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2017年04月15日
今暫くお持ちください
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を紹介し終えてから、次がなかなか思い浮かびません。

こういう時は何も考えないで寝るのが一番なのかも知れませんね、ということで私の好きな言葉です。

ろくな晩じゃねぇや。寝ちまえ、寝ちまえ。

寝て起きりゃ別の日だ
 


次については今暫くお持ちください。


2017年04月02日
「喜怒哀楽の人間学」私の読後感
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を、このブログで紹介することにしたことで私も最初から読み返してみました。

この本を買ったのは随分昔のことで私自身は、この「喜怒哀楽の人間学」を何回も読んでいますが読む度に本を読むというのは、こういうことだなと感じさせられるところがあります。

昔、本屋で「喜怒哀楽」という言葉に何か吸い寄せられるように手に取って冒頭の部分を読んだだけで、気づいた時にはレジで本代を払っていました。

伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」は今まで何度も読んでいますが何度読んでも、この部分は私の琴線に触れるものがあります、それは次の部分です。

文章は活字になると同時に筆者の手を離れて、読む側の人生経験や教養の度合、流した涙の量などによって、深くもなったり、浅くもなったりする。
しかしながら、筆者にとっては<ここをこう読んでもらいたい>という個所が三つや四つは必ずある。
そこのところを的確に汲みとってもらえた時は「人生、一知己を得れば、以て恨無かるべし」というような心境になるし、全く無視された時には索漠たる気持になる。



この部分は何か凄みのようなものを感じますが、切れ味の鋭さではなく生身の人間の持つ迫力のようなものが人を感動させるのではないでしょうか。
皆さんは、この部分をどのように感じられたでしょう。


これを以て伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を完といたします。
ありがとうございました。


さて、この後は何を書くかは何も決めていませんので暫く考えてみてからですね。

2017年03月26日
三つの教訓
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から幕賓の人間学ということで、今回は魏の文候の幕賓だった李克が文候から魏の宰を魏成(ぎせい)と翟璜(てっこう)のどちらにするかということで「宰相たるの五つの条件」を挙げた基準からすると魏成が任命されるだろう、ということを李克は親友の翟璜に話した続きです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

翟璜が興奮して、何かいおうとするのを制した李克は、さらに言葉をつづけた。

「この際、冷静に考えてみろ、魏成は俸給の九割をさいて人を養い、自分は一割で暮らしている。その結果、孔子の高弟である子夏をはじめ、その弟子の段干木、田子方など、天下に名だたる学者を魏に迎えることができた。また、文候はこの三人を師の礼をもって遇しておられる。ところで、お前も、さきにいったように、たしかに五人の人物を推せんしたし、それぞれに役立っていることは事実だ。だが、大事な点を一つ見落としている。それは五人が全部、文候の家来になっていることだ。魏成の推した三人の学者が師礼をもって遇され、お前の推した五人の人物は家来となっている。
魏成とお前との人間の違いは一目瞭然ではないか」

翟璜は一言もなく、深々と頭をさげた。

蛇足をつけ加えれば、文候と李克、李克と翟璜とのやりとりには三つの教訓がある。

一つは、人事に私的な情実をもち込まなかったことである。李克と翟璜との関係は文候も知悉している。
ここで李克が翟璜を推したら、李克はそれなりの人間に評価されてしまう。
二つは、宰相は誰がいい、とはっきり名ざしをしなかったことである。もし、名ざしをしたら、あとにしこりがのこる。それとなく悟らせ、あとは文候自身の決断に俟たねばならない。
三つは、その足で翟璜を訪ねて事情を報告し、納得させたことである。もし、それをやらずに、後日、噂として翟璜の耳に入ったら翟璜と李克の友情は破局となったかもしれない。この種の話というものはストレートにきけば何でもないことが、第三者の口を通じて入ってくると、事実がゆがめられ、悪意の尾ひれがついて、きわめて不愉快なものになってくる。
そういう事態になる前に、いいにくいことを早目に相手に伝えて、事前に了承させたのである。

今回は以上です

魏成が宰相に任命された理由は上記を読んでもらえば分かりますが、「宰相たるの五つの条件」からもうかがえるのではないでしょうか。
また、三つの教訓、人事に限らず言い難いことを早目に相手に伝えると言うのは、いつの時代においても大事なことですね。

これで「伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」の紹介を終わりますが、私の読後感を記して完といたします。


2017年03月19日
親友同士のやりとり
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」を幕賓の人間学ということで魏の文候の幕賓だった李克が、文候から宰相を決めるに際して魏成(ぎせい)と翟璜(てっこう)の二人の候補者のどちらにするか迷ったあげく幕賓の李克に下問しますが、李克は文候みずからが決断すべき、として宰相たるの五つの条件を挙げます。
今回は、この続きです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

