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2013年08月19日
十八史略の登場人物
ファンブログのコメント機能の一時停止状態がまだ続いている状況で先日8月14日のメンテナンスに期待していましたが、どうなったのかファンブログの方からは何も案内がありません。

それにしても、いつ頃になればという時期的なメドくらいは示せるように思うのですが、本当にどうなっているのでしょうね。
試しに「ウンとかスーとでも言ってみろ」という気にもなります。

まぁー今回はこのくらいにして伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」の続きを紹介していきます。
今のところは、まだ導入部分のようなところですが、これから面白くなっていきますので皆さんからのコメントがいただけたならコチラも更新する意欲も出て来るだけに何とか早くコメント機能を回復してもらいたいものです。

今回は鮎川義介が伊藤肇の挙げたツバイクや森鴎外に対して小説ではなく歴史的な事実を書いた「十八史略」を読んだらどうか、と言った続きになります。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

『十八史略』とは中国歴史の入門書である。
『史記』「漢書』『三国志』など、正史といわれる十八史のエキスをぬいて配列したもので、
太古伏羲(ふくぎ)氏から南宋の滅亡に至るまでの治乱興亡をうきぼりにしている。

多分、筆者が怪訝(けげん)な顔でもしたのだろう。鮎川がいった。

「君にきいても、無理だと思うが、『十八史略』の中に何人の人物が登場しているかわかるかネ」
もちろん、そんなことがわかるわけもないが、およその見当で「三千人くらいか」といったら

「ノー。4517人だ。しかも、その登場人物の性格が全部違うんだ。
したがって、これを徹底的に研究すれば、自ずから、人間学とか、人物学とかが身についてくるのだ」といい、さらに「『十八史略』というのは、そういうすばらしいものなんじゃが、読み方が大事なんだ。

つまり、古い暦でも繰るような調子でペラペラと読んだんじゃ、何のことか、さっぱりわからんだろうて。
ああいう本は『読書百遍、意自ら通ず』で、繰り返し、繰り返し読むことが大切なんだ。
読めば読むほど、味わいが出てくるし、人生が深くなる。

しかし、これは当り前なんじゃ、何しろ、無数の人間が気の遠くなるような長い時間をかけて織りなした壮大な社会劇が『十八史略』なんじゃからな」とつけ加えた。

早速、「善はいそげ」とばかりに、その足で神田の古本屋へとんでいった。


以上です。

十八史略というものは中国では昔は子どもの読む歴史読本という性格があったようですが、日本の明治期に高い評価を受けるようになりました。
確かにいろんな歴史書から抜き出したものかも知れませんが、治乱興亡の歴史舞台そして、そこへ登場する人物を見ていくことは、まさに「喜怒哀楽」に通じるものがあるのではないでしょうか。


2013年08月05日
伊藤肇の答えと鮎川の反応
ファンブログのコメント機能に対する案内は、どうもファンブログユーザーに対する配慮が足りないように思われてなりません。

コメント機能はいつ頃になれば再開出来るのか、という時期的なメドについて案内すべきであり現在の様な「問題が解決すれば再開いたします」と言う文言では問題は解決出来るのか出来るとすれば大体いつ頃になるのかくらいは言及すべきではないでしょうか。

とりあえずファンブログと言うのであればファンを大事にして欲しいものです、と先ずは苦言を呈しましたが、本題に戻って鮎川のどんな本を読んでいるかという問いに対して伊藤肇はステファン・ツバイクに触れていますが前回の続きで伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

一方、日本のものでは、森鴎外の『渋江抽斎(しぶえちゅうさい)』である。

(一部略)

もともと、鴎外は曖昧なものには一切満足できなかった。
文章の秘法を問われた際にも「一に明晰、二に明晰、三に明晰」と答えている。

(一部略)

自分はこのままで人生の下り坂を下って行く。
そして、その下り果てた所が死だといふことを知っている。
しかし、その死はこはくない。
人の説に、老年になるに従って増長するといふ「死の恐怖」が自分にはない。

若い時には、この死といふ目的地に達するまでに、自分の眼前に横たわってゐる謎を解きたいと痛切に感じたことがある。
その感じが次第に痛切でなくなった。 次第に薄らいだ。

