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2011年10月29日
「俄」 読ませどころ 軽口屋の洞察眼
前回、「天満の軽口屋」という男について触れましたが、さて万吉は「カルクッチャ」をどう見ているのでしょうか、今回の読ませどころです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

当人もここまでこのあまり名誉でもない名前が通ってしまえばみずから認めざるをえなくなるものらしく、
万吉の家にくるときも、勝手口から、「えー軽口屋でござります」と入ってくる。

軽口というのは人の秘密をべらべらしゃべるという意味ではないらしい。
むしろ秘密にはわりあい堅いほうだ。

ただ際限もなく喋り立てる男なのである。
ときに利口なことも喋るが、ときに安物の三味線のようにただ鳴っているだけのときもある。
むろんそのときのほうが多い。

(だまっていられないやつや)と、万吉はそれはそれで、この軽口屋をおもしろく見てやっている。喋るのが病気のようなものだろう。
いや、病気ではないかもしれない。
口の形がなんともいえず薄手でそのくせ張りがあって筋肉も丈夫そうで、いかにも喋りやすそうなぐあいにできているのである。

「軽口屋よ」と、寄り合いがおわってから、声をかけてやり、自分の家につれて行ってやった。その道中、わずか百米(メートル)ほどの距離だが、もう喋りづめにしゃべっていた。

天気のこと、天神橋の橋普請のこと、このごろ雀がふえていること、その雀は曾根崎では減って日本橋の南あたりにふえていることなどを喋った。
「日本橋の南にふえているのかね」「人が多うなりましたのやろ」
と、この軽口屋はなかなかすぐれた洞察眼も持っている。

日本橋の南は、長町といい、この当時における貧民街であった。その貧民街に雀がふえているのは人口がふえている証拠だとこの男はいうのである。

「なるほど長町に人がふえているかね」「ふえてまンがな」と、この男はいった。
「えらい諸式高だすよってになあ」物価高だというのだ。

たしかに幕末の騒乱がはじまってから物価高になった。
人によっては異人と通商して国内の物資がどんどん海外へ流れるからだといい、人によっては連年の米不足のせいだともいう。
また人によっては、幕府をはじめ諸藩が京大坂に駐留して物をどんどん買いあげるからだといい、いやいや幕府がやった貨幣の改鋳のせいだともいう。

「みなほんまだっしゃろ、せやが」と軽口屋はいった。
西国の諸藩が軍費にこまって藩内でこっそり二分銀や天保銭などを偽造し、それをさかんに京大坂で使いはじめているからだといった。
いずれにしても大坂に貧民の数がふえたことは事実であった。
やがて家についた。


以上は「俄」文中の一節でした。
軽口屋の才覚を活かす場面は次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 23:40 | この記事のURL
2011年10月25日
「俄」 読ませどころ 天満の軽口屋
万吉の西大坂警備の頭分は二人(帯権と役者松)しかいなかったが子方は二百人ほどを得たというのが前回の件でしたが今回は面白い男が登場します、それは読んでみて下さい。

以下、司馬遼太郎の「俄」より

「お前(ま)はんは、たいしたもんや」と、お婆ンが感心してくれた。
なんの取り柄もないが人が集まってくるのが感心や、といった。
その人も、ただの人ではない。
まかりまちがえば命をおとす、という覚悟でやってきた連中である。

万吉は日を選んで、かれらを近所の太融寺本堂に集めた。
事のあらましは、帯権と役者松が、かわるがわる説明した。

そのあと、しばらくたって万吉があらわれ、「わいは人間の屑や」
といきなり大声でいった。
「屑が死のうと生きようと、天道様にはなんのかかわりもあらへん。せやろ」
妙な演説である。
「そこでわいは死ぬことに決めた。その次第はいま帯権や役者松からきいたとおりや」さらに万吉はいった。
「京では、天朝様方と大公儀方とが、えらいあらそいをしておるそうな」
万吉は、その京の情勢を、足で歩いて見てきている。
いまの京都情勢を説明したあと、「わいはどっちゃでもない」といった。

