れのあとなどなく、手に鍬(くわ)だこがある。
やはり尊王攘夷を騙(かた)る御用盗であるらしい。

「わるいようにはせん。わいは一柳藩足軽頭小林佐兵衛ということになっているが、じつのところは明石屋万吉という侠(おとこ)稼業の者や」
「聞いている」と、浪士はかぼそい声でいった。
万吉の名をどこかできいたのであろう。
「大坂へ入るときに用心せよ、といわれていた。わるい者に出遭った」
「そうか」万吉はそこは侠稼業の軽薄さで、自分の名が知られているというだけですっかりうれしくなり、男に好意をもった。
「ぬしゃ、何者や」「播州竜野の脱藩四方田(よもだ)仙五郎という」

他のやつは逃げた。
ひっとらえたのは、万吉に河へひきずりこまれたために戦闘力を喪失した自称播州
脱藩の四方田仙五郎だけである。
万吉は四方田を番小屋へつれて帰って、めしを食わせてやった。
「沢山(たんと)、食え」そう言って、万吉も膳をとりよせ、四方田とさしむかいでめしを食った。

両刀は取りあげてあるし、出入り口には手下がごろごろしているから、逃げられる心配はない。
四方田はめしを食いおわると、「早く殺せ」と言い、万吉の出方を窺った。
万吉はだまってめしを食っている。やがて四杯目を食いおえて箸を置くと、
四方田に、「なんのために大坂に潜入したのや」とやわらかく質問した。

「言うにゃ及ぶ」尊王攘夷のためだ、と四方田仙五郎は言い、その思想と主義について熱弁をふるった。
「わいにはわからんな」万吉は、にべもなくいった。
「いや、大和男児(やまとおのこ)の血さえあれば、おわかりになるはずじゃ」
「大和男児はまあええとして」万吉はいった。
「なぜ強盗(おしこみ)を働こうとしたのかいな」
「強盗など働くつもりはない」「うそはならん」
西大坂の海から川を伝って入りこんでくる自称攘夷志士のほとんどが富家へ押しこんで強盗を働く、というのは先例が示している。
「すぱつ、と斬れといわれている」と、万吉はいった。

四方田はさすがに首をすくめた。
「せやが、わしは人を殺さぬということでいままで市中で立てられてきた男や。
いまさらお前(ま)はんを殺すつもりはない」
「牢へ送るか」と四方田は真剣な目つきをした。
万吉は手下に膳を片づけさせてから、「わしの子分になれ」といった。

この男の場合、放逐するわけにもいかないしこのままなら奉行所に送らねばならない。
送れば吟味もせずに死罪人の牢に入れられ、例の「コミ」という目に遭って病死させられてしまうだろう。
「子分にするほかない」それ以外に、この四方田仙五郎という尊攘浪士を保護する方法はなかった。

四方田も、万吉という、一見不機嫌そうなとっつきの悪い小男の人柄がなんとなくわかってきたらしい。
「なれ」という言葉の意味もわかってきた。
四方田はしばらく考えていたが、急に膝をただすと、
「子分にしていただく」といった。

万吉はうなずき、
「そのかわり例の尊王攘夷論はぶつな。そとで仲間とつきあってもこまる。
一年は居てもらう。一年たてばどこへともなく消えてくれ」


以上は「俄」文中の一節でした。
万吉の仕事も忙しくなって来たようです、次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 16:53 | この記事のURL
2011年11月17日
「俄」 読ませどころ 虚喝漢
前回は五六人の浪士が船番所を通らずに不法に大坂に入ろうとするところを万吉が見つけて船番所を通るように言ったところ斬りかかって来たところでしたが今回はその続きになります。

以下、司馬遼太郎「俄」より

余談ながら、この時代の人間というのは意気地のないものだ。
去年の四月十三日、江戸の赤羽橋畔で白昼浪士の大物清河八郎が暗殺されたときもそうである。
暗殺され、死体が放置された。
その現場を付近に藩邸をもつ有馬家と松平山城守の足軽五十人ばかり出て警備した。

