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2015年05月09日
女の子たちの関係
今日ご紹介したいのは、
『終点のあの子』柚木麻子(著)である。
プロテスタント系の女子校を舞台にした、スクールカーストというか派閥というか、そんなあれこれを描いた小説である。
この小説の特筆すべきところは、文庫版の解説にも書かれてあるが、人物の書き分けが上手いところだ。
文庫の解説によれば、女の子たちの類型は、以下のように分類されている。
@ボスキャラタイプ
Aボスキャラにくっつくタイプ
Bそうした上下関係から距離を置くタイプ
そしてこの作者は、これらの類型のすべてのタイプを外から見て描写するだけでなく、その内面にまで踏み込んで、つまりそれぞれの類型の登場人物視点で描いているのである。
そうして、これらの登場人物ごとの、優れている点や欠落している点についてもしっかりと描かれている。
昨今のスクールカーストものでは、以上の3類型に加えて、C底辺タイプ、とでも言うものが設定されて、そこから見上げるような構造の作品が多いのではないかとも思う。
つまり、@やAのようなタイプの人物は、外部から単に観察されるだけであって、その内部から、彼ら自身の価値観や考え方というものが十分に描写されていないような気がするのである。
@やAのようなタイプの人間とても、そのへんのお兄ちゃんお姉ちゃんであることにはかわりがなく、こういうと少し語弊があるが『下からの目線で』それをただひたすら傲慢なモンスターのように描くのはやはり小説としてはある種の欠落があるとも思うんである。
だから、そこらへんを、@やAのような人物の内面にまで踏み込んでちゃんと描いたこの作品の価値は高いと思う。
この本の中に『ふたりでいるのに無言で読書』という作品があるが、内容は、ちょっと人間関係で失敗したボスキャラタイプの子が、オタ系の(というか本好き系の)子と少し仲良くなるが、やっぱあんまり合わないなとなって離れていく系の話である。
なんだか妙に納得させられるというか、身につまされるというか、ぜひ一度読んでいただきたいようなお話で、とてもオススメである。
『終点のあの子』柚木麻子(著)である。
プロテスタント系の女子校を舞台にした、スクールカーストというか派閥というか、そんなあれこれを描いた小説である。
この小説の特筆すべきところは、文庫版の解説にも書かれてあるが、人物の書き分けが上手いところだ。
文庫の解説によれば、女の子たちの類型は、以下のように分類されている。
@ボスキャラタイプ
Aボスキャラにくっつくタイプ
Bそうした上下関係から距離を置くタイプ
そしてこの作者は、これらの類型のすべてのタイプを外から見て描写するだけでなく、その内面にまで踏み込んで、つまりそれぞれの類型の登場人物視点で描いているのである。
そうして、これらの登場人物ごとの、優れている点や欠落している点についてもしっかりと描かれている。
昨今のスクールカーストものでは、以上の3類型に加えて、C底辺タイプ、とでも言うものが設定されて、そこから見上げるような構造の作品が多いのではないかとも思う。
つまり、@やAのようなタイプの人物は、外部から単に観察されるだけであって、その内部から、彼ら自身の価値観や考え方というものが十分に描写されていないような気がするのである。
@やAのようなタイプの人間とても、そのへんのお兄ちゃんお姉ちゃんであることにはかわりがなく、こういうと少し語弊があるが『下からの目線で』それをただひたすら傲慢なモンスターのように描くのはやはり小説としてはある種の欠落があるとも思うんである。
だから、そこらへんを、@やAのような人物の内面にまで踏み込んでちゃんと描いたこの作品の価値は高いと思う。
この本の中に『ふたりでいるのに無言で読書』という作品があるが、内容は、ちょっと人間関係で失敗したボスキャラタイプの子が、オタ系の(というか本好き系の)子と少し仲良くなるが、やっぱあんまり合わないなとなって離れていく系の話である。
なんだか妙に納得させられるというか、身につまされるというか、ぜひ一度読んでいただきたいようなお話で、とてもオススメである。
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2015年05月03日
排外主義に対する問いかけ
今日ご紹介したいのは 『約束の国』 カルロ・ゼン (著) である。
この作家さんはわりとネット小説界では有名人なので、ある程度の面白さは保証済みである。
……が、しかしわりと読者を選ぶ内容でもある。
この小説は、架空世界が舞台にとられてはいるが、モデルは旧ユーゴスラビアである。
旧ユーゴスラビアは、カリスマ的な指導者であったチトーの死後、いわゆる民族主義が勃興して民族紛争が起こった。
