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2016年11月18日
貴族の生活ってみんな興味あるよね!
なんだか超ひさびさの更新であるが、今日ご紹介するのは、
『 王朝貴族物語 』 (講談社現代新書) 山口 博 著 である。
これは平安時代の貴族について色々と書かれた本である。
この本の何が素晴らしいって、それはもう、貴族の制度とか生態を色々と解説してくれてるところである。
たとえばなろう小説を書こうとして、その中に貴族が登場したりなどすることはありがちであるけれども、そのような場合の設定を決める際の資料として非常に有用な本と言える。
人口当たりの貴族の割合であるとか、
どのような階級(つまり五位とか六位とか)と
仕事やポスト(地方長官のなんたらの守とか)でどれくらいの年収がもらえるとか、
出世のルートがどうであるとか、
都市にいる政治家や官僚の貴族の一日がどういうスケジュールだったかとか
年間何日くらい勤務していたかとか
国家の緊急事態が起こったらどうなったかとか
平安京とか平城京とかの都市に居住する貴族に国から支給される住宅の階級ごとの広さがどうであるとか書かれてあるんである。
あと、この貴族に支給される住宅用の土地の広さについての記述があって、
それが私の設定厨ごころにビンビンきたので書いておく。
なんでも、
一位から三位の上流貴族には120メートル平方で14400平方メートルだそうだ。
およそ1.44ヘクタールにもなる。
これが『一町』っていう単位になるそうである。
四位と五位の中流貴族はその半分で0.72ヘクタール
六位以下はさらにその半分で0.36ヘクタールというところらしい。
分かりやすく言えば、
上級貴族は学校とかの運動場の倍くらいの広さの土地の邸宅が首都に持てるよ。
中流貴族は学校とかの運動場くらいだよ。
下級貴族はその半分くらいだよ。
ということである。
でもそれはいわゆる規定ではそうなってるってことで、
実際はすんごいお金持ちの大貴族はさらに土地を買い足して二町ぶんの普通の倍の広さの土地にしたり、
倍だと縦長とか横長になって、いびつだからか知らないが四町にして四倍にしたりしてたそうである。
すごい広いのだと八町なんてのもあったそうである。
これを貴族とか登場する西洋中近世ファンタジックなろう小説とかに当てはめれば
公爵〜伯爵は1ヘクタール
子爵とかは半分で
男爵以下はその半分の邸宅が国から与えられるが
お金持ち大貴族は自分で土地を買い足して2ヘクタールとか4ヘクタールにしちゃってるんだとかそういう設定が作れてしまうんですね。
あともう一つ個人的に面白かったのは、宗教やらまじないやらが、いかにそういう昔の人の生活に入り込んでいたのかの記述である。
例えば方違えっていうのがある。
これは例えばどこかに行く用事があって、その旅行にいく方角を占ってみるのである。
結果が悪いとどうするかというと、目的地から例えばななめ四十五度逸れたほうに行くのである。
そしてちょうど半分まですすんだところで目的地に向かって方向転換して進むんである。
まじないとか宗教がその時代の人の心の中に深く浸透しているので、
つまり登場人物の内心が、現代の日本人とはだいぶ違うなあと分かるところである。
まあそんなこんなで非常におススメである。
文章も読みやすいし面白い。
決して退屈な資料本ではなくて楽しい読み物なのでこれはぜひ買いであると思います。
中古価格 |
2016年06月03日
君は英国王の戴冠式の手順を知っているか!
今回おすすめする本はかなりのアタリである。
掘り出し物である。
おすすめするのは、
『エドワーディアンズ』 ― 英国貴族の日々 ―
ヴィタ・サックヴィル=ウエスト (著), 村上 リコ (翻訳)
である!