そこへ清河の古い同志だった石坂周造がやってきた。
石坂にすれば清河の懐中に横浜焼き打ちを企画している同志五百人の連判状があり、
それが幕府の手に入ると途方もない事態になる。
石坂はわざと駆けこみざま、
「かしこに斃(たお)れておるは清河八郎であろう。かれはわが父の仇である。
死体といえども一太刀酬いねばならぬ」
とわめくと、足軽どもが棒をもって制止した。

石坂は大剣をぬき、「わが仇討ちのさまたげをするとなれば、うぬらも道連れにするぞ」というと、みな狼狽して左右に道をひらいた。
石坂はゆうゆうと中央に進み、死体の衣服をさぐって連判状をみつけ出し、さらに首を打って事もなくその場を去ってしまった。

土佐の坂本龍馬が伏見の寺田屋で幕吏におそわれたときもそうである。
伏見奉行所では百人を動員して寺田屋を包囲した。
午前三時ごろであった。
まず戸をたたいて寺田屋のおかみをよびだし、二階の客(龍馬)は寝たかどうかとききだした。
「まだ起きていらっしゃいます」とおかみがいうと、捕り方たちはもうそれだけで動揺し、「どうしよう」と路上で相談し、たれからゆけとか、何組から押しこめとか言うばかりで衆議は容易にまとまらなかった。

結局、おっかなびっくりで押しかこんだが、坂本と長州の三吉慎蔵のたった二人に
押しまくられ、ついに取りにがしてしまった。
みな、命を落とすことがこわい。
かすり傷も負わずにその日その日を暮らしてゆきたいという生活人としての当然な
ねがいが、幕吏や足軽にすらある。

まして、万吉の手下どもは、市井(しせい)のやくざ者である。
堤の上で、五人の浪人を前後から押しかこんでいるが、みな棒を前へ突き出し、腰
を出来るだけうしろへ退(さ)げて、見られた図ではなかった。

浪人たちは、いずれも剣をぬいている。傲然(ごうぜん)としている。
この時代の流行語でいえば、「虚喝(きょかつ)」の態度だ。
こけおどし、という意味であろう。
虚喝漢という言葉もはやった。

いわゆる尊皇攘夷浪士のなかには虚喝漢が多く、これが一種のポーズとして流行している。
世間に弱腰の者が多いため、こういう虚喝の態度が結構、通ってゆくのであろう。
「妨げをする者は、斬るぞ」大兵の浪士が、叫んだ。
その一声で、万吉の手下どもはどっと崩れた。
万吉は堤の下にいる。(意気地のないやつらや)と、しみじみ情けなくなった。

万吉は羽織をぬぎ、大小を鞘ぐるみ抜きすて、丸腰になって堤の上におどりあがる
なり、背後からその大兵の浪士の首っ玉にとびついた。
「こ、こいつ」と、首領らしい浪士はのけぞりつつ刀を宙にふりまわしたが、万吉
は利腕(ききうで)を相手の頸(くび)にまきつけたまま、ぴったりとしがみついている。

他の同志どもも、刀をふるえない様子だ。
万吉を斬ろうとすると、味方の首領を傷つけてしまう。
万吉はそこは心得たものだ。
体のむきをくるりと変えつつ、足を懸命に掻き泳がせた。
やがて二人はぴったりとくっついたまま堤からころげ落ち、河中へ落ちこんでしまった。

万吉はこの男らしい妙な戦法を思いついたものだ。
河童のように深みへ深みへとひきずりこもうというのである。
水練には自信がある。
なによりも特技なのは、水中で長時間がまんできることだった。


以上は「俄」文中の一節でした。
万吉と浪人は如何下のでしょう、次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 14:18 | この記事のURL
2011年11月14日
「俄」 読ませどころ 西大坂警備隊 初事件 
前回は西大坂警備隊の店開きの件でしたが今回は西大坂警備隊はじめての事件に遭遇します。

以下、司馬遼太郎の「俄」より

尻無側が河口にむかう両岸は、一望みわたすかぎりの新田地帯である。
大坂夏ノ陣のころはこのあたりは海で、ところどころに洲があったにすぎないが、
淀川が押し流す土砂で次第にうずまり、葦のはえる低湿地になって放置されていた。