解けずに横たわってゐる謎が見えないのではない。
見えている謎を解くべきものだと思わないのでもない。
それを解こうとしてあせらなくなったのである。
死を怖れもせず、死にあこがれもせず、自分は人生の下り坂を下って行く。

「死」を観念的に詮索する愚を知りすぎていた鴎外は、悟りの言葉でもなく、といって気力の衰えからくるあきらめでもない、こういう文章を淡々として書き綴れたのである。

いうなれば、非常におしゃれな人が非常に贅沢な着物をいかにも無造作に着こなして、そのおしゃれを人に見せない。
しかし、よくよく見ると、その無造作な普段着のように着こなされたものが、大変上等な結城(ゆうき)であったり、久留米絣(がすり)であったり、というような文章である。

もともと、鴎外の文体は「言葉を吝(おし)むこと、金を吝(おし)むが如く」に書かれたものだから、鷹揚な持続必要とする長編には適さない。
しかし、その鴎外の作品の中で『渋江抽斎』は最も長いものの一つであり、明晰にして簡潔な文体で書かれたギリギリの長編である。

それは、あまりにも凝縮され、人生の波瀾があまりにも圧縮されて詰め込まれているので、まるで濃いエキスをのむように一般の読者には苦いのみものなのだ。

当然、鮎川の問に対して、『ステファン・ツバイク全集』と「森鴎外の『渋江抽斎』を挙げたことはいうまでもない。
ところが鮎川は木で鼻をくくったような調子で、「つまらんものを読んどるのう」といった。
いささか、こちらもムッとして、「では、何を読んだらいいのか」ときくと、鮎川は核心をズバリと衝いてきた。

「いいかね、いかに小説が面白くても、歴史的な事実や迫力にはかなわないのだ。
中国には『水滸伝』という有名な小説がある。
読みだしたらやめられぬくらい楽しいものだ。

しかし、事実を書いた『史記』の迫力にはかなわない。
『三国演義』という戯曲も面白い。
だが、陳寿の『三国志』もしくは司馬光の『資冶通鑑(しじつがん)にははるかに及ばない。
これは何故か。

実際に行為された事柄のなかから『人間の事実』を見出すのが、『史記』であり、『三国志』であり、『資冶通鑑』なのだ。
その観点からすると、君の挙げた『ツバイク』も『森鴎外』も、しょせんは小説なんだ。
そこで君にすすめたいのは『十八史略(じゅうはつしりゃく)』を読んだらどうか、ということなんだ」


以上です。

森鴎外の文章の特徴か伊藤肇の答えたことに対する鮎川義介の反応まで長くなりましたが鮎川の歴史的な事実や実際に行為された中から人間というものを見ていくという考え方を知る上では参考になるものだと思っています。

次回は「十八史略」の中にどれだけの人間が登場して来るかについて取り上げます。


2013年07月29日
伊藤肇が学んだ本 ステファン・ツバイク全集
ファンブログの現状からすると記事の更新意欲も殺がれてしまいますが、アクセス機能は仕方ないとしても少なくともコメントがやりとり出来るように早急に問題を解決してもらうことを願って更新することにしました。

人物論については伊藤肇の友人である伝記作家の小島直記氏が強い男として取り上げた金子直吉については、もう少し先に取り上げることにして今回は鮎川義介が伊藤肇にどんな本を読んで勉強しているか、と聞いたことに対しての答えを中心に伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」より紹介・引用いたします。

以下、藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

われわれ記者が人物論の手法を学ぶためにまっ先に読むのは、外国ものではステファン・ツバイクの全集である。

オーストリアの作家で富裕なユダヤ系実業家の子としてウィーンに生まれた。
第一次大戦中、ロマン・ローランとの友情に結ばれ、戯曲や小説を書いたが、歴史上の人物の評価や伝記文学に特にすぐれ、『ジョセフ・フーシェ』『マリー・アントワネット』『マゼラン』などがある。