翻訳者が偉大なるメイドマスターのひとりである村上リコさんというだけでもう期待できてしまうが、期待に違わぬ素晴らしい本である。
コアな本ばっかり出す河出書房新社だからもうもう、というところでもあろう。
さて、本の内容であるが、あらすじとしてはあんまり大したことがない。
1905年、つまりはエドワード王の時代の英国公爵の青年が、
社交界でアレやコレやして、不倫とかしてみたり、とかいうようなどうでもいい話である。
が! この本の真価はそういう頭の弱くなりそうなあらすじ部分にあるのではない。
そう、ワナビの皆様にもとってもタメになる、資料的部分にこそ価値があるのである。
この本の作者であるヴィタ・サックヴィル・ウエストは英国貴族たる男爵の令嬢である。
つまりモノホンの貴族なんである。
そんな彼女が書いた、貴族の青年を主人公にした小説ということは、
ファンタジー世界にトリップ系なろう小説とか書いて、そこに貴族とか登場させたいワナビの皆様にとっては非常に価値のある本と言わざるを得ないわけですね。
この本の最初の章では、シェヴロンというまあ、公爵様のお屋敷の描写がある。
その建物の外観の様子とか、室内の様子とかが色々と描写されて、
さらに、そこで働く使用人たちの描写も、その内心に踏み込んでなされる。
これでもかなり貴重であるが、この本のさらに貴重なところは、
その当時の、つまり貴族とかがいた近世の時代の、貴族やあるいは、貴族ではない一般庶民の価値観を分析的に書いているところである。
例えばなろう小説とか見ていると、横暴な豚のような貴族みたいなのが登場して、庶民に無理難題を吹っかけたり、チンピラのように絡んだりもするが、この小説で出てくる貴族はそんなのではない。
横暴さなどというものはなくて、むしろ社会の要求する礼儀作法や決まりごとに極めて忠実であり、かつ貴族であり続けるためにはその決まりごとに忠実であることを要求される、がんじがらめにされた存在として描かれる。
そうして、高度に発達した虚栄心のために、例えば不倫はするが、それが露見して(公然の秘密ではあってもよいが、それが公式の事実となって離婚したりとかは許されない)醜聞となることを極度に恐れるのである。
つまり貴族というのは、わかりやすい暴力や悪行で人を威圧したりはしない。
むしろ、表面上は善良で人当たりのよくふるまう存在なのである。
おそらく貴族の特権とか、富の分配の不公正とか、支配の構造とかは、国の法制度とかそういうものの中に、組み込まれているのであって、彼らが直接に表にでて、庶民を虐げるというわけではないのだということが分かる。
そして、庶民は庶民の側で、彼ら貴族たちを、富を独占する特権階級であり、そこには不公正さがあると認識してはいるが、同時に、いわば貴族をアイドルか何かのように仰ぎ見て喜んでいたりもするのである。
例えばこの本の中ほどで、主人公のセバスチャンは、テリーサという女性に近づく。
もっともこれは未遂に終わり、不倫には発展しないのであるが、このテリーサという女性が面白いのである。
彼女は、家に貴族名鑑とかそういう類の本を持っていて、
かつ新聞記事とかに貴族のなんたら卿が何においでになりました、みたいな新聞記事があったりしたら、その記事とか記事にくっついている写真とかを切り抜いてスクラップしてたりするのである。
そして、彼女が夫と一緒に(彼女の夫は医者である)観劇にでもいくと、貴族様用の特等席を遠くから物見高く眺めて、夫にあの方は何々卿よ、とか、あのご婦人は何々卿婦人よ!きれいねー! みたいにして教えてあげるんである。
そういう貴族様に直接会ったことがあるわけでもないのに彼女はそういう上流社会に詳しいわけだ。
そして、主人公のセバスチャンが彼女の家の前で足を踏み外して、それを彼女の夫が治療した関係で、彼女の家に公爵家のお屋敷への招待状が届くと、彼女はウッキウキで夫と一緒に出掛けて行くんである。
つまり何が言いたいかというと、その当時の貴族ってのは、アイドルのかわりなのである。
そして彼女は昔の追っかけさんというかミーハーさんである。
現代には海外のセレブとか特集した雑誌とかあるし、アイドルの総選挙とか、まあそういうのがあるが、ハリウッドスターも存在してなくて、アイドルもいなくて、大物映画俳優もいない。みたいな昔の社会では、庶民のアイドルを眺めたいという欲望を唯一満たし得る存在は貴族以外にあり得ないんである。
だから彼らの動静がニュースにもなったりするのである。
まあ、現在でも皇室ウオッチャーとか王室ウオッチャーみたいな人はいるし、ダイアナ元妃はパパラッチに追いかけられたのであるが。
まあつまり、なろう小説には『アイドルとしての貴族』という視点がいくらか欠けているような気がしないでもない。
そしてここまで楽しく話が進んできて、さらに本の最後のほうでさらにクライマックスがあるのである。
クライマックスといっても、小説のあらすじ的な意味でのクライマックスではなくて、本の資料的価値としてのクライマックスである。
この本の最後の方には、なんとイギリス国王の戴冠式の様子が描かれているのである!