それを元禄年間以降、幕府がしきりと新田造作を奨励し、このため多くの新田が出現し、いまは大坂市中に米や野菜を提供する重要な農業地帯になっている。

万吉の隊は、この農業地帯の川岸を視察してゆくのである。
三日目の夕、陽も落ちて対岸の市岡新田のあたりの松が夕闇に煙りはじめたころ、
原尾新田の川っぷちについた万吉は、「伏せろ」といって、手下どもを枯葦のなかに伏せさせ、自分のみは堤防にあがり、馬を立てた。

河口のほうから、一艘の川舟が漕ぎのぼってくるのである。
(浪人やな)と、万吉は、判断した。 川舟には五六人は乗っているだろう。
やがてかれらは舟を葦の茂みに入れて古杭につなぎ、瀬にとびおり、すねで川を蹴り上げながらあがってきた。

「どこの衆や」と、
陣笠姿の万吉は馬上から時候のあいさつでもするように問うた。

浪人たちは、そこに騎乗の武士がただ一騎だけでいることに驚いたらしい。
「うぬは何者ぞ」と、一人が播州なまりらしい言葉でいった。
「番をしているのよ」万吉が自然に言い、一柳藩の者で、公儀御用でこのあたりを警備している小林佐兵衛というものだ、といった。

「ここから上陸することはまかりならぬ。この川上に船番所がある。大坂に入る者はそこで手形をみせたり、藩名、姓名を名乗って入ってゆくことになっている。
御法度をやぶってはこまる」

「うぬが一人か」と、浪人が馬のそばにせまってきた。
「一人でこんな淋しいところに来るかい」万吉は笑い、人数はそのへんの葦の茂みにかくしてある、と正直にいった。
「茂みに?」浪人どもは、その万吉の言葉を虚勢とみてとったらしい。
それぞれ目くばせすると、一人が突進してきて抜き打ちざまに万吉の馬を斬った。
馬が竿立ちになり、万吉は鞍の上からころげ落ちた。

その万吉へ、一人が斬りかかった。
万吉は堤をころげ落ち、川瀬に落ちた。
頭上に浪人たちがいる。
「やめとけ」と、万吉は頭上に声をかけ、堤を這いのぼろうとした。
そのとき万吉の手下がむらがり立って浪人たちを包囲した。
「浪人衆、引きあげるか、御番所を通れ」と万吉は声をかけるが、
動転している浪人には聞こえないらしい。


以上は「俄」文中の一節でした。
西大坂警備はじめての事件の結末は次回をお待ち下さい。


Posted by ゼットキ at 15:12 | この記事のURL
2011年11月11日
「俄」 読ませどころ 御番所店開き
前回は御番所の建物を作る件の話でしたが御番所も出来て万吉ではなく武士としての小林左兵衛が動き出します。

以下、司馬遼太郎「俄」より

万吉が御番所小屋に入ったのは、臘月(ろうげつ)の寒いころであった。
百数十人の子方どもを一棟にあつめ、「きょうからおれの名は小林左兵衛や」と、
気はずかしそうに宣言した。

小屋には、火の用心のため、手炙(てあぶ)りひとつ入れてない。
そのせいか、前のほうの連中は万吉の目にはっきりとみえるほど慄えていた。
「寒いか」「へい、寒うおま」といったのは、天満の軽口屋であった。
「辛抱せい」「へい、寒がりは私(わてえ)の性分だっさかい」
「お前の性分をきいているわけやない」万吉はにがにがしそうにいった。

「ところで明石屋の親方」と、軽口屋はいった。
「なんや」「親方はお名前がお変わりやしたんで」「それはいま言うた」
「すると、何だっか、これからは親方と呼べぬわけだすか」
「侍に親方はないやろ」
「あってもよろしがな。にわかに小林様というのはちょっと親しみを殺(そ)ぎまンな」「それもそや」万吉もその点が、頭痛のたねである。
「わかった」断乎といった。
「みな、親方とお呼び」「そうしま」
「いずれ、四五年で天定まるやろ」と、万吉はいった。

天定まる、とは万吉が藤沢塾でならった漢語である。
秩序が回復するという意味だ。
その秩序が、徳川体制のままのこの姿か、それとも長州系浪士がさかんに唱えている京の天朝様中心の姿か、それはわからない。

