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元ペイサーズのレジー・ミラーが殿堂入り

どうもポン吉です。

フレッシュマンがいっぱいで、
それを見るたび年齢を重ねたことを痛感します。

今日は春の嵐によって
新調したスーツがグチャグチャになったことでしょう。
それでも次の日出勤するのが社会人だぜ!
お互い頑張りましょう。


さて、とうとうこのブログで、
ポン吉が最もリスペクトしている選手を扱う機会がやってまいりました。
しかも一番嬉しい形での登場です!

私の永遠のスーパースター

レジー・ミラーです!!!





なぜ今のタイミングでミラーなのか、

写真の通り、
レジー・ミラーはこのたび晴れてNBAの殿堂入りを果たしたのです。

NBA=元ペーサーズのミラー氏、名将ネルソン氏が殿堂入り

Miller, Nelson headline Hall of Fame class of 2012

レジーについての思い出を書き出すと長い感想文になってしまうので、
殿堂入りについて考えてみました。

レジーが殿堂入りの資格を手に入れたのは2011年のこと、
2年目での選出となりました。

いつか選ばれて欲しいとは思いましたが、
予想外にすんなり選ばれたイメージです。

ペイサーズがファイナルに進出したとき、
解説だった塚本先生が
レジーが殿堂入りしないんじゃないかといわれる理由は
NBAファイナルに出場したことがなかったから


と言っていました。

その後時間を置いて、ジェリー・ウェストの通算得点を抜いたときに
ポン吉は「これで確定だろう」と思いました。


ではもしファイナルに進出しなかったら、
2002年あたりで引退していたら、
スリーポイント数が1位じゃなかったら(アレンに抜かれたけど)
レジーは殿堂入りしなかったのでしょうか??

スポーツに「たられば」は禁物といいますが、
ポン吉はこの答えを今、あえて言いたい。

NBAを盛り上げる役目を十分に果たしたレジーだからこそ殿堂入りしたのだ、と。

レジーといえばスリーという人と同じくらい
レジーといえばクラッチシュートという人はいるでしょう。

その1試合がまるで映画のように締めくくられる、そんなシュート。
ジョーダンを中心としたNBAに強烈な彩りを加えた名脇役です。

そしてそのサブキャラのサブストーリーに心奪われた私のように
NBAファンを増やした功績を評価して欲しかった。
今回の選出、本当に嬉しいです。

おめでとう、そしてありがとうレジー



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ジェレミー・リンを見て思い出した選手「カリッド・エル=アミン」

ポン吉です。

最近MIP候補として選手を紹介しておりましたが、

そんな記事すべて、無に帰す可能性を持つ選手が現れましたね。

そう、ジェレミー・リンです。



メロ、チャンドラー、アマレといったメンツでもなかなか勝てず、
メロ、アマレが離脱し、
どうなるんだニックス・・・
と思った矢先に彗星のごとく現れた謎の台湾系アメリカ人。

その正体はハーバード大出身ドラフト外NBA選手
リンサニティーという言葉も既に定着し、
ニューヨークのみならず、世界的なセンセーションを巻き起こしています。

今日の試合、ニックスはヒートに負けましたが、
控えから出てきた
バロン・デイビスJR・スミスという顔ぶれには
自然と今後に期待するものも大きくなります。

ただ、たぶんビッグマン一枚トレードで獲得するのでは・・・と思います。
誰を放出するのか・・・

さて、実は本題はリンでもニックスでもありません

リンの活躍を見ていたら、ふとある選手を思い出したのです。


その選手こそ今日の本題、

カリッド・エル=アミンです。




えーっと・・・最初に聞いておきますかね。


この選手、知ってますか???笑

知らないなという方、

ポン吉はそんな皆さんを責めたりしませんw

なぜならこの選手がNBAでプレーしたのは
たった1シーズンのみなのです!

