アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

日の丸とそっくりな国旗!

パラオ共和国の位置

 みなさん知っていますか?
 パラオ共和国の国旗が日本の国旗「国旗日章旗(日の丸)」とそっくりなことを。。

 実はパラオ共和国という国は、世界一親日的(日本好き)な国かも知れないです。
 なぜなら、、日本国旗「日の丸」を元に、国旗を決めたという国だからです。
 
 大東亜戦争時、パラオのペリリュー島という小さな島で12000人の日本守備隊は自軍の兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍の敵に対し、持久戦に持ち込み、全く補給が無い状態で73日間守り通しましたが、74日目にして敢無く玉砕しました。
 
 その激しい戦闘は、戦後アメリカ太平洋艦隊司令長官のニミッツ提督(ていとく)の著書『太平洋海戦史』の中で、次のように記されています。
 
 「ペリリューの複雑極まる防備に打ち勝つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった、最高の戦闘損害比率(約40%)を甘受(かんじゅ)しなければならなかった。既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて10000人を超える犠牲者を出してまで、この島を占領したことは、今もって疑問である」
 
 この記述から、当時ペリリュー島において非常に激しい戦闘が繰り広げられていたことが分かります。。

 しかしびっくり

 これほどまでの激しい戦闘があったにも関わらず、現地住民は1人も亡くならずに済んだのです笑い拍手
 
 ペリリュー島には、それまで現地住民が住んでいました。日本軍は、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して、現地住民全員をパラオ本島に退避させていました。
 この日本軍による手厚い配慮により、最大激戦地であったにも関わらず、島民の方は1人も亡くならずに済みました。

 昭和57年5月「青年神職南洋群島慰霊巡拝団」によって、島にペリリュー神社が創建されました。御祭神は天照大神と戦死者10000余名の「護国の英霊」です。神社には、ペリリュー島のイサオ・シゲオ尊長(そんちょう)によって、当時の日本軍による数々の手厚い配慮を後世に残すため、上記戦中の内容が記された掲示板が、神社前の左側に設置されています。
 
 そしてペリリュー神社前の右側には、、


 Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.

 「諸国から訪れる旅人達よ
  この島を守る為に日本軍人が
  いかに勇敢な愛国心を持って戦い
  玉砕したかをつたえられよ。」
  米大平洋艦隊司令長官
      C.ニミッツ     

 と記されています。

 そう、この詩を作ったのは何と敵であった、米大平洋艦隊司令長官のニミッツ提督なんです。

 この詩は、かつて敵であった日本軍の忠勇武烈ぶりを、このように讃えております。そしてこの島を訪れる旅人に、その勇戦ぶりを伝えてくれ、と戦死者に代って願っているのです。

 現在、パラオの国定教科書には462ページ中36ページも「日の丸の旗の元に」と題し、敗戦前の日本統治時代の事が記されています。日本がパラオを支配するようになった経緯だけでなく、日本の行った学校教育、産業・経済活動等について詳しく記されています。
 
 そして、クニオ・ナカムラ前大統領は日本の「新しい歴史教科書をつくる会」に賛同する署名もしていて、大統領専用の便箋に記された署名文書には、心に迫るコメントが添えられています。

 <<日本国民と日本人が「どの民族も例外なく持っている自国の正史(正しい歴史認識)を回復すべく」努力している活動を支持する。この活動が実を結ぶことは、日本の未来の世代をして、偉大なる自国の歴史、伝統、文化に目を見開かせることに積極的な貢献をなすだろう>>

 遅れましたが、ここから本題に^^;

 パラオ共和国の国旗は僕達の国旗「日の丸」にそっくりです。
 
 しかし「日の丸」と違い、真ん中の円のところは、太陽の赤ではなく満月の黄。周囲は白地ではなく、青い海の色になっています。

 何故、自国の国旗を「日の丸」に似せたのか。それには深い訳があります。
 
 パラオはドイツの植民地でしたが、第一次大戦下、この地域の戦争でドイツに勝った日本は、戦後、国際連盟からパラオを含む、ミクロネシア地域を委任統治することを求められた。
 
 その後、日本は沢山の移民をこの地に送り、産業・教育・文化の発展に大きな功績を残しました。
 
 第二次世界大戦後、この地域を占領したアメリカは、日本文化の影響を徹底的に破壊しました。南洋神社は取りつぶされ、校庭の二宮金次郎の銅像は引きずり降ろされました。
 
 しかし、パラオの人々の心には、勤勉の精神を教えてくれた日本人を敬い、日本統治時代を懐かしんでいたといいます。
 その証拠にパラオ人の8割は、現在も姓名のどちらかに、日本式の名前を付けています。パラオ人の上院議員に、ウメタロウ議員という方がいます。この方は、スティーブ・ウメタロウさんといい、ウメタロウは「姓」です。恐らく、身近にウメタロウという名前の尊敬すべき日本人がいたのでしょう。
 
 1994年、パラオはアメリカから独立しました。
 独立にあたり国旗を制定することになり、国民の間から一般公募した結果「日の丸」を元にした、今のデザインに決まったという訳です。
 ただし、パラオ国旗の真ん中の黄色い円は、中心からやや左にズレています。それは、日本に対して敬意を表すと同時に「日の丸」と同じ位置では失礼だからという理由から、わざと中心を外したのだそうです。

パラオ共和国国旗
 
 パラオの国旗は、僕達の国旗「日の丸」が決して侵略のシンボルではないということを世界や僕達日本人に教えてくれています。
 今を生きる日本人は、かつて日本の統治下にあった国で、日本の「日の丸」を模した国旗が作られる程、戦前の日本と日本人は多くのアジアの人々から、高く評価され尊敬されていたことを、忘れてはならないし、正しく後世に継いでいかなければならないと思います。その為にも、日本の統治下を経験したアジア各国を初め、世界に伝わる「日本の正しい歴史」を、多くの日本人が知る必要があると思います。

ニミッツ提督の著書『太平洋海戦史』は現在も発売されています。




 では!のちほど祝日


・・・国旗日本の食料自給率をみんなでUPしようびっくり

「めざましテレビ」「ガイアの夜明け」「AneCan」「anan」「読売新聞」「産経新聞」「日経新聞」などなど、多くの有名メディアに特集を組まれ、最も注目されているoisix太陽
口コミから始まり、押切もえさん、渡辺満里奈さんらoisix利用者からお気に入りの宅配として紹介された。
今なら、おためしセット2700円相当(税込)が、内容変わらず1980円(税込)で美味しい食材盛り沢山笑いv まずは1度お試しを^^ 



この記事へのコメント

   
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。