1934年、ナチスに追われて英国にわたり、41年ブラジルに逃れたが、リオの近郊で妻とともに自殺した。

何故、ツバイクの伝記文学がすぐれているのか。

深く敬愛したフロイトの深層心理学を右手の武器とし、故郷のウィーンで培われた多彩な情緒的表現を左手の花とし、情熱と知性とが高い緊張をはらんだまま、破滅へとつき進んで行く主人公をきらびやかに描き出し、「その評伝では『精神の類型学』をつくりあげ、小説では『感情の類型学』を形成しようとしたのであった」<辻瑆 訳者>

だから、全集に出てくる一言一句は、今でもよくアチコチに引用される。
「立派な精神人格の士の世に与える感化はもちろん偉大であるが、現実政治においては優れた人物や高い理念によって政治が行なわれることはめったにない。
それよりも遥かに価値は低いが、要領のよい連中、舞台裏の人間が主役を演じている」<ジョセフ・フーシェ>

「歴史という、この偉大な創造者は、胸をゆさぶるようなドラマを舞台にのせるにあたって、その主役に必ずしも英雄的な性格を必要とはしない。

悲劇的な緊張というものは、あの人物がなみはずれているというところから生ずるとは限らないので、何時いかなる場合も、人間がおのれの運命と不釣合になることから生ずるのである。

強大な人物、英雄か、天才か、おのれの持って生まれた使命を遂行しようとするにあたっ
て、その環境があまりにも狭隘(きょうあい)で敵意のこもったものであるためにこれと衝突するとき、悲劇的緊張、ドラマティックにも出現する可能性がある。

たとえば、セントヘレナというちっぽけな空間で窒息しそうなナポレオン、つんぼの牢獄に閉じ込められたベートーヴェンがそれで、偉大な人物がおのれの身を入れるに相応しい場所やその力のはけ口を見出せないときは、時と場所のいかんを問わず起こり得ることである。

しかし、平凡な、あるいはまた弱々しい性質の人間が、とてつもない運命の手に落ち、個人的な責任を負わされて、その重圧に押し潰されてしまう場合も、同じように悲劇が生まれるものである」<マリー・アントワネット>

伝記作家の小島直記から、この全集をすすめられて一読し、これらの章句に接して、うちふるえるような感銘を受けたのをつい最近のことのように思い出す。


以上です。

伊藤肇が感動的な文章を綴りながらステファン・ツバイクについて紹介しているだけに一部分でも省くことが憚られ彼の思いそのままに長くなりましたが引用いたしました。
「うちふるえるような感銘」という文言は文章の力というものを改めて考えさせられました。


2013年07月15日
鮎川の質問
前回は少し趣を変えた内容の記事になりましたが今回は、正攻法で人間の煩悩や執着と言うことから鮎川の質問の観点伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」を紹介いたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

人間、晩年にさしかかると、何か一生懸命にやっている時、ふと通り魔のように「これが一体、何になるんだ」という声が聞こえてくる。
そして、一切が白々しくなる。

誰しも、こんな兆候が周期的に起きてくるものだが、鮎川に関する限り、絶対にこういうことはなかった。
死の瞬間まで、仕事、仕事、仕事の連続だった。
これは芸術家肌の人間にはすべて共通する現象である。

もう大分前に鬼籍の人となった通人画家、菅楯彦は瀕死の病床にありながら、しきりに絵を描きたがって看護の人たちを手こずらせた。

「絵がたんとあるねん」 「何処にですか」 「この中や」
楯彦は両手の甲を交互に撫でた。
そして、「もうニ、三十年生きんことには、この手の中にあるもん仕上げられへんなあ」といい、
これが最後の言葉となった。

楯彦の絵に対する執念も鮎川の仕事への執着も全く同質のものだが、逆説的にいえば、大煩悩、大執着の人間でなければ、一家を成すことはできない、ということである。

その鮎川から厳しい質問を受けたことがある。
「君は口を開くと人間学だの、人物論だのと、えらいやかましいことをいうちょるが、どんな本を読んで、勉強しちょるのかネ」

われわれ記者が人物論の手法を学ぶためにまっ先に読むのは外国ものではステファン・ツバイクの全集である。

オーストリアの作家で富裕なユダヤ系実業家の子としてウィーンに生まれた。
第一次大戦中、ロマン・ローランとの友情に結ばれ、戯曲や小説を書いたが、歴史上の人物の評価や伝記文学に特にすぐれ、『ジョセフ・フーシェ』『マリーアントワネット』『マゼラン』などがある。


