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2011年07月30日
「俄」 読ませどころ 野々山平兵衛救出
前回に続いて、「俄」の読ませどころです。

今回は砂糖の密輸グループに捕まった公儀隠密、野々山平兵衛を万吉が牢内で発見し救出する件です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

万吉は大たぶさの前に進み寄り、一礼してじっと顔をのぞきこんだ。
「なにかね」とも相手はいわない。
万吉を見ようともせず、うなだれている。
びんに面擦(めんず)れのあとがあるところをみると侍にはちがいない。

「明石屋万吉と申します。
あなた様は、もしかすると江戸からおいでにならはったお方ではごわへんか」と、丁重な船場言葉でいった。

相手は目をあげて万吉を見たが、なんの表情もうかべずすぐうなだれた。あとはだまったきりである。
万吉は間をおいて「おわるいようにはいたしまへん」とひくい声で言い、ついでに、自分はさる御方からたのまれてこの牢にきた者、と明かした。

「でごわりますさかい、どうか、お名前を」「そのほう」低い声でいった。
「人ちがいしているように思われる。わしは名を言うほどの者ではない」
「いやいや」万吉は、少年のように目をかがやかせた。
この言葉はどうみても江戸の音ではないか。

「旦那」
「だまっていてもらいたい。この身、とても助からぬと覚悟し、すでにここを死所と心にきめている。折角の心の落ちつきをみださないでもらいたい」
「いやいや」と万吉は勢いを得た。

この声調子(こわちょうし)でよほど心術のすずしげな人物とみた。
涼やかさに万吉は感動し、ぽろぽろ涙をこぼしてしまった。
「旦那、救わせておくんなさい。お名前をひとこと」
といったが、大たぶさは石に化けたように身じろぎもせず万吉を黙殺した。
(こうなりゃ、別の手や)と思い、牢名主の勘蔵のそばにゆき、あの大たぶさはなんという名だ、ときいた。

入牢するときに鼻薬をきかせてあるから牢名主もこの奇妙な飛び入りを粗略にはしない。
「聞いとらんがのう」名を、である。
牢にぶちこまれてくる新牢を受けるとき、牢名主はかならず生国と名を牢番から告げてもらうのがシキタリだが、ありゃ、コミ(素性不明の者)よ。よほどしたたかな男らしく、牢のお役人方もわれわれに名を申されなんだ。コミじゃな」と勘蔵は言い、「もっとも」と、あごをしゃくった。

「今夜かぎりで浮世の名の要らぬ男じゃアある」
「じゃアある、と申されますのは?」「これよ」勘蔵は、自分の鼻に手をあてた。
牢内で殺すのである。
牢名主が指揮し、囚人どもが男の体をおさえつけ、顔に濡れ紙をべったりはりつけるのだ。
一時は死にものぐるいでもがくが、ついには窒息死してしまう。
あとは病死、ととどけ出るのだ。――それをせい。
と牢名主の勘蔵は、役人から密命をうけているというのである。
万吉はあわてた。

中略

「そ、そいつは待っておくんなさい」と万吉は取りすがるようにいった。
「んにゃ」勘蔵は、かぶりをふった。
「待つわけにゃならんがのイ。牢番の旦那から頼まれて、やったかまだか、と毎日のようにせっつかれている。今夜こそやらにゃ、わしの牢名主としての面目が立たんようになる」

「命」万吉はいった。
「あんたのな、助けてやる。疑いなはるな」万吉の語気には、相手の勘蔵に有無をいわせぬものがある。
「それも大そうな頼みやない。あしたのあさまで、その紙を使わんでいて貰いたい。それだけでええ」勘蔵は食い入るような目で万吉を見つめていたが、やがてこっくりとうなずいた。

万吉は牢番に合図をした。
ほどなく牢を出、その足で東町奉行所与力大西駒蔵をよび出し、
「まず、見当はつきましたから」と報告した。

その後、数日経った。
ふたたび万吉は、東町奉行久須美佐渡守にまぬかれて船のなかにいる。
「明石屋、かたじけない」と佐渡守はまず丁重に頭をさげた。
町奉行としては異例の態度といっていい。
「あの大たぶさ、そのほうの眼力どおり、野々山平兵衛であった」