そして、主人公は公爵様であるから、その儀式の一部を担当するために儀式に出席するのである。
つまり、国王の戴冠式に高位の貴族がどういう衣装を着て、どういうものを頭にかぶり、どういう馬車に乗って出かけ、どういう宝具を用いて、どういう儀式に参加するのかとか、儀式の手順とかが書かれているのである。
これはかなり貴重ではないだろうか!
なろうで小説とか書くときに、ひょっとして戴冠式のシーンとか登場させたい場合は、適当に妄想して書くよりは、この本を読んで実際の戴冠式の様子を参考にして、ちょっとだけファンタジー風にアレンジして書けばリアル感マシマシであることは間違いないと思う。
つくづくと(あらすじ的にはあんまり面白くないが)資料的な価値が高い本である。
かなり貴族とか登場する異世界トリップ系小説を書くワナビの皆様にはかなり良い本だと思うので、とってもおすすめの一冊である。
掘り出し物である。
おすすめするのは、
『エドワーディアンズ』 ― 英国貴族の日々 ―
ヴィタ・サックヴィル=ウエスト (著), 村上 リコ (翻訳)
である!
翻訳者が偉大なるメイドマスターのひとりである村上リコさんというだけでもう期待できてしまうが、期待に違わぬ素晴らしい本である。
コアな本ばっかり出す河出書房新社だからもうもう、というところでもあろう。
さて、本の内容であるが、あらすじとしてはあんまり大したことがない。
1905年、つまりはエドワード王の時代の英国公爵の青年が、
社交界でアレやコレやして、不倫とかしてみたり、とかいうようなどうでもいい話である。
が! この本の真価はそういう頭の弱くなりそうなあらすじ部分にあるのではない。
そう、ワナビの皆様にもとってもタメになる、資料的部分にこそ価値があるのである。
◆
この本の作者であるヴィタ・サックヴィル・ウエストは英国貴族たる男爵の令嬢である。
つまりモノホンの貴族なんである。
そんな彼女が書いた、貴族の青年を主人公にした小説ということは、
ファンタジー世界にトリップ系なろう小説とか書いて、そこに貴族とか登場させたいワナビの皆様にとっては非常に価値のある本と言わざるを得ないわけですね。
この本の最初の章では、シェヴロンというまあ、公爵様のお屋敷の描写がある。
その建物の外観の様子とか、室内の様子とかが色々と描写されて、
さらに、そこで働く使用人たちの描写も、その内心に踏み込んでなされる。
◆
これでもかなり貴重であるが、この本のさらに貴重なところは、
その当時の、つまり貴族とかがいた近世の時代の、貴族やあるいは、貴族ではない一般庶民の価値観を分析的に書いているところである。
例えばなろう小説とか見ていると、横暴な豚のような貴族みたいなのが登場して、庶民に無理難題を吹っかけたり、チンピラのように絡んだりもするが、この小説で出てくる貴族はそんなのではない。
横暴さなどというものはなくて、むしろ社会の要求する礼儀作法や決まりごとに極めて忠実であり、かつ貴族であり続けるためにはその決まりごとに忠実であることを要求される、がんじがらめにされた存在として描かれる。
そうして、高度に発達した虚栄心のために、例えば不倫はするが、それが露見して(公然の秘密ではあってもよいが、それが公式の事実となって離婚したりとかは許されない)醜聞となることを極度に恐れるのである。
つまり貴族というのは、わかりやすい暴力や悪行で人を威圧したりはしない。
むしろ、表面上は善良で人当たりのよくふるまう存在なのである。
おそらく貴族の特権とか、富の分配の不公正とか、支配の構造とかは、国の法制度とかそういうものの中に、組み込まれているのであって、彼らが直接に表にでて、庶民を虐げるというわけではないのだということが分かる。
◆
そして、庶民は庶民の側で、彼ら貴族たちを、富を独占する特権階級であり、そこには不公正さがあると認識してはいるが、同時に、いわば貴族をアイドルか何かのように仰ぎ見て喜んでいたりもするのである。
例えばこの本の中ほどで、主人公のセバスチャンは、テリーサという女性に近づく。