「平素、わいらは、大坂三郷の旦那衆以下町の衆から世話になっている。
その恩を返さにゃならん。
この町の衆が、雨戸も立てんとねむれるよう、わいらが守らなあかん」

「なるほどなあ。
ようわかりましてござります。
つまりそれがために命を投(ほ)りだすわけでござりまンな」と騒がしくいったのは、「天満の軽口屋」といわれている無妻男(やもめ)だった。
この男は、もう五六年前から万吉の家にきてはめしを食っているやつである。

「他人(ひと)の話を食うな」万吉は一喝した。
「たれがそれが為めに死ぬというた。
なんの為、かんの為め、その為めに死ぬ、というのは真の勇者にあらず。
わいは何の為めもなく死ね、とみなに頼んでいる」

「なるほど、すると何だっか、町の衆の為めというのは何だす」
「こんどの仕事の目的や」「すると」「あほめ。死ぬのに為めが要るか」
これが、万吉の遊侠哲学らしい。
それをみんなに要求しているのである。

この前、高津の豆腐料理屋にあつまった連中は各町内の顔役で齢も中年者が多かったが、きょうの集まりはみな若い。
若いだけに、万吉のその無意味に死ねる者こそ頼りになる、という哲学が感覚的にわかるらしい。

「軽口屋、だまって居くされ」と、怒号する声があちこちに聞こえた。
みなが万吉のいうことを理解し賛同した証拠であった。
ただ万吉にとってこまった問題が残っている。
この連中をどこに住まわせ、どう食わせてゆくかということである。

「天満の軽口屋」といわれる男の本名は、万吉もよく知らない。
なんでも勘左衛門とかいうような大層な名だとはおぼろげにきいている。
しかしたれも本名をいわない。
「カルクッチャ」で通っている。


以上は「俄」文中の一節でした。
この「天満の軽口屋」とはどんな人物かに触れていきます。



Posted by ゼットキ at 17:36 | この記事のURL
2011年10月22日
「俄」 読ませどころ 命知らずの正体
前回は万吉が高津の豆腐料理屋に遊び人の頭分を二十人集めて死ぬ覚悟を決めてくれるものを募ったところ二人しか残らなかった件でしたが今回もその続きです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

結局、帯権と役者松だけが、「死ねま」と、性根をすえてくれた。
万吉はうなずき、しばらくだまった。
情けないもんや、と思った。
(平素、大坂で、侠客やたら、命知らずやたら言うてくさるやつらも、いざとなったらあんなものや)と思った。

ふだん他人を斬ったり殴ったりして暮らしている連中ほど、自分が死ぬのがこわい。
(まあ、この道のやつらは一種の病人なんや)と、万吉は平素から思っている。
異常にこわがりな連中が多い。
自分の病的な臆病心をひとにみせまいと思ってめったやたらと虚勢を張り、他人に攻撃的に出る。
(思うたとおりや、やくざ者というのはいざというとき使いものにならん)

余談だが、後年、新選組の末路を万吉は大坂で聞き、
「むりもない」とひとにいった。
新選組の近藤、土方は江戸城明け渡しの寸前、徳川家回復のために甲州方面へ押しだそうとした。
甲州百万石は幕府領である。
官軍が来る前にこれをおさえようとした。

そこでまず甲州へ人をやり、土地の博徒を多数徴募した。
ところが甲州勝沼で官軍と一戦したとき、博徒どもは砲声をきくとともに懦(ふる)えあがり、四方八方に逃げ散った。
このため惨憺たる敗北になった。
「やくざを傭うたのがわるかったのや」と、そのとき万吉は、近藤・土方のためにその失策を惜しんだ。

(やくざは病人や)と万吉は見ている。
それを知っていればこそ、万吉はこの高津の豆腐料理屋の二階でまず、
「だまって斬られて死ねる者がいるか」とたずねたのである。
万吉によれば、真の勇者とはそういうものであった。
そういう者がやくざの世界ではすくないことを万吉はこの道の男だけによく知っている。

