2018年04月19日
メンタル
お名前.com
メンタルが強い人。
メンタルが弱い人。
極端に言ってしまえばメンタルについては2種類しかありません。
私自身、メンタルが強いか弱いか分からないんですよね……苦笑
ってことはきっと弱いんです(笑)
メンタルの強弱によって性格や行動なども全て左右されます。
要はメンタル=自信ってことですね。
自信がある人とない人の違いはメンタルが強いか弱いかの違いが大きいです。
もちろん、経験も関係してきます。
今まで友達を作る時も自然とそうしてきたはずです。
この人とだったら話が合うと思うから(自信があるから)友達になったんだと思います。
これを彼女を作る時に置き換えてみてください。
この人と付き合いたいから、この人となら付き合えるかもって考えが変わると思うんです。
意識してない人も、自然とそうやって好意を持ち始めてるのではないでしょうか?
逆にメンタルの弱い人は常にネガティヴ思考です。
どうせ…
俺は…
別に…
など、自分を守ろうと言葉が自衛しているんです。
かと言う私も一匹狼派なので気持ちはわからなくもありませんが。
大勢でじゃれ合うのが好きではありませんからね。
これもまたメンタルが弱く自信がない証拠なのかもしれません。
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それはあまりに都合の良い、手垢に塗れた言葉じゃないか?
人が「メンタル」と口にするとき、無意識に前提となっているのは当然「フィジカル」の存在だろう。心と体、感性と理性、目に見えるものと見えないもの。その対比。誰しもが両者を截然と分けた上で、後者に対する前者の優位性を説いている。人生に大切なのはハートだ。貧しくても夢があれば、みたいな。因習のような二元論。
けれども、なぜ人は心と体を分けて考えようとするのか?
心というもののの輪郭も、その所在も分からないというのに。
そもそも定義ができないのだから、強いも弱いも分かるわけがない。だけど多くの人は、そんな言葉を定義しようとせずに、正面から向き合おうともせずに、おそらく目に見えないから大切なものなんだろう、くらいに考えて、崇め、奉る。そして最悪なことに、人生の責任を転嫁する。
それは中世の人間が、風土病を魔女や悪霊のせいにすることと何ら変わらない。唾棄すべき神秘主義。
よく分からないけど、なんかこのへんに(頭に?胸に?)ある。だからそれをとりあえず「メンタル」と呼んでみる。やる気が続かない。仕事に行きたくない。どれもこれも、この「メンタル」とやらが悪いんだ。
もちろんタフな人間はいる。死なない人だ。はっきり言って、強さと弱さの基準なんてその一点にしかない。死なないか、死ぬか。私はメンタルが弱いから、なんて独りごちるような人間が、深夜にカップ麺を啜っていたのでは笑止千万だろう。
言葉について真摯に考える職業を作家と言うのなら、それを志す人間が「メンタル」なんて言葉を軽率に使うべきではない、そう思う。