その後ヨーロッパにわたり、色々なチームでプレーしているようです。
なんと専門ホームページもありました。
http://el-aminbasketball.com/home.html

なぜ私が思い出したのか、
それは昔、エル=アミンが急にスターターになり、
その風貌からカルト的人気を博していたからです。
175cm、小太り、すごく小さいグレン・デイビスみたいでした。

アジア系アメリカ人であるリンにもその傾向があり、
そういえば・・・となったわけです。

アミンが所属していたブルズは、
当時ジョーダン引退の影響を払しょくできず、
恐ろしく低迷しておりました。

そんな中現れた注目の対象、
それがエル=アミンだったわけです。

私はBSで一回見ただけでしたが、
次の日は友人とエル=アミンの話で持ちきりでした笑

体型を活かしているのかよくわからないドライブ、
ミスマッチをつかれるディフェンス、
当時はジャンプシュートも苦手でした。
今はわかりませんが・・・

でもなぜか見ていて面白い、熱くなる、そんな選手でした。

エル=アミンは間違いなく私の青春の1ページです。

きっとNBAを見ている高校生、中学生にとって
リンは同じような存在として記憶されることでしょう。

まぁエル=アミンより他の人の印象にも残りそうですがw

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私の記憶に残る選手たち5.エディ・ジョーンズ

どうもポン吉です。
寒くなってきました。

NBAとは関係ないですが、
テニスの錦織選手が
世界ランキング1位のジョコビッチに勝つという偉業を達成しました。

テニスの場合、身体接触がない分、体の大きさはバスケほど影響しないかもしれませんが、
それでもパワーの面では不利な日本人がここまで活躍できるとは驚きです。

錦織選手のように活躍できる日本人NBA選手が待ち遠しいですね。

さて、今日は名選手のご紹介。
名SG・SFであり、優勝できなかったプレーヤーの中でもかなりの悲劇に見舞われた男、
エディ・ジョーンズです。



94年にレイカーズに入団。
一年目から平均14得点とチームの中心選手になり、
マジックの退団後から低迷していたレイカーズを建て直していきます。

96年にはシャックが移籍してきて、
プレーオフを勝ち上がるための戦力が揃ってきました。

97〜98シーズンには、レイカーズは61勝を記録。
カンファレンスファイナルにも進出し、とうとうファイナル制覇が見えてきました。

そんなチームに、この年新たなスターが誕生していました。
コービー・ブライアントです。
この年コービーは19歳でオールスターに選出され、
シーズン終盤の失速がありながらも平均15点を記録。
このシーズンはほとんどシックスマンとしての出場でしたが
チームとしてはこの新たなスターをどうにか育てたいと思っていました。

そして98〜99シーズン途中に、エディ・ジョーンズはホーネッツにトレードされました
その翌年からレイカーズは3連覇を成し遂げています。

現在のコービーを考えれば、レイカーズの決断は正しかったとなるのでしょうが
グレン・ライスと比較すると、SFで使っていてもよかったのでは・・・
と思ってしまいます。
まぁ年俸の面とかもあるとは思いますが。

エディ・ジョーンズはホーネッツ時代にもしっかり活躍し、
初めてオールNBAサードチームに選出されます。
ただ、ホーネッツはプレイオフで勝ち抜くほどのチームではありませんでした。

すると2000〜01シーズンには、マイアミ・ヒートにトレードされます。
この時期のヒートは低迷期で、
エディ・ジョーンズはとうとうプレイオフにも進出できなくなりました。

苦しい時期が続きましたが、
そんな中でも黙々と頑張る彼を神は見捨てていなかったのでしょうか、
03年のドラフトでドウェイン・ウェイドを指名すると、
04年にはなんとシャックが電撃移籍!

ヒートは一躍イースタンの強豪に変貌しました。

ジョーンズ、ウェイド、シャックと揃い、
05〜06シーズンはファイナルまでいけるかも!?と思いましたが

ここでも彼は悲劇に見舞われるのです・・・。

05年のオフにヒートは補強に乗り出し、5チーム13選手が絡む大規模なトレードを敢行
ジョーンズジェームス・ポージー、ジェイソン・ウィリアムスとの交換で
メンフィス・グリズリーズにトレードされてしまいます。

するとその05〜06年になんとヒートがファイナル優勝!!