残った帯権と役者松は、さすがにこの肚構えが出来ている男だった。
「親方、怒ンなはんなや」と、帯権はいった。
「平素、から威張りをしているやつほど、あんなもんだす」
「別に怒ってへんがな」
「せやけど、あいつらみな、大なり小なり親方の恩になり世話になったやつらばかりやおまへんか。堀江ノ大吉や磯野のおっさんも」
「磯野のおっさんは無理はない。あのおっさんは一時、ほんまかうそか、長州様の間者をしていたといううわさがあって牢へほうりこまれた。まあ、おっさんは長州びいきや」

「それにしても情けない」
「なんの、そんなもんや。あれだけの人数から二人残ったというのはええ歩留(ぶどまり)や」
「せやけど、三人で西大坂は警備でけまへんで」
「いや、子方(こかた)はなんぼでもあつまる」
要は指揮官だ、と万吉はいうのであろう。

事実、子方を集めるのに苦労はなかった。
万吉が大坂の市中のその世界の者に指令を発すると、たちどころに二百人を得た。


以上は「俄」文中の一節でした。
ココからが面白くなってきますが次回をお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 12:37 | この記事のURL
2011年10月18日
「俄」 読ませどころ 万吉、遊び人の頭分を集める
前回は家事手伝いのお婆ンに万吉がやりこまれた件でしたが、今回は西大坂警備のための組織つくりに動き始めた場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

高津の宮の坂をのぼったところに、豆腐料理の店がある。
万吉はその家の二階に、自分の影響下にある遊び人の頭分を、二十人集めた。
帯権もいる。
そのほか、万吉が死罪人の牢から救い出してやった堀江ノ大吉、磯野ノ小右衛門の二人をはじめ、難波ノゴテ政、鰻谷ノ安、六道ノ権八、老松町ノヒラヒラ、長町ノ乞食松、曾根崎ノ神主助五郎、横堀ノ横助、無明の庄六、高津ノ逆松、それに浪人の子で剣術は無類につよいという役者松というのもいる。

みな、大坂市中ではそれぞれ、余計者で通っている連中である。
(よくまあ、こんな物騒な顔ばかりが集まったものや)
と、万吉はわが徒党ながら感心する思いでかれらをながめた。

「あとで酒と豆腐が出る」と、万吉はあいさつした。
その前に話をきいて貰いたい、といった。
「親方、ええ話だっか」と、老松町ノヒラヒラという男が一同を代表して訊いた。
この男の顔は顔というようなしろものではない。
骨のないうちわのように薄っぺらく、事実かどうかはべつだが風がくるとひらひらと動くとさえいわれている異相のもちぬしである。

「ふん、おれの持ってくる話にええ話があったためしがあるか」
と万吉は笑いもせずにいった。「どんな話だす」
「ここに刀がある」と、万吉はギラリと抜き、それを虚空にかざした。
「どや、この刀で、無意味に死ねるやつがあるか。意味なく平気で殺され、成仏もできず、無縁仏になってもかまわんというやつがあるか」
万吉の顔には凄みがある。

「真の勇者とはそんなものや。たったいまでも座興で死ねる男や。そんな男がいるか」みな、押しだまっている。
「いるなら、おれの仲間になってもらいたいがどうや」
「親方、なんの話だす」「阿呆め」と、万吉は一喝した。
「話をきいてから、ほなら死ぬ、ほなら死ねぬというのは漢(おとこ)ではない。
だまって無意味に死ねるか、ということをおれはきいている」

「しかし」ヒラヒラが異存を述べようとすると、万吉はおっかぶせていった。
「わいらは世間の毒虫や。その毒虫でも使いようによっては役に立つ。そんな話がいまおこっている。毒虫なら毒虫らしく死ねるか死ねぬかという音(ね)をまず吐け。それから話をする」「やめや」と、
曾根崎ノ神主助五郎が立ちあがると、横堀ノ横助らもそれにつづいた。

