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2018年01月18日
「歌は世につれ世は歌につれ」を考える
前回「歌は世につれ世は歌につれ」を考えるのも面白いかも知れません。
と書いてから後から何となく難しいことを書いてしまったなぁー、と少し後悔しています。

「歌は世につれ世は歌につれ」と言えば、やはり紅白歌合戦を思い浮かべますが、私も今年誕生日を迎えますと71歳になり最近の歌手や歌は殆ど知らないので紅白歌合戦を見ても昔のような独特の雰囲気をテレビから感じ取ることはありません。

それでも大晦日になるとテレビのチャンネルを合わせてしまうのは昔のような家族揃って紅白歌合戦というイメージが残っているのかも知れません。

表題の「歌は世につれ世は歌につれ」確かに私がまだ若い頃は紅白歌合戦と言うと、その年にヒット流行した歌が歌われヒット流行歌というのは世相を反映していましたが、しかし今の時代ヒット曲という言葉はまだ残っているものの歌謡曲や流行歌という言葉は聞かなくなったのではないでしょうか。

歌謡曲や流行歌という言葉が時代に合わなくなっているのか、それとも歌が変わってしまったのか、何れにしろ「歌は世につれなくなり世は歌につれなくなって」いるのが今の時代と言えるように思います。

それにしても昔の流行歌はいい歌がありましたね、次回は私の好きな歌(股旅演歌以外)を紹介していく予定にしています。

昔の歌や歌詞を見て今の歌、時代を考えてみるのも一興ではないでしょうか。


2018年01月13日
時代と認識・感覚のズレ
正月もアッと言う間に過ぎて今日は1月の13日ですが、この時期になると何となく自分の年齢が気になるもので去年の誕生日で私も古希を迎え今年の誕生日が来れば71歳になります。

私自身気持ちはまだまだ現役のつもりですが、身体は正直なもので去年体調を崩してから未だ以前の体調に戻らない現状で歩くスピードが以前に比べて、かなり遅くなり今までは他人が私と同じ道を歩いていると意識しているわけではありませんが自然と速足になってしまうことが結構ありましたが体調を崩してからは、このような場合はどうぞお先にという感じで私はユックリ歩くようになりました。

今までが負けず嫌いな性格も影響して無理を重ねて来たことが体調を崩すことになったと感じていますが歳月のというのは早いもので以前に70代前半の人に私が60代の時に「70歳になるのはアッと言う間やで」と言われていましたが、そんなものかなという程度にしか思っていませんでしたが70歳から今年の誕生日で71歳になるという現実を前にして唖然としています。

私自身、何か今の時代に取り残されつつあるのか時代と今の私にズレというか時代に遅れているのか、この歳になってみて初めて気付くことが、いろいろと出て来ました。
そこで暫くはこういう時代と私の認識・感覚のズレというものを、いろいろな角度から書いてみようかなと思っています。

例えば流行歌一つとっても今の時代、全世代が口ずさむ歌というのはないのではないでしょうか?
「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉を考えてみるのも面白いかも知れません。


2018年01月06日
昼飯の値段
今日は用件を済ますと丁度お昼の時間となりましたので近くのデパートにお一人様だったのでおせち料理にも飽きたところだったので一寸贅沢な昼飯でも食べようかな、と言うことでデパートの食堂街各店のメニューを見ながら私の好きな寿司やうなぎ料理に肉料理を探して回りました。

そこでふと感じたのは各店それぞれのメニューの値段にかなり差があるようで私がいつも利用する定食屋などとは価格構成そのものが違い過ぎていることでした。

デパートの食堂でいつもと違う一寸だけ贅沢な料理を、ということなので1800円ぐらい出せば美味しいものが食べられるのではと思ってメニューを見て驚いたのは私が食べたい寿司やうなぎに肉料理は2千円台半ばから3千円台後半の値段だったので私が食べようと思っていた寿司やうなぎに肉料理は諦めて結局1千円台半ばの料理にしましたが思ったほど美味しくなかったので、これならいつも通りの定食屋にしとけば良かったような気持ちになりました。

世間並みの昼飯代っていくらぐらいなんでしょう、私の場合は安いに越したことはありませんが普段は600円ぐらいで食べていますので、その3倍ぐらい出せばと思っていたのですが3千円台後半の昼飯には手が出ませんでした。

それにしても世の中景気がいいのでしょうか、各店には行列が出来ていました。


2018年01月01日
新年あけましておめでとうございます
平成三十年(2018年)新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


と言いながら去年は長い間、春から更新を休ませていただき12月に入ってから3回ほど更新しただけでしたので今年は去年のようなことのないように体調に気をつけてブログテーマを決めて更新していけるようにしたいと思っています。

ブログのテーマとして去年年末から、いろいろと考えていますがテーマと言うよりは、その時々に感じたことを書いていく中で方向性らしきものが見つかれば、それがブログのテーマになれば書けるような気がしていますので難しく考えず当面は感じたことを書いていくことにします。

先ずは新年のご挨拶でした。




2017年12月21日
股旅演歌
前回「12月と言えば」ということで忘年会の話から「股旅演歌」が好きでスナックではよく歌ったものですが私が股旅演歌を歌うようになったキッカケは、お得意さんの接待の二次会などでスナックに行って飲み始めて良い気分になった頃合いを見計らって店の方がカラオケを用意してくれ、お客さんや会社の社長などはお前から先に「歌え」と言われ最初は何を歌えばいいのか分からないまま知っている歌を歌いましたが何となく気分が盛り上がるという感じではありませんでした。

