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日本統治の実力!


 みなさん「台湾人は日本好き」って聞いたことありますか?
 
 戦後教育を受けた僕達は、幼い頃から学校で「日本は過去に侵略戦争をしたことで、アジア各国から敵視されている」と、教わってきたため、「台湾は親日」と、聞いても、理由が理解できない人も多いと思います。以前、この様な戦後教育を受けた政治家が、台湾人に過去の日本の過ちを謝罪したところ、台湾人から「とんでもない!」と、逆に説教されたということがあったそうです。。
 うーん。。落ち込み学校の歴史の授業はなんだったんだ。。。と、大人になって感じることって多いですよね。。。

 ということで今回は、なぜ台湾は親日なのかを記してみます。
 なんとなく内容が難しそうですが、読んでみると簡単に読めると思うので^^、ぜひ最後まで目を通してもらえたら嬉しいです笑いv 
 
 ではいきます、、

 欧米各国がアジア諸国を植民地として支配していた時代がありました。台湾でも1624年にオランダが台北を支配。スペインには1626年に台南を支配された。1642年にオランダが台湾全土を占領したが、1661年に「抗清復明」の旗印を掲げた鄭成功(てい せいこう)の攻撃を受け、翌1662年に最後の本拠地要塞であった、ゼーランディア城が陥落し、オランダは台湾進出から37年で完全撤退した。
 
 その後、鄭政権は台南に「承天府」を置いたが長くは続かなかった。建国以来、反清勢力の撲滅を目指して来た清朝(しんちょう)が「反清復明」を掲げる台湾の鄭政権に対して攻撃を行い、1683年に鄭政権は滅びた。

 以降、台湾は清朝統治時代が、1683年から日清戦争※で敗戦し、台湾を日本に割譲した1895年(明治28年)4月17日までの約212年間続いた。
 
 この間の清朝統治時代の台湾は、台北や台南でさえ、人口2-300人程度の部落が点在している程の町に過ぎなかったが、清朝は「化外の地」(文化・文明の範囲外)として台湾を殆ど整備せず、まともに統治することはしなかった。また、当時は欧州から持ち込まれたアヘン吸引の悪臭がはびこり、土地も人心も酷く荒れ果てた環境下で、治安も衛生面も悪かった。風土病や原住民の反乱も多く、多くの台湾人がマラリアで命を落とした。山間に住む原住民の高砂族も、部落間の争いがあり、首狩り等も風俗として行われていた。

 しかし、約212年と続いた清朝統治時代も1894年(明治27年)の日清戦争で日本に破れ、台湾は翌1895年(明治28年)に日本領土となった。その年から、1945年(昭和20年)の大東亜戦争で日本が降伏するまでの、ちょうど50年間、台湾は日本の統治下にあった。

・・国旗日本による台湾統治・・
 日本は、列強国の優等生として世界にアピールしたい思いと、持ち前の日本精神を発揮して、台湾の教化改造に乗り出した。列強各国の搾取型植民地支配を目の当たりにしていた日本は、「内地(日本本土)延長主義」として、台湾に限らず、獲得した全ての領土を日本国内と同等に扱うという、欧米列強とは正反対の政策をとった。

 まず最初に日本が力を入れたのは教育だった。日本から優秀な教育者を派遣し、台湾中に学校を建て、教育と同時に、物事を学ぶ姿勢を根付かせた。台湾でも幼稚園から小学校、中学校(現在の中学と高等学校を合わせたものに相当)大学まで造った。(台湾大学は東大をモデルに作られている)
 こうした成果が実り、1904年に3.8%だった台湾児童の進学率は、1944年には71.3%にまで向上した。
 
 更に、台湾から素晴らしかったと、後に評価されている点として造林がある。
 樹齢が何年以上のものは、いついつの時に伐採をすると決め、全ての木に番号を付けて管理した。そして、伐採した木の跡には直ぐに苗を植えた。伐ったらおよそ何十年で、この山の木がどの位の大きさになるであろうという予測を建て、山ひとつを百年計画で伐っていたという。

 他にも、児玉源太郎の時代には、後藤新平の尽力によって、アヘン吸引の習慣が根絶され、各地に病院が建設され「解決不能」と言われていた、台湾の衛生状況は一新した。

 明石総督の指示によって、アジア最大級の水力発電所が作られ、電気は台湾中に通うようになった。

 八田與一の作ったダムは、水害と干害とで不毛の地だった嘉南の平野を、アジアの穀倉地帯に作り替えた。

 台湾総督府(たいわんそうとくふ)※は「百年計画」という都市計画に則って台湾の産業や生活の基礎を築いた。
 それが、どれほど優れているものだったかという証拠に、現在の台湾の都市計画は、日本統治時代の都市計画に基づいており、台北を走るMRT(地下鉄)を初め、上下水道、台湾の南北を繋ぐ縦貫鉄道や縦貫道路等々、国内のインフラ網は殆ど全て、台湾総監督府の「百年計画」によるものだ。

