広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
<< 2011年08月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ゼットキ
人物論 (03/25)
小町
人物論 (03/24)
ゼットキ
何度も読み返し得る本 (03/05)
yume
何度も読み返し得る本 (03/05)
ゼットキ
爵禄は得易く、名節は保ち難し (11/21)
プロフィール

ゼットキ
特になし
http://fanblogs.jp/nnnanikore/index1_0.rdf

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2011年08月30日
「俄」 読ませどころ 万吉と加賀屋丹斎
前回は砂糖密輸事件の元凶である加賀屋丹斎が万吉を殺そうとして刀を抜いて万吉に近寄りだしたところでしたので今回はその続きで、いよいよ砂糖密輸事件も最終場面になります。

以下、司馬遼太郎「俄」より

万吉はどこか、阿呆なのだろう。
この場合も、白刃をきらめかせてやってきた隠居にさほどの関心をはらわなかった。
「勝手にさらせ」と叫ぶと、鍋釜を取って投げるという自分の作業に没頭しはじめた。

とにかく、大音響を連続的に立てて世間の注意をひくというのが、この男がとった戦闘方式なのである。それに専念するのだ。

あたまがそのようになっているのであろう。
無我夢中でものを取っては叩きつけた。手もとに物がなくなるとへっついの上にあがって三宝荒神のおみき徳利まで投げた。

丹斎隠居は、気組みを殺(そ)がれたような顔をしてそれ以上踏み出す気がしない。事実、踏み出せもしなかった。
万吉のまわりは欠けた茶碗が無数にちらばっていて、とても近づくことはできない。

「雪駄(せった)ア、持ってこい」と、隠居は店の者にいった。
雪駄でもはかなければ万吉を斬ることはできなかった。
万吉は雪駄をはいている。
へっついから飛びおり、がりっ、と茶碗を踏みくだいて、隠居には目もくれずに裏のほうへ歩きだした。

「万吉」「隠居、まだそこにいたか」「叩っ斬るぞ」「えらい見幕(けんまく)やな」万吉は、横っ面でせせら笑いながらどんどん裏へ歩き、そのまま裏木戸をあけて出てしまった。(追うて来くさらんかい)と、裏路地の湿った土の上でしゃがみ、次の事態を待った。

隠居が飛び出してきた。
万吉はその首っ玉にとびつき、利き腕を逆手にひねりあげて刀を奪い、「物をいうな。言うと殺すぞ」と、隠居の耳もとでささやいた。
変にどすのきいた声だから、隠居は一瞬おとなしくなった。

万吉はすばやく隠居の刀をひろってその首筋に刃を当て、「加賀の衆」と、裏口にひしめいている番頭、手代たちによびかけた。
「足を動かすな、動かすとこの隠居の蔕(へた)首を削(そ)ぎおとすぞ」
そのまま隠居の手をねじあげたまま路上に出た。

人が軒下にぎっしりと出ている。
「ご近所衆に申しあげます。お騒がせしてえらいご迷惑でござりましたやろが、このことは後日、あらためて手拭いの一筋でももっておわびに参ります。わてえは、太融寺門前に住む極道屋の明石屋万吉で」と名乗り、

「ご大家のご隠居に大層無礼を働いているように見えますが、これはそやおまへん。いずれ、後日相わかりましょう」と悠々人質をつれたまま船場伏見町の町内をひきあげ、町木戸をひらかせて出てしまった。


以上は「俄」文中の一節でした。
事件の結末は如何に次回の更新をお待ち下さい。


Posted by ゼットキ at 15:33 | この記事のURL
2011年08月26日
「俄」 読ませどころ 砂糖事件 加賀屋丹斎
前回は加賀源の土間に駕籠ごと運び込まれ土蔵に監禁されそうになった万吉が駕籠からころがり出て「火事やーっ」と叫んで近所の目を加賀屋に向けさせたところで今日はその続きです。