何とか場の雰囲気を盛り上げないと、パッと思いついたのが股旅演歌で誰でも聞いたことのある「旅姿三人男」”清水港の名物は”という歌い出しのノリが良く後もスイスイと歌え店の方も手拍子で盛り上げてくれたお蔭でお得意さんも次は俺が歌うということになりホッとして後はお客さんに任せましたが、この時以来股旅演歌が好きになり「勘太郎月夜唄」「流転」古い方では「次男坊鴉」や五木ひろしが歌った「旅鴉」氷川きよしの「おーい追っかけ音次郎」鳥羽一郎の「仲山道」をよく歌うようになりました。

股旅演歌をカラオケで歌詞を見ながら歌っていると自然と心に刺さるものがあり股旅演歌の魅力は歌詞にあるように思っています。

どんな歌詞なのか、と言われると歌によっても違いますので良ければ、この記事の中で取り上げた歌の歌詞を検索してもらえばと少しは共感してもらえるのではないでしょうか。
もちろんここで取り上げた以外の股旅演歌も良いのがたくさんありますが、セリフ入りの股旅演歌を歌うのは難しいですけれども上手く歌えた時は最高に気分がよくお酒も美味しく感じました。

2017年12月14日
12月と言えば
前回のブログ更新はブログ更新再開の挨拶のようなものでしたが今回から通常のブログを更新していくつもりでパソコン画面を開いたのですが、イザ書くとなると長い期間休んでいた影響もあって何を書けばいいのか、つい考え込んでしまいます。

考えたからと言ってブログが書けるわけでもないので「12月と言えば」ということで忘年会などのことを書いてみることにしました。

「12月と言えば」というと、どうしても忘年会ということになりますが私も若い頃は五回くらいは忘年会をやったものですが齢を経るに従って忘年会の回数も減って此処数年は多くて2回くらいと言う現状で今年は体調の加減もあって、その気はあっても無理をしないでおこうと思っています。

つい、数年前までは忘年会と言うと1次会は当然、2次会3次会で行きつけのスナックで酔いに任せてカラオケを熱唱していた頃を思い出します。
あの頃はカラオケに直接歌いに行くというよりもスナックで一杯やりながら歌い出すと、どうしても演歌それも股旅演歌を歌うとグッと雰囲気が盛り上がり次々と股旅演歌が出てきます。

そう言えば最近というか、このところ大晦日恒例の紅白歌合戦も何か昔に比べてあまり見る気が無くなって来たようで出ている歌手を知らないことや歌合戦というよりもパフォーマンス優先の単ある歌番組になってしまったように思うのは私だけでしょうか。

紅白歌合戦らしい年は2000年の氷川きよしの「箱根八里の判次郎」を歌った年ではないでしょうか?
それにしても股旅演歌は歌を聞かなくても歌詞を見ているだけで心にグッとくるものがあると思いませんか、次回も股旅演歌について書いていければと思っています。



2017年12月09日
更新を再開することにしました
6月1日に体調を崩したので当分の間、ブログの更新を休ませていただいていますが体調の方は徐々に戻りつつある現状なので今日から更新を再開することにしました。

ブログ更新を再開するなら来年1月からとも考えましたが、そんなことを言っているとついつい先延ばしになるような気がしてテーマ何も決めていませんが、とりあえずは書けるものから始めることにしました。

当面は更新期間も書ける時に書くということで不定期更新になりますがよろしくお願いいたします。
今日はブログ更新再開ということで実質的には次回の更新から書いていきます。

2017年06月01日
記事更新を休ませていただきます
前回のテーマが終わってから次を何にするか、いろいろ考えていましたが先月半ば頃から体調を崩してしまって現状、当分の間すいませんが更新を休ませていただくことにしました。

宜しくお願いいたします。


Posted by ゼットキ at 21:30 | この記事のURL
2017年04月15日
今暫くお持ちください
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介し終えてから、次がなかなか思い浮かびません。

こういう時は何も考えないで寝るのが一番なのかも知れませんね、ということで私の好きな言葉です。

ろくな晩じゃねぇや。寝ちまえ、寝ちまえ。

寝て起きりゃ別の日だ
 


次については今暫くお持ちください。


2017年04月02日
「喜怒哀楽の人間学」私の読後感
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を、このブログで紹介することにしたことで私も最初から読み返してみました。

この本を買ったのは随分昔のことで私自身は、この「喜怒哀楽の人間学」を何回も読んでいますが読む度に本を読むというのは、こういうことだなと感じさせられるところがあります。

昔、本屋で「喜怒哀楽」という言葉に何か吸い寄せられるように手に取って冒頭の部分を読んだだけで、気づいた時にはレジで本代を払っていました。

伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」は今まで何度も読んでいますが何度読んでも、この部分は私の琴線に触れるものがあります、それは次の部分です。

文章は活字になると同時に筆者の手を離れて、読む側の人生経験や教養の度合、流した涙の量などによって、深くもなったり、浅くもなったりする。
しかしながら、筆者にとっては<ここをこう読んでもらいたい>という個所が三つや四つは必ずある。
そこのところを的確に汲みとってもらえた時は「人生、一知己を得れば、以て恨無かるべし」というような心境になるし、全く無視された時には索漠たる気持になる。



この部分は何か凄みのようなものを感じますが、切れ味の鋭さではなく生身の人間の持つ迫力のようなものが人を感動させるのではないでしょうか。
皆さんは、この部分をどのように感じられたでしょう。


これを以て伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を完といたします。
ありがとうございました。


さて、この後は何を書くかは何も決めていませんので暫く考えてみてからですね。

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