 しかし、近年それらは戦後、台湾に来た中国人が作ったと言われているが、当時を知る台湾人の間では、全て日本人が設計し建設したものであると言われている。

 ABS樹脂製造で世界一の企業「奇美実業」の創業者である許文龍氏は先日、このように語っています。「私が生まれる30年以上前から日本時代は始まっていた。父と母に聞いた話では、日本人が来てからの台湾は治安がまず一気に良くなったそうです。いわゆる「夜不閉戸」、夜、ドアに鍵をしなくても眠れる状態。次に良くなったのは衛生状態です。日本統治時代以前は劣悪な衛生状態のせいで伝染病が多く、私の曾祖父も祖父も、三十歳まで生きられませんでしたが、日本政府が上下水道等のインフラ整備を行った事で、台湾の衛生状態が改善され、台湾人の寿命が延びました。インフラに力を入れる方針を決めたのが、台湾総督府民政長官の後藤新平です。彼が台湾に造った上下水道は、当時の東京よりも進んでいたほどです。当時造られた基隆港や高雄港も、日本のどの港より大きかったはずです」と語っている。 

 当時のこうした台湾のインフラ整備に意欲を傾けた日本人達と、台湾全土で忠実に任務にあたった警察官や、学校教師達のおかげで、台湾人は次第に日本人を敬愛するようになっていった。

 1945年(昭和20年)日本が大東亜戦争で降伏すると、台湾は大陸(中国)で敗れた国民党が支配することになった。台湾人は、当初は同じ漢民族である中華民国を歓迎するつもりだったが、軍規粛正な日本軍とのあまりの落差にショックを受けることとなった。
 台湾人への略奪、暴行、役人の賄賂要求はもちろんのこと、水道を見て仰天し、金物屋で蛇口を買い求めて壁にめり込ませ、「水が出ない!故障だ!」と怒るような有様だったという。

 いつしか台湾の人々は、日本統治時代を懐かしむようになり「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉が生まれた。

 国民党による圧政は単なる差別にとどまらず、外省人※と本省人(元々の台湾人)との対立は激化し、とうとう台湾人による抗議運動は武力衝突につながった。
 この2・28事件以降、国民党政府は全土に戒厳令を敷き、台湾人を片っ端から殺害した。この虐殺による死者は3万人近いとも言われるが、正確な数字は未だ不明。

 台湾には、「アメリカは日本に原爆を落としたが、台湾には蒋介石(しょうかいせき)を落とした」という言葉まであるくらい、蒋介石の独裁が台湾にもたらした災厄は大きなものだった。

 このような歴史を経て、日本統治時代を直接経験している世代(トーサン世代)は、今でも流暢(上手)な日本語を話し「自分は元日本人である」と胸を張ってくれている人が多い。李登輝(り とうき)元総統や、司馬遼太郎『台湾紀行』にも出てくる蔡焜燦(さい こんさん)氏らの世代だ。

台湾 李登輝元総統(1988年-2000年)著書『誇りあれ日本よ』

 しかし、台湾の全ての人々が未だに親日的な訳ではない。戦後やってきた外省人がもちろん反日的だ。外省人は少数派だが、政権を掌握している彼らは中華民国の反日史観で国民を教育し、メディアを支配してきた。

 これによって、本省人にも戦後世代には反日史観に影響されている人も増えてしまった。現在の、馬英九(ば えいきゅう)総統(2008年-)や陳水篇(ちん すいへん)前総統(2000年-2008年)らの世代がこれにあたる。

 だが台湾の民主化以降は言論、政治にも自由な空気が戻り、1997年には日本統治時代を客観的に評価する『台湾史』の教科書が制定された。これまでは「中華民国は大陸全土を支配している」という蒋介石の妄想に従って『中華民国史』しか教えられていなかったが、ようやく台湾を台湾として教えられる教育が始まった。

 こうして新しい教育を受け、アニメや音楽など、日本のポップカルチャーに影響を受ける次世代の台湾人は、概ね親日的の傾向があり、両国の未来志向の関係発展が期待される。

 台湾の親日傾向は単純に日本統治の影響によるものだけではなく、南国のおおらかな気質や、良いものを素直に認めて受け入れるという、ある種の国民性が元々あったのではないかとも言われている。

 最後に、、僕は2007年に会社の研修旅行で台湾に行ったのですが、その時のバスガイドのおじさんが、車内で台湾の歴史を詳しく説明してくれた。その際に、何度も「おかげさまで」と言ってくれていたことが、日本を誇らしく感じたし、とても嬉しかったです笑いv。

 豆情報電球台湾でバスガイドをするには、専門の国家資格を保持しなければならないそうです。それだけ、国として観光文化を大事にし、正しい歴史を伝えたいという思いがあるんだなぁ、と僕は感じました^^。
 
 ご意見ご感想、ご批判や訂正がございましたら、コメントやメールにご連絡ください。 

 では!のちほど祝日


※日清戦争とは、朝鮮半島をめぐる日本と清国との戦争のことです。
1894年(明治27年)8月1日〜翌1895年4月17日に行われた。

※台湾総督府(たいわんそうとくふ、旧字体:臺灣總督府)は、清国から日本へ割譲され、日本領となった台湾を統治するために設置された当時の日本の官庁名。

※外省人(がいしょうじん)とは、自らの所属する省の人以外の人のことを指す中国語。あるいは、ある省(自分の出身の省でなくてもかまわない)にいる時、その省出身でない人を指す呼称。台湾において外省人とは、1945年の日本敗戦で日本による統治終了後、主に中国大陸(福建省の金門県、馬祖島を含む)から台湾に移住してきた人(大部分は漢民族)とその子孫を指します。
 

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 では!のちほど祝日


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