以下、司馬遼太郎の「俄」より

加賀屋のほうは、閉口した。
「早う黙らせい」と、仏壇の間ですわっている丹斎という老人が店の一統に命じた。
加賀屋丹斎というのは、当家の隠居であった。
痩せた色黒の男で、隠居してからも店の実権をにぎっており、こんどの棒砂糖の密輸もすべてこの老人が計画し、数人の業者と与力衆を抱きこんで指揮してきた。

ただの旦那ではない。
丁稚からたたきあげて伏見町第一の大身代を作りあげた男である。
若いころ長崎で朝鮮人参の抜け買い(密輸)をして仲間のニ三人を五島列島の沖で殺したこともある、と噂されている男だ。
「殺してしまえ」とニノ下知(げち)を出した。

聞いた番頭がおどろいた。「こ、ころしますので」
「あの男、押し込みに入った。押し込みに入った者を殺すのは当然じゃ」
「し、しかし、われわれは弓矢は習いませぬが、どのようにすれば殺せましょう」
「刀箪笥から長いやつを一本、出して来い。わしが殺ってみせよう」
「しかしご隠居はん」
「罪にはならん。この加賀屋丹斎がうまれてこのかた、罪になるような下手なことをしたことがあるか」丹斎は、落ちついていった。

「つぎに、みな手分けしてご近所まわりをせい。ただいま火事じゃと申しておりますのはあれは当家にはいった押し込みでございます、いずれ静まりましょうほどにご心配くだはりませぬように、とこう申せ」

「会所に人を走らせまひょか」「ああ、走らせておけ」
やがて丹斎は刀をとって立ち上がった。

一方、万吉は台所を根城に、近よるやつに片っぱしから、茶碗、膳、鍋のたぐいをぶち投げて奮闘していた。
むろん、一つ覚えのように、「火事やーっ、火事やーっ」とわめいている。

丹斎は、台所の板ノ間に立った。
万吉は通路の土間のほうにいる。「押し込み、成敗してくれる」
スラリと刀を抜き、それを構えず、だらりとさげたまま万吉に近よりはじめた。
その落ちつきぶりは、とても町人の隠居のようではない。


以上は「俄」文中の一節でした。
万吉と加賀屋丹斎の対決は次回で紹介します。



Posted by ゼットキ at 23:21 | この記事のURL
2011年08月24日
「俄」 読ませどころ 砂糖事件 加賀源の土間
前回は一味の駕籠屋に不意を突かれて縛られ駕籠に押し込まれたものの縛りを解き、駕籠が加賀源の店先についたことを確かめた万吉の件を書きました。

今日はその続きです。

以下、司馬遼太郎の「俄」より

と屋内へひそかにいった。
加賀源の番頭らしい男がクグリ戸から出てきて、軒先きに立った。
「その駕籠の中か」と、小声でいう。「へい、その駕籠のなかに」

「あほやな、なんでこんな店につれてきた。
めだつやないか。なんで木津村の寮のほうへ連れて行かなんだ」
「しかし、大事な客だっさかいに」
「木津村へ連れてゆけ」「いまからなら、夜なかになりますがな」
「言うとおりにするのや。駕籠のなかの客人はどないしたはる」「気を失うてま」「縛ってあるか」「へい、ぬかりはおまへん。しかしいまから木津村となりますと、途中でどんなことがおこるや分かりまへんで」「ふむ」番頭は考えこみ、結局、「仕様がない。店の蔵へ入れておけ」といった。

加賀屋の番頭はおそらく用心のためであろう。
「駕籠ごと、なかに入れてもらおう」と、駕籠舁きに命じ、一方、店の戸を二枚ほど繰りあけて入れやすいようにした。

(一部略)

駕籠は土間にひきすえられた。
土間を照らしている灯(あ)かりといえば、番頭がもっている手燭と駕籠わきの提灯だけである。暗い。
その中央に、淡いあかりに浮かびあがって駕籠が一つ、不気味に静まっている。