幕賓、李克は「この五つのメルクマールから判断すれば、どちらを宰相とすべきかは明々白々でござろう」といい「なお、文候が師礼をもって接しておられる子夏、田子方、段干木の三人の学者は魏成が推せんした人物でございましたネ」とつけ加えた。

文候は「なるほど、決心がつき申した」といって、魏成を宰相に挙げた。
一方、文候の前を退出した李克は、その足で翟璜の邸へたちよった。
李克と翟璜とは親友である。

だから、翟璜がざっくばらんにきいた。
「宰相人事の件について、君に下問があったとかきいたが、一体、誰にきまりそうかね」
「まず、魏成子というところだろう」

親友、李克は当然、自分を推してくれたと思いこんでいたのに、意外な答が冷然と返ってきたので気色ばんだ
翟璜が「王者を補佐する重要任務の一つは、よき人材を推挙することにある。その点からすれば、兵法家の呉子を西部国境地帯の司令官に推したのは、この私だ。また、主君が東部国境の守りを案じておられるとき、能吏の西門豹(せいもんびょう)を同地の県知事に推したのもこの私だ。それに中山の攻略に楽羊(がくよう)を推して、これを成功せしめ、しかも、その占領統治に学兄を推したのも、この私だ。まだある。公子の侍従長に屈候鮒を推したのも私だった。それが何故、私が魏成どのに劣るというのか」

とつめよると、李克は静かな口調でたしなめた。

「翟璜よ、まさか、お前は、仲間を集め、派閥をつくって、その圧力で宰相の地位を狙うのではないだろうな。たしかに文候は『魏成と翟璜とどちらが宰相として適任か』と下問された。わしは『御自身で決定されるよう』進言し、ただ、宰相たるの資格をきめる五つの基準を申しあげたまでのことだ。だが、その基準を適用すれば、当然、魏成が任命されることになろう」

今回は以上です

李克が挙げた宰相たるの五つの条件とは何だったのか、よければ前々回、前回をもう一度読み返しながら李克になったつもりで宰相を魏成と翟璜のどちらにするか考えてみるのもいいのではないでしょうか。


2017年03月12日
貧にしてはその取らざるところをみる
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から幕賓の人間学ということで第一から第四までの前回に続き、今回は宰相たるの条件の五つ目についてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

第五の「貧にしてはその取らざるところをみる」というのは、貧乏に対する処しかたである。
万事好調で懐具合もいい時には、人間はあまりオタオタしないし、ボロも出さない。
だが、その同じ人間が、いったん貧乏して尾羽うち枯らすと、一変してダメになる。

背に腹はかえられぬとばかりに、みすみす、邪(よこしま)な金とわかっていても、ついポケットへ入れたくなる。
それを歯をくいしばっても我慢するか、どうかが、人物評価のわかれ道となる。


富豪の河村瑞賢(ずいけん)<江戸前期の海運治水の功労者>から三千両ほどの地所を引出ものにして、姪の婿養子にと望まれた新井白石<学者にして政治家。『折たく柴の記』は有名>は、二十二、三の若さだったが、支那霊山の故事をひき、「無名のころに受けた傷は小さくても、大名を得た場合は傷も大きくなる。富豪の家へ婿入りしたため、あのように偉くなったと、将来、世間からいわれたくない」といってことわった。

貧乏であろうと、あわてることはない。目的をもって生きる。信ずるところに生きる。修養につとめる。
そこにおのずから積極的な人生の楽しみが生まれてくるのである。

十六世紀のはじめ、日本を訪れたザビエルが驚きと感激の文字を綴っている。

「日本人には、キリスト教国民のもっていない一つの特質がある。これは武士がいかに貧しくとも、その貧しい武士が富裕な人々から富豪と同様に尊敬されていることだ。彼らは武士、平民を問わず、貧しさを恥と思う者は一人もいない」

今回は以上です


第五の「貧にしてはその取らざるところをみる」は第四の「窮してはその為さざるところをみる」と近いものがありますが、このところのポイントは貧に対する人間としての矜持であり、お金には代えられないものって誰しもが持っているのではないでしょうか。

その、お金に代えられないものが人を成長させるのでしょうね。

今回の「貧にしてはその取らざるところをみる」は如何でしたでしょうか?