エディ・ジョーンズは30半ばとなりさすがに衰えが隠せず、
06〜07シーズン途中でグリズリーズを解雇されてしまいます。

これまでか・・・と思った矢先、

なんと古巣ヒートと契約!
とうとうチャンピオンリングを獲得する最大のチャンスが!!!
と思ったら・・・

ウェイドもシャックも負傷続きでプレイオフまともに出場できず、
1回戦で敗退・・・


そして07〜08シーズン、優勝したいエディ・ジョーンズにとても魅力的なオファーが。
キューバンオーナー率いる(?)ダラス・マーベリックスに入団

だがここでも優勝するにはいたらず、このシーズンがキャリアの最後となりました。

ディフェンス力も高く、1on1のスキルも高く、外のシュートも入る、
セルフィッシュでもない使い勝手のいい選手だったと思いますが、

だからこそトレードの駒としては最適だったのでしょうか・・・

なぜか私の中でマイケル・フィンリーと被ってしまう彼ですが、
キャリア終盤にリングを取ったフィンリーとは雲泥の差でしょうか。

現役の選手の中でもリングを取ってほしい人はたくさんいますが、
もし誰かにリングを取らせてあげられるとしたら
私ならレジー・ミラーとエディ・ジョーンズにあげたいですね。

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私の記憶に残る選手たち4.ラトレル・スプリーウェル

ポン吉です。

ブログのPING送信がうまくいかず、
人気ブログランキング先では更新してないことになってました。

下書きで保存するとうまくいかないようで、

今後長い文章を書く時には
操作ミスに気をつけなければならないようです・・・

さて、本日は記憶に残るシリーズ vol4です。
今回の主役は、ラトレル・スプリーウェル



やっぱりスプリーといえば、この野性味ですよね!

私は残念ながらウォリアーズ時代のスプリーウェルを見たことはありません。
だけど存在は知っておりました。

なぜかといえば、
皆さんご存知ヘッドコーチ首絞め事件があったからです。

1997年12月1日のチーム練習で、
当時のヘッドコーチ・カーリシモとスプリーウェルは口論になり、
何度も出て行けというカーリシモに耐えかねたスプリーウェルは、
「殺すぞ」と脅しながらカーリシモに首締めをくれてしまったのです

チームメートに引き離され、その場を後にしたしばらくのちに
まだ怒り収まらないスプリーウェルは
カーリシモを再びボコるためにコートに戻ったとのこと

本能が理性を凌駕するようなタイプだけに、
致し方ないのでしょうかw


当然この事件は瞬く間に知れ渡り、
スプリーウェルは無期限の出場停止処分に。
(結局82試合出場停止の処分に)

NBA史上最も重いとされた処分の後、
スプリーウェルは二度とウォリアーズでプレイすることはありませんでした。

翌1998-99シーズンは、ロックアウトが発動する事態となり、
この年の1月にスプリーウェルはニューヨーク・ニックスにトレードされ1年以上公式戦から離れた後に復帰することとなりました。

ニックスはパトリック・ユーイングやアラン・ヒューストン、
マーカス・キャンビー、ラリー・ジョンソンを擁する中堅どころのチームでした。
50試合に短縮されたシーズンをなんとか8位でプレイオフ進出

しかし、ここからニックスは「ミラクルニックス」と評される奇跡を成し遂げるのです。

1位通過のヒートを3勝2敗で退けると、(8位が勝ち進むアップセットは史上2度目)
ホークス、ペイサースを退け、

NBA史上初、8位シードのチームがNBAファイナルに進む


というミラクルをやってのけました。

この期間、シックスマンとして出場することが多かったスプリーですが
ユーイング離脱後はSFとして先発出場することも。
キャンビーを先発させたことで機動力が上がり、
タフなディフェンスからの速攻で得点を重ねるチームスタイルが確立されました。

ファイナルではデイビッド・ロビンソン、ティム・ダンカンの
「ツインタワー」要するスパーズと対決。

スパーズはファイナルまでプレイオフ11連勝でという奇跡をやっておりました。

下馬評では圧倒的スパーズ有利でしたが、
初戦でニックスはまたもやミラクルを起こし勝利!