三人とも、急にこわくなったらしい。
「生きているのか、死んでいるのか」と、番頭がにわかに慄え声でいった。
「生きてま」駕籠舁きはいった。
しかし死んだも同然やと大いそぎで付け足した。
付け足したあと、「すぐ礼金がほしい」と早口で言いだした。
「こんなものは魚とおなじで浜渡しの取り引きでやってもらいまっさ」
「金はあとや」
「あほらし。生きものの受け渡しに金のあとさき言われてたまるかいな」
「わかった。ほならこれを駕籠ごと土蔵まで運び入れて貰おうか。土蔵の錠の前で受け渡しをしよう」

番頭が話きめているあいだに、主人の加賀屋をはじめ、他の番頭、手代も店の間に出てきた。
そのうちの二人が、提灯をもって出て行った。
(どうしてこまそ)と、万吉は駕籠のなかで思案している。
土蔵に入れられてしまってはたまらない。

どうせ、加賀屋は唐薬問屋である。人を殺す薬もあるにちがいない。
そんな薬で殺されるか、それとも、「この男、押し込みに入りました」と一味の天満与力に渡し、うやむやのうちに牢内で殺されるのが落ちだ。
そういう点は奉行所与力が参謀になっているだけに、ぬかりはなかろうと思われた。

(えい、策などは無用や)と、あげくのはてに覚悟した。
こうなった以上、あれこれと利口ぶった小才を使えば使うほどこっちの自滅になりがちだ。行動は簡単明瞭なほうがいい。

(大あばれにあばれてこまそう)ごろっと、駕籠の中からころがり出た。
わっと最初にわめいたのは、番頭である。
万吉は、ねずみが走るような勢いで奥へむかって逃げだした。
風を巻くような勢いで裏口まですっ飛び、裏口のぐあいをしらべ、大いそぎで木戸の木錠をはずした。
喧嘩のときにはまず退き口を作っておくのが名人の作法というものだ。

万吉はそのままひきかえした。
「火事やーっ」と、万吉は叫んだ。
叫ぶだけでなく、台所に駆けこんで棚の上の鍋釜をほうりだし、大音響を立てさせた。
「火事やーっ」近所にきこえさせるためだ。
火事だときけばみな血相をかえて出てくるだろう。
この加賀屋をとりまくにちがいない。
(さればわが身は安全や)
という計算が、この喧嘩出入りで苦労してきた男にはある。


以上は「俄」文中の一節です。
しかし万吉っあんはホンマ大したものでんなぁー続きをご期待下さい。



Posted by ゼットキ at 00:44 | この記事のURL
2011年08月21日
「俄」 読ませどころ 砂糖密輸事件の元凶
前回は万吉が蛇坂で待ち伏せしていた、ごろつきや浪人どもをやってけてホッとしたところを一味の駕籠舁きになぐられ縛り上げられ駕籠の中に押し込まれて運ばれる途中で縛りを解いてふんどしを締めなおして駕籠のゆくさきをつきとめようとしたという件でした。

今日はその続きです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

駕籠は、伏見町に入った。
(伏見町か)と万吉が緊張したことについては、理由がある。
船場の伏見町には、唐物(貿易商品)をあつかう問屋が密集していた。
由来は、遠く豊臣時代から発祥しているらしい。
加賀の人で斎藤某という武士が町人になって加賀屋と号し、伏見町で唐物を専門にあきなうことをゆるされた。

徳川期になって、鎖国になる。わずかに貿易はしている。
幕府は長崎一港をひらき、中国人、オランダ人のみに対して制限貿易を営むことを許していた。

こういう輸入品をあつかう日本人商人は長崎、堺、大坂、京都、江戸の五都の唐物商人のみにかぎられ、これらが長崎で入札し、落札した唐物はことごとく大坂のこの船場伏見町に運ばれることを原則としている。
自然、このせまい町内は唐物富商が密集し豪壮な建物が軒をならべ、店頭には、「異国新渡、奇品珍物類」などという文字看板をかかげて品物を山のように積み、非常な繁華の景色を呈している。