「そのときは、わいはもとの明石屋万吉になるつもりや。いつまでも侍をつづけているつもりはない」
「なるほど、そら、いつまでだす」「四五年やな」
「すると、私(わてえ)らも四五年だっか」「まあ、そや」万吉はうなずいてから
「四年と区切りをつけよう。四年間、命をあずからせてくれるか」
「へい」みなうなずいた。
「四年以上かかったときは、もういっぺん集まって貰うて、みなに相談する」

四年の契約で命を万吉にあずける、ということであった。
「手当は、なにぶんの事情ですくない。白米を一日に五合や」
「よろしおま」軽口屋が、代表してうなずいてくれた。

万吉は、賭場をひらく件も話した。
その賭場の収益が西大坂の警備費になることも話した。
「みなの身は、一柳藩の御小者ということになる。まあ、捕手(とって)やな」
さらに、心得と法度(はっと)をのべた。
「ばくちの外の悪事は禁ずる」ということであった。

いよいよ、万吉の御番所が店開きしたのは文久四年(元治元年)正月である。
御番所は川が分岐する洲の剣先(けんざき)にあり、北にむかって左手が安治(あじ)川になり、右手が尻無川になる。
番所には常時ニ十人の人数が詰め、上下する船にいちいち声をかけて藩、姓名をきくが、この役は正規の幕府役人がやる。

万吉の仕事は、まず、第一にその通過する船に不都合があったときに出動するのである。
第二に、川筋数里と、西大坂の新田方面を巡察し、大坂に潜入する不審の浪士を捕殺することであった。
だから、毎日、時刻をきめて万吉は巡察隊をつれて出発せねばならない。

最初の日は、やはり照れくさかった。
九曜の定紋の黒羽織に馬乗袴、それに大小を帯び、黒塗り定紋入りの陣笠をかぶり、馬上、悠然と出てゆかねばならないのである。
ひきつれる子方はざっと百人で、みな尻をからげた股引姿で、それぞれ六尺棒をもっている。

小頭、といった格の帯権、役者松、軽口屋たちは、足軽並みという資格で、黒羽織、大小、それに袴ははかず、浅黄の股引姿で、尻をうんとからげている。
まげは、万吉と小頭たちは、侍まげである。
しかし流行の大たぶさをきらい、糸のようにほそい。
隊旗は、「柳」の一字を染めたもので、一柳藩の略称のつもりであった。
提灯にも同様の文字が書かれている。

「りっぱなもんや」と、帯権は、最初の巡察の日、御番所の黒門から馬にとびのった万吉をながめて、感嘆しきってしまった。
どうみても、侍である。
それも諸藩の蔵屋敷にいるような勘定侍でなく、屈強の藩の番頭(ばんがしら)といった威光堂々としたものがあった。

「お旗本の血はあらそえん」という者もあったが、万吉はばかばかしくて横っ面で聞き流していた。(なにが血かい)
と思うこころがある。
人間に血すじなどはない、と信じていた。

万吉のこの警備隊でやはり小頭をつとめている者に、百負(ひゃくまけ)という男がいる。
この男には、武装はさせず、素町人のなりで番所小屋に常駐させている。
役目は賭場の世話であった。
最初、百負を小頭に抜擢するとき、「おまえはばくちが弱い」という点をとくにほめて小頭にした。
百負というのは百遍やっても百遍負けるという異名らしいが、なによりも負けっぷりがすがすがしいことで、仲間の人気がある。
小男で口入(くにゆう)の手代のように才覚のきく男だ。

この賭場は朝から公開した。
むろん門前に一柳家の高張提灯がかかげられている。


以上は「俄」文中の一節でした。
万吉いや小林左兵衛の西大坂警備、この先は次回をお待ち下さい。


Posted by ゼットキ at 16:41 | この記事のURL
2011年11月08日
「俄」 読ませどころ 西大坂警備の御番所
前回は万吉が武士になったために名前を小林左兵衛という姓名に変えた件でしたが、いよいよ西大坂警備の建物を作る事になります。

以下、司馬遼太郎「俄」より

万吉はまず、尻無川の御番所の裏の空地に、安普請を三棟建てることにした。
安普請といっても一棟に七八十人は収容できる建物だから、金は相当にかかる。
「なあに、松坂、松柱の安普請で行きまひょ」と万吉が気勢(きお)いこんでいうと、「じつはその金もござらん」
と一柳藩留守居役建部小藤冶は現場にたちながら、なさけなさそうにいった。

