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2017年03月12日
貧にしてはその取らざるところをみる
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から幕賓の人間学ということで第一から第四までの前回に続き、今回は宰相たるの条件の五つ目についてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

第五の「貧にしてはその取らざるところをみる」というのは、貧乏に対する処しかたである。
万事好調で懐具合もいい時には、人間はあまりオタオタしないし、ボロも出さない。
だが、その同じ人間が、いったん貧乏して尾羽うち枯らすと、一変してダメになる。

背に腹はかえられぬとばかりに、みすみす、邪(よこしま)な金とわかっていても、ついポケットへ入れたくなる。
それを歯をくいしばっても我慢するか、どうかが、人物評価のわかれ道となる。


富豪の河村瑞賢(ずいけん)<江戸前期の海運治水の功労者>から三千両ほどの地所を引出ものにして、姪の婿養子にと望まれた新井白石<学者にして政治家。『折たく柴の記』は有名>は、二十二、三の若さだったが、支那霊山の故事をひき、「無名のころに受けた傷は小さくても、大名を得た場合は傷も大きくなる。富豪の家へ婿入りしたため、あのように偉くなったと、将来、世間からいわれたくない」といってことわった。

貧乏であろうと、あわてることはない。目的をもって生きる。信ずるところに生きる。修養につとめる。
そこにおのずから積極的な人生の楽しみが生まれてくるのである。

十六世紀のはじめ、日本を訪れたザビエルが驚きと感激の文字を綴っている。

「日本人には、キリスト教国民のもっていない一つの特質がある。これは武士がいかに貧しくとも、その貧しい武士が富裕な人々から富豪と同様に尊敬されていることだ。彼らは武士、平民を問わず、貧しさを恥と思う者は一人もいない」

今回は以上です


第五の「貧にしてはその取らざるところをみる」は第四の「窮してはその為さざるところをみる」と近いものがありますが、このところのポイントは貧に対する人間としての矜持であり、お金には代えられないものって誰しもが持っているのではないでしょうか。

その、お金に代えられないものが人を成長させるのでしょうね。

今回の「貧にしてはその取らざるところをみる」は如何でしたでしょうか?