メラゾーマ!ギガンテ!
強そうじゃないですか、全部。音が。
実はこれにはちゃんとした理由があるんですね。
濁音(点々のこと。だ、が、び、ず)には言葉の印象を強くする力があります。
例えば・・・
ヒャンチ!ソットーレ!
弱そうですね。音が。
言語には、表すものと表されるものとの間に必然的な関係はないそうです。
これを恣意性というんですが、よくわかりませんよね。
例えば、「水」を皆さんは水と呼んでいますが、ミズと呼ぶ必要はないはずです。
ズミと呼んでも、ズミミと呼んでも構いません。誰かが勝手にそれをミズと呼ぶことにしただけのことです。
しかしオノマトペにはその言葉の形(語形)と意味(語義)の間に関係があります。 ですから、水が流れる様子をサラサラやチョロチョロではなく、ドンドンやゴロゴロで表してはならない、というか聞き手が理解できません。
タイトルにあるオノマトペとは、ぴかぴか、とんとん、すー、ぱっ、などの事です。
冒頭で書いた濁音のほかにも、色々あります。
◆清音(はへほ):鋭い・軽い・小さい・美しい
◆濁音(ばべぼ):鈍い・重い・大きい・汚い
◆促音(っ):素早さ
◆撥音(ん):軽やかさ
◆長音(ー):時間がかかるもの
◆濁音:皿を「ガヂャン」と置くよりも「カチャン」と置くと不快感を与えません
「ざらざら」よりも「さらさら」した手触りのほうがいい印象があります
長音:「くるくる」よりも「くーるくーる」の方が時間をかけて回っている印象で、
促音:「くるくる」よりも「くるっ」の方が素早さが加味される
イオナスンよりも、イオナズンの方が絶対強そうですね。
まとめると・・・
言葉には必然性はない。水をズミ、家をコンチミスキタノミミタ、田中さんを平八と呼んでもいいのですが、オノマトペは別で、オノマトペには必然性があり、人が肩をたたく音を、勝手にドンドンと表してはいけない=必然性がある、ということです。
言葉っておもしろ〜い。
この辺も給料が安い日本語教師のおもしろいところですね。
明日も雨らしいです。
明日はザーザーと降るでしょうか、しとしとと降るでしょうか。