唐物商は、みな、「加賀屋」という屋号がつく。
幕府の取締まり上の便宜からそうなっているもので、他の例でいうとたとえば酢屋ならばかならず、名前に勘蔵、勘兵衛、勘左衛門などと「勘」の字がつく。

やがて駕籠が、ある店さきについた。
店はとっくに閉まり、路上にも人影はない。(ほう、加賀屋源兵衛の店ではないか)と万吉は店構えをみて思った。ふつう加賀源とよばれている。

唐物屋のなかでも「唐薬(とうやく)問屋」とよばれている業種の家で、主として砂糖を専門にあっかっていた。
(棒砂糖の元凶は加賀源か)と、なぞの一端が解けた。

さて駕籠舁きである。
先棒が加賀源の戸をほたほたとたたき、「客人をお連れして参じまして」と、屋内へひそかにいった。


以上は「俄」文中の一節です。
ここからどうなりますやら次回をお楽しみにお待ち下さい。


Posted by ゼットキ at 12:23 | この記事のURL
2011年08月17日
「俄」 読ませどころ 万吉殴られ気をうしなう
前回は月江寺からの帰途の蛇坂で密輸グループの与力から頼まれたごろつきどもに命を狙われた万吉でしたが、相手の中に浪人体の男が万吉をまえにして剣を上段に構えた、果たして万吉の運命や如何に!

以下、司馬遼太郎の「俄」より

あるどころではない。
この男は、堂島の米相場をぶちこわしたあと、多少感ずるところがあって、太融寺の寺侍から神道無念流を学んでいた。
寺侍は、吉井又右衛門という江戸から流れてきた浪人あがりで、給金は年に四五両という下女に毛のはえた程度のものらしい。
四十五六のやもめで、寝酒だけが楽しみというおだやかな人物である。
万吉が持ってくる教授料はこの寝酒になったから、又右衛門はひどくよろこんでいた。

万吉はこの寺侍を「吉井はん」とよんでいた。
吉井はんの腕は目録程度らしい。
免許でないため、本来、門人を取り立てるという資格がなかった。
だから、「万吉殿、決して他言なさるなよ。流儀の名も言うてくださるな」と、かたく口どめしていた。

万吉はめずらしいほど筋のいい男で、わずか二三年でこの師匠を追いぬいてしまった。
追いぬいたが、万吉はこの師匠から離れるにしのびず、「なあに、剣術使いになるわけやないのに、いまさら吉井はんの弟子をやめられるか」といって、相変わらず、太融寺裏境内で三日に一度は稽古をつけてもらっている。
むろん竹刀撃ち合いをしても三本のうち三本とも万吉の勝ちで、どっちが師匠だかわからない状態だが、それでも万吉は満足していた。

その万吉が右足を一段上の石段かどにかるくのせ、腰をうんと沈めて剣を構えている。浪人の顔が、妙に光っていた。
夕闇が濃くなりはじめてさだかにはわからなかったが、汗みずくになっているらしい。一瞬、浪人が倒れた。
体をえびなりにねじまげ、口をあけて激しく呼吸している。
万吉のみね打ちが、浪人の高胴をはげしく撃ったのだ。

みな、逃げだした。
万吉はとびかかって背後の男のえりがみをつかんでひき倒し、頭を例の竹棒でなぐった。男は、目をむいて気をうしなった。
「「うぬがいっぴき、残ってもらう」とつぶやき、ずるずるとひきずって坂をおりはじめた。
その背後で、浪人がよろよろと立ちあがったが、万吉は目もくれなかった。
証人はひとりでいい。

松屋町まで出ると、辻駕籠に出くわした。
「北野の太融寺門前までたのむ」というと、駕籠の先き棒があっとあほう声をあげ、「あんさんは、明石屋万吉親方で」と打てば響くような調子のよさでいった。
「そや」万吉は、この種の渡世人のあさましさで、わるい気持がしない。
「われ、よう知っとるな」とにこにこすると、後棒が背後にまわり、万吉の頭を力まかせになぐった。