以上は「俄」の文中の一節です。
次は砂糖事件の犯人探しに続けます。


Posted by ゼットキ at 11:37 | この記事のURL
2011年07月27日
「俄」読ませどころ 野々山平兵衛発見
今回も前回7月23日に続き、「俄」読ませどころを砂糖事件の密輸に絡む探索で公儀隠密として内偵していた野々山平兵衛が密輸グループに加担していた奉行所内の一味に捕まえられ牢に入れられていたところを万吉が牢を渡り歩いて発見する件です。

以下、司馬遼太郎「俄」より

やがてその牢にきた。
頑丈な格子が組みあげられ、みるからに陰気な牢で、日光はほとんど射さない。
(湿けた、地虫のすむそうな所やな)

牢内は板も敷かれておらず、びっしりと石畳を敷きつめてある。
囚人たちはここに荒むしろを敷いて寝るのだ。
この環境だから、虚弱な者は死刑を待たずして死ぬ。
それがこの時代の刑務官のねらいでもあった。

凶暴なやつも入ってくるが、この中ノ間に入れられると、三日目にはおとなしくなる。
その種の囚人には、「汁留」(しるどめ)といって、食物から塩をぬくのである。
塩気がなくなると元気が失せ、騒ぐ気力もなくなる。
さらにうるさい囚人には、牢役人がそっと牢名主に言いふくめて囚人同志の手で殺させてしまい、表むきは病死にしてしまう。
そういう牢である。

万吉はぶちこまれた。
作法どおり、牢名主にあいさつし、他の役つきの囚人に順次あいさつしてまわって、(十五人いるな)と数をかぞえた。

そのなかに、あきらかに他の囚人とは人品骨柄のちがった人物が、板壁にむかってずっとすわっている。
面長で大たぶさを結い、浪人体(てい)の人物である。
(これや)と万吉は直感した。

(あの人物に相違ない)
とおもったが、それをたしかめる方法がむずかしい。
じかに当人をつかまえてきくのが一番だが、牢内では牢名主の許可なしに私語することはできなかった。

牢名主は、石州うまれの勘蔵という火傷(やけど)づらの男である。
「新入りか、退屈していた」

万吉を見るなり勘蔵はよろこんだだけに、いろんなことをききはじめた。
「どんな悪事をやった」ということをくわしく語らせるのである。
そのあと、娑婆(しゃば)で経験した色ばなしをさせるのだが、万吉は心得たもので適当にかわして勘蔵のそばに寄り、
「お頭、お願いがございます」といった。

勘蔵はあごをあげ、なんだと目だけで見おろしながらいった。
「あそこにいる大たぶさとひとこと物を言わせておくんなはれな」
「ならん」勘蔵は、一喝した。
「おそれ入ります。しかしひとことでよろしゅうございますさかい、お願い申します」
「ならんといえばならんわい、おれを何様じゃと心得ている」
「牢名主さまで」
「わかっておってなぜしつこくねだる。牢名主さまといえば娑婆の将軍様(くぼうさま)じゃ。ならぬ、とひとこといえばそこで慄えろ。二度と言いかえすな」
「心得ております。しかしお頭に無料(ただ)でお頼み申すわけやおまへんので。あの大たぶさと口をきかせて頂いたら、お頭のお命も助けてさしあげますから」

「汝(われ)、狂人か」牢名主の勘蔵は、本気で万吉の頭をうたがったらしい。
「中ノ間」の牢名主になるほどの男だから死罪も死罪、その罪は首が十あっても足りないほどだ。
「おれの命がたすかれば、うどんげの花どころか、石に花が咲かあ。
あほうを抜かすな」

「おれはな」
万吉は、低声でいった。
「娑婆では、明石屋万吉といわれてすこしは名の通った男や。
うそはいわん」
「明石屋万吉」
「聞いたことがなければ、はばかりながら勘蔵はん、おまえはもぐりや」
「堂島の相場を打ちこわした明石屋万吉というのはおまえのことか」
「うそはいわぬことで知られている」
「ふん、心得ちがいやな。
いったんこの中ノ間に入った以上、娑婆の名アは通りゃせん」
「疑うと、獄門台の上で後悔するぞ」万吉はいった。