以上です。

私も、年齢的なものを嫌でも感じることがありますが、それだけに大煩悩、大執着という生き方を考えさせられますと同時に若い頃と違って今の年齢になって漸く人間というものに思い至ることが出来る様にも感じています

さて、いよいよ伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」の入り口に差し掛かって来ました、鮎川の質問に対して伊藤肇はどう答えたのでしょうか、次回をお楽しみにお待ち下さい。


2013年07月08日
人物と女
いつも、少し堅い内容の記事になっているので今回は“人物と女”ということについて触れてみることにしました。

世の中、聖人君子ばかりではないと言うよりも聖人君子みたいな人は少ないのが現実なのかも
知れませんが伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」ではその辺りをどのように書いているのでしょう。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

財界の長老で女房以外に女をしらないのは石坂泰三と鮎川義介の二人ぐらいのものといわれていた。
だが、石坂は「何を隠そう、一度だけ失敗した」と告白しているので、実際は鮎川一人だけということ
になった。

そこで、何かの話のついでに「八十数年の生涯をホントに奥さんだけを守ってこられたのですか」ときいたら、たいして面白くもなさそうな顔で、「そうじゃ」と答えた。

<本人がいうんだから間違いはないだろう>と一穴居士の顔をまじまじと眺めていたら
「女よりも仕事のほうが面白いにきまっとる。大体、女に迷うような奴は志がない証拠じゃ」と
やられて、びっくり仰天した。

中国の俗諺に「三人の女を互いに喧嘩させないで、うまく御して行くだけの力量がないと一国の
総理にはなれない」というのがある。

それだけが宰相の資格とは思わないが、たしかに一面の真理を衝いている。
女で苦労することによって、人間の複雑な心理や人情の機微や盲点がわかってくるからだ。

桜田門外の変に倒れた井伊直弼の生涯を描いた舟橋聖一の『花の生涯』に出てくる「たか女」
の台詞(せりふ)に
「女におくれをとるようでなくては、いっぱしの人物とは申せません。
偉大な人ほど、女にのぼせやすいものです」とあるが、人生から一切の無駄を排除した鮎川の
合理主義は大変な長所であると同時に欠点だったといっていいだろう。


以上です。

女におくれをとるようでなくては、いっぱしの人物ではないとすると、さぞかし「いっぱしの人物」が多いのではないでしょうか、それにしても男と女は世界中何処に行っても男と女しかいないだけに世の中うまく出来ているのでしょうね。

そう言うお前はどうなんだと言われると、やはり「おくれ」をとった方なのは確かですが、いっぱしの人物ではないですね。


2013年07月01日
鮎川義介とその語録
ブログの更新を、もう少し詰め様と思いながら一週間経ってしまいました。

出来るだけ、更新を早めにしていきたいと思っていますが、当面は週一回というところになるでしょうが、何卒よろしくお願いいたします。

さて、前回の続きで怪物と言われた鮎川義介とはどんな人物だったかということは前回に少し触れ
ましたが父は旧長州藩士、母は明治維新の元勲である井上馨の姪であり東京帝国大学の工科を
出て芝浦製作所に身分を明かさないことを条件として日給四十八銭の職工になり、鋳物技術など
を学ぶために米国の鋳鉄会社で労務者として働き帰国して鋳物会社を設立します。

鋳物会社の設立から義弟の久原房之助の久原鉱業の経営再建を託され経営を立て直し社名を
日本産業(日産)として日産コンツェルンをつくり上げていきますが、何と言っても鮎川が注目されるのは満州に会社を移設し満州重工業としてドイツで迫害されていたユダヤ人の移住計画を提案したことです。

ドイツ国内のユダヤ人の移住と同時にユダヤ系アメリカ資本を導入することによる投資促進とアメリカを巻き込むことでソ連の満州への防壁とするという考え方は鮎川ならではといったとこでしょう。

前回で鮎川義介について触れてなかったことを取り上げましたが大叔父が井上馨という大きな後ろ盾があったにしても東京帝大を出て職工になったり技術を学ぶためにアメリカで労務者になったり、そしてユダヤ人とユダヤ系アメリカ資本の目をつけた辺りはさすがは怪物の本領発揮といったところですが、この計画の具体的な運びは日独伊三国同盟などにより実現しませんでした。