「わっ」とも万吉は叫ばなかったようである。
そのまま気をうしなって突んのめり、どっと土に噛みついた。
その拍子に前歯が一本折れ、痛みでわれに返ったが、体を動かさない。
気をうしなったふりをしていた。

「目エむきくさった。縛りあげえ」と駕籠舁きは万吉のふんどしを解いて手足を獣縛りにしばった。
(なんじゃ、こいつらも一味だったのか)と思ううちに駕籠にほうりこまれ、北にむかって揺られはじめた。
(間アのぬけたはなしや。明石屋万吉ともあろうおれが、おのれのふんどしで縛られてしもうた)股間にへんな風が入ってくる。
この薄みっともない心境が(この頼まれ一件、もうやめた)とまで駕籠のなかで思いつめてしまった。

逃げようと思った。工夫がないわけではない。足首の関節をはずせばいい。
この程度の芸は万吉でももっている。
かくっ、と骨が鳴った。(聞こえなんだか)
ひやりとしたが、さいわい駕籠舁きの耳にはとどかなかったようだ。

ふんどしをゆるめてゆき、やがて右足、左手、左足、右手の順で抜き、抜きおわると、足首の関節をそろりとはめた。この作業が、四半刻ほどもかかった。
(さあ、締めるのや)ごそごそと手を動かしつつふんどしを締めおわると、万吉は妙に生気がよみがえってきた。
(あくまでやってこます)と、駕籠のゆくさきをつきとめようとした。
苦労の多いことだ。
この間も万吉は駕籠屋にあやしまれぬよう、獣縛りのままの姿勢で、手足を天井にむけている。


以上は「俄」の文中の一節です。
ココからが一段と面白くなります、続きをご期待下さい。



Posted by ゼットキ at 12:21 | この記事のURL
2011年08月14日
「俄」 読ませどころ 万吉襲われる
前回は奉行所内の密輸グループの一味で首謀者と見られる与力、田坂百助に上町台の月江寺に藤の花見にかこつけて誘き出しをかけて待っていた所、二日目も日が落ちたところで日没後は人通りのない場所で背後から「おい」と声をかけた者があるという件まで書きました、その続きです。

以下、司馬遼太郎の「俄」より

万吉はふりむきもせずに、すぱすぱ煙草を吸っていた。
「聞こえくさらんかい」「用事を言え。耳は達者や」と万吉は眼下にひろがる松屋町筋の屋根を見おろしながらいった。

「汝(われ)は明石屋万吉やな」「そういうおのれはどこのどいつじゃい」

「頼まれた者(もん)じゃ。ここで何の某(なにがし)と名アを名乗ったところで汝の冥土行きの念仏がわりになるもんでもあるまい。気の毒やが、今夜は汝の命日になる」

「ほう」「観念しさらせ」
「おいさ、料簡した。そのかわり煙草をもう一服すわせえやい」
そういいながら万吉は煙草をすい、さらに一服すおうとしたとき、ぱっと頸に細引がかかった。

万吉はあおむけざまに倒れ、ずるずると引きあげられた。息もできない。
頭の骨が折れそうでもある。
が、万吉は堪え、くるりとひっくりかえって頭に細引をつけたまま、サラサラと石段をのぼりはじめた。

「こいつ」と長脇差をふりかぶろうとしたやつの腹へ、すさまじい頭突きをくれた。
わっ、と男が倒れた。その長脇差をもぎとりわが頭の細引を切った。
瞬間、とびかかったやつの顔を長脇差の平打(ひらうち)でたたきのめした。
万吉が他人に危害を加えたのはこれがはじめてである。

