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インドネシアを知って日本を知る!

インドネシア国旗

 「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間にわたり幾度か屍山血河※の闘争を試みたがオランダの狡知※なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍※し感謝感激したのは当然である。」
※屍山血河(しざんけつが)とは、激しい戦闘の例え。また、その後の惨状のこと。
※狡知(こうち)とは、悪知恵。
※歓喜雀躍(かんきじゃくやく)とは、躍り上がらんばかりに、非常に喜ぶこと。

 「日本軍政時代の3年半については、オランダ、チャイナ、アメリカ等、戦勝国の学者や、欧米に留学して日本が嫌いになった人々は、悪い面ばかりを誇大にあげつらっている。しかし、それでは全体を語ったことにはならない。」 
(アラムシャ第三副首相)

 「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第1に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展を遂げた。第2に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、厳しい規律を教え込み、勇敢に戦う事や耐え忍ぶことを訓練した。第3に、職場からオランダ人が全ていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、我々に高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事を任せた。」
(インドネシアの中学3年用の歴史教科書より)

 インドネシアで50年間も歌い継がれる「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」

“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ
大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…”

 350年間の長きに亘って、オランダの植民地にされてきたインドネシア。
 独立を勝ち取ったのは、昭和17年(1942年)3月の日本軍進攻がきっかけでした。過酷で計算され尽くした350年の植民地政策によって、有色人種であるアジア人は白人の支配を脱することは不可能だと思いこまされていました。
 しかし、そこに白人よりも小さな身体の日本人が突然やってきたかと思うと、なんとたった9日間の戦闘でオランダ軍は全面降伏してしまったのです。自分達と肌や髪の色の同じ小柄な日本人が、絶対にかなう筈もないと思っていた白人をあっという間に倒してしまったのです。この様子を目の前で見たインドネシアの人々は「そうだ!自分達もやればできるんだ!」という勇気を持ったのでした。現地の人々に大歓迎された日本軍は、オランダによって流刑されていた、インドネシア独立運動の指導者スカルノとハッタを獄中から救出し、日本軍への協力を求めました。こうして昭和20年8月に日本が敗戦するまでの3年半、オランダ時代とはまったく違う軍政が実施されました。

 しかし独立を約束した日本が連合国に敗れたとたん、またもやイギリス軍、次いでオランダ軍が、インドネシアを再占領するために戻ってきたのです。ところがインドネシアの人々はもう以前のインドネシア人ではありませんでした。自分達の力で独立を目指して戦う勇敢な戦士となっていたのです。そしてスカルノとハッタは連合軍が来る前、昭和20年(1945年)8月17日午前10時、多くの民衆の見守るなか、独立宣言文を読み上げました。

電球この独立宣言文の日付けは「17-8-‘05」と記されています。「‘05」とは、当ブログ「てゆうか、日本って何歳!?」でも記しました「皇紀」または「神武紀元」という、日本が戦前まで広く使っていた暦に基づいています。西暦(西洋の暦)はキリストの誕生を元年としますが「皇紀」は初代の神武天皇の即位の日を元年としています。「皇紀」によると昭和20年は「2605年」にあたります。その下2ケタをとって「‘05」とされました。今もジャカルタのスカルノ、ハッタ記念公園(独立宣言広場)に行けば、この宣言文がレリーフになってスカルノとハッタの銅像の真ん中にあるので誰でも見られます。

電球ちなみに、日本人に大人気の「バリ島」では「皇紀」カレンダーが今でも販売されているそうです笑いv

 さて話を戻しますが、独立を目指すインドネシアにとっては日本敗戦後のこれからが死闘でした。日本軍による3年半の軍事訓練を受けたとはいえ、近代的兵器で武装したイギリス、オランダなどの連合軍にそう簡単に勝てるわけがありません。敗れた日本軍の兵士たちはこの状況を見て、独立を約束しながら果たせなかったという責任感もあったでしょう。多くの人が現地に残り、インドネシアの民衆の先頭に立って戦い、その半数以上の日本兵が彼の地の土となりました。このインドネシア独立戦争は連合国を相手に4年間も続き、死者80万人という犠牲を払いました。そして命を捧げた日本兵はインドネシア独立の英雄として、ジャカルタ郊外のカリバタにある国立英雄墓地に丁重に祀られています。

 こうした歴史的事実からインドネシアの独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名になんとびっくり日本兵の服装をした1名を加えて3名で、国旗を掲揚します。もちろんこれは独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表しているのですが、こんなことは日本では全く知られていませんね落ち込み

インドネシア


 では!のちほど祝日

 星もっと詳しく知りたい人への推薦図書等

 『世界から見た大東亜戦争』名越二荒之助編/展転社
 『アジアに生きる大東亜戦争』ASEANセンター編/展転社
 『南の祖国に生きて-インドネシア残留日本兵の現在』上坂冬子/文芸春秋
 ビデオ『独立アジアの光-東南アジアの歴史と現代』




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