その後は4連敗でしたが、
スプリーウェルはダンカンの上からダンクを決めようとトライし、
会場を沸かせました。
ただ、ダンカンのブロックはハンパなかったです。

ファイナル最後の試合のスプリーウェルです。

http://www.youtube.com/watch?v=mEWtEzaVH8s


翌年もカンファレンスファイナルまで進み、
前年と同じくペイサーズと対戦。

スプリーウェルは足の小指を骨折しながらプレーを続け
得点を量産しました。
BSの実況の人が
本当に折れてるんですかね?」と何度も疑っていたのが面白かったです。

結局ペイサーズに屈し、
その後ファイナルに到達することはありませんでした。

ガーネット、キャセールと組んだウルブス時代を最後に
その後NBAでプレーすることはありませんでした。

なんとウォリアーズ時代にオールNBA1stチームに選出されたこともあるそうで、
若くからその才能を評価されていたスプリーウェルですが、
トラブルメーカーのイメージを払拭することなく事実上引退しました。

キャリアを重ねるごとにジャンプシュートの精度が増し、
プレーヤとしての価値を高めた彼ですが

ボースハンドのスピードあふれるダンク、
それだけで観客を沸かせることができたスプリーウェルこそが、
私にとっては何よりも価値があったと思います。

ちなみにペイサーズファンのポン吉ですので、
何度も煮え湯を飲まされましたw



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私の記憶に残る選手たち3.ショーン・ケンプ

どうもポン吉です。
仕事などが忙しくてなかなか書けませんでした。
もっといろいろ書きたいんですけどね。
まぁ一つ言えるのは「ロックアウトよりマシ」ってことでしょうか。
仕事があることに感謝。

さて、私の記憶に残る名選手、第三弾は「レインマン」ことショーン・ケンプです。


写真は見てのとおりロドマンが股の下にいるというすごいシーンですが、
ケンプといえばなによりもダンクですよね。
身体能力の高さによってパワーフォワードながら躍動感満点のダンクシュートを叩き込み、
長年の相棒ゲイリー・ペイトンから出されるアリウープパスとの相乗効果で、
一気に人気選手となりました。

http://www.youtube.com/watch?v=sf_v6WRDma4

ポン吉はかなりこの動画好きです。
ゲーム中のダンク、特にマークマンがいる状態としては滅多に見られない
距離の長い跳躍のダンクに思わずうなってしまいます。
1分10秒あたりのやつはとんでもないです。

残念ながらダンクコンテストで優勝することができませんでしたが、
90年代代表ダンカーとして間違いなくNBAファンが話題に挙げる選手でしょう。

「レインマン」という名前には、
「支配する男」(reign man)
「ダンクの雨を降らす男」(rain man)
という意味が込められているそうですが、
シアトルの雨の多い気候を吹き飛ばすような華麗さが持ち味でした。

ただ、彼には華麗なプレーの代償か、
常に問題児のイメージが付きまとっていたように思えます。
まぁイメージだけでなく実際に問題児だったのですが笑

スーパーソニックスとは契約問題で揉めて、
キャバリアーズ時代は増え続ける体重を問題視され、
トレイルブレイザーズ時代からはコカイン、アルコール依存症が取り上げられるように。
さらに複数の私生児もいるそうです。

まぁクリス・マリン筆頭に(好きなので挙げました)、
有力選手でもアルコール依存症やら暴力事件やらで
騒がせてしまう選手が多いのもNBAの特性でしょうか。
(むしろアメリカの気質か?)
そしてマイケル・ビーズリーは早く更正しないと
ケンプのようなキャリアを送るのではないかと心配しています。
ポン吉見解ですが、来シーズンきっとピーズリーは活躍すると思います。
そしてオフにやらかす気がします・・・。

話がそれましたが、華々しいキャリアの最終章、
動かなくなった体でスタッツを落として選手生活を終える
身体能力型スコアラーの典型、
それがケンプなんじゃないかと思います。

