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2018年11月27日

札幌史から学ぶ






札幌史から学ぶ

1869年(明治2年)
蝦夷地から北海道と改称。
開拓使が置かれ札幌本府の建設が始まる。

1875年(明治8年)
判官・島義勇(しまよしたけ)は、円山の丘からはるか東方を見渡し、街づくりの構想を練ったといわれています。その後、最初の屯田兵が入植。人々は遠大な札幌建設計画に基づいて、鉄道を敷き、産業を興して、道都・札幌を築きました。

<判官>
律令制における四等官の第三位の官。

☆九郎判官(くろう ほうがん)
源義経のこと。左衛門尉だったことから。九郎は輩行名で源義朝の九男だったことによる。古来この義経に限って「ほうがん」と読んでいたが、近年では「はんがん」も通用している。

☆塩谷判官(えんや はんがん)
『仮名手本忠臣蔵』の登場人物。史実の浅野内匠頭にあたる。

☆小栗判官(おぐり はんがん)
照手姫と天馬の伝承で知られる伝説上の人物
→浄瑠璃や歌舞伎の演目

<島義勇>
江戸時代末期(幕末)から明治にかけての佐賀藩士、官吏。札幌市の都市開発に関わり、「北海道開拓の父」と呼ばれる。佐賀の七賢人の一人。
1916年(大正5)、生前の勲功に対し従四位を贈られた。また、札幌市役所および北海道神宮に顕彰銅像、円山公園には顕彰碑「島判官紀功碑」がある。命日の4月13日には北海道神宮で北海道開拓と神宮創祀のその功績を偲び、「島判官慰霊祭」が毎年催されている。

☆佐賀七賢人
幕末維新に活躍した雄藩「薩長土肥」。肥前佐賀藩でも、他の藩におとらず優秀な人材を輩出。その中でも特に顕著な功績を残した鍋島直正、佐野常民、島義勇、福島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信は「佐賀の七賢人」と呼ばれています。



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