これには万吉も閉口した。
気勢いこんでいただけに、すねから力が一時ぬけたような気がした。
(大公儀もこまったもんやな)

幕府というものが、ひどく安っぽくみえてきた。
幕府ともあろうものが、なぜ西大坂の警備を一万石そこそこの一柳藩などに命じたのであろう。
警備の人数を収容する小屋さえできぬというのでは、これは藩ではない。
(もう、この徳川の天下もお武家の世も、どうやら将来(さき)がみえてきたな)
と、万吉は万吉なりに、皮膚から時勢を感じとった。

「よろしおま」と、万吉はいった。
「わてえが建てましょう」「そうして頂けるか」建部小藤冶は恐縮してしまった。
「なにからなにまで世話になって申しわけござらん」

まったく一柳藩にすれば安いものだ。
万吉を武士に取りたて足軽頭格という上士待遇にし、禄だけは十人扶持という武士
としては最低にちかい俸米をあたえただけで、数百人の兵員の給与とその兵舎の建設費までただになるというわけである。
(これはうまい手であった)と、建部はそこは藩外駐在の官僚だけに、国もとに対する自分の手腕のほどをみせることができたと内心よろこんだ。

その表情を、機敏に万吉はよみとった。
もともと万吉は、わが身のおっちょこちょいぶりを、(ばかばかしい)と思っていたやさきなのだ。
建部の表情の微細なひだを読みとるにはそれだけの感情の下地があったのである。

「建部はん、頼まれた以上はやりますが、これはなにもよろこんでやっているわけではない。そこを心得てもらわぬと」「いやいや、それはむろんのこと」
と、建部はあわてていった。

万吉は活動を開始した。
知りあいの米の仲買人十軒をまわって返済日と金利の明確な金を借りて歩き、
ついでに大工の棟梁三人をあつめ「十日で仕あげてくれ。三棟が競争や。勝った者
には請負い代を一割増す」といった。
棟梁たちは欲と名誉がかかった仕事だけに大きに気勢いたった。

やがて十日前後で仕事がおわったが、まだ壁が濡れている。
が、万吉はその御番所に入った。


以上は「俄」文中の一節でした。

西大坂警備の建物が出来上がり活動が開始されるところですが、ここからが万吉の本領を発揮し始めます、が次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 16:29 | この記事のURL
2011年11月04日
「俄」 読ませどころ 万吉、姓名を名乗る
前回は軽口屋の智恵で賭場を開いて、その寺銭で西大坂の警備隊の人数を養うことで一柳藩の了解を得た件でしたが今回は万吉が武士としての姓名を名乗る場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

尻無川の洲に、番所がある。「御番所」と通称されていた幕府の船舶関所で、
これを一柳藩が警衛することになる。

その翌日、万吉は、一柳藩の大坂留守居役の建部小藤冶とともに番所の検分に出かけた。みちみち、「明石屋殿、どうであろう、よいかげんに武士の風をなされては」
と、建部は思いあまったようにいった。

万吉は建部の立場からいえばもっともだとおもったが、万吉には万吉の気持というものがある。
「そら、無理だすわ」と、不機嫌そうにいった。
「人間ちゅうものは掌かえしたようなことがなかなか出来ンものだす。そんなことができるやつは、よっぽどえらいやつか、よっぽど厭らしいやつだすな」
「掌をな」建部は自分の掌をみた。この男も鈍感な男だ。

「まあ、ぼつぼつ、やりまっさ」
「せめて氏名でもお考えくださっておりますかな」「氏名をなあ」
万吉は西国橋を渡りながら、西の方の空をあおいだ。
この男も人の子である。
人間にうまれた以上、姓と名をもちたいと思う心は多少はある。
町人や百姓には姓はない。嘉吉とか文左衛門とかいう呼び名だけのものだ。

武士には姓がある。「ええ姓はおまへんか」と、万吉はきいた。
「いや、お手前の姓ゆえ、お手前がお考えになるのが一番でござろう。一体に姓とは」と、建部はいった。

遠い源平時代は、住んでいる村の名を苗字として名乗ったものだ。
熊谷ノ次郎とか、江戸ノ太郎とか、豊島(としま)ノ次郎とか、そういうぐあいである。
戦国期ぐらいになるとだいぶみだれたが、それでも地方地方の筋目のある地侍は、その村名を名乗っていた。
たとえば家康の家は、三河の松平郷の出だから、松平である。