2017年03月06日
宰相たるの条件
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から幕賓の人間学ということで前回に続き魏の文候の幕賓である李克が五つの宰相たるの条件を挙げていますが今回はその四つについてです。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

第一の「居てはその親しむところをみる」というのは、官をひいて家にいる時、つまり浪人している時に、いかなる連中とつき合っていたかを観察する。

浪人というのは、地位、肩書、名誉といった虚飾を全部はずした裸の人間である。
だから浪人中の交友は「裸のつきあい」であり、アリストテレスの「友だちは第二の自己である」という箴言(しんげん)が最も的確に適用できるのである。

つまり、浪人中に低俗でくだらない連中とつきあっていたら、その人間自体がお粗末だと判断して間違いないし、すばらしい人物、一流の人物ばかりがそのまわりをとりまいていたら、まさしくそれはほんものである。

第二の「富みてはその与うるところをみる」というのは、財を成した時に、その金を何に使ったかをみるのである。金の使いかたくらい難しいものはない。
それは人格がそっくりそのまま反映するからだ。
金ができたら、まっさきに女を囲ってみたり、書画骨董にうきみをやつすようでは、とても宰相たるの資格はない。

天皇の師傅(しふ)で、『倫理御進講草案』を遺した杉浦重剛は「一年の計は田を耕すにあり。十年の計は樹を植うるにあり。百年の計は人を養うにあり」<管子>を引用して「人材養成のために巧みに時と金とを使うことが、経済の極意である」と喝破している。
「経済」とはもちろん「経世済民」<世を治め、人を救う>の意味であるが、最高の金のつかい方は人を養うことである。

第三の「達してはその挙ぐるところをみる」というのは、高位高官にのぼった時、いかなる人物を登用し、いかなる本を推せんしたかを観察する。
前に述べた「奔競の者」などを抜擢していたら、それだけで、もう落第である。

第四の「窮してはその為さざるところをみる」というのは、困窮した時にいかなる態度をとったかを観察するのである。

いかなる人も、単調だがやすらかで牧場の牝牛のようにのんびりした人生を命の終りまで続けられるなどということはあり得ない。
どんな人生も、晴れる日もあれば、曇る日もある。雨もあれば風もある。
しかし、大きくわけてみると「焔の時」と「灰の時」との二つである。

「焔の時」というのは、燃えさかる焔の如く、勢いがさかんで、この時は少々無理をしても、大体のことが上手く運ぶ。ところが、いったん「灰の時」に入ると、何をやってもうまくいかない。やることなすこと、裏目、裏目とでる。
そんな時は、静かに「灰の時」に没入し、自己に沈潜して、実力を養成する時期なのである。

事実、何をやってもうまくいかぬ時には何もやらぬのが一番いい。
ところが小心者に限って、そういう時にやたらに何事かをやらかして失敗する。
何事かをやっていないと不安でしょうがないからだ。

全盛時代、かなりの風格をもった人物が落魄した途端にダボハゼみたいに何にでもとびつき、<あの人が‥‥>と思うような醜態を演ずる。
「灰の時」の心構えができていないからである。


今回は以上です

宰相たるの条件、如何でしたでしょうか。

第一から第四まで、それぞれに「なるほど」と納得するところがあった、と思いますが宰相云々は別としても、人生晴れる日もあれば曇る日、雨もあれば風もある、からこそ喜怒哀楽の人間学なんでしょうね。

それにしても、「金の使いかたくらい難しいものはない」というのはナルホド言われてみればそうかも知れませんが、金がないので使い方まで気がつきませんでした。


2017年02月27日
宰相をきめる五つの物語
伊藤肇の『喜怒哀楽の人間学』から幕賓の人間学ということで、今回は「宰相をきめる五つの物語」を紹介いたしますが、この『喜怒哀楽の人間学』も残すところ後僅かとなってきましたのでジックリ味わっていただければと思っています。

以下、伊藤肇の『喜怒哀楽の人間学』より

中国史における典型的な幕賓は魏の文候の幕賓だった李克であろう。
文候が魏の宰相を決めねばならぬことになった。
魏成(ぎせい)と翟璜(てっこう)の二人の候補者がいるが、どちらにするかという決断がdぷしてもつかない。文候は迷いに迷ったあげく、李克に下問した。

「先生、嘗て寡人(かじん)に教う。『家貧しくしては良妻を思い、国乱れては良相を思う』と。今、相(しょう)とせんところは、魏成にあらざれば翟璜なり。二子は如何」と。