そしてその過程で殺人、強姦、暴力行為などをともなういわゆる民族浄化などの野蛮な行為がおこなわれ状況は凄惨を極める。
そうして国家が四分五裂して、それぞれ独立し今に至っている。
が、そのようにして得た民族の独立であっても、それが薔薇色の未来を約束するわけではない。
この小説の主人公であるダーヴィド・エルンストは、ヒルトリア(旧ユーゴスラビアがモデルとなっている架空の国)の軍人であったが、独立運動の指導者となり、そのようにして苦難のうちに独立した国のひとつで大統領を務める。
しかし、どうにもこうにも国家運営に行き詰まり、ついには冬を前にして、国民が冬を越すための燃料にすら事欠く事態に陥り、絶望の果てにピストル自殺を図る。
そしてピストル自殺を図ったはずのダーヴィドは、自分が、独立運動に関わる前の、ヒルトリア軍の士官候補生であったころの自分にタイムスリップをしていることに気付く。
そうして、独立した後の国よりも、独立運動が起こる前のヒルトリアのほうが、多くの矛盾がありつつも、相対的にずっとマシであったという結論にたどりつく。
こうしてダーヴィドは、民族紛争の災禍、またその後のどん詰まりのような状況を避けるため、今度はヒルトリアの統一を守るための戦いを始めるのだった。
……というストーリーである。
架空の国が舞台になってこそいるものの、そこに描かれる状況は非常に今日的な課題を含んでいる。
このヒルトリアという国は旧ユーゴスラビアがモデルであるから、共産主義の国である。
独立運動が勃興した背景にはそもそも、共産党の独裁や、共産主義そのものの行き詰まりが背景としてあり、そこに民族問題が重なってくる。
このシリーズの3巻で、
行き詰った共産党独裁のかわりに、民主的な枠組みを取り入れてはどうか、
と主人公のダーヴィドは、提案されるが、ダーヴィドは、それは不可能であると言下に一蹴する。
つまり国内の矛盾が、国家に対する帰属意識を薄れさせ、
それが、民族などのより狭い対象への帰属意識を言い訳に排外的な空気をもたらす。
言い換えれば、
ある社会が行き詰ったときに、
その社会の一部であるもっと小さな集団に自らの帰属意識をもってゆき、
そうして他者を排除していく。
ということなのである。
そしてそのような空気が蔓延すると、民主主義による多数決の原理は、少数派を排除し、社会を分裂させ、利己主義を押し通す装置になってしまう。
日本は、もちろん旧ユーゴスラビアほどのシビアな民族問題を抱えているわけではないが、
しかし、このシリーズで描かれているテーマはグローバル化しつつある日本の社会においても問われるべき問題となっている。
……というふうに極めて重い小説であるように見えるし、実際そうであるが、非常に面白いのでオススメである。
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2017.09.11追記
先日、このシリーズの最終巻で4巻を読了したので感想を追記しておく。
ネタバレになるので、あまり詳しくは言えないが、落としどころとしては、まあこんなものであろうと思う。
結局のところ社会の行き詰まり具合は、覆い隠しようもないのであって、何らかの大きな破局は避けられないのであるが、その破局をいくらか修正したというあたりで、実にまっとうな着地点であったように思う。
あと作品全体を通しての総評であるが、全体的に割と面白かったように思う。
このような共産趣味の作品は他にあまり知らないので、その意味でも貴重であろうかと思う。
作品の欠点としては、この作品の重要な要素として共産主義と民族主義が非常に重要な要素を占める。
そして、共産主義の限界、その非効率性や行き詰まりについては十分に語られているように思うが、民族主義のそれについては、今一つ足りないように思われる。
主人公はタイムリープをする以前には民族主義者となり、国家を分裂させて、その分裂した後の国家の大統領になり、そのあげく経済運営に失敗して自殺するという流れなのであるが、
ということは主人公自身が非常な民族主義の徒であったはずなのである。
国家を分裂せしめ、民族主義をもってそれに替えようと人が思うためには、それなりの民族主義的な体験があるはずなのである。
例えば自分が〇〇民族であるから、▼▼民族のあいつに比べて就職で差別されたとか、〇〇民族に比べて■■民族は優遇されていて不公平だと感じたとか、そういう体験がなければ、おそらく民族主義者にはならないような気がするのである。
そしてこのシリーズはそういう記述に欠けているように思う。
そのせいでストーリーやキャラクターの説得性を半分がた失っているように思われる。
全体としては面白い作品であるだけに残念さもひとしおである。
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タグ:カルロ・ゼン