牢名主は狼狽の色をうかべた。
ひょっとすると、と思ったのだろう。
「しかしあの大たぶさだけは」と、尻ごみした。
なにかこの牢名主だけが知っている事情がありそうだった。
「な、勘蔵、頼んだぜ」万吉は強引にそういって、問題の大たぶさのそばへにじり寄った。


以上は「俄」の文中の一節です。
次回に続けます。



Posted by ゼットキ at 10:59 | この記事のURL
2011年07月23日
「俄」 読ませどころ 万吉牢ぐらし
今日も前回7月20日の続きになります。

万吉は東町奉行久須美佐渡守から砂糖事件を内偵していて密輸グループの一味である奉行所内の与力・同心に捕まった可能性の高い野々山平兵衛を奉行所管内の牢から見付け出し救出することを頼まれ大坂中の牢屋を探して歩かねばならないのだが、牢屋を探して歩くには牢にぶちこまれないとわからないので一晩ずつ転々と牢を変えていきながら野々山平兵衛を発見するまでの牢ぐらしです。

以下、「俄」より

万吉は、膝で進みつつ牢名主のそばに寄り着物の縫い目を解いて小判をとりだし、それを進上した。
牢名主の態度が急にかわり、心掛けのええ奴ッちゃ、高声で言いながら懐ろへ入れ、
「ところで汝(われ)ア、見たところ達者そうやがなンでここへ来た」
「へい悪調べをうけて参りましたンで」

悪調べとは、死刑のことだ。
「おかしいな。悪調べをうけるまでにはながい牢ぐらしがあったはずや。それにしては色つやがよすぎる」

ぎくっとしたがそこをうまくごまかしつつ牢内を見渡した。
例の野々山平兵衛をさがすのである。

(居そうにない)
万吉は思ったが、すぐ出るわけにもいかずじっとうなだれている。
夜に入って牢番に連絡し、「あすはひとつ別の牢に」と頼んだ。

こんなふうに一晩ずつ転々と牢を変えたが、そのつど、どの牢でも新入りとして詰役の囚人から樫の棒でたたかれるのが骨身にこたえた。
拷問なら覚悟の前だから我慢もできるが、牢に入るごとになぐられるこれは、痛みにあほうらしさが伴っている。
そのせいか、骨にひびくようにおもわれた。

(またあすも棒か)と思いながら、夜ごとちがった牢に寝た。
しだいに牢やつれがしてきて、いっぱしの囚人づらになった。

十日目のことだ。
この日、ほうりこまれたのは、留置場的な尋常の牢ではなく、本牢であった。
本牢のなかでも「中ノ間」といわれる牢である。
死刑囚ばかりが収容されている牢で、さすがの万吉もこの種の牢だけは経験もないし、見たこともない。

九番目の牢から出されたとき、万事意を含んでいる鎰役同心が、
「万吉、つぎはあれや、中ノ間や」と歩きながら小声でいった。
「へへえ、中ノ間でごわりますか」万吉も気味がわるくなった。
「いやなら、別の牢にするが」
「いえいえ、結構でごわります。中ノ間へ入れていただきましょう」
「ええ度胸や」


以上は「俄」の文中の一節です。
次回に続きます。


Posted by ゼットキ at 23:33 | この記事のURL
2011年07月20日
「俄」 読ませどころ 砂糖事件、万吉入牢 
さて、「俄」の読ませどころ砂糖事件の前回7月16日の続きです。
隠密、野々山平兵衛を探して救い出す仕事です。

万吉は東町奉行久須美佐渡守の信頼できる部下である与力、大西駒蔵と打ち合わせ通りに寺に盗みに入ったが人が騒いだために金を取らずに逃げたということにして入牢ということになり、東町奉行所の管轄になる牢屋敷までひっ立てられた。

以下、「俄」より

万吉は縄を打たれたまま牢屋敷の構内に入れられ、身柄を鎰役(かぎやく・牢屋同心の首席)に渡された。

その後、定法(じょうほう)どおり素裸にされ、衣服の検分をうけた。
刃物や火つけの道具を忍ばせていないかどうかをあらためるのである。
「よかろう」と同心は万吉を連れて牢内の廊下に入ってゆく。