なるほど万吉はいままで他人様(ひとさま)に危害を加えたことがなかったが、滅法強い。
敵のやいばが降りおちるたびに、ひらっ、ひらっ、と巧みに避けた。

敵のなかに、浪人体の男がいる。
「どけ」と味方をさがらせ、石段の上で剣をぬいた。
上段に構えた。
腕の立つ男らしいが、前へ出した右足の毛ずねががたがたふるえている。
(まじめな男や)と万吉は心のすみで思った。律儀といっていい。
慄えているのは、浪人の弱さをあらわすものでないであろう。
(だれでも、はじめはそうや)万吉は同情してやる余裕があった。

最初剣を構えて慄えないやつは、人柄に信用がおけないほど無神経な男であろう。
万吉はどちらかといえば、相手に淡い好意をもった。

相手の剣は、筋目がぴんと立っている。
腰の据え方、両ひじと両足の配置が、よほどわざを学んだ男らしく、すらりと美しい。
万吉は数段下の石に乗っているため、剣を上段にかまえていた。
構えに心得がある。


以上は「俄」文中の一節です。
さて、ここからが面白い展開になっていきますが次回ということにします。



Posted by ゼットキ at 11:00 | この記事のURL
2011年08月10日
「俄」 読ませどころ 砂糖事件 万吉オトリになる
前回までは砂糖の密輸グループと結託した奉行所内の与力衆を誘きだすための手紙を首謀者と目されている与力の屋敷に投げ込むという件でしたが、今回はいよいよ万吉がオトリとなって相手が出て来るのを待つという場面です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

万吉の策はひとつである。
わが身をオトリにすることだ。
自分自身を道具にするなど、およそ愚劣な策だが、この男の基本的発想がつねにそうだからしかたがない。

翌朝、ふところにこの男らしい武器を入れて家を出た。
武器とは二尺ほどの細竹である。なかに鉄棒のシンを入れてある。
武器ともいえぬ武器だが、この武器でもこの男はかって使ったことがなかった。
(武器をつかうやつは臆病者だ)
という頭が、この男につねにある。断固たる信念といっていい。

明石屋万吉にいわせれば、大声で咆(ほ)えて人をおどかすやつ、長脇差や短刀をもっているやつ、そのいずれもが臆病なあまりの威猛高のあらわれだと思っている。(おれはちがう)

万吉のやり方はつねに体中を胆にして出かけてゆく。胆に刃物は要らない。
が、こんどは異例といっていい。

とにかく、上町台の月江寺にあらわれ、終日、藤の棚の見物をした。
途中、甘酒を飲んだり、餅を食ったりした。
翌日もおなじ姿で出かけてゆき、藤の棚の下で面白くもおかしくもない薄紫色の花をながめて暮らした。

日が落ち、毛氈をかえし、着物のちりをはらって帰ろうとした。
縞の着物にすそをからげ、股引きを出している。(来やがらなんだな)
月江寺は東門が正門になっている。
門わきの腰掛茶屋で提灯を一つ、蝋燭を一本買った。

「親方」腰掛茶屋のおやじがいった。
万吉が、大坂で名を売った明石屋万吉であることをここのおやじはうっすら気づいていたのだろう。

「北野村の太融寺までお帰りで」「そうや」
「そんなら、蝋燭は四五本もないと足りまへんで。銭は要りまへんさかい、差しあげまっさ」「要らんな」
「そら無理や。今夜は月の出が遅うおますさかい、持って行っとくれやす」
「要らんやろ」「やろ、とは?」
「この蝋燭一本使いきるまでに命があるかどうかわからんがな」

万吉はそのころには、自分の身辺に妙な気配の遊び人が七八人いるらしいことに気づいている。
この腰掛茶屋の奥にも、おかしな目つきをしたごろつきが三人、根がはえたようにすわっているのだ。

だから、いった。
「亡者になって三途の川を渡るのに蝋燭は要るまい」
この連中にきかせるためである。

東門を出てしばらくゆくと天王寺町筋とよばれる淋しい道路に出る。
それを南に折れ、さらに西へ折れて蛇(くちなわ)坂をゆっくりと降りはじめた。
ちょっと異趣な坂である。
坂の上を、夕陽ケ丘という。
上から見おろすと、坂の両側の寺院の崩れ土塀がうねうねとうねり、不規則な石畳の段が蛇の腹のようにみえる。