「先生はかって『家が窮乏したときには、家政のきりもりをうまくやって家を治めてくれる、しっかりものの妻はいないものか、と考え、国が乱れて、民が塗炭の苦しみに陥った時には、うまく、政治をやってくれる立派な宰相がほしい、と思うものだ』と、私に教えられましたが、世はまさに戦国乱世の時代に突入しました。
この国家非常に当たって、よき宰相を得ざれば、わが魏国危しと考え、日夜、肝胆を砕いた結果、ようやく、魏成と翟璜との二人に的がしぼられました。だが、何れを宰相とすべきかについて、どうしても自分の考えがまとまりません。何とか、先生の御助言を頂きたい」

一国の宰相を誰にするか、という最高人事である。軽々には答えられない。

「それはあくまで文候おんみずからの決断に俟(ま)つべき問題であります。拙者が口をさしはさむ余地はござらん」とつっぱねる。だが、文候、よほど困っていたのだろう。「先生、そこを曲げて何とか‥‥」
と再三、くいさがる。

文候にこうまでいわれては、無碍(むげ)に断るわけにもいかない。
暫く考えて李克は「しからば、宰相たるの条件を五つお教え申す」といって、「居てはこの親しむところをみ、富みてはその与うるところをみ、達してはその挙ぐるところをみ、窮してはその為さざるところをみ、貧にしてはその取らざるところをみる。五つのものをもってこれを定むるに足る」

と答える。


今回は以上です

宰相たるの条件が五つ挙げられていますが、よければどういうことなのか考えていただければと思います。
次回は、この五つの条件の内の四つまでを紹介いたします。


2017年02月15日
義を買う
伊藤肇の『喜怒哀楽の人間学』より幕賓の人間学ということで、馮諼(ふうけん)という押しかけ幕賓について前回の続きです。

以下、伊藤肇の『喜怒哀楽の人間学』より

そんな経緯があって間もなく、孟嘗君が「会計に明るく、しかも貸金のとりたてのうまい人物」を幕賓の中から募ると、まっさきに馮諼がすすみ出た。

民に貸しつけた金がこげついたのを取り立てるのだから、あまり楽しいことではないし、大丈夫たる者のやる仕事としてはパッとしない。
だから馮諼が名のり出た時には、他の幕賓たちは<何て、バカなことを、この男は気負い込んで買ってでたんだろう>という顔をした。

しかし、そんなことにはお構いなく、民たちの借金の証文である割符を積み終えてから馮諼がきいた。
「すっかり、借金をとりたてましたら、それで何を買って参りますか」
孟嘗君は「うん」といって、しばらく考えていたが、やがてこういった。
「ここにないものを買ってきて頂こうか」

「わかり申した」と馮諼は取りたて地の薛(せつ)の地へ急行すると、直ちに役人に命じて、債務者全員を集合させ、ひとつひとつ、証文の割府を合わせると、やおら、立ちあがって、「貸しつけ金は全部帳消しにする」と宣言し、割符を悉く火中に投じた。

薛の民は「孟嘗君、万歳!」と唱えて狂喜した。
そうしておいて、馮諼はすぐさま故国、斎にたち帰った。
あまりにも早い帰国に孟嘗君が驚き、「全部、とりたててくれたのでしょうな」ときくと「のこらず、とりたてました」という。

「それで何を買ってこられたのか」とたたみかけると「出立にあたって、おうちにないものを、といわれたので、頭をひねりました。
私がひそかに見まするに、殿の宮中には珍しい宝がいっぱい、美人は後宮にひしめき、千里の名馬も厩に満ち満ちている有様なので、これといって買ってくるものはございません。
だが、よくよく考えてみますと、『義』の一字だけがありませんので、その『義』を買って参りました」

馮諼の真意をはかりかねた孟嘗君が「義を買うとはどういうことなのか」と聞き直すと「いま、殿には、ちっぽけな薛しか領地がおありにならぬのに、その領民を赤子(せきし)としてかわいがりもせず、まるで高利貸のように金を貸しつけて、利を貪ろうとなさる。
だから、私は貸しつけ金を全部パーにして領民たちにくれてやりました。
領民たちは踊りあがって喜び、殿の万歳を叫びました、これが殿のために『義』を買った、ということです。
と答えた。

はたして、その言葉通り、孟嘗君は、その後、薛公となり、地位を全うして薛で一生を終った。

また、こんなこともあった。
孟嘗君が苦境に陥り、三千といわれた幕賓たちが一人のこらず逃げてしまったとき、馮諼だけは側を離れず、八方、画策して、孟嘗君をもとの位にもどした。
そして、一時、孟嘗君を見限った連中がもどってくる時は快く迎えることをすすめた。