残ったのは、二人である。
帯権と、役者松であった。
「わいらは、死ねま」と、にこにこ笑っていた。


以上は「俄」文中の一節でした。
この続きは次回のお楽しみということでお待ち下さい。



Posted by ゼットキ at 12:56 | この記事のURL
2011年10月13日
「俄」 読ませどころ 万吉、お婆ンにやり込められる
前回は家事を手伝ってもらっているお婆ンに万吉がそれとなく侍になることを相談した件でしたが今回は、そのお婆ンに万吉がやり込められるところです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

「人間、一寸さきは闇やな」と、お婆ンは溜め息まじりに妙な詠嘆をのべた。

この時代の庶民というのは警句がすきで、大なり小なり一種の哲学者だった。
もっともその哲学というのは、「楽あれば苦あり」といったたぐいのいろは加留多が発想のモトであったり、心学の先生からきいた請け売りであったりするのだが、要するに哲学的詠嘆、といったようなものが、この一文菓子屋あがりのお婆ンでさえ好きなのである。

「なにが闇や」
「わからんものやと言うのや。お前(ま)はんが侍になろうとは夢にもうつつにも思うたことがなかった」
「よろこんでくれているのかいな」
「嘆いているのや」お婆ンの表情は、事実、真底から悲しげであった。

「えらい世の中になったものや。つくづく長生きはしとうはない」「ふむ?」
「お前はんは、ばくち打ちやないか。つまり人の屑(くず)やないか」
「これはあいさつや」
「そのお前はんを、四民の上に立つ侍にさせてやろうという御時勢がなさけない」
お婆ンにすれば音を立てて崩潰してゆくこの世の秩序が、見るに忍びないのであろう。

「わてはな、大和の在でうまれた」「聞いている」
「家は水呑み百姓や。子供のとき大坂に子守りにやられた。娘になって、源という大工のもとに片づいた。その連れ添いも死んだ。結構な一生や」
「へーえ、それが結構かいな」万吉はお婆ンの頭のぐあいを疑った。

「結構やないか。いっぺんも雨戸を破られて泥棒に襲われたこともないし、道を歩いていて悪いやつに刺されたこともない」
「なるほど」ものは考えようらしい。

「わからんかい」この市井の哲学者はいった。
「小家(こやけ)の貧乏たれの家にうまれたのはこれは業(ごう)、子守りにやられたのはこれは達者で働ける体にうまれついたおかげや。亭主に死に別れたのもこれは業、やむをえぬこっちゃ。しかし一度も御政道がわるうてえらい目に遭うたことはなかった」

お婆ンのいうことは、政治のよき時代に半生を送った。
しかしいまは政治が乱れ、世が不安に墜ち、盗賊がはびこり、しかもその盗賊は
攘夷という正義の美名において人を殺したり蔵を破ったりする。
こんなひどい世に際会して「長生きがいやになった」というのである。

「おまけにばくち打ちが侍や」「いやなことを言やがる」
「お上は、毒をもって毒を制するつもりやろ」「おれが毒か」
万吉はもう、目が吊りあがるほど腹が立ってしまった。

もっともこのお婆ンとの間にはときどきこんなことがあって、半日もすれば互いにけろりとするのだが。


以上は「俄」文中の一節でした。
西大坂警備の組織つくりは上手く行くのでしょうか、次回をお待ち下さい。




Posted by ゼットキ at 12:07 | この記事のURL
2011年10月09日
「俄」 読ませどころ 万吉、お婆ンに相談
前回は一柳家、足軽頭十人扶持ということで侍になる決心をした万吉ですが肝心の西大坂警備の人数をどうして食わせていくか、ということについての思案がつかない件でしたが、その続きです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

「なあ、お婆ンよ」と、相談する相手もないままに万吉は、家事を手伝っている「大源」のお婆ンに相談した。
「わいはちかぢか侍になるが、どう思う」
「阿呆かいな」お婆ンは一笑に付してしまった。

士農工商のそとにいる遊び人ふぜいがどうころんでも武士になるはずがない。
「そこがお婆ン、乱世や」
「乱世ちゅうと、元亀天正(げんきてんしょう)の世かいな」お婆ンは町内の講釈場で、太閤記や三国志の連続講釈を欠かさずにきいているから、日本や中国の戦国時代にはあかるい。