このため、蛇坂といったものらしい。
ちなみに蛇は一見、朽縄に似ている。
そこから出たことばだろうが、この土地では一般にこの万葉いらいの古語を日常つかっている。
(ここで殺(や)られるだろう)と万吉が覚悟したのは、この坂はむかしから追い剥ぎが出るといわれ、日没後は人通りがない。

(あいつら、ここを選ぶにちがいない)だから万吉はわざとこの坂を通った。
さて坂の中途まで降りたが、相手はどういうわけか現れてこない。
(稼業<しょうばい>にならんがな)
万吉は坂の中途の石段で腰をおろし、腰に手をまわして、粗末な煙草入れをぬき取った。
連中が出るまで待つつもりである。
(鶯取りに似ている)オトリの鶯をつかう。
鮎つりにもこういうオトリ釣りがあるときいている。
この場合すこし事情がちがうのは、捕獲者の万吉自身が鶯であり鮎であることだった。

日は落ちたが、残照は残っている。
だから万吉はまだ提灯をつけていない。
「おい」と背後から声をかけた者がある。


以上は「俄」文中の一節です。
次はいよいよ万吉が襲われる場面です、次回も読んでください。


Posted by ゼットキ at 11:19 | この記事のURL
2011年08月06日
「俄」読ませどころ 砂糖事件、万吉の策
前回、助けた野々山平兵衛が大坂東町奉行となって密輸グループに加担している奉行所内の与力衆を探し出すことを依頼された件を書きましたが今回はその続きです。

以下、司馬遼太郎「俄」より

小左門と話しているうちに、万吉は自分のとるべき方法が次第にはっきりしてきた。
(ちょっとあぶない手やな)と思ったが、危険が稼業だ。
「わかった」そういうと、そとへとび出していた。
家へ帰って、すぐ硯箱をとり出し、みじかい手紙をかいた。

「お婆ン、この手紙を頼まれてくれや」「どこへ」
「天満の与力町や。与力の田坂百助様のお屋敷へ投げ込んでもらえばええ」
「捕まるがな」「あほう、そんな度胸で明石屋万吉の子分といえるか」

この小僧っ面の若者はやはりどこかおかしいところがある。
このモト駄菓子屋のお婆ンを子分だと思っているらしい。
「捕まったら、明石屋万吉にたのまれた、明石屋万吉をしょっ引いてくれと言え」
「よっしゃ」お婆ンは衣紋(えもん)をつくろって出かけた。

夜になってから戻ってきて、「二つ三つ、門番にどつかれた」
と、目の上を腫れさせていた。
このお婆ンは門番に誰何(すいか)されると、笑止にも、「明石屋万吉の子分のお楽や」とわめいたらしい。

門の番をしていた小者はそれを「からかった」と思ったのであろう。
お婆ンにとびかかって力まかせになぐりつけた、という。
額に触れてやると、熱がある。
万吉はふとんを敷いてやって、寝かしつけた。

(さて、どうなるか)手紙を読んだ与力田坂百助がどう出てくるかである。
手紙には、
「月江寺の藤がみごとでござりまする。
もし御清遊あそばすなら、明日、この万吉が毛氈(もうせん)敷きを相つとめます。
明後日でもよろしゅうございます。
両日とも、宵まで月江寺にてお待ち申しあげております」という文面である。

きわどい手だ。
田坂、松井、牧野の三人の与力は、かっての野々山平兵衛救出の大立者が万吉だということを知っているはずだし、その万吉が新任奉行野々山讃岐守にたのまれて秘密の探査をしているというぐらいのことは知っているだろう。
この三人の与力が事実、棒砂糖密輸の犯人だとすれば、証拠隠滅のために、この手紙を幸い、万吉をだれかに殺させようとするにちがいない。
(殺されても死骸が証拠になる)そういう手である。