それでは、この鮎川の語録を伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」より一部を紹介・引用いたします。

▽私は歴史というものが大嫌いだ。何故かというと、歴史には嘘が多いからだ。
現に新聞や雑誌に私自身のことを書いたのがよく出るが、その七割ぐらいまでは嘘が書いて
ある。昔の天気予報ほども当たっていない。
現在、生きている者についてすら、かくの如くであるから、まして、死んで時がたってから書かれたものに嘘の多いのは当然のことだ。


▽偉人というものは、人に勝れた反面、常人には思い至らぬような短所もあるもので、これが
不測の災いを招く原因となる。
裏返していえば、人に殺されるくらいの短所がなければ、偉人になる資格はないということになる。


他にもありますが「人に殺されるくらいの短所云々」の件は人を見る目を感じさせます。

鮎川のユダヤ人移住計画というものを調べていくと、いろいろと興味深いものや感動的なものと
陰謀・策謀などがありますが本筋から離れるのでここでは触れません。

次回は少しくだけたところから話をすすめていくことにいたします。



2013年06月25日
怪物の定義
更新が遅れてしまって申し訳ありません。

いつものペースとは言いながら遅くなって来ているようですので、これからは更新間隔を少し詰めるようにしていくつもりにしています。

それにしても、このファンブログがどうも安定しないようで先日などは何回やってもログイン出来ずにエラー表示が続きました。

そして、やっとログイン出来たと思って次にクリックすると
「このページにアクセスするにはログインが必要です」ということで、またログインさせられるということの繰り返しですがファンブログさん、何とかしてください。

まぁー、愚痴はこの辺ぐらいにしておいて伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」をもとに今回は怪物という人間とはどんな人間か、を見ていくことにいたします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

戦争中、独力で日産コンツェルンをつくり、これを関東軍の要請によって満州重工業へ移駐する
という離れ業をやってのけ、敗戦後はA級戦犯となって巣鴨プリズン入り。

パージがとけると、再び返り咲いて、日本中小企業政治連盟を組織し、自らも参議院議員に打って出たあげく、伜、金次郎まで政治家にしようとして失敗。
当時としては日本最大の選挙違反をやらかして、親子ともども参議院を退くという波乱万丈の
生涯を送った人である。

そこで、われわれは、鮎川議介を「政財界の両棲動物」ということで「怪物」の項に分類していた。

「怪物」とは、大宅壮一の定義によると

「馬鹿では怪物になれないが、悧巧すぎてもいけない。
複雑怪奇で割りきることのできないばかりでなく、分母も分子も大きくなければいけない。
具体的にいうと、行動半径が大きくて、振幅が広いことを必要とする。
また、心の中の奥の院は他人には絶対にのぞかせないし、のぞいてもわからない。
いわば多次元の世界に住む人間である」

しかし、も一つ条件がある。
それは修羅場を切りぬけた経験を何度もっているか、ということである。
修羅場とは、理くつでは割りきれない極限状態だ。
ギリギリの場でぽしゃってしまうようでは、怪物の資格はないのである。


以上です。

稀代の怪物事業家、鮎川議介については次回にもう少し触れることとして大宅壮一による怪物の
定義が面白いですね、「馬鹿ではなれないが悧巧すぎてもいけない」という件は確かに複雑怪奇ということになるのでしょう。

それと修羅場を切りぬけた経験を何度持っているか、ということは考えさせられますね。
出来れば修羅場は経験したくないものですが、ギリギリの極限状態を踏んばりぬくことは人生に
おいて求められることがあるものかも知れません。




2013年06月04日
牢獄へもっていく「一冊の本」
前回、何度も読む本ということで伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」の書き出しを紹介しましたが、
今回からその続きの要点を紹介していくことにします。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

