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2019年07月04日
もうすぐ災害から1年です。この1年を振り返ってみて記録として残します。
もうすぐ災害から1年です。あっという間でしたが、いまだに大量の書類とにらめっこしてます。
一生懸命、復帰に向かって頑張ってきて何とか元通りまではいきませんが、元に戻って・・・
やっと復帰だと思ったら、今度は2重ローン地獄。働いても、働いてもローンで消えていく。
災害の補助金が出るよ。と聞いて、約1年近く。まだ補助金は出ず・・・。出るまで頑張るしかない。
写真は災害の次の日。夫が土砂を乗り越えて撮影してくれた。犬達がいた部屋からの写真。
怖かっただろうな。土砂は扉の前で止まっていたものの、庭は泥水で浸かっていました。
ドッグランも全部は土砂が流れてこなかったものの、泥水が全体に広がり人工芝は使い物にならなくなった。
しばらく家に入るのも一苦労。毎日泥んこになりながら家に帰ったな。
家の前の道も、しばらくはふさがったままだったな。
沢山の方に助けられて。力を貸してもらって、本当に今でも感謝しかないです。
あんなに低い山から、これだけの量の土砂が流れるとは・・・。そもそも流れると思っていなかった。
思い出しては心臓がキューっと痛くなって、臭いに敏感になって、音にも雨にも敏感になりました。
あれから、雨が降れば子供を避難させ、私は犬達と待機。いつまで、これを繰り返せばいいのか・・・。
そして、なかなか国からの答えが出なかった補助金。
次に申請できるのは7月末なので申請するまでに1年以上かかったことになる。
これで1部分でも補償してもらえたら、本当に毎日は少し余裕ができて幸せだと感じることができるかも。
どうか、今年は大きな被害が出ませんように。広島に限らず全国に災害の可能性はある。
どこで避難するかは迷いますし、判断するのも、とても難しいですね・・・
2018年08月05日
7月6日の記録
少しずつ細かい時間や状況などが分かってきて、そして後から沢山の偶然に助けられたと感じました。
少しの時間でタイミングで通った道で。すべてが決まった日だったなと。少しずつ記録していこうと思います。
6日は朝から雨が強く降っており、お昼過ぎから緊急速報メールが沢山届くようになりました。
ただ、今もそのメールはとっていますが、6日に送られてきたメールの避難勧告の対象は・・・
亀山、亀山南、可部、飯室、久地、戸山、八木、緑井、毘沙門台、大町、上安、安北、安西、深川、亀崎、倉掛、真亀、可部南、落合東、落合、口田東、可部南、筒瀬、日浦、福木、祇園、山本、春日野、長束、大塚、伴南、伴、戸坂、牛田、早稲田、中山、尾長、矢賀、白島・・・
まだ書ききれていない名前もありますが、土砂災害が起こる前の最後のメールにも口田南は入っていませんでした。
まさか崩れるとは・・・という場所だったのかもしれません。
メールは沢山来るものの口田南はどこも対象ではなく放送や避難の指示もなかったので、大丈夫と思ってしまっていた部分もあったかもしれません・・・。
6日は仕事の予定もありましたが、雨で来てもらうのも大変だろうという事もあり、仕事は全て中止にしていました。今思えば中止にして良かったと・・・
そして17時過ぎに、子供がどうしても出掛けたいという話になり、家族で出掛けることになり戸締りをして出かけました。
あれこれ準備をして15分〜20分ほどで17時30分過ぎには目的地に到着していたかと思います。
用事もすみ18時30分前にはお店を出て、家に向かい帰ることに。その時はかなりの土砂降りでした。
いつもは土手の道を通って帰るのですが、その日は少し嫌な予感がして、いつも夕方は大渋滞なので通らないダイキの前を通ることに。
そこで案の定、渋滞にはまり少し後悔しながら帰ることに。すると、すでに安芸矢口駅の前が浸水しており、通れなくなっていて、さらに回り道をして帰ることになりました。
そして近所に帰ってくると、人が外に出て騒いでる様子で・・・私の車に気づき近所の方が寄ってきて「〇〇さん!家には帰れないよ!」と
私も家族も意味が分からず、とりあえず家に向かうことに。そして、最後のカーブを曲がった時に目の前に土砂が。
写真の撮影は19時頃と記録されていました。そして、土砂が崩れたのが18時50分過ぎと後から聞き震えました。
いつもの土手道を通っていたら、家まで15分〜20分ほど。巻き込まれていてもおかしくない時間でした。
車で土砂が流れた道を通っているときだったかもしれない、駐車場で子供を降ろしているときだったかもしれない。
写真は次の日に撮った、家の駐車場の様子。大きな石も大木もゴロゴロしていました。巻き込まれていたら、きっと命すら危なかったかもしれません・・・。
犬達は留守番をしていましたが、犬達がいる部屋は山から一番遠い場所で、手前で土砂は止まっていました。
そして、いつもは閉めて出る窓も少し出るだけだからと開けていて、自由に庭に出たりお水を飲んだりすることも出来ました。
犬達はすぐに救出できる状況ではなかったので、それも犬達にとって幸運だったと思います。
6日は薄暗くてあまり細かい場所までは見えませんでしたが、毎日のように会っていた方の家が全く流されて無くなっていました・・・。
避難した場所でも寝れず、流された家や犬達の事が頭から離れず6日は殆ど寝れませんでした。