夜中ながら万吉はむかいの小左門の家へゆき、一通の封書を渡した。
「あずかってくれ」といった。
蝋で封をしてある。
なかにこの策のいっさいを書きしたため、「もし亡き者になればすぐ田坂百助様をお取り抑えくださいますよう」と、讃岐守を宛名にしている。

「あすかあさって、おれが夜中になっても帰らなんだら、これをお奉行にとどけてくれ」というのが、万吉の頼みだった。


以上は「俄」文中の一節です。



Posted by ゼットキ at 11:14 | この記事のURL
2011年08月03日
「俄」読ませどころ 犯人探し
前回まで砂糖の密輸事件を探索していた公儀隠密、野々山平兵衛が密輸グループに捕まって殺されかけていたのを万吉が救出したことを紹介しましたが、今度は密輸グループの犯人探しを頼まれる件で、それも救出した野々山平兵衛が大坂東町奉行となって、その本人から頼まれます。

以下、司馬遼太郎「俄」より

いやまったく芝居のようなものだ。
野々山平兵衛こと讃岐守吉明が新任の町奉行として奉行所の評定の間にあらわれ、
与力衆のあいさつを受けたとき、(あっ)と青ざめた与力が三人いる。

田坂百助、松井与一兵衛、牧野猪野右衛門の三人である。
いずれも「唐物取締定役」という名称の密輸取締官である。

讃岐守も役者だ。
上座で心もちあごをあげ、ねむるがごとき表情をし、いっさい感情を消し殺した顔ですわっていた。

首謀者だった田坂百助は四十年配の古参与力で、隣席にすわっている共謀者の一人松井与一兵衛に、「わ、わしは目がわるい」と、小声でいった。
「お手前のよい目で、あのお奉行様のお顔をよくみてくれ。例の姓名不祥の隠密に似ているとは思わぬか」
「ち、ちがうやろ」と、松井与一兵衛は、はためにもわかるほど慄えだした。
「他人のそら似じゃ。あの手の顔は江戸うまれの者に多い」
関東の長顔、上方の丸顔という。
隠密も新任奉行も長顔だからふと似ているように思いちがいやすいのであろう。
「わ、わしはちがうとみた」
「それならよいが。とにかく今夜、わしの屋敷に集まってくれぬか。善後策のため密議をしよう」

この三人の与力は、例の隠密を入牢させて牢名主に殺させようとしたが、ついに名をきくことが出来なかった。
さらに不覚にも、明石屋万吉が牢に入って隠密を救い出している。
そこまでは知っている。
しかしその後、隠密がどうなったかは知らない。

一方、讃岐守も、あれだけの苦難にあっていながら、「当の与力はたれたれか」ということについては知らない。
捕まったのも同心と手先の手だし、牢にぶちこんだのも同心がそれをした。
同心は事件のくわしいことは知らず単に与力の命令でそれをやったふしがある。
背後の与力を、このさいつきとめて処断しなければならない。

唐物取締定役の与力は六人いるのだ。
六人とも棒砂糖密輸に関係したか、それともそのうちの何人かがやっただけなのか。まだわからない。

讃岐守が明石屋万吉を藤の花ざかりの月江寺の茶室によんだのは、その一件があったからである。
「奉行所は伏魔殿のようなものでな。他の与力、同心を使うと洩れる。なぜなら、ほとんどが嫁取り、婿取りをして親戚、婚姻関係にあるから、たがいに口をぬぐい、秘密を知らせあい、罪人を出さぬようにしている。いちずに頼みたきは、万吉、そなただけだ」
「わたいが、お奉行所の手入れをいたしますので」
「あくまで内密に頼む。人をいっさい使ってくれるな」


以上は「俄」文中の一節です。
この後は万吉がオトリとなって一味の誘い出しに続きます。



Posted by ゼットキ at 11:17 | この記事のURL

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。