でもその一瞬の輝きは、
NBAの迫力、熱気を強烈に纏った、
最高に美しい閃光だったのではないでしょうか。

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私の記憶に残る選手たち2.ティム・ハーダウェイ

どうもポン吉です。

一週間ぶりですね。もっと更新したいのですが。。。

さてロックアウトがいよいよ現実的になってきましたが
暗い話はおいておきましょう。
前回に引き続き、私の記憶に強く残る選手をご紹介したいと思います。

第二回はティム・ハーダウェイ。


NBAの90年代を語る上で欠かすことのできない選手ではないでしょうか。
180ちょいの身長ながら、
必殺技「キラークロスオーバー」を武器に得点、アシストを量産する
超攻撃型ポイントガードです。

http://www.youtube.com/watch?v=V0HRPIu02Xo&feature=related

ドリブル時に自分の股下を通してから
クイックネスで相手を置き去りにするキラークロスオーバー、
かっこいいですよね。

私はセンターもしくはパワーフォワードとしてプレイすることがほとんどでしたが、
相手が大きいときは好んでよく使っていました。
ボールハンドリングが得意じゃない私の場合は、、
股下を通す直前にはあえて腰を高くして相手に一息つかせて
ボールが股下を通過する瞬間に重心を下げ、
ボールが手につくと同時に前方に大きく出して
一歩目で相手の横に並ぶ方法を使っていました。
これ初見の相手ならほぼ100パーセント抜けます。

ポン吉は現在27歳ですが、低身長のスコアラーといえば
同年代の方なら誰しもアレン・アイバーソンの名がすぐ思い浮かぶと思います。
アイバーソンのドリブルもすごいですが、
テクニックという面ではハーダウェイが上かと。
ちなみに現役では、
ホークスのジャマール・クロフォードが一番のテクニシャンかと思いますが、
皆さんはいかがでしょうか?

ハーダウェイは新人で入団したウォリアーズで
クリス・マリン、ミッチ・リッチモンドと結成した超攻撃型トリオ「ランTMC」、
移籍したヒートではアロンゾ・モーニングと
チームメイトにも実力者がいましたが、
結局優勝することはありませんでした。
ミラクルニックスに阻まれたのは今でも鮮明に記憶に残っています。

個人的にも97年に1stチームに選ばれた程度で、
これだけ印象的な選手ながら賞には縁遠いキャリアでした。

スティーブ・フランシス、ステフォン・マーブリー、
超攻撃型ポイントガードは人気が出ても、
チームに成績を残せないのがネックですね。

だからこそ後世に語り継ぐべき選手だと思います。
優勝できなくてもあのキラークロスオーバーはNBAの歴史に燦然と輝いています。

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私の記憶に残る選手たち1.マーク・ジャクソン

どうもポン吉です。

今日はドラフトの日ですが、
そんな日だからこそ昔に思いを馳せるのも一興かと思いまして、
私の記憶に強く残る選手をご紹介したいと思います。

今後も定期的に紹介していきたいと思いますのでよろしくです。

栄えある第一回に選ばれたのは、マーク・ジャクソン。

NBA好きなら当然ご存知であろう名PGです。
マジックジョンソンを上回る歴代アシスト数2位。
記録にも残る選手です。

しかし記録以上に私にとって印象的なのは、
なんと言っても「ポストプレイ」
http://www.youtube.com/watch?v=g2ikqKQ3XSA&feature=fvwrel

この動画には速攻のシーンが多いですが、
ゴールに背中を向けた状態からのキラーパスもたっぷり入っていますね。
特にベテランと呼ばれるようになったころには、
ポストアップから相手をグリグリと押し込みフックシュートを決める
ガード泣かせのプレイに磨きがかかり、
プレイオフでニックスのガード陣を苦しめました。

ペイサースファンの私にとって欠かすことのできない選手です。
そしてジャクソンのフリースローもまた印象的でした。
私は高校時代バスケ部でしたが、
フリースロー時、レジー・ミラーの真似をするか
ジャクソンの真似をするかで一年くらい悩みましたw

同チームの選手がリバウンドに行くタイミングを失い、
解説の人が「リズムがあってないですね」と毎回言ってしまう独特の間合い。
結局高校時代はレジーの真似をしましたw
動画が見つけられなかったのが残念です。

今年応援しようと思っていたウォリアーズのHCに就任し、
ますます応援したくなりました。
カリーを活かしたチーム作りに期待しています。

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プロフィール

ポン吉
シューターが好きで、特にレジー・ミラーとスティファン・カリーが好きです。このブログではNBAの好さを伝えていければと思っております。よろしくお願いします。

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