「幕賓」の「幕賓」たるゆえんは、この見識である。

今回は以上です。

私は「義に由って立つ」という言葉が好きですが、「こうでなくてはならぬ」というものを感じます。
義とはなにか、よければ考えてみてください。

2017年02月06日
押しかけ幕賓
このところ、どうもブログを更新する気になれずに延びてしまいましたが伊藤肇の『喜怒哀楽の人間学』も残り少なく後少しだけに最後まで紹介していければ、ということで今回は「押しかけ幕賓」についてです。

以下、伊藤肇の『喜怒哀楽の人間学』より

「鶏鳴狗盗」の故事で知られている斎の孟嘗君のもとへ馮諼(ふうけん)という人物が幕賓として自らを売り込んできた。
いわば「押しかけ幕賓」である。

「その客人は何がお好きか」と孟嘗君がきくと「さあ」という返事。
「では、何がおできになる」といえば「別にこれといって‥‥」と煮えきらない。
しかし、孟嘗君は「いいでしょう」といって、ひき受けた。

孟嘗君の「幕賓」は三段階にわけられ、上客は肉料理、主客は魚料理、下客は野菜料理となっていた。
とりえのない馮諼は、当然、最下級の「野菜料理の部」へほり込まれた。

三等幕賓になってしばらくすると、馮諼は長鋏〈長刀〉の柄を按(あん)じながら唄った。
「長鋏よ。帰ろうか。食うに魚なし」側近がそれを孟嘗君に報告すると、「一級あげて、魚料理の部へ入れろ」と命じた。
ところが、二、三日たつと、また馮諼が唄い出した。
「長鋏よ、帰ろうか、出ずるに車なし」車がつくのは最上級の幕賓である。仕方がない、車をつけた。
すると、今度は「長鋏よ、帰ろうか。もって家を治むるなし」と唄った。

側近たちは「とどまることをしらぬ奴、図々しいにも程がある」と怒ったが、孟嘗君は「まあ、まあ」となだめ、改めて、馮諼をよんできいた。
「馮公には親ごがおありか」「老母がひとりおります」
早速、人をやって、食物や衣料を届けさせると、馮諼はもう唄わなくなった。


今回は以上です


この図々しい「押しかけ幕賓」馮諼は、どんな働きをしたのでしょうか、それは次回をお待ちください。
私も馮諼にならって、唄ってみようかなという気になります。


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2017年01月23日
清白の士は爵禄をもって得べからず
伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」から三人の心友について紹介してきましたが、今回はその「三人の心友」という幕賓(ばくひん)についての定義です。
幕賓という言葉自体、今では聞かれなくなっただけに、幕賓とはを知る機会になればと思います。

以下、伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」より

「ジャーナリスト」「宗教家」「名医」の「三人の心友」は何れも幕賓であり、パーソナル・アドバイザーである。
中国では、この幕賓が歴史の重要な役割を演じているが、幕賓を定義してみると、もともと、帝王を非常に好きである。
しかし、毎日、裃(かみしも)をつけて朝廷へ出仕するのは窮屈でかなわない、という一種の浪人的風懐と気骨とをもった人物である。

「浪人的風懐と気骨」とは何か。
伝記作家の小島直記が、その著『無冠の男』<新潮社>の中で明快に指摘している。

「その位にありて、その事を行はざるは尸位素餐(しいそさん)の徒なり。その位にあらざるも、その事を行ひ、ことに自家の米塩を憂へずして、君国の経綸に志す者は浪人なり。すなはち、浪人は、政府または人民より頼まるるにあらず。また一紙半銭の報酬をも得るにあらずして、自ら好んで天下の事にあたる」のが浪人の真骨頂で、「筆者の名もわからず、表現も古風だが、見事に浪人のポイントを掴んでいる」

と小島の評である。

したがって、こういう人物を幕賓として迎えるためには、帝王自体にかなりの魅力がなくてはならない。
逆説的にいえば、いかなる幕賓を何人かかえているか、によって帝王の器量がわかるのである。

中国の古書『六韜三略(りくとうさんりゃく)に「清白(せいはく)の士は爵禄(しゃくろく)をもって得べからず」とある。
立派な人材を得るためには爵禄を惜しむな。同時に、爵禄などで釣ろうと思ってはいけない。
これが幕賓に対するけじめであり、礼儀である。

今回は以上です

幕賓の定義、一種の浪人的風懐と気骨とをもった人物を指すということは分かっても具体的な人物像が思い浮かばないのではないでしょうか。
私がイメージするのは、幕末の志士に影響を与えた横井小楠であり、今ひとりは宮崎滔天という人物ですが天下国家を声高に論じるというよりも、当に自ら好んで天下のことにあたるというに相応しい人物では、と思っています。

私が思い浮かべる人物はさておき、次回に幕賓とは、このような人物ということで紹介していきます。


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