このざまは見られたものではない。
縄こそ解かれているが素裸で、着物を頭の上にのせて歩くのだ。
「牢番」と同心は呼ぶ。
牢番は中間小者の身分で、その職務はこんにちの看守に相当する。
「へい」牢番が、出てきて、万吉の身柄を受けとった。
牢番は万吉を牢にほうりこみ、牢名主に生国(しょうごく)名前を紹介した。

牢内は、囚人の自治になっている。
囚人のなかから古参で統率力のある者が「牢名主」にえらばれ、それが頭目になる。
牢名主は牢内の帝王のようなものだ。
囚人のなかから自分が指名した諸役の者を従え、独裁権をふるい、時には気に食わぬ者があれば殺すことさえある。

「新入り、年はなんぼや」と、まず年齢をきき、その齢の数だけ、詰役(つめやく)という役の囚人になぐらせるのだ。
樫の棒で背をびしびしと打つ。

万吉は心得ている。
「帰り新参で」と、目をすごませていった。
前科がある、というのである。
前科があればそれに敬意を表して一つしか打たない。

「打つでえ」と詰役がいい、びしっ、と景気よく打って万吉の体をころがした。
万吉はすばやく起きあがり、新入りのすわる格子に近いほうへすわった。
「こら、頭が高い」詰役の者が、万吉に注意し、
「まずおかしらに平伏するのや」といった。


以上は「俄」の文中の一節です。

この後は次回に続けます。


Posted by ゼットキ at 11:49 | この記事のURL
2011年07月16日
「俄」 読ませどころ 砂糖事件 
司馬遼太郎の「俄・浪速遊侠伝」の読ませどころを紹介していきますが堂島米会所の相場崩し事件については有名なので、主人公明石屋万吉がその次に頼まれた事件を紹介することにしました。

以下、「俄」より

「砂糖事件」とは、こうである。この事件の砂糖とは、棒砂糖のことだ。
棒砂糖は輸入品である。
鎖国を国憲としている幕府では、幕府の長崎奉行の手をへた貿易以外はいっさいゆるさない。
棒砂糖も当然、長崎奉行の監督のもとに入ってくるのだが、その量は少ない。

需要は多い。
密輸をすればもうかるということになる。
大阪の船場伏見町の大手砂糖商がこのことに目をつけ、長崎の唐人(中国人)と結託し、肥前の五島列島沖で上海発のジャンクと沖合取引し、荷を和船につみかえて大阪に直航させ、大阪から諸国へ売りさばき、巨利を博しつつあった。

商人たちはぬけめがない。
経済担当の与力・同心を抱きこみ、儲けの何割かをかれらにまわしていたから、たれにも気づかれなかった。

その事実を公儀隠密野々山平兵衛が、江戸帰任まぎわになって嗅ぎつけ、内偵を進めていたところ、不覚にもつかまったらしい。

「らしい?」「としかいえぬ。くわしくはわからぬのだ」
そこまでは、江戸の老中が知っている。
大阪の町奉行久須美佐渡守は、自分の部下の悪謀を、江戸から教えられて知ったのだ。
「薄みっとむないはなしだ」
「で野々山平兵衛様が牢に入れられていらっしゃるらしい、ということは、どの程度たしかなのでございます」
「不確かだ。不確かだが江戸の御用部屋(老中の詰め間)ではなにか確証をにぎっておられるようだ」
「牢に入れられていらっしゃるとわかれば、お奉行様がお一言そうおっしゃって出しておしまいになればよいではございませんか」

「どこの牢だか、わからぬ」
牢の数も多い。
部下の与力・同心がどこへぶちこんだのか奉行でさえわからない。
それに、野々山平兵衛は、名も変えているし、身分も浪人か町人になりすましていることだから、なおわからない。

さらに、
「わしは公儀隠密である」ということはいっさい言えないしきたりになっているし、言ったところで大阪地役人どもは取りあげないだろう。
「わしの権能だけではどうにもならぬ」と、久須美佐渡守はいった。
「左様なものでございますかなあ」