「にわかに姓をつけねばならぬ場合、その近親者に武家がある場合はそれを貰い、また先祖が何某だったという場合はそれをつける、というのがふつうでござるな」

「わしの父は、明井采女と申しましたかな」と、万吉はあまりひとにはいわぬ父の名をいった。
建部は事情をきき、驚いた。
「これはこれは、幕臣のお血筋でござるか」といい、それならば明井姓を名乗るがいいとすすめたが、万吉はあまり感心しない。

「父は父、わしはわし。こいつをはっきりしてわしは生きている」
父の姓を名乗ってこの点をあいまいにしたくないと思い、急に、
「小林にしまっさ」といった。
この姓がいちばんありふれていて発音もしやすい。
「名は左兵衛」橋を渡りながらひょいと考えた性と名である。


以上は「俄」文中の一節でした。

小林左兵衛という武士の名前もついて、今後の展開が待たれるところですが次回をお持ち下さい。



Posted by ゼットキ at 18:10 | この記事のURL
2011年11月01日
「俄」 読ませどころ 軽口屋の智恵
前回は万吉は軽口屋を自分の家につれて行ってやる道中喋り放しにしゃべっていたが結構な洞察眼を持っていた、という件でした。
今回はその続きです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

「親方」と、軽口屋は、万吉の家で茶漬けを馳走になりながらいった。
噛みながらしゃべるために、音声(こうせき)がききとれない。
「知ってまっせ」「なにを」
「親方の悩みをだす。銭も兵糧もない、というわけだっしゃろ」
と、箸の先きで万吉の顔を指した。

万吉が仕方なくうなずくと、軽口屋はうれしそうに、「どや、ぴたりや」
と言い、とめどもなく喋りだした。

「一柳藩は播州小野でわずか一万石。それが西大坂の警備をせい、となると、人数もなければ金もない。米もない。
そこで明石屋万吉なる頼まれ屋に頼みこみ、なんとかしてくれと泣きつく。
泣きついても一万石では無い袖は振れん。
しかし人を侍にする権利だけはもっている。一万石でも大名は大名やさかい。
そこが明石屋の親方を侍にした。それだけで明石屋の親方はよろこんで」

「阿呆っ」万吉はぴしゃっと軽口屋の頬げたをぶったたいた。
軽口屋は閉口し、すんまへん、とあやまって一椀(わん)たべおわると、
「そこでや、親方」と、また上機嫌でしゃべりはじめた。
「賭場をひらいたらよろしがな」
「ふむ?」万吉は耳を傾けた。

軽口屋は無駄口こそ多いが、ときに妙なことも言う。
聴きようによっては智恵にもなりうるのだ。
「賭場をかい」
「一柳家の大坂藩邸を賭場にしてしまいますのや。門に釘抜の御定紋の高張提灯を出しなかで客をあつめて連日開帳する。こら、受けまっせ」

幕法では諸藩の藩邸といえば治外法権になっている。
こんにちでいえば、諸外国の大使館、公使館に相当する。
その内部でどういう違法がおこなわれていようとも、町奉行の力は及ばない。
「それでどんどん寺銭をかせいで、その寺銭で人数を養う。こら、どうだすやろ」
「ふむ」「親方は、ばくちはきらいだしたな。そら弱いさかいや」
と軽口屋は急所をついた。

万吉は賭場のふんいきはすきだが、
ばくちそのものにさほどの興味はもっていない。
「弱いさかいや」というのは適評であろう。
ばくちをやって勝ったためしがすくない。むしろ負けっぷりがいいというのでこの男は、男稼業の世界で人気を得た、ともいえる。

「きらいでもやりなはれ」「わかった」
万吉はすぐその足で一柳藩の藩邸に出むき御留守居役の建部小藤冶に会い、その案をいった。
建部は最初閉口したようだが、それしか妙案はない。
ただ藩邸はこまる、といった。
番所でやっていただきたい、と言い、それで一決した。


以上は「俄」文中の一節でした。
この後が面白そうですが次回にご期待下さい。



Posted by ゼットキ at 19:15 | この記事のURL