フランスの文学者、モンテルランは

「この生涯において、何度も読み返し得る一冊の本を持つ人は倖せな人である。
さらに数冊を持ち得る人は至福の人である」

といっているが、日本の経営者たちが、最後の最後まで読み続ける本というと、『論語』が圧倒的で
ある。

「財界総理」と呼ばれた経団連会長の石坂泰三なども、夏、軽井沢へこもる時には、必ず『論語』
をもっていったし、よく、こんなこともいっていた。

「『論語』は昔、矢野恒太さんから、自著の『ポケット論語』を押しつけられてムリヤリ読まされたものだが、実は、その頃はあまり身を入れて読まなかった。
ところが、五十をすぎてから新しく読み直してみると、なるほど、矢野さんがいわれたように味わいが深い。

しかも平生の考え方、生き方にもぴたりと役に立つ。
いうなれば、僕は齢八十をこしてはじめて孔子とじっくり膝をまじえて話し合ったわけだ」

たしかに噛みしめればしめるほど味が深くなるし、協和銀行頭取の色部義明などは

「もし、牢獄へつながれる時、一冊だけ本の携帯を許されるとしたら、わたしは躊躇なく『論語』を
もっていく」

といいきっているほどである。

――知ヲ好ミテ学ヲ好マザレバ、ソノ弊(へい)ハ蕩。

<知識だけを身につけたというのでは、単なるものしりにすぎない。
そんなものは人生を問題にしている間はカッコいいが、人生が問題となった時には全く役にたたない。

この知識も一歩進むと、事に当たって「この問題はこう処置しよう」とか「かくあらねばならぬ」と原理原則をもつようになる、それが見識である。
ところが、見識だけでは未だしである。

一つの事をやろうとすると、どうしても反対がでる。
いや、見識が高ければ高いほど、低俗な輩(やから)が反対する。
それらの反対、妨害を断乎として排除し、実行するのが胆識である。

せっかく、知識や見識をもっていても胆識がないと優柔不断に陥ってしまう>


以上、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より一部を紹介しました。

知識という言葉は、結構聞いたり使うこともありますが見識となると先ず見聞きすることがなく、
胆識という言葉は滅多に聞くことが無いように思います。
それでは見識に基づく胆識とはについては、よければ一緒に読み進めていく中で会得していければと思っています。


2013年05月30日
何度も読んでいる本
今回からスモールビジネスともう一つ、このブログの柱になるものとして“私の好きな本と人物”について取り上げていくことにしました。

私の好きな本と人物ということで第一回目に何を書くか、今日までにいろいろと考えましたが、やはり今までに何度も読んで今も繰り返し目を通している本ということで伊藤肇「喜怒哀楽の人間学」に決めました。

伊藤肇という人は御存知の方もおられるかも知れませんが経済誌「財界」の編集長から評論家として活躍し安岡正篤の高弟で、その人物論は経営者に人気がありましたが1980年に亡くなっています。

「喜怒哀楽の人間学」は昭和53年に出版されたものですので書かれている人物や社名は当時のものですが内容は非常に含蓄に富んだものです。
私が最初に読み始めてからン十年経ちますが今でも読み返しています。

それでは伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

全国地方銀行協会でやった講演を『経営者をささえる一言』という非売品の単行本にまとめた時、
週刊現代の特集にとりあげられ、その中で一読者が

「『将来、いかなる仕事をしているか、という自分を心に描くと、ぞくぞくするような戦慄が体を走りぬける。
そういう時間を度々もつことが大切である』という話に感銘を受けましたネ。
ありきたりの精神訓話と違って、これで私の人生が変わるかもしれないという期待をもちました」
と感想を述べていた。

文章は活字になると同時に筆者の手を離れて、読む側の人生経験や教養の度合、流した涙の量
などによって、深くもなったり、浅くもなったりする。
しかしながら、筆者にとっては<ここをこう読んでもらいたい>という箇所が三つや四つは必ず
ある。

そこのところを的確に汲みとってもらえた時は「人生、一知己を得れば、以て恨無かるべし」と
いうような心境になるし、全く無視された時には索漠たる気持になる。

それだけに「人生が変わるかもしれない」という一言はたとい、「命がけのお世辞」であっても、
非常に嬉しかった。

学問は人間をかえる。
また、人間をかえるような学問でなければ、本当の学問ではない。
そして、その人間とは他人のことではなく自分のことである。
他人をかえようと思ったら、まず自分をかえることである。


以上です。

私はこの本を買うことにしたのは最初に、この書き出しを読んで琴線に触れるものがありました。