「そや、例の墨夷(メリケン)の船大将(ふなだいしょう)が浦賀にきてからというものは、この京・大坂に諸国の浪士が潜入して白昼人殺し、押し込みをやるようになった。
大公儀の威権は地に墜ち、諸藩の侍は三百年の泰平に馴れてもやし同然の人間になっている。
京・大坂の奉行所役人も、浪士とみればさわらぬ神に祟りなしというわけで手もつけぬ」
「乱世やな」お婆ンは神妙にうなずいた。
「大和もえらいこっちゃたそうな」お婆ンの実家(さと)は、生駒山一つへだてたむこうの大和の箸尾(はしお)という村だ。
その大和へ近ごろ、京の公家の子を推戴した「天誅組」という浪士団があらわれ、刀槍をきらめかせて河内・大平の野を横行した。

「あれで大名の値うちも落ちたな」
「落ちた。やたけたもがな」と、お婆ンもうなずいた。
河内狭山一万石の北条相模守氏恭の藩などは浪士団がきて、「武器を貸せ」というと、おっかなびっくりで鉄砲、槍などをさし出したという。
大和郡山、ここは柳沢甲斐守の藩で、少録ではなく十五万石の大藩であり、しかも郡山城という巨城もある。
その柳沢藩が、浪士団が城下を通過するとき、無事に立ち去ってほしい一心で、湯茶の接待から昼食の供応までした。

その浪士団も、幕府が、近畿地方の諸藩を動員するにおよんで潰(つい)え去った
が、なににしても大名はだらしない。
諸藩の武士もそうだ。

結局は大坂の治安を万吉にまかせざるをえなくなったこと自体が、すでに封建制の亡びの一現象といっていい。


以上は「俄」文中の一節でした。




Posted by ゼットキ at 00:44 | この記事のURL
2011年10月04日
「俄」 読ませどころ 万吉、一柳家足軽頭 十人扶持
前回は茶店で出会った喧嘩帰りの帯権という面白い男を家来にして一柳家の大坂屋敷まで案内してもらう件でした、今回はその続きです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

「しかし親方、わいは剣術があきまへんのやが」「結構」「よろしのか」
「剣術ちゅうようなもんは、おのれが斬られる覚悟さえすわっておれば、たいていのやつに勝てる」
「斬られたらどないしまンねん」「死ぬだけや」
「なるほど」帯権はかんのいいやつだ。
「死ぬだけや」という万吉のひと言だけでなにやら極意めかしいものを会得してしまった。

一柳屋敷の門前にきた。「ここか」
なるほど小ぶりな屋敷で、この程度なら北野村の庄屋大西弥右衛門門の屋敷のほうがよっぽど立派なようにおもわれた。

「この門前で待っていてくれ」と万吉は帯権に言い、門番に名札を渡して御留守居役建部小藤冶まで取りついでくれとたのんだ。
待つほどもなく万吉は邸内の小書院に案内された。
やがて建部小藤冶が出てきた。
「ご決心、なしくだされたか」と、小藤冶はすわるなりいった。
「へい」万吉は、うなずいた。「ありがたい」建部小藤冶は深く頭をさげた。

そのあと、万吉に処遇についての希望をきいた。万吉は「まかせる」といった。
「されば足軽頭という格でいかがでありましょう」
上士の身分である。
戦国時代なら足軽大将といわれる役目で、この下に足軽小頭があり小頭を通じて足軽衆を指揮監督する立場にある。わるい処遇ではない。

「お扶持は、なにぶん小藩のことでございますから、十人扶持でいかがでござろう」これはひどくすくない。
実収(みいり)は上士の待遇ではなくお徒士なみである。
「どうぞ」かまわない、と万吉はいった。
承諾した以上銭金で動くのではないという覚悟がある。
ただ一つ、難問題があった。

万吉は家に帰ってから考えた。(やっぱり侍はずるい)ということである。
武家に取り立てる、ということで十人扶持を頂戴する。それはいい。
広い西大坂の警備を万吉一人ではやれるものか。百人は要る
(その百人をどうして食わせてゆくか)というのが、万吉の思案であった。