「町奉行といっても」江戸の者である。
大阪の様子がわからず、わかるようになったころには転任ということになる。
自然、実務は地役人である与力・同心にまかせきりだ。

「かれらはかれらで結束している。
いわばわしとわしの部下はたがいに異人種のようなものだ」

おだやかに微笑(わら)った。
万吉は人柄にうたれて、なにやら全身に粟粒が立つような感動を覚え、涙ぐんでしまった。

以上は「俄」の文中の一節です。

この後の万吉の行動のために今日は前置き部分を引用しましたが次回に続けます。



Posted by ゼットキ at 11:51 | この記事のURL
2011年07月13日
俄、読み終えました
司馬遼太郎の「俄・浪速遊侠伝」上下巻を先日読み終えたところです。

やはり面白いとジックリ読もうと思っても自然に頁を繰るスピードが上がりました。
さて、今回改めて読んでみて感じるのは小林左兵衛こと明石屋万吉という人間の面白さです。

もちろん実在の人物ですが司馬遼太郎なりに書かれている部分もあるでしょう、それにしても頼まれ屋稼業という生き方、ある意味で考えさせられました。

文中の一節に
「智慧より大事なのは覚悟や、と。」なるほど覚悟が出来てこそ智慧も湧いて来るもので覚悟が定まらん内は何事も始まらないということです。

今日は改めて読み返してみて印象深い一節を書かせてもらいました。

次回は面白い部分を取り上げて行く予定にしています。




Posted by ゼットキ at 01:16 | この記事のURL
2011年07月09日
俄、今読み直しています
「俄・浪速遊侠伝」今、読みながら感じるのはさすがに面白いということです。

公儀隠密である、お庭番の父親が家斉が死んで復命するあてを失い浪人する内に貧乏が嫌になり逐電(蒸発)してしまったところから物語が始まります。

この父親、明井采女(あけいうぬめ)の倅がこの物語の主人公万吉ということです、父親が逐電したのは万吉十一歳の時で、お母(か)ンと妹を養うために河童博打(子供の博打)の賭場あらしをキッカケに頼まれ屋というカラダを張った稼業に乗り出して行き十五歳で大坂堂島米会所の打ちこわしで相場を崩し米の暴騰を阻止したことで名を上げ奉行所の蝦責めにも音を上げなかったことも伝わり庶民の英雄となっていく辺りが最初の読ませ所ということでしょう。

それにしても上巻の目次に創業とあるのは「頼まれ屋」として屋号を明石屋として今で言う起業と捉えていることでビジネスがどの様に発展していくのか、コレからがますます面白くなって行きそうです。



Posted by ゼットキ at 10:47 | この記事のURL
2011年07月05日
俄・浪速遊侠伝 もう一度読んでみることに
「俄・浪速遊侠伝」については当初は今回の更新でまとめる予定でしたが、もう一度読んでみたい気持ちが強くなって来ました。
昔に読んだので読み返してみるだけの価値は十分にあると思い、この間から探してみたのですが見つかりませんので仕方なく今日新しく買って来ました。

そういうことで、このブログも「俄・浪速遊侠伝」を読みながらの更新ということで当分の間、続けますので何卒お付き合いの程よろしくお願いします。


Posted by ゼットキ at 20:00 | この記事のURL
2011年07月01日
小林左兵衛
どうでしょう、司馬遼太郎の本「俄・浪速遊侠伝」読まれているでしょうか。

読み始めるとカッパ蝦煎ではないですが、止まらなくなる面白さです。
私がここで紹介するより読んでみてください、その面白さに直ぐ読みきってしまうと思います。

前回のブログでは「どつかれや万吉」ということで11歳頃の通称名としましたが、明石屋万吉と呼ばれていたそうで後に小林左兵衛という名前になっています。

とにかく大阪弁で言う「けったい」と言っても大阪の人間以外は先ず分からないと思いますが「風変わりな」とか「手に負えない」タイプをイメージしてもらえれば分かると思います。

頼まれると断れないタイプで自分の身を危険に晒しても引き受けて可哀想な人は助けるということを積み重ねて周りが彼を押し上げて行く生き方は何とも清々しく痛快そのものです
大阪十三の生まれで北区太融寺の門前町に住んでいたと言うので根っからの大阪人で関西随一の侠客と呼ばれる様になっていきます。

次回に続けます。


Posted by ゼットキ at 18:07 | この記事のURL