もっともこれは未遂に終わり、不倫には発展しないのであるが、このテリーサという女性が面白いのである。
彼女は、家に貴族名鑑とかそういう類の本を持っていて、
かつ新聞記事とかに貴族のなんたら卿が何においでになりました、みたいな新聞記事があったりしたら、その記事とか記事にくっついている写真とかを切り抜いてスクラップしてたりするのである。
そして、彼女が夫と一緒に(彼女の夫は医者である)観劇にでもいくと、貴族様用の特等席を遠くから物見高く眺めて、夫にあの方は何々卿よ、とか、あのご婦人は何々卿婦人よ!きれいねー! みたいにして教えてあげるんである。
そういう貴族様に直接会ったことがあるわけでもないのに彼女はそういう上流社会に詳しいわけだ。
そして、主人公のセバスチャンが彼女の家の前で足を踏み外して、それを彼女の夫が治療した関係で、彼女の家に公爵家のお屋敷への招待状が届くと、彼女はウッキウキで夫と一緒に出掛けて行くんである。
つまり何が言いたいかというと、その当時の貴族ってのは、アイドルのかわりなのである。
そして彼女は昔の追っかけさんというかミーハーさんである。
現代には海外のセレブとか特集した雑誌とかあるし、アイドルの総選挙とか、まあそういうのがあるが、ハリウッドスターも存在してなくて、アイドルもいなくて、大物映画俳優もいない。みたいな昔の社会では、庶民のアイドルを眺めたいという欲望を唯一満たし得る存在は貴族以外にあり得ないんである。
だから彼らの動静がニュースにもなったりするのである。
まあ、現在でも皇室ウオッチャーとか王室ウオッチャーみたいな人はいるし、ダイアナ元妃はパパラッチに追いかけられたのであるが。
まあつまり、なろう小説には『アイドルとしての貴族』という視点がいくらか欠けているような気がしないでもない。
◆
そしてここまで楽しく話が進んできて、さらに本の最後のほうでさらにクライマックスがあるのである。
クライマックスといっても、小説のあらすじ的な意味でのクライマックスではなくて、本の資料的価値としてのクライマックスである。
この本の最後の方には、なんとイギリス国王の戴冠式の様子が描かれているのである!
そして、主人公は公爵様であるから、その儀式の一部を担当するために儀式に出席するのである。
つまり、国王の戴冠式に高位の貴族がどういう衣装を着て、どういうものを頭にかぶり、どういう馬車に乗って出かけ、どういう宝具を用いて、どういう儀式に参加するのかとか、儀式の手順とかが書かれているのである。
これはかなり貴重ではないだろうか!
なろうで小説とか書くときに、ひょっとして戴冠式のシーンとか登場させたい場合は、適当に妄想して書くよりは、この本を読んで実際の戴冠式の様子を参考にして、ちょっとだけファンタジー風にアレンジして書けばリアル感マシマシであることは間違いないと思う。
◆
つくづくと(あらすじ的にはあんまり面白くないが)資料的な価値が高い本である。
かなり貴族とか登場する異世界トリップ系小説を書くワナビの皆様にはかなり良い本だと思うので、とってもおすすめの一冊である。
中古価格 |
2013年12月11日
宮中での晩餐会
今日紹介するのは 『元宮内庁管理部大膳課主厨』 という肩書きを持つ著者が書いた、
『もしも宮中晩餐会に招かれたら』 という本である。
というわけで、つまり、一般人が皇居の宮中晩餐会に招かれたらどうすればいいのか、という内容について書かれた本なのである。
招待状の形式、着ていくべき衣装、当日のスケジュール、晩餐会の流れ、などが書いてある。
この本はもちろん日本の皇居での晩餐会について書かれているが、ちょっとばかし小道具やら何やらを変更すれば ネット小説とかでよくある中世ヨーロッパ風ファンタジーでの、例えば王宮での晩餐会のシーンを書く場合の資料として応用できそうである。
ということで、つまりこれは良い資料であると思う。
amazonなら中古で1円からあるのでオススメである。
もしも宮中晩餐会に招かれたら―至高のマナー学 (角川oneテーマ21) 中古価格 |