むろん一柳藩から頂戴するたったの十人扶持では小者ひとりもやとえやしない。
それに近ごろでは、堂島の米の取引所から来ねばならぬはずの例の差米が、世話人の改選などで来なくなっているのである。


以上は「俄」文中の一節でした。



Posted by ゼットキ at 13:45 | この記事のURL
2011年10月01日
「俄」 読ませどころ 万吉の家来、帯権
前回は帯権という面白い男に万吉が出会った件でしたが今回はその続きです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

「ああ、お前(ま)はんが堀江の帯権か」と、万吉は声を立てて笑った。
いかにも好意に満ちた笑い声だったから、帯権はすっかりうれしくなったらしい。
「親方、ご存じだったので」「ああ高名な名や。知ってるがな」「ありがたや」
帯権は掌をたたいてよろこんだ。

「明石屋万吉っつぁんほどの親方にわが名を知られていたとは、こら法楽や」
万吉のきいているところでは、帯権は堀江の帯屋の息子で、家を弟にくれてやって町に飛びだした。
痛快な男で悪い奴とみると喧嘩を売り、三度に一度は負ける。
負けると毎日のようにその男の家に押しかけて行って勝つまで喧嘩を売りやめないから、つい相手も酒を買って仲なおりしてしまう。

「どないして食うてるのや」と万吉がきくと、
「銭が無(の)うなったら、帯をかつぎま」色町にいい得意をもっていて、帯権でなければ帯を買わない、という妓(おんな)たちが多い。
(こいつはいよいよ使える)と万吉は思った。

単なる遊び人というのは社会的な生存能力の点でうまれつきの欠陥者が多く、またばくち打ちというのも一見爽快にみえて強慾な者が多い。
性格上の破綻者が意外に多く、いずれも共に大事を語るに足りない。

その点、自前で食って自前で乱暴しているやつがいい。
そういう手合いは、要するに精気をもてあましているだけのことで、堅気の連中よりも使い方によっては大いに能力を発揮するものだ。
戦国の武将などもみなこの種の型で身を起こした連中である。

とにかく、身分と階級、職業の固定しきっている封建社会のなかで、最下層にうまれた者が自分の可能性を表現しようとすれば、帯権のような姿になるしか仕方がないのである。

その証拠にこの男は「親方」と身を乗り出してきた。
「なんぞおもろいことおまへんか。ぱっ、と照りのあるようなおもろいことないかいな。命、ほうりだしまっせ」
「お前はんがいまやったこと、あら、どうやおもろそうやがな」
「いまやったこと、ちゅうのは御用盗浪人との喧嘩だっかいな」「そや」

浪人、といっても、攘夷浪人を自称している盗賊が多く、ほとんどが百姓か町人あがりで武士の出などは一人もいないといっていい。
その諸国から上方にあつまってきて、大坂をかせぎ場にしているのである。
海からきて海へ逃げてゆく。(いっぺん、やったろ)
と帯権がかねて思っていたところ、川岸からあがってきたかれらにぶつかった。
さっそく喧嘩を売ったところ、このていたらくで惨敗したというわけである。

「それを、わいと一緒にやらんか」と、万吉はいった。
「大坂の市中の者が枕を高うして寝られるようにするんや。おもろいやないか」
「つまりわいは事情あって侍になるわけや」と、万吉はその事情のあらましを語ると、帯権は人の世によっぽど退屈しきっていたらしく、
「そら、えらいこっちゃ。おもろそうだすな」目をかがやかせた。

「是非(ぜつひ)、お頼(たの)申します」「なにを頼むのや」
「家来にしとくなはれ」「心得た」万吉はあっさりうなずいた。

「ところで帯権、このあたりに一柳様のお屋敷があるそうやが、知ってるか」
「案内しまっさ」帯権は銭を置いて勢いよく立ちあがった。
二人はからみあうようにして夕闇の路上に出た。


以上は「俄」文中の一節でした。
この後の万吉と一柳藩との話しについては次回をお待ち下さい。


Posted by ゼットキ at 19:10 | この記事のURL